第30話 いざ北嶺プチ旅行(2)

「ねぇねぇライラさん。結局のところどうなんです? 坊ちゃんと付き合ってるんですか?」

「付き合ってません……」

「坊ちゃんはライラさんのこと、好きですよね」

「すっ……好き、らしい、です……」

「あら、じゃあライラさんは坊ちゃんをフッたんですか?」

「え! 振ったりしてない……と言うか、そうだ、『付き合って』とかは言われていないです。その……ええと……ううぅ」


 ライラは真っ赤になって言葉に詰まった。サツキはニマニマとしている。居た堪れない。


(坊ちゃん、案外策士なのかもしれませんね。いま申し込んだって、よく分からないからととりあえず断られそうですもの)


「坊ちゃんってなかなか優良物件だと思いますけど。とりあえずキープとかしないんですか?」

「レオのことは好きです。でも、家族もキャロンちゃんも、まぁエリックも好きです。……私、自分が箱入りで育ったってこと分かってるんです。『好き』ってどういうことなんでしょう。性欲が伴わないと、そういう『好き』ではないのでしょうか?」


「性欲とは……考えが飛躍しましたね。ああでもライラさんは淫魔でしたね。なんだかそういう気配は少ないですけど」

「そうですね、正直、そういう欲は出たことがないです。淫魔って、そういうことが大好きなイメージですけど――確かにそういうタイプもいますけど、そうじゃないタイプも少なからずいて。恋と愛欲は一致するものなんですか?」


 こういったことを、少し深いところまで相談したのは初めてだった。

 妖狐であるサツキは、淫魔とは違うアプローチの《魅了》に通じる術を持っている。今日エリックが挨拶したときに、ぶわりと漂わせた色香は特別なものだった。何かしらシンパシーを感じている。

 キャロンやミリアンというほぼ毎日顔を合わせる相手でなく、近すぎない存在だからこそ相談しやすいのかもしれない。悩んでいたことがつい口から出てしまった。

 訊かれたサツキは少し考え、微笑んだ。


「ライラさんは考えすぎなんですよ。好きな相手に強い性欲がある方もいれば、閉じ込めて飾っておきたい偏愛タイプの方だっていますし、それぞれです。分からないうちは、とりあえず坊ちゃんの愛を受け取っていればいいと思いますよ。女は愛されてこそナンボです」

「そう……ですか? 私、はっきりしなくていいんでしょうか」

「いいですよ。心配しなくたって、坊ちゃんは好きなようにやる狼ですし」

「それは……その通りですね」ライラは両手で顔を覆った。


 そうだ。ライラが嫌がらない限り、レオナルドは遠慮しない。


(もうこれ何かされてますね。坊ちゃんってば積極的でしたのね……女に興味ないと思ってました)


 ガタンと音がした。玄関の方だ。防寒や吹雪対策のため、二重扉になっている。

 外から帰ってきたレオナルドは、本性の大狼で駆け回ったのか清々しい顔である。


「ただいまー。あ、ライラもう起きてんだ。大丈夫?」

「だっ……大丈夫。おかえりなさい」

「? 顔赤いけど」

「これは何でもないから……」


 ライラの『大丈夫』なんて信用ならないのだろう。レオナルドは近づいて確認する。そうして当然だというように躊躇なくライラの頬に手を添え、上を向かせる。顔色を確認されていると分かってはいるものの、キスされそうな距離感にライラは慌て、目を逸らす。それが分かったレオナルドは口元を緩ませ、さらに顔を近づける。


「ちちちちちち近くない!?」

「そお? ごめんねライラが可愛くって」

「かっ……かわ……!」


 レオナルドは完全に面白がっている。サツキがすぐ傍にいようがお構いなしである。

(はああ……お姉さまレオの姉にも見せてあげたい、この光景……サツキは楽しいです)




 お昼過ぎ、サツキはキャロンとエリックを起こしに行った。ライラとレオナルドはお昼ご飯の配膳をする。特別なことはしていないのに、非日常感があって楽しい。サツキは学友同士で食べて下さいと遠慮していたが、ライラ達が用意したのは五人分である。


 眠っていた二人とも、気分は良くなったようで、サツキにお礼を言っていた。キャロンは寝不足もあったらしい。


 全員が揃い、お昼ご飯である。スライスされたバゲットには、ウォーウルフ邸から持ってきたという白、緑、赤の三種のディップソースが付いている。メインは海老と野菜のハト麦スープ。美味しいのは勿論だが、腹の奥がぽっと灯るような不思議な作用がする。キャロンやエリックも同じように思ったのだろう、はっとした顔をしている。


「サツキ特製ですよ~疲労回復に効く北嶺産の薬味を入れています」

「北嶺って不思議な土地ですのね」

「部屋の中はあったかいけど、外は気温何度くらいなんだ?」


 エリックの問いに答えたのはレオナルドだ。「今はマイナス四十度くらい」


「えっ……しぬじゃん……?」

「これでも暖かい方だけど。この先、北嶺を進めばどんどん気温は下がるぞ。どっちかというと、気温よりも魔力の渦が問題だけどな」

「魔力の渦?」とライラが聞く。


「ううんとなぁ……北嶺の土地は魔力の濃度が高いだろ? 奥に行くほどそれも強くなる。濃いだけだったらいいんだけど、たまに、魔力が意思をもったように集合して惑わすんだ。大蛇や獣の形をしていたりもするが、比較的渦状のものが多いからそう呼んでいる。危険なんだよ」


「へぇ……」

「北嶺って謎が多いですのね」


「両親は北嶺のフィールドワークもしてる。大狼一族は放浪癖に加えて、戦闘職とかそういった研究職に就いてるのが多いな。だからこういう別荘をちゃんと管理する必要があるんだ。皆、ふらっと来て羽を休めるから……今日も、もしかしたら誰か来る可能性だってあるし」


「なるほどなぁ。それで、実は世話焼きなお前が管理人をしてんだね」


 納得顔のエリックに、レオナルドが戸惑う。「俺が世話焼き……?」


「「自覚なかった(です)の?」」


 ライラとキャロンがきれいにハモる。


「坊ちゃんはとっても面倒見が良いですし、実は温厚ですよねぇ」

「実は温厚って何だ。実は、って」

「それ、ちょっと分かるかもです。レオ、最初のとき私にブチ切れてたし。優しい狼だなんて思わなかった。入学早々、あれは怖かったなぁ」


 ライラが当時を思い出すように遠い目をする。


「そっ……れ、は」

「クラス全員凍り付いてましたものねぇ。それからライラは孤立するし。別に貴方がそうしろって言った訳じゃありませんから、そうさせた私達も勿論駄目なのですけど、怒気混じりの魔力をたゆたせたレオナルドは怖すぎましたの」

「……」


 レオナルドは暗然としている。


「へぇへぇふぅ~ん? 面白いことになってたんだね。なーんとなくは知ってたけどね?だって君、有名人だからさぁ。結構サイテーだよね~」


 エリックはここにきて今日一番に生き生きしている。


「しかしライラさん、坊ちゃんに敵意を向けられて、よく頑張りましたね。めちゃくちゃ怖かったんじゃありませんか? 身内贔屓になっちゃいますけど、坊ちゃんかなり強いじゃないですか。そしてクラスで一人ぼっち。サツキならちょっと学校行きたくなくなっちゃう。なのに今こうやって仲良くなって、山荘にまで来てもらえているの、不思議ですね」


 サツキが容赦なくトドメを刺した。ライラは思い出し考えながら、ぽつぽつと喋り始める。


「……淫魔の存在自体が許しがたい、みたいな嫌悪だったから、それはもう仕方がないものなんだ、って思ってたんです。怖かったし、一人ぼっちも辛かったけど、嫌な目にあうことはある程度予想してたから……。それは半魔だからとか魔力が少ないからだとか、実力社会の魔界で無能だと判断されるとか、そういう理由で、流石に入学初日にトゥーリエントの淫魔だから嫌われるっていうのは予想外だったけど。真っ直ぐに、ときに変態的に溺愛してくれる兄様達がいるし、父様母様、屋敷の皆だっているし、それにあのときは狼さんが唯一の友達でいてくれたから、頑張れたのかな。あ、幼馴染のエリックもいたね」


 エリックが怪訝な顔をした。「“狼さん”……?」

 キャロンはじっとりした目でレオナルドを見た。

 その視線でほぼ全てを把握したような雰囲気をみせるサツキが、横目でレオナルドを見る。

 レオナルドとしては、グサグサブスブスと氷の槍で突かれているような心地であろう。


「あ! 別にもう怒ってないよ! レオにも理由があったんだしね!」


 回りくどく責めているようになっていると気付き、ライラは焦った。しかしあまりフォローになっていない――何しろ理由は勘違い――

 レオナルドが悄然とした空気を背負って立ち上がる。


「ごめん……。俺、もっかい見回り行ってくるわ……ごちそうさま」


 食器をキッチンに片づけ、よろよろとレオナルドは出て行った。


「……まずいこと言っちゃった?」

「いいえ」

「定期的に言っていこう」


 キャロンは唇を吊り上げてにっこり笑い、エリックはぐっと親指を上げている。

「面白そうで、いいと思いますよ」

 サツキはとても楽しそうに微笑んでいた。






 北嶺が闇に落ちる寸前の十六時――北嶺の日の出は短く、奥地に行けば行くほど闇の夜は長くなる――レオナルドが帰って来た。

 他の四人はリビングでボードゲームに興じていた。レオナルドの様子を心配していたライラが立ち上がり、迎えに行く。


「おかえりなさい」

「……ただいま」


 何を思ってどのくらい駆けまわっていたのだろう。レオナルドの顔には悲しさがあった。ライラの顔を見るなり、それがほろり崩れるように笑みを浮かべる。何故だか、泣いてしまうのではないかと思った。

 実際は泣くことなく、レオナルドがライラの方へ体を傾けてきた。慌てて抱きとめるが、予期していた重みはかからない。ふわりとレオナルドの両腕が背中へと回った。


「? レオだいじょう……」

「狼は大丈夫ですわよ~」「ねぇ、ライラのターンだよ」「坊ちゃん、二人っきりのときの方がいいと思いますよ」


 三人の声に、レオナルドはそろりとライラから離れた。


「……そろそろ日が落ちるから、用意出来たら夜空見ない?」






 防寒コートを羽織り、山荘に置いてある膝丈のモコモコブーツを履いて外に出る。魔術のおかげか少し寒いなと感じるくらいで、気温がマイナス四十度とは思えない。さらさらした砂のような雪をライラは蹴り上げてみた。


 もっと暗いと思っていたのに、北嶺の夜空は明るかった。濁りなく純粋に青く黒い夜空には雲一つなく、無数の星々が煌めいていた。星たちはそれぞれ色を変え、大きさを変え、帯やうねりを描いている。まるで降り注いでくるような、輝く夜空に圧倒され、空と大地と一体化している心地に胸が詰まる。

「きれい……」

 ライラはそれしか言えなかった。キャロンとエリックも同じようだった。


「だろ!」

 レオナルドは自分が褒められたかのように笑う。

「坊ちゃん、皆さんにこの夜空を見せたくて招待したんですもんね」


 サツキが言うと、少し照れたのかレオナルドは無言でそっぽを向いた。ライラ達はお互い顔を見合わせ、どうしても頬が緩んだ。

 一同はしばらく夜空を眺めて楽しんだ。そのうち、キャロンが寒いのでそろそろ中に入ると言い、エリックと共に部屋へ戻った。サツキはレオナルドにニヨニヨした笑みを投げかけてから、夕食は一時間後にしましょうと言ってエリックに続く。


「ライラはどうする?」

「もうちょっと見たいかな」

「それなら屋根の上に登る? そろそろ部屋の灯りもつくだろうし」


 ちょうど山荘の窓から明るい橙色の灯りが漏れる。夜空の深みが薄くなった。レオナルドが小さく頷いてライラをお姫様抱っこし、ひょいと屋根の上に上る。光源から少し離れるだけで大分違うのだ。足場が頼りない三角屋根だが、落ちそうになってもレオナルドが何とかしてくれるだろう。


「なぁライラ、昼間話してたことだけど……」

「うん?」

「入学初日のこと。俺がライラにしたこと」

「ああ、もう別に……」


「やったことは取返しがつかない。何事もそうだと思う。そのときのライラの辛さも、ぼっちの悲しみも、消えたり無くなったりしない。姉貴とアルフォードのことは勘違いだったし、ライラが俺に《魅惑》をしてきているっつーのも思い込みで、ただただ俺がライラを気になってて、惚れてたってだけの、どうしようもない駄犬だっただけ」


「だ、駄犬……」

 キャロンがよく口にしていた言葉である。

「ごめん。思い出すたびに、過去の俺をしばき倒したくなるわ」

「何度も謝って貰ってるし、もう本当にいいんだけどな。クラスの皆からも悪口とか嫌がらせとかはなかったんだし。もしそういうことが起これば、私を嫌ってることは別として、見過ごすレオじゃあないでしょ? それぐらい分かる」

「……ライラは怒らないからなぁ」


 レオナルドは暗然と下方を見つめている。この話が出たときは、いつもこういう顔をする。ライラは、レオナルドのこういった顔をあまり見たくない。


「もおお! この話、終わり! レオナルドが優しいことも、シスコン気味にお姉さんを大切にしてることも知ってるから! 謝られるよりも、いつもみたく、く、口説いてくるほうが、いいよ!」

「……ありがと」


 レオナルドはふっと笑う。折角空気を変えようと、照れながらも口説くよう言ったライラのために。


「それじゃあ、キスしてもいい?」

「なんかさぁなんかさぁ、そうやって許可取ってくるの卑怯じゃないかな、って最近思う……」

「嫌ならハッキリ言ってくれたらいい」


 レオナルドは駆け引きなく本心からそう言っている。そうと分かる熱量が、この直球さが、ライラの心臓までズドンと届くのだ。無論、屋敷の淫魔達がキスに許可を求めてくることなどない。寝ていれば好機とばかりに奪ってくる。


「嫌じゃないから、ずるいんじゃないの……」

「ライラは可愛いよなぁ」


 レオナルドがライラに少し顔を寄せる。ライラは数秒どうしようか迷い、結局ぎゅっと目を瞑る。レオナルドが微笑んだ気配がした。

 そうして、額に軽くキスをされる。

 てっきり唇にされると思っていたライラは、ぱちくりと目を開ける。


「……兄様みたい。ふふ」


 トゥーリエント兄妹の毎日のやり取りである。


「兄様? ちょっと待て、やり直す。唇にやり直す」


 レオナルドの手がライラの頬をとらえる前に、ライラは身を翻して屋根から飛び降りた。きれいに着地してレオナルドを見上げる。


「本日の受付は終了しましたー!」

 ライラの顔は得意げである。それに対し、レオナルドは不敵に笑い返した。

「ほお。じゃあ明日は受付してるんですか?」

「し、知りません!」


 ライラは急いで部屋に戻った。



 バタンと扉が閉まる音がし、レオナルドは楽しそうに笑った。

「敵わないよな」

 呟きは北嶺の夜空に消える。

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