第17話 日常を歩む(1)
午後の授業が終わり、キャロンがぐるんと後ろを振り向いた。
「ライラ、今日は暇ですか。カフェテリアに行きません? 結構種類ありますし――ちょっと聞きたいこともありますの」
キャロンはいつもより早口で、有無を言わせぬ圧があった。
「う、うん。私もキャロンちゃんに聞いてみたいことあったんだった」
「そうですの? じゃあ、行きましょう」
さっと立ち上がるキャロンに、ライラは慌てて鞄に荷物を詰める。今日は週末なので、特に用事がなければ学園に来るのは三日後。ライラは隣の席のレオナルドを見た。レオナルドもちょうどライラの方を向き、二人の視線が交わった。
「えと……」
何か言いたいのに、何を言えばいいか分からない。
「ライラ?」
「あっ、うん、ごめんキャロンちゃん」
キャロンはもう教室を出ている。去り際、レオナルドが「またな」と言った。ライラは頷くことしかできなかった。
学園内にあるカフェテリアは昼こそ賑わうものの、放課後になれば疎らだ。人気のテラス席には木製のテーブルと椅子が置かれており、ライラとキャロンはそこに座った。陽の光を遮るよう樹木が等間隔に植えられ、風が吹くと葉が擦れる気持ちいい音がする。
ライラはマグカップにたっぷり淹れられたキャラメルマキアートを口に含む。甘さとほんの少しの苦みが美味しい。
「ねぇライラ、ウォーウルフの狼と何かありました?」
「たまにキャロンちゃんが怖いよ」
キャロンは忌々し気な顔をしてコーヒーを飲んだ。「やっぱり」
「キャロンちゃんは分かってたの? あの狼さんがレオだってこと」
「れ、レオ? ええ、結構すぐ気が付きました。そういう分析は得意ですの。戦闘となるとてんで駄目なんですけどねぇ。それよりも、ライラは驚いてませんの? ってか怒ってませんの? いつの間にレオって呼んでますの!?」
言葉を重ねるごとにキャロンの怒気が膨れ、姿勢は前のめりに、早口になっていく。
「そりゃ驚いたよ……。怒ってもいる、けど、謝罪されたから、もういいかなって。レオって呼んでるのは、そう呼んだらいいって言われたから」
「……もっと怒りましょうよ」
キャロンが毒気を抜かれたように脱力した。ライラの分まで怒ってくれているようで、胸が温かくなる。
「ううーん……すごく謝られたし」
「どんな?」
「土下座とか?」
「土っ下っ座っ! 見たかったですわぁ!」
キャロンは心底楽しそうに笑う。もしかしなくとも、レオナルドのことを嫌っているのかなとライラは思った。
「それで、ライラはどこでアレがウォーウルフ君だと分かりましたの?」
「目の前で変身が解けた」
「ウォーウルフ君ほどの魔族が、本性を解いてしまったのですか? ライラ、何をしましたの?」
しまった。狼の口を舐めたなど言えるはずもない。
「……ちょっとしたアクシデント?」
「あ・や・し・い!」
その後もキャロンに追及されたが、ライラは絶対言わなかった。
土曜の朝。珍しく朝から起きだしていたファルマスに誘われ、ライラは人間界に来ている。
魔界から人間界に行くのは簡単である。各地にある専用ゲートを通るか、魔術でゲートを作り出すか。トゥーリエント家は家業柄、屋敷の敷地内にゲートを設備している。魔界でも重要視されている家業、それは人間界での経済活動である。
トゥーリエント家が根城にしているのは主に日本。商売を始めたのは室町時代まで遡り、今や日本の大財閥の一角を成している。働いている社員も、まさか会社の中枢が魔族で構成されているなど思いもしないだろう。
人間界での経済活動は他家も担っており、世界各地に点在している。そこで得た金で人間界のものを購入し、魔界へ輸入しているのだ。
人間界に住む魔族は少なくない。ただ、なかなか老けないので魔術変化で容貌を変えたり、転職したりして働いている。人間に比べて長命であるため、物見遊山に人間界で暮らしていたり、ただの暇つぶしであったり、仕事が面白かったりと、理由は様々だ。
また、人間界での経済活動の基盤を担う役割の他、規定違反の魔族がいないか巡回もしている。魔王軍にも専門の部署があるが、それだけでは不十分なのだ。規定違反行為とは、人間界での略奪や、人間を襲うことである。対象の魔族は魔界に連れ帰るか、専門部署に連絡して引き取ってもらう。ライラの父グイードが母の翠と出会ったのは、この巡回のときのことである。
現在の魔界では、人間を襲わないよう定めていた。人間に化けて普通に暮らしている魔族たちの、人間同士のような個人的トラブルはそれに当てはまらない。
大事なのは、魔族としての干渉を避けることだ。それは人類の増加と、化学兵器の発達が原因である。
人間は魔術が使えないし、重なり合った層にある魔界の感知もできない。だが、何が起こるか分からない――もし偶然、天体の巡りあわせ等の奇跡が起きて、人間界から魔界へのゲートが開いてしまったら。現に百年前、魔界と別の異界が重なり合った事件は起きたのだ。
魔界の魔族数は一億もいない。もし戦争になった場合、化学兵器がなければ、全面戦争であっても勝利するだろう。化学兵器を投入された場合、魔族は人間界の各地に飛び、人間に紛れて行動を起こす。魔界は捨てるしかない。そして、魔族も人間も、おそらく壊滅状態になる。
万が一ゲートが開いてしまったとき、少なくとも余計な禍根はないようにと、人間を襲う行為を禁止しているのである。
「ファル兄、今日は何か用事があるの?」
「ライラちゃんにプレゼントを買いたいなと思って」
人間界の服――トゥーリエント家グループ会社のブランドもの――を着て、兄妹は銀座を歩いていた。ファルマスは黒いハットにサングラスをかけ、ライラはキャスケットに伊達眼鏡をかけている。淫魔が人間界に降り立つと、その美しさで異様な人目を惹いてしまう。ファルマスは自分たちに関心を寄せられないよう、存在感を消す魔術もかけていた。
「プレゼント? 特に欲しい物もないよ?」
「念のため、俺があげたいの。ここだよ」
ファルマスは宝石店の前で立ち止まった。店の間口は狭く、奥行きが長い。黒い縁取りのガラス窓の向こうは、温かく明るい光に満ちている。ショーケースに並ぶ宝石がきらきらと輝き、見る者を魅了させる。
「宝石? 何故突然」
「御守り代わりにしようと思って。真珠を買うよ」
手を引かれてライラは店内に入る。床は重厚な赤いカーペットが敷かれ、靴の上からでもフワフワとする感触があった。「御守り?」
ファルマスは慣れた様子で店の奥へ進み、唇に弧を描いた店員に話しかけた。
「真珠のペンダントを選びたいのですが。品質は高めのもので、可愛らしい感じのもの」
「少々お待ちください」
店員があれこれ用意してくれている間、ライラはファルマスを物言いたげに見上げていたが、ファルマスは微笑むだけだ。
「どうぞ、ご覧ください」
ジュエリートレーに置かれているのは五つ。どれも美しくまろやかな輝きを放っている。宝石に詳しくないライラでも一級品だと分かる存在感だ。
その中で、一際惹かれたものがあった。ほんのりピンク色を帯びた、一粒の真珠である。向きによれば水色にも緑色にも見える光の膜を弾き、やさしく輝いている。この真珠を林檎に見立て、茎と葉っぱの造形をダイヤモンドと金であしらい、そこから金のチェーンに繋がっているペンダントだ。
「ライラちゃん、これ気に入った?」
「えっ、あの」
「そちらは花珠になります。真珠鑑定書もお渡しできます」
「うん、これいいんじゃない。ライラちゃんに似合う。よろしくお願いします」
「ふぁ、ファル兄、待って」
「あれ? 気に入らない?」
「そうじゃないけど」
とても好きだ。それが伝わったのか、ファルマスと店員は頷き合って、商品お渡しの準備に移る。ライラはよく分からないまま進む事態に慌てた。
「突然こんな、買ってくれるなんて訳が分からない。ファル兄にはほかにも沢山貰っているのに」
ライラはいつも真珠の髪飾りをつけている。飾り櫛や、飾りピン、全てファルマスからのプレゼントである。
「言ったでしょ、御守り代わりにするって」
ファルマスが屈み、声を落として言う。「この真珠に、俺の魔術を仕込むから」
「そうなの?」
ライラは納得した。真珠と魔術は相性が良い。魔術を仕込むというのは、何かしらの魔術式や魔法陣を描いたり、封じ入れたりすることを指す。最もよく使われるのは紙だ。ただし、紙が燃えたり濡れたりして陣が崩れた場合、効力はなくなる。そういった面で真珠を媒介にするというのは半永久的であり、他の宝石に比べて定着率が良い。
「だから、肌身離さず着けていてね」
よしよし、とファルマスはライラの頭を撫でる。
(私はいつも、甘やかされている)
「ありがとう。何の魔術か聞いていい?」
「ライラちゃんを護る魔術にする予定」
「いつもごめんね、ファル兄……」
ライラは守ってもらうばかりだ。淫魔として、魔族として、不完全で、出来損ないであるから心配をかけてしまう。有難くて、申し訳なくて、悔しい。
「そんな顔しない。兄ちゃんは、ライラが笑顔でいてほしい。御守りも俺が勝手にやってるだけ。な?」
うん、と呟いた声は鼻声になった。
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