第7話 前途多難な学園生活(7)

 昼休み、いつものように教室を飛び出したライラは、森の入り口で狼を待つ。

(今日は来てくれるかな。お喋りする相手ができたこと、言いたいな)

 弁当を食べ終えるころ、森の方から足音が聞こえた。現れた水色の狼は、ためらうことなくライラの傍に来て、そっと身を寄せるようにして伏せた。

(か、可愛い!)

 狼の毛を流れに沿って撫でる。狼は気持ちよさそうに目を閉じた。

「狼さん、私にもとうとうお喋りする相手ができたよ。友達になってくれるかもしれない!」

 狼がぱちりと目を開けて、ライラを眇めた。


『お前、一人も友達いないのか』

 突如、声が聞こえた。低音で心地よい、男の声だ。

「んんん?」

『おい』

「んんんん?」

 狼から発せられているような気がする。

『俺だ』

「……狼さんが、喋ってるの?」

『他に誰がいる』

 狼は前足でライラの脚を叩く。手加減はしているようで、痛くはない。

「しゃ、喋れたの? 何で今まで喋らなかったの?」

 狼が視線を外した。ばつが悪そうな顔をしている。申し訳ないと思っているのかもしれない。可愛いなと思って、ライラは狼の首に腕を回して抱きついた。すぐさま狼が狼狽えたように言う。


『離れろ』

「はーい」

 ライラは素直に離れる。狼は一度立ち上がり、ライラと向き合って地面に伏せた。

『それで、友達』

 話の続きをするようだ。

「狼さんがいるよ?」

『俺はいれるな』

「屋敷の皆を外せば……い、いないかな」


 ライラはサッと目を斜め下に向けた。自分でも、少なすぎだと思っている。だが、社交界にも出ていないので仕方ない。ライラの行動範囲は、屋敷とその周辺の森と、度々連れて行ってもらう人間界であった。それでライラのこれまでの人生は満ち足りていた。

『同じ淫魔族にはいないのか?』

 その狼の質問に、ライラはこてんと首を傾げた。

「私が淫魔って、よく分かったね?」

『!』

 外見でライラを淫魔だと判別するのは非常に難しい。むしろ、不可能だと思っていた。艶めかしく怪しい色香など皆無、魔力だって少ない。元々、淫魔自体が少数である。

何より、淫魔として黒髪など

「何で分かったの? 匂いとかあるの?」

 ライラは不思議に思って尋ねた。狼の方は何故か目を泳がせている。


『に、匂い、みたいなものだ』

「へええ。言葉も喋れるし、狼さんはすごいね」

『言葉を話す魔獣はいくらでもいるぞ……』

 狼は一度躊躇った様子を見せ、軽く首を振るとライラをじっと見つめた。

『……今日のお前、男の匂いがついている』

「男? ……ああ、エリックかな? 幼馴染がいるの」

『ふうん。幼馴染』

「同じ淫魔の家同士の付き合いなの。今日突然クラスに来たんだよね。エリックって結構モテるみたいで、びっくりした」

 しかもそれを当然みたいに受け流しているのだ。兄のアルフォードと同じように。


『淫魔の奴はたいがいがモテるだろ』

「そうなの?」

『並外れて優れた容姿と、他を惑わせる色気を持ってたら当然だろう』

「そっか。小さい頃から、屋敷の皆がすごく綺麗だなぁと思ってはいたけど、淫魔だから特別なんだね」

『すげえ屋敷だな』

「それに皆優しいの。……まあ、淫魔がモテるとかどうとか、私には関係ないことだけど」

『何故?』

「淫魔らしい容姿も色香もないもの。出来損ないだし」

 狼は言葉を探したようだが、何も言わない。黙ってしまった狼の首元を両手でわしゃわしゃと撫でる。

「ごめんごめん。悲観してるわけじゃないんだよ、事実だし」

『……出来損ないというのは?』

「小さいころ、黒髪の私を見て誰かが言った。それから社交界には出なかった。でも、トゥーリエント家に出来損ないがいるというのは噂になってて……これは屋敷に遊びに来たエリックから聞いたんだけど。あのころ、父様や兄様たち、暗かった」

 母が人間なだけあって、出来損ないと言われるだけでは済まないことを予想し、以降ライラは屋敷でのびのびと育った。


『黒髪ってだけだろ?』

「母様が人間で、側室なの。私自身、魔力も少ないし……伯爵家なのに」

『半魔なのか』

 驚いたようでも蔑むようでもなく、狼は淡々と言った。ライラは頷く。

「狼さんなら匂いで分かっちゃうかと思ってた」

『お前の匂いは……』

 狼は何かを言おうとして、やめた。

「続きを言って?」

『……魔力は少ないなと思ってはいたが、半魔だとは気づかなかった。実際、半分だろうが魔族であることに関係ないしな。でも、半魔だと聞くと色々納得がいく』

「ねぇ、淫魔って嫌われてるか知ってる?」

『……何故そんなことを聞く?』

「同じクラスの人にね、嫌いって言われたの。淫魔だから嫌われてるんだと思ってたんだけど、兄様やエリックを見てるとそうも思えなくて。でも、屋敷の皆にこんなこと聞けないから。狼さんなら知ってる?」


 狼は目を伏せた。尻尾は所在なさげにゆらゆら揺れている。

『……そいつがどう思ってるかは知らないが、魔界において淫魔が嫌われている、ということはないと思う。安心しろ』

 ライラはほっと笑った。狼が言うのなら、きっと安心していいのだ。

「狼さんに聞けて良かったよ。ありがとう」

『なぁ、お前は、嫌いって言ってきたそいつのこと……』

 狼が躊躇いがちに聞こうとしたとき、予鈴が鳴り響いた。

「ごめん、狼さん! 今日はありがとう。また来週ねー!」


       〇


 狼は言葉の続きが言えないまま、ライラが走って行く後ろ姿を見送った。それから森の奥へ駆けて行き――ぐるりとU ターンした。校舎の方向へ、物凄いスピードで駆ける。地面から木々へと跳躍し、森から出る直前、体の周囲に青白い光をまき散らし、狼の存在が不可視になる魔術がかかった。木の上から大きく跳び――まるで空を飛んでいる――校舎の屋上に着地した。

 もう一度青白い光を発したあと、現れたのは狼ではなく学生服で身を包んだ男だった。

 藍色の髪に、澄んだ水色の瞳で背が高い――大狼ウォーウルフ家の長男、レオナルド。野性的で美しいその顔を、苦虫を噛み潰したように歪ませて呟く。

「俺は、何を」

 言おうとしたのだろう。

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