第6話 前途多難な学園生活(6)
ライラの予感は的中していた。左隣のレオナルドは終始不機嫌さを隠さず、ライラが視線を向ければ背中に怒気を放つ。その様子を見ているクラスメイトたちはライラを遠巻きにしている。白い目で見られている訳でなく、関わり合いのない者として扱われている。
ぼっち確定であった。
ただ不幸中の幸いなのは、避けられてはいるけれど危害を加えようという意思はないことである。レオナルドに至ってもそうである。怖いけれど。
(に、逃げ出したい……けど、めげず頑張らないと……これまで屋敷でぬくぬくぬくぬく育ってきたんだから。友達ができなくたって、別に、いいじゃない……)
ライラは自分で自分を鼓舞していた。
授業中は集中すればいい。休み時間は復習する。ちらり、と周囲の様子をうかがうと、空気のような存在になっている自分を認識する。左隣を見ると、すぐさま怒気のような魔力が増大して滲み出るため、急いで目線を教科書に戻す。
ようやく午前中の授業が終わると昼休みである。ライラは弁当の入った鞄を持って教室を出た。目指す場所は決まっている。
学園の敷地の中でも外れにあるその場所には誰もいない。ライラはようやくほっとした。ここに来た理由は一人きりになりたいのと、水色の狼に会いたいからである。
ライラは昨日と同じ場所に立ち、森の方へと叫んだ。
「狼さーん!」
森の奥は昼でも暗く、ざわざわと木々が揺れる音が聞こえるだけだ。狼はそのうち来てくれるかもしれない。大きなハンカチを木の根っこの上に広げて座った。午前中、緊張して固くなっていた体をほぐし、ヨハンお手製の弁当箱を開ける。
「わぁ、美味しそう。ヨハンありがとう」
小さな容器にはデミグラスソースが入っており、それをメインのハンバーグにかける。誰もいない学園の外れで肩の力を抜いたライラは、隠れるように、一人で幸せそうに昼食を食べている。こんなところがヨハンや兄たちに知られたりすると、多分とてもよろしくない。過保護がさらに過保護になる。
おやつにマフィンも入れてくれていた。パクリと齧っていると、森の方からザクザクと音がする。二つの金色が光り――きらきら輝く水色のモフモフが現れる。
「狼さん! こんにちは」
狼はゆっくりライラのそばに近づき、手を伸ばせば触れられる距離で伏せた。
「来てくれたんだね、ありがとう」
ライラが手を伸ばし、狼の頭を撫でた。狼はされるがままで、目を閉じて寛いでいるようだ。
「そうだ、狼さんもマフィン食べる?」
狼は首を横に振った。それもそうかとライラは残りを平らげる。
そして狼に抱き着くと、狼はビクッと体を強張らせたが一瞬のことで、尻尾をぱたぱたと振り始めた。ライラは自分の顔を毛並みに押し付け、ぎゅっとしがみつく。
もう少しだけこうさせて欲しい。察してくれたのか、狼はじっとしてくれていた。
そうしているうちに予鈴が鳴る。「やばい!」
ライラは鞄を持って立ち上がると、名残惜しそうに狼を見た。
「サボってしまいたい……あ、はい、行きます」
弱音を吐くライラの体を、狼がぐいぐいと押す。「また明日ね?」と言うと、分かった分かったとでも言うように、狼は二度頷いた。
大急ぎで教室に戻ると、本鈴にはまだ余裕があった。大半の生徒は教室にいるが、左隣の怖い魔族はまだ戻ってきていない。
(一人を好みそうな魔族だもんね。何処に行ってるんだろう)
ライラがふと思っていると、当人が戻ってきた。ぱっと目を合わせてしまったライラは、すぐさま射殺さんばかりに睨み付けられ、縮み上がった。萎縮した様子のライラを見て、レオナルドはついと視線を逸らす。そのままドカリと席に着き、以降ライラと目を合わせることはなかった。
(わ、私が何したっていうんだろう……)
今更ながら、ライラは思った。
学園生活三日目。
昨日と特に変わりは無く、ぼっち生活である。昼休みになると教室を飛び出し、森付近へ向かう。弁当を食べ終えるころ、森の奥から狼が姿を現し、ライラは思う存分モフる。そして予鈴が鳴ると、名残惜しく教室へと戻る。
レオナルドも変わらず不機嫌そうで、かつ困惑している様子でもあった。
学園生活四日目。
昼休み、森の入り口で狼を待っていたライラだったが、彼の狼は現れなかった。
教室に戻る合図の予鈴が鳴る。そんな日だってあるだろう。狼にも予定があるかもしれない。
ライラはトボトボした足取りで教室へ向かい、着いたころは本鈴ギリギリで、左隣のレオナルドさえ席に着いていた。その彼と目が合ってびくついたライラだったが、いつもの射殺されるようなものではなく、困ったような色だった。いつもと雰囲気が違うことに首をひねる。何にせよ、敵意でなければ十分だ。
(明日は狼さんと会えるかな)
意気消沈したまま、その日は終了した。
学園生活五日目。珍客が来た。
「ライラー、『人間界史』持ってない? 俺忘れちゃって」
ライラのクラスに堂々と入ってきたのはエリックだった。入学以前からその優れた容姿で有名な彼の登場に、クラスの女生徒たちが色めき立つ。
(エリックってモテるんだ……。予想はしてたけど、びっくり)
そんな反応を気にすることなく、エリックはライラの席まで近づくと、返答のない幼馴染の頭を小突いた。
「ね、聞いてんの」
「あ、ごめん。貸すよ、貸す」
バーナード侯爵家次男と接点を持ちたい男子生徒たちと、イケメンとお近づきになりたい女生徒たちが、二人の親密そうなやり取りに注目している。エリックは気分が良さそうにニコニコしているが、ライラはとても焦っている。
クラス中から視線を浴びているこの状況から、ライラは逃げ出したかった。
しかも窓際に座っているレオナルドが、横目でエリックを睨み付けているではないか。普通なら慄く威圧感に対し、エリックは微笑んで見つめ返している。
何をやっているのだ、こいつらは。
「あったよ。明日までに返してね」
早く帰ってくれ、と教科書をエリックに手渡す。それを受け取ったエリックがニコリとした。嫌な予感がする、と身構えたが遅かった。
ちゅ、と。
何の脈略もなく、エリックがライラの額に口付けを落とした。
「ありがとー」
クラス中がびしりと固まった。女生徒たちの心の悲鳴が聞こえる。
ライラは咄嗟に振りかぶりそうになった右腕を左手で掴んで抑える。でないと、教室でエリックをぶっ飛ばしてしまう。その代わり、エリックをぎろりと睨み上げた。
『馬鹿じゃないの馬鹿じゃないの馬鹿じゃないの! 何してくれてんのおおおおおお!』
『ごめんごめん、いつもの癖が』
『いつもも癖もないでしょーがっ!』
エリックはへらへら笑いながら教室を出て行った。興味津々といった体で、残されたライラに注目が集まるが――その隣のレオナルドがいつもに増して不機嫌なため、皆口を噤んだ。一人を除いて。
「ねえ、エリック・バーナードと仲いいですの?」
「……えっ⁉」
ライラの前の席に座る女生徒が、振り向いて尋ねてきたのだ。自分が喋りかけられると思っていなかったライラは驚いた。
「ええと、幼馴染ってやつかなぁ」
「恋人じゃありませんの?」
「断じて違う」
「……そうですの。ごめんなさい、突然こんなこと聞いて」
「ううん。私も聞いていい? エリックってモテるの?」
「知りませんの? 侯爵家に付け加えてあの容姿ですもの、相当モテますわ。社交界では毎回目立って……そうでした、貴方は社交界に出ていないのでした」
目の前の女子は、ライラが社交界に出るべき出身にも関わらず、出ていないことを知っている。おそらく社交界に出ている魔族である。
「へぇ、エリックそんなにモテるんだ……」
「貴方、何も感じませんの? 流石名門淫魔出身、吸い込まれそうな美しさですわ」
「ううーん……。エリックには、何も感じないです……」
エリックについては幼少時から知っているし、それに淫魔に囲まれて育ってきたのだ。なにより規格外の兄たちと、その兄の母である正妻のフルーレ様の美しさの前ではすべてが霞む。そんなフルーレ様は今ごろ彼女と諸国漫遊中である。
「そういえばトゥーリエント家には二人ご子息がいらっしゃると……私はまだちゃんとお会いしたことがないのです」
「兄様たちは進んで夜会とか出ようとしないから。二人とも在学中だから、いつか会うかもしれないね。でも関わらない方がいいよ」
女生徒は目をぱちくりとさせた。
「関わらない方がいい、とは?」
「兄様としては最高だけど、異性としては危険」
女生徒はクスリと笑った。大きい瞳を柔らかく細める。
「わたくし、キャロン・フォレストですわ。ご挨拶が遅れてしまってごめんなさい」
「ライラ・トゥーリエントです。仲良くしてくれると、嬉しい、です」
「こちらこそよろしくお願いしますわ。これから名前で呼んでくださいな」
「キャロン、ちゃん?」
「ふふ。ライラとお呼びしてもよろしい?」
初めて喋り相手ができたライラは、クラスメイトには見せたことのない心からの笑顔を浮かべた。
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