第3話
その井上さんがこんなところで何しているんだろう? てっきり、ワームホールの向こうにいると思っていたのに。
とりあえず、声をかけてみた。
「おや、君は……」
どうやら僕を思い出せないようだ。
「黒丸時空の堀江です」
「思い出した。穴屋さんだったな」
穴屋という言い方はやめてほしいなあ……
「いつ地球に戻られたのです? てっきりまだワームホールの向こうかと」
「一時間ほど前だよ。この上映会を見るためにね」
どうやら井上さんは僕と違ってレトロ映像の大ファンだったらしい。この上映会に来るために、わざわざ百六十光年先から戻ってきたというのだ。
おっと、上映会が始まった。部屋が暗くなり、白いスクリーンに映像が映し出される。内容は子供向けの人形劇らしい。大の大人の見るものじゃないと思うのだが、周囲からは感嘆の声が漏れてくる。女房も含めて。
いったい何がそんなに凄いのか? 上映が終わった後、女房に聞いてみた。どうやら、今の映像は昭和時代中期に公共放送局が制作した『のっそりへちま島』という人形劇らしい。一日に十五分ずつ放送していたそうだが、その映像のほとんどは、その後失われてしまったというのだ。その当時は映像の記録にはビデオテープという記憶媒体が使われていたそうだが、これが当時大変高価だったため、番組収録に使われたテープは放送終了後に他の番組で使い回されていたという。そのために多くの映像作品が失われてしまったらしい。『のっそりへちま島』も失われた映像作品の一つで、これも放送終了後、そのほとんどは他の番組が上書きされて消えてしまったのだ。
ところが、二十年ほど前、ある映像ソフト会社が上書きされたビデオテープから元の映像をサルベージする技術を開発した。いったいどんな方法を使ったのかまったく公開されていないが、その会社は次々と過去の映像ソフトを再生していった。その会社というのが、この上映会に僕を招待した映像ソフト会社の懐古社だ。
ちなみ、撮影用にワームホールを借りてくれていたというのもこの会社で、僕にとっては大変なお得意様というわけだ。
と、その懐古社の社長の権堂氏が僕の方へやってくる。
やばいな、上映会の感想なんか聞かれたら。『ほとんど居眠りしてました』
なんて言うわけにいかないし……
あれ? 権堂氏は僕の横を通り過ぎた。どうやら、他の人に用事があったようだ。振り向くと、権堂氏は井上さんに挨拶していた。
「これは井上様。ようこそいらっしゃいました。ここしばらく連絡がとれないので心配していましたが」
「今、連絡のとりにくい別荘にいましてね」
そう言って井上さんは僕の方を見て、右手の人差し指を鼻に当てる。『居場所を教えるな』と言いたいらしい。僕は無言で頷く。
「今後、どうしても私に伝えるべき事があるなら、こちらへ連絡してもらえますか」
そう言って井上さんは紙切れを差し出す。
「これは?」
「これは……別荘の管理人の連絡先です」
「分かりました。よい映像が手に入りましたら、ぜひ連絡させてください」
「ところで例の映像はまだですか?」
「申し訳ありません。スタッフもがんばっているのですが、テープの痛みがヒドくて……」
「テープの痛みがヒドい? ではもうあきらめた方がいいのかな?」
「いえいえ、そんな事はありません。修復の、目処はたっています。近日中にはお見せできるかと」
「そうですか。期待しています」
そう言って井上さんは帰っていった。
さて、僕も帰るか。
「堀江さん」
帰ろうとしたところを権堂氏に呼び止められ、隣の部屋に僕は案内された。
「実は借りたいワームホールがあるのだが」
そう言って権堂氏はメモを見せた。
「ワームホールの登録サイトを見たのだが、一カ月前にそのワームホールを開いてますね。まだ潰していないのなら借りたいのですが」
メモにはワームホールの識別番号が書いてある。だが、そのワームホールは……
「申し訳ありませんが、このワームホールはお貸しできません」
「そうですか。もう潰してしまったのですね」
権堂氏がそう思うのも無理はない。普通、クズ穴は二週間ぐらいで潰してしまうものだからだ。ワームホールを支えるエキゾチック物質は大変な貴重品で、クズ穴を支えるのにいつまでも使っていられない。
「いえ、潰してはいません。今も開いたままです」
「ではなぜ借りられないのですか?」
「実はすでに借りている方がいるのです」
「なんだって? いったい誰が」
「それは言えません。守秘義務がありますので」
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