第2話

 井上さんと初めて会ったのは一ヶ月前。僕の経営する小さなワームホール施工会社『黒丸時空株式会社』でのオフィスでのこと。会社と言っても従業員五人の小さな会社。その小さな会社に訪ねてきた、九十近い老紳士の用件は、ワームホールをレンタルしたいという事だった。


 僕の会社のやっている事業というのは、プランク長の世界で出現しては消滅していく量子サイズのワームホールを人や宇宙船が通れる大きさまで広げて、エキゾチック物質で固めて通行可能にする事。恒星間文明圏を支える交通インフラを作る仕事だ。だが、普通の土木業者と違って業務を受注して仕事をするわけではない。ワームホールの性質上それはできないのだ。

 量子ワームホールは、開いてみないとどこに繋がるか予想できない。火星に繋がるかもしれないし、太陽のど真ん中に繋がって大惨事になることもあれば、女の子のお風呂に繋がって『キャー!! エッチ!!』ということもありうるわけだ。

 まあ、たいていの場合は何もない宇宙空間に繋がるだけでそういう事は滅多にないわけだが、とにかくワームホールがどこに繋がるかというのは、掘ってみない事には(業界ではワールホールを開く事を『掘る』と言ってる)誰にも予想ができない。

 だから、隣の恒星系を開拓しようとして『おい。アルファ・ケンタウリまで穴掘ってくれ』なんて注文をされてもできない。『なに言ってやがる!! てめえの会社は昔、アンドロメダ星雲まで穴を掘ったそうじゃないか!! 二百万光年も掘れて、たった四・三光年ぽっちの穴がなぜ掘れない!!』と怒られてもできないものはできない。

 だから、僕ら業者はワームホールを何百も掘りまくる。たいていのワームホールは何もない宇宙のど真ん中に繋がるが、数百に一つか二つくらいは資源のある惑星や居住可能惑星の近くに繋がる。そんなワームホールは行政や大企業が高値で買い取ってくれる。

 ところがここ数年、僕の会社が掘るワームホールは何もない宙域に繋がるばかり。経済的に価値のあるワームホールなんてさっぱり掘れない。最近も、地球から百六十光年離れた宙域にワームホールが繋がったが、その周囲二光年以内に恒星系はおろか、浮遊惑星一つ無い。 

 そういった金にならないワームホールを業者の間では(クズ穴)と呼んでいる。昔はそんなクズ穴でも、核廃棄物の捨て場所という価値があったが、現在ではそれすらない。

 クズ穴は次のワームホールを開く準備が整ったらつぶすことになっているが、それまでの間は繋がった宙域の座標をネット上に公開している。もしかすると、同業者の掘ったワームホールが近くに繋がるかもしれないからだ。その場合、クズ穴は中継点としての価値が生まれる。まあ、そんな事は希だが。

 時には映画会社が撮影に使いたいという事もある。うちの場合はしばらくそれで食いつないでいたのだが……


「それで、井上様はこのワームホールをどのような事に使用されるおつもりですか?」

「別荘だよ」

「別荘!? ですが先ほども説明いたしましたが、このワームホールの先には恒星系はおろか浮遊惑星すらありません」

「すばらしい。私の目的にぴったりだよ」


 どうやら、この老人はそうとう変わり者のようだ。人里離れたところに別荘を構えたいという人はよくいるが、これは度を超している。こんな何も無い宇宙空間にステーションを建設して住もうなんて。

 しかし、会社としては断る理由はなく、その上、井上さんの提示した金額は破格のものだった。赤字続きの会社にとって、井上さんは救世主と言ってもいい。

 それからしばらくして、井上さんはワームホールの向こうに宇宙ステーションを建設して移り住んでしまった。時々、用途不明の大きな機材が向こうへ運び込まれる事があるが、本人がこっちへ戻ってくる様子はなかった。 

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