第6話 ちょっとおイタが過ぎますね?

「正直一目惚れだ。お前に振り向いて欲しくて……昔はお前にちょっかい出して、泣かせちまった。悪かったと思ってる! けど、これからはお前を護らせて欲しい! お前の隣で! お前を泣かせるのは俺だけで十分だ。……好きだ。あの時からずっと、お前だけだ」


 

「宝石みたいだなって……綺麗だって思ったんだ。出来るならずっと見ていたいって。あの時はあいつに気を遣って言えなかったけど、もう自分の気持ちを隠すのはやめにする! 昔の事を水に流せとは言わない……ただ償わせて欲しい。僕に君を愛させて欲しい。君の隣でずっと、君だけを」


 

 何とも立派な台詞ではないか。

 乙女ゲームにおいて、ヒロインを口説く為の甘い台詞は必須スキルだ。

 しかし、その必須スキルというのは、どうやら標準装備ではないらしい。

 冒頭の台詞を吐いたのと同一人物かと疑いたくなる様な状況に、スフィアは置かれていた。




      ◆



 

「おい、赤毛! これ、俺達の分もやっとけよ!」


 その声と同時に、机の上にガルツとブリックのノートが降ってきた。


「アントーニオ公爵家の子息である俺様の役に立てて嬉しいだろう! ちゃんと出来たら、父さんに口聞いてやろうか? レイランド家と繋がりを持ってやってくれ、ってな?」

「所詮は侯爵家って言っても、ガルツの公爵家には敵わないからね。大人しく従っといた方が良いよ」


 そう言って二人は何が面白いのか、口を歪め不快になるような笑いを見せた。


 ――コレがどうやったらあそこまで変わるのよ……。

 

 あの日から、スフィアはこのガルツとブリックに、謂われの無い嫌がらせを受けていた。

 ある日は鞄を隠されたり、またある日は教科書を無理矢理奪われたり、食堂では彼の人参を勝手に食事に乗せられた。

 そのどれもが余りにもささやかなレベルで、いじめとは呼ぶには実に可愛いジャイアニズムだった。

 鞄は教卓の下に置かれているだけだったし、教科書が無くとも義務教育如きでは必要を感じないし、人参は好きな野菜だ。


 ――まるでダメージを受けないわね。



「所詮は八歳児ってところね」


 スフィアは机上に横たわる二冊のノートに目を落とした。

 スフィア自身は何をされようが丸きり気にもならないし、どうでも良かったのだが、貴族の子女が通うこの学院で孤立するのはいただけなかった。

 ここは社交界の縮図だ。ここで孤立するという事は、レイランド家にも迷惑が掛かるという事。

 上手く立ち回る必要があったが、如何せん、このガルツとブリックのおかげで、皆スフィアに関わろうとしない。ただ初日と変わらず、遠巻きに気の毒そうな憐みの視線を寄越すだけだった。


「ガルツ、ブリック……宿題は自分でやった方が良いと思うんですが」


 ここで下手にやり返しても、彼らは意地になるだけだと分かっていた為、スフィアはやんわりと控え目な抵抗する。


「何言ってんだよ! 俺達はその馬鹿そうな赤毛の頭を心配してやってんだ。お前、鈍そうだから、三人分やって漸く理解できんだろ?」

「俺達のこれは親切だよ? 無駄口叩かず、ありがたく受取っときなよ」

「そうそう! 赤毛で無駄に目立つくせに、頭が馬鹿だったら目も当てれんねえからな! 直々に俺様が、お前が恥かかない様鍛えてやってんだ。公爵家の俺様が仲良くしてやってんだから、感謝しろよ!」


 ガルツ達は高笑いしながら教室を出て行ってしまった。

 教室に残った者達は安堵に息を漏らし、チラとスフィアを一瞥しただけで、何事もなかったかの様に過ごし始める。


 ――さて、どうしたものかしらね。


 スフィアにとってこんなイジメ、そよ風程にしか影響がない為されるがままに放置していたが、どうやら二人は一向に止める気はないらしい。それどころ歯牙にもかけられないのが気に食わないのか、少々ムキになっている節がある。


 ――なに? 泣かせたら勝ち、みたいな?


 一度泣けば興味を失せてくれるのであれば、リットル単位で泣いてやろう。

 しかし、それではスフィアの気が収まらなかった。

 別に靴が無くなろうが、鞄が無くなろうが、自分に対してだけなら何とも思わない。

 しかし、彼らはレイランド家を侮辱した。あんなに良い両親と、ちょっと難はあるが優しい兄のいるレイランド家を。

 多少なりとも腹は立っている。


「ガルツとブリック……ね」


 この二人とはこの後六年間、同じ学び舎で付き合っていかなければならない。

 とすると、遠ざけるやり方はそぐわない。

 では、どうやって嫌われようか。


「いじめ返す? それとも無視する?」


 いや、いじめは人として最低だ。レイランド家に泥を塗る事にもなる。

 それならば無視か? いや、やはりそれも効果は薄いだろう。彼等のエンドを見る限り、無視した位で切れる縁でもなかろう。

 と、すれば残される方法は一つ。


「……子分にしましょうか」


 これからこの貴幼院で出会うのは、名簿を見た限りこの二人だけでは終わらない。その内必ず一人では対処出来なくなる事態に陥るだろう。学院内の協力者は、今後も速やかに恋の芽を摘むには必須要員だった。


「どうせ無理に離れようとしても、また予定調和されるでしょうからね」


 それならば、手の内に置いといて自分で管理出来た方が好都合だ。


「さて、どっちから手を付けようかしら?」


 スフィアは脳内に蓄えた攻略キャラ辞典から、ガルツではなくブリックの方を呼び出した。


「将を射んと欲すれば先ずは馬を――ってね!」


 スフィアは机に残された二人の算数のノートに、丁寧に答えを書き込んだ。 



 

       ◆




「ねえ、お父様。ラウロフ家ってどんなお家ですか?」


 夕食のスープを一口飲んでスフィアが、パンを千切っていたローレイに尋ねる。


「急にどうしたんだい? 他家の事を聞くなんて珍しいね」

「同じクラスに、そこの御子息が居るんです」


 子息という言葉に、レタスを口に運ぼうとしていたジークハルトの手が止まった。


「………お友達…かな? スフィア」

「えぇ、よく話し掛けて下さるんです」


 ジークハルトはレタスを口に入れると、まるでレタスでないものをすり潰すかのように、念入りに噛んだ。彼の口から聞いた事も無いような音が聞こえる。


 ――レタスってそんな音も出るのね……。



「そうだな、んー……ラウロフ家は子爵、だったかな?」


 ローレイはフォークを置いた手で顎を擦り、視線を宙に投げた。

「いえ、伯爵ですよ。ラウロフ伯爵。これといった噂や評判は聞かないんで、伯爵家の中では確かに目立ちませんね」


 ジークハルトはローレイの認識を訂正すると、皿の上のレタス全てを口の中に突っ込んで咀嚼した。

 またも彼の口から異音が聞こえてくる。


「で……、そんな地味な伯爵家御令息とスフィアは、日々どんな会話をしてるんだい?」


「聞かせて欲しいなぁ」とジークハルトはスフィアに微笑んだ。

 一見すると家族団欒の他愛ない会話の様だが、それはジークハルトの目が笑っていればだ。目に浮かぶ嫉妬の色は最早狂気だ。

 何を八歳男児に妬く事があるのだろうか。

 スフィアはこれ以上面倒な事になる前に、予防策としてガルツの名を出す。


「別に二人でというわけではなく、アントーニオ家の御子息も一緒ですよ。席が近いので話す事が多いだけで――」


 するとローレイに何か思い当たる節があったのか、彼は「ああ」と得心とくしんした声を漏らした。


「そうだそうだ、思い出した! ラウロフ家の爵位はアントーニオ公爵が叙勲したものだったな。それもここ最近だ。通りであまり耳馴染みのない名だと思ったよ」

「でしたらラウロフ伯爵はアントーニオ公爵には頭が上がらないでしょうね。それにあまり噂も聞かないとなると、裕福な方とはいえないのでは?」

「風の噂だが、御子息を貴幼院に入れる為に爵位を買ったと聞いた。おかげで爵位はあれど、家は閑古鳥だと――」

「ローレイ! 殿方達のお話はその辺りで……スフィアのお友達なんだから!」


 次第に饒舌になっていくローレイとジークハルトの会話を、レミシーの重い声が遮った。


「スフィア、お友達はお家ではなく、その子自身を見てあげなさい。お家は関係ないわ」


 真剣な目で、諭すようにレミシーが語る。

 スフィアが大きく頷けば、レミシーはいつもの柔和な表情に戻った。


「大丈夫ですよ、母様。スフィアには難しすぎて半分も分かっちゃいませんって。な? スフィア」

「ええ。お父様と兄様の話は難しすぎて、結局よく分かりませんでしたわ」


 スフィアが頬を膨らませて、拗ねたようにそっぽを向けば、ローレイもジークハルトも「悪かったね」と言って眉をハの字にして楽しそうに笑った。


 ――いえいえ、とても有意義な情報ありがとうございます。


 顔を背けた先で、スフィアもニヤリと口端を歪め笑う。


 ――さて、夕食が終わったら早速準備に取りかからないと。


 スフィアは、食堂の隅に置かれていた高そうな花瓶を見つめた。


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