第7話 狙った獲物は逃がしません! ヒロインの事件簿
ひっそりとした校舎内。
よく磨かれた廊下を歩けば、コッコッと革靴のヒールが軽やかな音を奏でる。
スフィアはいつもより一時間以上も早く学院に来ていた。
チラホラとやって来る教師達以外、校内に人影は見えない。まるで自分だけの城だ。
そんな誰も居ない校内のとある場所で、スフィアはぶつぶつと独りごちながら、周囲を何度も見回していた。
「――こう来た場合はこっちに寄せて……それでコレを――」
スフィアの目の前には一つの花瓶があった。
百合の花のような形をした花瓶は、赤や青で彩られ、金で繊細な模様が装飾されている。
――きっと、というか絶対高価な品物だわ。
その花瓶は校内の至る所に飾られている、どの調度品にも負けないくらいに華やかだった。
そんな美しい美術品を、スフィアは匠の如く厳しい目で見つめる。花瓶の周りを隅々まで確認し、手で枠を作っては離れたり近付いたりして何かを測る。
「チャンスは一回! 流石に二つは私も怒られそうだわ」
スフィアの手の中には『てぐす』が握られていた。
◆
四時間目の授業の終わりを告げるチャイムは、昼休みを告げるチャイムと同じだ。
皆一斉に教室から飛び出し食堂へと向かう。
ガルツが駆け出して行く姿が見えた。
スフィアはその後ろに居た彼に声を掛けた。
「ブリック!」
ブリックは先に行ってしまったガルツを少し気にする素振りを見せつつも、教室から半歩出た足を再び中に戻した。
「なに?」
「教養のレナンド先生が、四時間目が終わったら来て欲しいって」
「なんで?」
「さあ? 私は言伝を預かっただけですから……取り敢えず行かれてはいかがです?」
心当たりがない、と訝しげに首を傾げたブリックだったが、「分かった」と言うと食堂とは反対の方へ向かった。
この時間、学院中の生徒は食堂へ集まる。つまりはそれ以外の場所からは人気が消えるのだ。
「それにしても、ブリックったら用心深いわね」
いや、あれは臆病なのだろう。
「もし、行く事を拒んだらどうしようかと思ったわ」
まあ、その場合でも「私が怒られるから」とか理由つけて無理矢理連れて行っただろう。しかしその可能性は低いとは思っていた。一年生如きがこの学院の絶対的権力者である教師に逆らえるはずがないからだ。
この学院の教師達はもれなく上位貴族出身だ。だからか、教師に対しあからさまに反抗的な態度を取る生徒は少なかった。そんな態度をとって不興を買えば、下手すればお家の没落待ったなしだ。
「さて、私もそろそろ行かなきゃ!」
スフィアは椅子を倒す勢いで席を立つと、ブリックの後を追い目的地へと先回りする。
辿り着いた先でスフィアは廊下の角に身を潜める。
何も知らないブリックがとぼとぼとした足取りでやって来た。ちょうど彼が例の花瓶の前を通り過ぎようとした瞬間、スフィアは手に持っていたものを渾身の力で引っ張った。
瞬間、ブリックの驚いた声と何かが割れるけたたましい音が廊下に響いた。
「大丈夫ですか、ブリック!!」
スフィアは倒れ込んでいたブリックに慌てて駆けより、その肩を揺らす。
「ブリック! ブリック!?」
すると、彼は眉根をよせ喉の奥で呻き声を出しながらゆっくりと目を開けた。
「あ、れ……っ痛たー……僕、なんで転んでんの……?」
スフィアは手を添え、ブリックが起き上がるのを手助けする。
頭を振り強制的に目を覚ませた彼は、足元に散らばる何かの破片に気付いた。
「――――ッ!?」
彼が息を飲んだのが分かった。
それもそのはず。
床一面に散乱する破片は、彼の後ろにある台に鎮座していた花瓶のものだった。今やその花瓶だったものは、見るも無惨な姿に変わって廊下に横たわっている。
「まさか……僕、ぼ、ぼく……が!?」
血の気が引く音が聞こえてきそうな程、ブリックの顔色はたちまち蒼白になる。
「私が来た時には既にこの状況でしたし……ここに来るまで誰にも会いませんでしたし――」
「ど、どうしよう……どうしよう! どうしよう、スフィア!」
「そうですねぇ。素直に謝って弁償ってところですかね?」
スフィアは床に落ちていた破片を手に取ると、鑑定するような目つきでまじまじとそれを眺める。
この学院の至る所で見る美術品の数々がとても高価なものだという事は、ここに通う者ならば当然の如く知っている。
中には国王から下賜された物まであると聞くから、生徒は迂闊に美術品の近くには近寄らない。
弁償で済めば良いが、最悪退学処分となる恐れもある。
貴族の子女が通う学院を退学になったとなれば、その者の先は貴族界では閉ざされたも同然だ。
それを知ってか知らずか、ブリックの目は虚ろに揺れ、口は歯を鳴らして震えている。
「べ、弁償ったって! ……ッそんな、払えるわけないよ!」
「あら? ラウロフ家は伯爵家でしたよね?」
「伯爵家だからって皆が皆金持ち貴族だと思うなよ!? 僕の家は成り上がりみたいなもんだよ! こんな――ッ、こんな事父さんにだって言えやしないよっ!」
ブリックはとうとう頭を抱え床に突っ伏してしまった。
その震える背中に、スフィアの温かな手が静かに乗せられる。そして耳元で甘い誘惑を囁く。
「――でしたら、お逃げあそばせ」
「は?」と、ブリックが信じられない者を見るような目で、スフィアを捉える。
スフィアは瞳を細め、艶やかに笑っていた。
「いや、何言って……」
「私が、どうにかしますから。幸いにもレイランドは侯爵家。退学になる事はないでしょうし、弁償しても差し障りはありませんから」
まるでその甘美な誘惑に涎を垂らすように、ブリックの喉が鳴る。
しかし、彼は手の下に落ちていた破片を強く握り締め、どうにか正気を保った。
「ッそんな! スフィアのせいにして逃げろって!? 確かに君の事は気に食わないけど、流石にそこまで僕も落ちぶれちゃいないよ!」
それでもスフィアは引き下がらない。
「そうですか。けれど……ご両親はどう思われるでしょうね?」
その一言は、ブリックにとって決定的となった。
「退学にならないにしても、弁償で払い尽くしてしまえば、学院に通う事は出来ませんね。となると、結果的には同じ事かと……」
スフィアは、彼のせめぎ合う心情が手に取るように分かっていた。
――あと一押しね。
すると、静かだった校内に人の気配が漂い始める。
どうやら、一足先に昼食を終えた生徒達が、校内に戻って来はじめたようだった。
ブリックの瞳が廊下の先を凝視する。
もし今ここに誰か現れこの状況を見咎められれば、もうブリックには取れる手段は無くなる。
――さあ、臆病なブリック。早く逃げなさい。
「さあ? 私はどちらでも結構ですよ?」
そう言って綺麗微笑む彼女は、ブリックには悪魔にしか見えなかった。
彼女の悪魔的微笑は、握り込んだ破片が訴える痛みなど忘れてしまえる程、強烈な麻薬だった。
「――っ! ごめんッ!!」
ブリックはすっくと立ち上がると、悔しそうな、腹立たしそうな、様々な感情のない交ぜになった顔をした。
「早く行って下さい」
その言葉でブリックはスフィアに背を、向け走り去った。
スフィアはその背を暫く眺めていた――等という事はまるでなく、ブリックの姿が見えなくなると素早く散った破片を集めた。
そうして次に、花瓶の乗っていた台を壁から離す。
「身体が小さいとッ――、簡単じゃないわ、ねッ!」
台には背板が無く、中は空洞になっていた。
スフィアはそこから一つの花瓶を取り出し、台を再び壁際に戻すと、取り出した花瓶を慎重に台の上に置いた。
「これで大丈夫ね!」
そうこうしている間に、廊下に人が満ち始めた。
上級生であろう男子生徒が、床に落ちた破片を見てどうしたのかと尋ねてくる。
「先生から花瓶を捨ててきて欲しいと頼まれたんですけど、誤って落としちゃって……」
上級生は、手伝うよと掃除道具と袋を取りに行ってくれた。
「しっかし、先生も本当にコレを捨てても良かったのかな? 高級品に見えるけどね」
彼は落ちていた破片を手に取り、くるくる回して物珍しそうに眺める。
スフィアは彼の手から「危ないです」と破片を受取り、ゴミ袋へと放った。
「――レプリカですよ」
◆
帰り際、教室を出るとブリックが立っていた。物言いたげにスフィアを見る。
「大丈夫ですよ」
そう言えばブリックは顔を逸らし、小さく「ごめん」と「ありがとう」を述べた。
「良いんですよ。私も純粋な親切心からじゃありませんし」
「………ん!?!?」
今日はどれだけブリックの驚愕した顔を見ただろうか。
「私、色々事情がありまして……こう見えても忙しい身なんです」
――アルティナ様の為にも、早く全てのキャラに嫌われて自由の身にならなければ!
「ブリック……あなたは、私の――」
一体どんな無茶な要求が出てくるのかと、ブリックは息を詰めてスフィアの次の言葉を待った。
「私の子分になりなさい」
「――ッはぁ!?」
ブリックは言っている意味が分からない、と口を引きつらせた。
「勿論、あなたに拒否権がない事くらい分かってますよね」
可愛らしく「ね?」と首を傾げているが、言っている内容は全く以て可愛くない。
ブリックは悔しさと自分の不運に嘆き、唇を噛んだ。
「下僕じゃないだけありがたいでしょう?」
「――ッ一瞬でも君に感謝した僕が間違いだった!」
「そうそう、その調子です! 存分に嫌な思いをして下さい!」
「意ッ味分かんないよ!?!?」
今まで聞いた事無いくらい大きな声で後悔を滲ませるブリック。
その横で、スフィアは高笑いした。
◆
種明かしをすると、ブリックが壊した花瓶は学院で飾られていた美術品ではない。あの台に置かれていた元々の美術品は、スフィアが台の裏から取り出した物だ。
では、彼が壊してしまった花瓶は何だったのかというと――
「あら? あそこに花瓶があったはずだけど、誰か知らない?」
レミシーが食堂の一角を指さし、首を傾げる。
「ごめんなさい、お母様。あまりに綺麗だったから、お部屋に持って行こうとしたんだけど、階段で割っちゃったんです」
そう。彼が割った花瓶はレイランド家の花瓶だった。
全ての計画は既に、人気のない早朝から始まっていた。
持ってきた花瓶と美術品をすり替える事に始まり、花瓶と床にてぐすで細工をした。謂わばトラップだ。前世で読んだ「毎日殺人事件が起こる町の名探偵」マンガに載っていたのを参考にした。
足下に張ったてぐすに引っ掛かると、花瓶が倒れ、花瓶に巻き付けていたてぐすは窓の外に落ちて回収され、まるでブリックがぶつかって倒した様に見える仕掛けだ。
まさか実際に使う日が来るとは思わなかった。
――学院に名探偵がいなくて良かったわ。
ブリックは基本設定が地味で弱味と言える弱味が掴めなかった。だから、弱味を作る事にした。
――弱味がなければ作れば良いじゃない!
計画は実に上手くいった。完全犯罪だ。
おかげで全て仕組まれた事とは知らず、今頃ブリックは自分に恩を感じて枕を濡らしている事だろう。
「あらあら、怪我はなかった!? 良いのよ花瓶なんて。また買えば良いんですから。それよりスフィアの方が大事だわ!」
「平気です! 怪我一つしてませんから。ありがとうございます」
「くれぐれも気をつけるのよ?」
「はぁい!」
スフィアは気持ち良い程の笑みで返事をした。
――――いじめっ子・ブリック=ラウロフ 子分化によりシナリオ改変完了
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