第5話 ようこそ、カモネギ!

 スフィアは真新しい制服に袖を通した。

 濃緑の制服は一目で上等だと分かる生地で作られていた。袖や襟、スカートの裾にも意匠の凝った刺繍が入っており、貴族という世界が嫌でも身にしみる。


「やぁ! これはこれは……濃緑の制服に、スフィアの赤髪はよく映えるね!」

「父様もそう思いますか。僕も、スフィアはとうとう天使にでもなったかと思いましたよ」

「…………」


 ローレイもジークハルトもスフィアの周りをウロウロしては、彼女の成長が感じられる姿に相好を崩して褒めちぎった。

 スフィアは呆れた様に溜息を漏らすと、胸のレースタイの形を整える。

 最近はこの自重しない愛情をスフィアは無視する事にしていた。一々取り合っていてはキリがない。 

 スフィアは格好を整えると、満足げに自身の格好を見下ろした。


 今日から貴幼院の一年生だった。

 貴幼院とは、八歳から十四歳までの貴族子女が通い、基本的な勉学はもちろんの事、マナーや社交、貴族に必要とされる知識を学ぶ学院の事だ。

 もしかしたらアルティナも居るかも知れないと期待したが、配布された在籍者一覧にその名はなかった。どうやらアルティナのウェスターリ家は、この貴幼院の対象範囲には入っていないようだ。

 あわよくばアルティナとのハッピースクールライフをと思い描いていたのだが、それも望めずスフィアは入学前から沈鬱だった。

 唇を尖らせてぶつぶつと不満を溢していると、レミシーがスフィアの髪を掬い取った。


「綺麗な赤髪……だけど、ちょっと目立ちすぎないかしら?」


 レミシーは心配そうに眉を下げ、スフィアの澄んだ赤い髪を優しく梳く。

「私の褐色の髪に、きっとローレイの銀髪が混ざって明るい赤髪になっちゃったのね」



 ――髪色って、そんな絵の具を混ぜるみたいに決まるものだっけ?


 スフィアは肩口にかかる自分の髪をまじまじと見つめた。

 光に透ける様はまるでルビーのようだ。

 赤髪というのはこの国では特に珍しいものではない。

 ただ、スフィアの様な純粋な赤色と言うのは稀少だった。赤髪と言われる者の多くがレミシーの様な褐色の髪を持つ。同じ赤髪でも、スフィアの髪はその物珍しさ故に好奇の目が向けられやすかった。


「母さんは、スフィアのこの輝く赤髪がとても好きよ。だけど――」


 レミシーは、スフィアの身体をその細い腕の内に入れ頬を沿わせる。

 きっと彼女は心配しているのだろう。

 スフィアが学院で「いじめられやしないか」と。


「大丈夫です、お母様! 目立とうが目を付けられようが、私はなんともありません。だって、私はお母様とお父様二人の色が入ったこの髪色が大好きだから! いつも一緒に居るみたいで嬉しいですよ」


 一片の曇りもない笑顔を向ければ、レミシーは髪にキスを落とし再びスフィアをきつく抱き締めた。

 スフィアもその心地の良い温かさに頬を寄せる。


「レミシー、そんなに心配する事はないよ。こんなに愛らしいんだ、誰もこの子を傷つけやしないさ」

「そうそう、母様は心配し過ぎですよ。けど、まあ……もし何かされたらすぐ僕に言うんだよ、スフィア。……任せて」



 ――何を?


 ローレイとジークハルトは互いに肩を叩いて笑い合っていた。

 ヒロインで愛され設定だからといっても、この家の男二人は欲目が酷いと思う。

 スフィアはレミシーの良い匂いのする腕の中で力無く嘆息した。




       ◆




 流石は貴族の為の学院。

 校舎の至る所に飾られた、無闇に高そうな調度品や美術品の数々。天井から下がるシャンデリアに、曇り一つない窓ガラス。全てが輝いて見える。


 ――しかも通学方法が馬車とか……斬新すぎるわ。



「まあ、貴族の世界だし当たり前……なのかしら」 


 決められた席に座り、スフィアは教室の中を見回す。

 金に銀、緑に紫。教室の中は生徒達のカラフルな髪でとても華やかだった。しかし、その中でもスフィアの様な赤を持つ者はいなかった。遠巻きにするクラスメイト達の物珍しそうな視線が突き刺さる。

 にも関わらず、そんな中でもスフィアは平然としていた。


 そんな事より、今スフィアの頭の中は「この学院に居るはずの攻略キャラ」の事で一杯だった。

 新入生を含めた在籍者一覧を貰った時、いくつか見覚えのある名前が記してある事に気付いた。

 ここで出会うストーリーかは分からないが――善は急げ。一緒の学院というアドバンテージを使わない手はない。

 出来る限り早期に摘み取ってしまおう――と思ったが、現実はそう簡単にはいかない。

 スフィアは眉根をよせ、小さく唸る。

 スフィアが知っているのは皆成長後の姿だ。彼らの幼少期など知るよしもない。


「学年位しか分かんなかったし……地道に一人ずつ聞き込みしていくしか――」

「おい、赤毛!」


 顔を覆い、一人暗澹あんたんとしていれば、頭上より偉そうな声が降ってきた。

 しかもその声の掛け方から言って、友好を築こうというわけでないのは明らかだった。

 スフィアは覆っていた手をずらし、上目遣いに声の主を見る。


「――ッ!!」


 目の前に立っていた男子は一瞬たじろいだ様だが、すぐに鼻を鳴らしスフィアを見下ろしふんぞり返った。

 彼女の前に居たのは、実に対照的な二人の男子生徒だった。

 偉そうにふんぞり返っている男子は、硬そうな黒髪に金色の目を持ち、その横で静かに控えている男子は、柔らかそうな猫っ毛の金髪で黒色の目をしていた。

 見事に姿も雰囲気も真逆な二人だったが、一つだけ共通点がある事にスフィアは気付いた。


 ――まさか、こんな早々はやばやとチャンスが来るとは思わなかったわ。


 スフィアは手の下でほくそ笑んだ。


「おい、無視してんなよ! 俺様が声かけてやってんだから、返事くらいしろよ」


 男子が苛立たしげに声を荒げた。


「すみません。突然声を掛けて頂いて、驚いてしまいました」


 自分の覚えている顔より随分と幼いが確かに面影がある。それに基本的な部分はこの頃から変わっていないらしい。


「お二人のお名前を伺っても?」


 スフィアは口に綺麗な弧を描いて、目の前の二人に愛らしく尋ねた。

 ようやくスフィアから反応が返ってきた事に気を良くした二人は、素直に自分の名を口にした。


「俺様は、アントーニオ公爵家のガルツだ!」

「……僕は、ブリック=ラウロフ」



 ガルツ=アントーニオ、ブリック=ラウロフ――共に『100恋』の攻略対象だった。



「仲良くして下さいね、お二人共」


 スフィアは笑った。


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