第3話 幼女だからと侮るなかれ!

 ついにこの時がやって来た。

 動けず喋れずの時代に、有り余る程の暇を有効活用してずっと考えていた。


 どの芽から摘んでやろうかと。


 スフィアとして生きて五年。つまりまだ五歳。

 年下キャラは勿論無理だし、隣国の王子や行商人など現時点で出会えない者達は必然的に対象外になる。

 そうなると必然的に一番手近な相手からという事になる。

 スフィアの視線が部屋の窓から見える青い屋根の屋敷を捉えた。

 このレイランド家の敷地と隣接するローデン家。そこの一人息子である『アデル=ローデン』はスフィアと同い年で、シナリオでは幼馴染みという立ち位置になる男だった。


「五歳児相手にどうこうするのも、何だか気が引けるわね……」


 そう言いながら、窓の桟に腰掛け物憂げに窓の外を眺めているスフィアも同じ五歳なのだが、当の本人はすっかり忘れている。


「でもこれ以上時間を無駄には出来ないし。……そういえばアデルとの出会いって、どうなってたかしら」


 スフィアは大量の攻略対象の中からアデルの記憶を引っ張り出した。



 アデルとの出会いは、敷地の境界に立つ高い壁の麓だった。

 壁の下に人一人が通れる程の穴が開いているのに気付いたアデルが、そこを潜り抜けた先の薔薇園に居たスフィアに一目惚れするのだ。  

 そうして二人は互いの庭を往来し、秘密の逢瀬を重ねてゆく。

 成長し、壁の穴を通る事が出来なくなっても、二人の逢瀬は壁越しに続いた。今日食べた物から、嬉しかった事、悲しかった事、壁越しに二人は語り合い、いつしかスフィアもアデルの事を好きになり両想いとなるストーリーだった。


「本当なら相当ロマンチックだし、結ばれて然るべき流れなんだけど……」


 スフィアは憐憫の色が浮かぶ緑の瞳を、微笑と共にローデン家へと向けた。


「生まれた時代が悪かったと思って、私の事は諦めなさい」


 窓に映るスフィアの笑みは五歳とは思えない程、酷く黒かった。




       ◆




 スフィアの両手には、侯爵家令嬢らしからぬ物が握られていた。


「これでよしっ! と……」


 顔についた汚れを腕で拭いながら満足げに見下ろした先には、例の壁があった。ただシナリオと違うのは、その壁に穴が開いていないという事だ。


「素人ながら、よくやったもんだわ!」


 右手にコテ、左手にはセメント。

 スフィアは壁の穴を塞いだ。一分の隙間もなく穴は徹底的に綺麗にきっちりと塞がれた。


「そもそも出会わなければ良いのよ」


 これで『幼馴染みアデル』とスフィアのハッピーエンドは無くなった。いつアルティナがアデルを好きになっても、全く問題ない。


「それにしてもシナリオ改変って割と簡単ね」


 この調子で他の出会いも潰していけば、案外簡単にアルティナと良い関係になれるかも知れない。

 スフィアは明るい未来を想像して、頬を緩めた。

 すると、何やら壁の向こうに人の気配を感じる。


「あ、あれ!? 穴が無い!? ……た、確かに昨日まではあったはずなんだけど……」


 壁の向こうから微かに声が聞こえた。漏れ聞こえてくる声は戸惑っている様だった。

 恐らくアデルなのだろう。


「ごめんなさいね、アデル」


 アデルに聞こえないように小声で謝罪すると、スフィアはスキップしながら上機嫌で屋敷へと帰って行った。




 しかしスフィアは侮っていた。シナリオという名の予定調和の力を。

 よく小説などで見る『世界が俺の存在を許さない』とはよく言ったもので、今現在スフィアの置かれている状況が、まさにソレだった。


「…………世界が私の愛を許さない」

「ん? 何か言ったかい、スフィア」


 慌ててスフィアは顔に幼児相応の愛くるしい笑みを貼り付け、父であるローレイに愛想を振りまく。


「いいえ。何でもないですわ、お父様」


 ローレイは「それならいいよ」と、緩んだ顔でスフィアの額に軽く口付けを落とす。

 前世ならば間違いなく発狂していただろうが、生まれた頃より毎日されていれば今更動揺もしない。あと、イケメン無罪だ。どうやら乙女ゲームの世界とあって、自分と関わる人間はもれなく見目麗しいようだ。

 スフィアは微笑を浮かべたまま、目の前に座る世界からのメッセージの権化である彼を見た。


「は、はじめまして、スフィア嬢。僕は、アデル=ローデン……です」


 俯きながら恥ずかしそうにチラチラとスフィアの顔を見るアデル。耳まで赤くなっているのは、恥ずかしさ故だと思いたい。

 スフィアは何食わぬ顔で自己紹介を返す。しかしその心中は、嵐の海のように激しく狂い踊っていた。

 確かに壁の穴は埋めた。出会いの芽は確実に潰したのに、どうあっても世界は二人を出会わせたかったらしい。

 やはりシナリオ改変はそうそう簡単には出来ないようだ。


「――お父様。私、アデルに自慢の薔薇園を見せたいです。いいでしょうか?」



 ――それならそれで、もう一度摘み取るまでよ! 今度は根っこから引っこ抜いてやるわ!!


 スフィアはアデルの手を引いて屋敷の外へと飛び出した。互いの父親は幼い子が手を繋いで楽しそうに駆けて行く姿を微笑ましく見送る。



 スフィアは薔薇園に着くと繋いでいた手を放そうとした。

 しかし、アデルの手がそれを拒んだ。まだ幼さの残るふっくらとしたアデルの手は、離れようとしたスフィアの手を子供ながらに強い力で握り締める。

 薔薇園の花々は見頃だと我が物顔で庭一杯に咲き誇り、芳しい香りを漂わせる。風が吹けば、赤や白、薄紅や紫の花弁が踊るように二人の周りに舞い散った。

 この、世界からの粋な演出だけで、スフィアは次に何があるか――否、どんなイベントが待っているか分かってしまった。伊達に乙女ゲームをやりこんではいない。


「あ、あの……スフィア嬢……僕、一目見た時から――」

「アデル……」


 色とりどりの薔薇の雨は幻想的で、二人の間に香りと共に甘い空気をも運んでくる。


「僕! スフィア嬢の事が――!」


 顔を真っ赤にしながら叫ぶように口を開いたアデルに、スフィアは言葉を遮るようにして抱きついた。

 アデルは突然のスフィアの行動に小さな驚きの声を上げ、固まってしまう。


「……私ね、とっても仲良しのお友達がいるんです」



 ――それ以上言わせてなるものですか……この先のイベントは何としてでも阻止するわ!



「それでね、とっても大好きな子だからアデルも一緒に遊んで欲しいんです」


 大好きという言葉に、アデルの身体が強張るのが分かった。


「だ、大好き……って、ど、んな子……ですか?」


 スフィアはニンマリと口に弧を描くと、その友達の名を呼んだ。


「おいでー! ジョン!」


 すると庭の向こうの方から葉をかき分ける音と共に、大型犬が薔薇の木々を飛び越えやって来た。そして、飛び込んできたスピードそのままにアデルへと突進する。


「え? えぇ!? ちょっ、ちょっと待って!! 止まって止ま――――っ!?」


 アデルは真っ直ぐに向かってくるジョンに背を向け逃げた。流石に自身と同じ位の体躯を持った犬に突っ込まれれば、誰だって怖くもなるだろう。幼児なら尚更だ。


 ――さあ、しっかりとアデルにトラウマを植え込みなさい! 行け! ジョン!



「まあ、ジョンったらアデルに遊んで貰っていいわねぇ」


 半泣きになりながら逃げるアデルを、スフィアは朗らかな笑みで眺める。


「待って!? お前の主人はスフィア嬢だよ! ほら、あっちに居る……!」


 アデルがジョンにスフィアの存在を教えるが、ジョンは構わずアデルだけを追いかけ続けた。

 実はスフィアはさっきアデルに抱きついた時、彼の尻ポケットにジョンの好物である干し肉を忍ばせておいたのだ。

 ジョンはアデルを追いかけるているのではない。アデルの尻にある肉を狙っていたのだ。

 しかしそんな事知る由も無いアデルは、獲物を狙う目つきでジリジリと迫り来るジョンに恐怖で顔を引きつらせる。


「スフィア嬢! お願いです! ジョンを大人しくさせてくれませんか!?」

「そんな……アデルはジョンが嫌いなのね。ジョンは私の家族なのに……仲良く遊んでくれないのね?」


 スフィアがわざとらしく嘆けば、アデルは慌てて首を横に振る。


「そう言うわけじゃ――ッ!」

「私……家族と仲良く出来ない人は――――嫌いです」


 スフィアのその言葉に、アデルはまるで落雷に打たれたかのように動かなくなってしまった。

 そしてその隙をついてジョンがアデルの尻に歯を立て、干し肉の入ったポケットごと食い破って持ち去った。


「きゃっ! アデルったら……レディの前でお尻を晒すなんて恥ずかしいわ。紳士失格よ!」


 スフィアは両手で顔を覆い隠すと、悲鳴を上げながら屋敷の方へと走り去ってしまった。

 しかし、声とは裏腹に、その手の下の顔はほくそ笑んでいた。

 置き去りにされたアデルは、尻が剥き出しになったまま呆然と立ち尽くすだけだった。




       ◆




「今日はよくやったわね、ジョン」



 犬小屋の前で、スフィアはジョンにご褒美とばかりに一等肉で作った干し肉を与えれば、ジョンは美味しそうにそれを咥える。


「しっかし、念の為ジョンを仕込んでおいて良かったわ」


 いつか役に立つかも知れないと、スフィアは一年かけてジョンを餌付けしていた。元々利口な犬で、無闇に人を追い掛けたりしないのだが、好物にだけは反応するようにしたのだった。

 端から見れば幼児と犬が戯れているだけに映っただろうが、その実二人の間では綿密な特訓が行われていたのだ。


「これでもうアデルの線は、完璧に潰れたわね」


 大型犬に追い掛けられるだけでもトラウマなのに、それに加え、好きな子の前で臀部でんぶを露出させてしまうという一生もんの恥辱まで味わえば、もうこの屋敷に来たがりもしないだろう。

 実際、あの後魂が抜けたような顔で戻ってきたアデルは、終ぞ屋敷を出るまで一度もスフィアを見ようとも、口を開こうともしなかった。

 ずっと父親の背に隠れて、早く帰りたがっていた。

 これでアデルがスフィアを恋愛対象としてみる事はもうない。


「ふふ……待っていて下さい、アルティナ様。必ず貴女を幸せにしてみせます!!」




 ――――幼馴染み・アデル=ローデン 改変完了


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