第15話 行定の願い

 朝比奈あさひなの事務所からホテルに戻ってきた直人なおとたち一向は、それぞれがなんとも後味の悪いものを感じていた。事の顛末を報告するためにつないだビデオ通話越しの春華はるかも、直人たちの様子からなんとなくの事情を察して、押し黙っている。


 そんな重々しい雰囲気の中、メルだけはメアリーベルを打ち負かした余韻に浸っていた。ふわふわと漂いながら、鼻歌交じりにチョコレートを頬張っている。


「みんな暗い顔しちゃって、どうしたのサ!」


「逆にお前はどうしてそんなに普通でいられるんだよ……」


「ボクには、キミたちが落ち込んでいる理由のほうが分からないヨ」


 手にしたチョコレートを全て食べきると、すかさず新しい包みを開く。よほど気に入ったのか、錨型のチョコレートを大量に買い込んでいた。


「結局問題は、解決してないんだぞ?」


「どうしてだい? 行定ゆきさだの記憶は戻ったじゃないか」


「記憶は戻ったかもしれないけど、姿は猫のままだ。東条とうじょうさんの一番の願いは、元の姿に戻ることだろう?」


「そうだっけ? まぁ、猫の姿ってのは、たしかに気の毒だけどサ。世界のことわりに触れた行定にも原因はあるんだし、それはもうしょうがないヨ」


「お前、そんな言い方……」


「じゃあ、行定。訊くけど、ベルは、キミに魔法売買のリスクを話さなかったのかい? リスクを話した上で、キミが苦悩する様を喜んで観察してたんじゃないカナ? あいつは嫌なやつだからネ。一から百まで全部嘘で固めるようなことはしないと思うヨ。騙すなら、本当のことをしっかり混ぜるんだ。ねぇ、どうなんだい?」


 メルは、直人の言葉を遮るようにして行定に尋ねた。


「それは、たしかにそのとおりですな」


 行定は、メルの目をまっすぐに見て答える。


「わしは、あの猫の忠告をしっかりと理解した上で、魔法を売り、そして買うことを決めました。その結果がこの姿です。メル殿が言うとおり、これはもう、わし自身の責任で致し方ありません。ですが……。孫の耳は、聞こえないままです……」


 行定の表情に後悔の色はない。記憶が戻って、当時の思いも蘇っているのだろう。

 行定は、たつみの耳が治るのなら何を失っても構わないと考えて、魔法売買に臨んだ。その結果が、自分の姿を猫に変えることだというのであれば、そこに後悔はない。ただ、そこまでのリスクを犯したにも関わらず、巽の耳が治っていないことには、納得がいっていなかった。


「よく分かっているじゃないか。いい心がけだネ。そういうことなら——」


「あのぉ……」


 成り行きを画面越しに見守っていた春華が、おずおずと声をあげる。タイムラグがあるのか、春華の声はメルの声と重なった。

 メルは、自分の言葉を中断して春華に発言権を譲る。


「ん? 春華。どうしたんだい?」


「はい。巽くんの耳ですが、なんとかなるんじゃないでしょうか」


「えっ!? ハル!! それってどういうこと!?」


 半ば諦めかけていたからか、冬華とうかの声は自然と大きくなる。


「うん。今まで聞いた話を総合すると、巽くんの耳は、治らないまでも、治るに近い状態までは持っていける可能性があるんじゃないかなぁって……」


「えぇっ!!? なんで、なんで!?」


 冬華はますます興奮して、画面に入り込む勢いで端末を覗き込む。その様子を見ながら、メルは感心したように言った。


「ふ〜ん。春華はとぼけたところがあるけど、やっぱり鋭いネ。キミが気がつかなかったら、ボクが教えてあげなきゃいけないところだったヨ。ボクの気分次第では、教えてあげなかったかもネ」


「もう、メルちゃん!! そんなイジワルを言ってはいけません。どうせ教えてあげるつもりだったのでしょう? メルちゃんは、ユッキーちゃんのことを気に入ってるみたいですし」


「ちょっと、待って。春華さん。俺にも分かるように説明してくれないかな? メルには……期待してない」


「なんだヨ。ナオ。春華は分かっているのに、キミは分からないのかい? 情けないなぁ」


 直人は、慌てて二人の話に割って入る。メルの言葉にはムッとしたが、なんとか堪えて春華の答えを待った。


「はい。みどりさん、でしたっけ? 巽くんのお母さんの魔法を先生の手で巽くんに相続すれば、巽くんの問題は解決する可能性があるんじゃないかなと思います。とっても低い確率だとは思いますが……」


「そういうことっ!! 翠の魔法は『他者の思考をに感知することができる』だろう? ナオが手続きをすると、効力が弱まる可能性のあるレベル5の魔法だヨ。それなら、ナオが手続きをすることでその効力が弱まったら……? 無制限じゃなく、なんらかの制限付き……例えばぁ……そうだなぁ……『他者の《発話した》》思考を感知することができる』とかになったとしたら……?」


「……っ!? 耳が聞こえるのと同じような効果が得られるっ!! すごいよ!! ハル。ナイスアイデア!!」


 直人や行定よりも先に冬華が歓喜の声をあげた。

 直人はその隣で目を丸くしている。思いもしないことだった。またしても、自分の欠点が人の役に立とうとしている。

 しかし、それを手放しで喜ぶことはできない。直人の欠点——魔法の効力が弱まるのは、絶対のことではないのだ。確率で言えば、三割ほど。


 それに——。


「でも、そんなに都合よくいくかな? そもそも効力が弱まるのだって、絶対じゃないだろ? 第一、ピンポイントでなんて、そんな都合のいい弱まり方をする保証はないよ」


 三割の確率を引き当てたとしても、その弱まり方はその時々で様々だ。直人にコントロールできるものではない。直人の懸念は当然のものだった。

 しかし、メルは浮遊する身体と同じように、ふわふわと、どこか誤魔化すように直人の懸念に応える。


「う〜ん。そうだネ〜。まぁ、大丈夫なんじゃないカナぁ~?」


「えっと……。ダメでもともと。やってみる価値はあるんじゃないでしょうか」


 懸念を抱えたままの直人ではあったが、春華の言うことももっともだと思う。ダメでももともと。当たればラッキーくらいの気持ちでいれば損はない。

 もしダメだったら……。そのときには、代わりの方法を必ず見つけ出す。それでいいのではないかと思い始める。


「あ、でも効力が弱まらなかったら、翠さんと同じ重荷を巽くんに背負わせてしまいますね……。念のため、メルちゃんには見て来てもらったほうがいいかもしれません」


「見てくる? というのは、どういうことですかな?」


 事情を全く知らない行定は、当然の疑問を投げかける。


「メルちゃんは、魔法で未来を見てくることができるんです。なので、未来を見て来てもらって、その結果次第で手続きをするかどうか決めてはどうでしょうか」


 春華は行定の疑問に丁寧に答えた。本来は直人がするべき説明までしている。

 驚きながらも納得した行定は、「そういうことであれば是非お願いしたい」と丁寧に頭を下げた。


「疲れるんだけどネ……。しょうがないなぁ。じゃあ、キミたちがあの無駄に大きな物体でちんたら第三の島サードアイランドに戻ってくるまでの間に見ておくヨ」


 そう言うとメルは、来た時と同じように自らの魔法であっという間に第三の島サードアイランドに帰っていった。


 次の瞬間には端末の画面越しにメルが映る。画面越しに映るメルは、なぜか不機嫌そうだった。いつの間に食べてしまったのか、手にしていたはずのチョコレートがすべてなくなっている。

 春華は、突然目の前に現れたメルに驚くこともなく、「おかえりなさい」と言って、力強くその小さなモフモフの身体を抱きしめた。


「もう一つ、問題が残ってるよね」


 春華とメルの様子を羨ましそうに見ながら、冬華は気がついたことを口にする。


「まだ何かあるって言うのかい?」


 画面の向こうで揉みくちゃにされながら、メルは呆れたように言った。


「だってさ、巽くんがユッキーの姿を見たときのことを思い出してよ。せっかく巽くんの耳が治っても、あれじゃあさ。ユッキーが可哀想だよ……」


 ろう学校を訪れたとき、巽は行定の姿を見て発狂した。原因は不明だったが、恐怖によるもののように思えた。

 行定の本当の望みは、耳の治った巽と一緒に仲良く暮らすことだ。現状、巽の様子を考えるに、その望みは叶いそうにない。

 冬華はそのことを心配していた。


「おそらくは、わしがこの姿だから……でしょうな。朝比奈殿のところには、巽とともに行きました。巽は、魔女の姿に驚いていました。なにせ第三の島サードアイランドに猫はいません。初めて見た猫の仕業で、目の前からわしが消えたのです。正確には猫になったのですが、耳の聞こえない巽にそんなことを理解できるはずもありませんからな」


「巽くんの中では、猫は何か得体のしれない怖いものとして残っちゃったんだね……。それじゃあ、ユッキーがこのまま猫の姿でいたら……」


 冬華はそこで声を詰まらせる。

 恐怖の対象である猫の姿をしたままでは、巽と行定は一緒に暮らすことなどできない。


「まぁ、その辺もなんとかなると思うヨ。世界の理次第ではあるけれど……。そこまで絶望的な結末にはならないんじゃないカナ」


 言葉を失くす一同に向かってメルは、はっきりと予告をした。

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