第7話 黒猫と魔相士

 黒猫の後を追う間、メルは終始無言だった。普段あれほどうるさいメルが、一言も発さないというのは不気味だった。

 それほどまでにチョコレートの恨みは深いのか、と直人なおとは密かに戦慄したが、なにか違和感のようなものを覚える。


 黒猫との距離は、追えども追えども縮まらなかった。

 黒猫は一定の距離を保ったまま、人ごみの間を器用に縫うようにして逃げていく。見失ったと思うと姿を現し、あざ笑うようにまた逃げていく。もしかしたら誘い込まれているのかもしれないという考えが全員の頭をよぎるころ、その疑念を察知したかのように黒猫は止まった。


「ここは……?」


 夢中で追いかけていたからか、周りの景色に関心を払っていなかった直人たちは、思い出したように当たりを見回す。

 辿り着いたのは薄暗い洋館だった。音もなく館の中に入る黒猫の後を慌てて追いかける。


 中に入ると黒猫の他にもたくさんの猫がいた。

 

 その中心に一人の女が静かに立っている。タキシードに身を包み、異様に大きな蝶ネクタイをした女は、黒猫を見止めるとシルクハットを抑えながら足早に駆けよった。


「おつかれさまでございます」


 女は直人たちの存在を無視して、黒猫を労う。黒猫は、差し伸べられた手を一瞥すると、器用に身をよじって触られるのを嫌がった。そして、どこかに行ってしまう。


「おや? 君たちは?」


 女は、黒猫の姿が見えなくなってから、ようやく直人たちに目を向ける。


「どうしました? 迷ってしまったのですか? 旅行ガイドにも書いているはずですよ。この島はね、一つ路地を入ると危険がいっぱい。危険とは、常に隣合わせなんです。第三の島きみたちのしまとは違ってね」


 意味ありげな女の言葉を無視して、メルが久しぶりに口を開いた。


「そんなことは知っているし、どうでもいいヨ。さっきの猫はどこに行ったんだい? ボクたちは、あの猫に用があるんだヨ」


「おやおや。口が達者なですね」


 直人と冬華とうかがそろって息をのむ。初対面でメルの地雷をかわせる人間など滅多にいない。それだけで目の前の女が、ただ者ではないことが分かる。


「ということは……そうか。君が第三の島サードアイランド津雲直人つくもなおとくんですね? 噂はかねがね聞いていますよ」


 女はそれまでの無表情を突然崩して、その顔に胡散臭い笑顔を張り付ける。その変化があまりに不気味だったから冬華の口から「ひっ……」と短い悲鳴が漏れた。


「それもどうでもいいっ!! ボクは、キミに訊いてるんだヨ。さっきの猫はどこに行ったんだい!?」


「あぁ、そうでしたね。でも、私にも分からないんだ。嘘ではありませんよ」


 張り付いたような笑顔をメルに向ける。メルは少しの間、その笑顔を睨みつけていたが、嘘を吐いていないと判断したのか緊張を解く。しかし、その目はいまだ鋭いままだ。


「突然ずかずかと上がり込んでしまい、申し訳ありません」


 メルがいくらか落ち着いたのを確認して、直人はひとまず謝罪した。


「構いませんよ。最近は来客が少なくて退屈していたところなんです。どうせだから、少し私の話し相手になってはくれませんか?」


 女は胡散臭い笑顔のまま執務机に向かうと、ゆっくりと腰を下ろした。一応来客であるはずの直人たちは立ったままだ。着席を促すようなこともない。


「まずは、私の自己紹介からかな? 私はこの島で魔法相続士をしている、朝比奈皁あさひなそうです。君たちと同じ、第三の島サードアイランド出身です。幼少期にこちらに移り住んで以来、ここで暮らしています」


 名前の雰囲気から同郷の匂いを感じていたので、女の出身地にさほど驚きはない。しかし、直人は、朝比奈から、何かが欠落しているような印象を受けた。自分たちとは何かが根本的に違うと直感的に思う。


「私は、先程、朝比奈さんがおっしゃったとおり、第三の島サードアイランドで魔法相続士をしております津雲直人です」


「思ったとおりですね。それで、そんな第三の島サードアイランドの魔相士さんが、第二の島このしまになんの用ですか? まさか、縄張りを荒らしにきたわけではないでしょう?」


 やや高揚した様に声を上げて、朝比奈は足を組み替えた。


「えぇ。仕事は、第三の島サードアイランドの依頼だけで十分足りてますので」


 怪しげな朝比奈に警戒心を持つ直人は、相手の質問の芯には触れず、当たり障りのないところから答える。


「それは羨ましい。私の方は、魔相士の依頼をこなしたのなんか記憶にもないくらい昔のことです。仕事のやり方を忘れてしまいました。今、依頼が来ても、もうこなせないかもしれません」


 嬉しそうな声音が言葉の内容と釣り合っていない。それが朝比奈の不気味さを巧みに演出している。


「縄張り荒らしではないのなら何をしに? まさか観光ってわけじゃないでしょう? バカンスにしては時期が早い」


「実は……。こちらの東条さんに少し困ったことが起こっていまして……」


 嫌にしつこい朝比奈にますます警戒心を持った直人だが、なるべく弱みは見せないように注意を払いながらも事情を話すことにした。

 手がかりが全くない以上、魔法相続士を名乗る朝比奈から有益な情報が得られれば儲けものだ。それに、多少の危険は最初から覚悟している。


「猫の姿になってしまった……ということですか?」


 行定を見た朝比奈が直人の言葉を先回りするように尋ねる。


「困っておりましてなぁ。わし一人ではどうにもできませんので、津雲先生のお力をお借りした次第です」


 意表を突かれて口ごもった直人に代わって、行定が答えた。


「なるほど。第三の島サードアイランドの魔相士は、そのような依頼も引き受けるのですね。それなら私とあまり変わらないかもしれません」


「魔相士として引き受けているというよりは、多少なりとも魔法に対する知識がある者として、困っている人の手助けをしているような状態です。もちろん、報酬をいただくこともありますが、魔相士の仕事とは少し違います」


 気を取り直した直人は、自分の執務姿勢を説明する。朝比奈はそれを興味津々といった様子で聴いていた。


「ここには、猫がたくさんいるでしょう? 猫は素晴らしい生き物です」


 直人の話を聞き終えると朝比奈は、突然話題を変えて、両手を広げて周りの猫を眺めまわす。

 その一挙手一投足がいちいち不気味で、冬華はずっと怯えたように黙っている。メルは承服しかねるという様子で朝比奈を睨みつけていた。


「私もね、実を言うと魔相士以外の仕事をしているのですよ。いや、お金はもらえていないので仕事ではないですね。趣味みたいなものです」


「キミは行定が猫に変えられた人間だってことを知っているみたいだネ? キミのその趣味と関係があるのカナ?」


「もちろん、知っていますよ。私の仕事の結果ですから」


 じっとりとした目で睨むメルの視線にも朝比奈は動じない。むしろ、歓迎しているようでもあった。

 反対に思いがけず追いかけていたものの核心に触れ、直人たちの方が動揺する。


「それって、どういう意味ですか? あなたが東条さんを猫の姿に変えた、こうおっしゃりたいんですか?」


「それは少し違いますね。私の仕事の結果ではあるけれど、私が猫に変えたわけではありません」


「それなら……あなたの仕事の結果なら……元に戻してはもらえませんか?」


「それはできない相談です。元には戻せません。残念ですがね。私にもどうにもできないのですよ」


「人間を猫にしておきながら、元には戻せないなんて、そんな無責任なことないよ!!」


 それまで黙っていた冬華が怒りの声を上げる。しかし、それも朝比奈には少しも響かない。


「無責任とは心外です。私はちゃんと選択肢を提示しましたし、フェアに臨んでいますよ。君たちは何か勘違いをしているようです。猫になってしまったのは、彼自身の責任ですよ。もう暇つぶしは結構です。話はこの辺にしておきましょう。いい退屈しのぎになりました。それでは、お引き取り願えますか?」


 朝比奈は冷たくそう言うと、直人たちに館から出ていくように促した。直人は、食って掛かろうとする冬華とメルを抑えて、おとなしく館を後にする。


 今のところは圧倒的に情報が少ないと考えた直人が下した判断は、戦略的撤退だった。

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