第2話 碧い瞳の少女

魔相士まそうしの先生ともなると、言葉を話す犬を飼っているんですね」


 言葉を話す犬……もとい、サルに真っ先に興味を持った依頼者は、十時春華とときはるかと名乗った。

 碧い瞳に腰まで伸びた黒い髪がアンバランスで、どことなく儚い雰囲気をまとった少女だった。表情が乏しいこともそれに拍車をかけている。歳は直人よりもやや若い。十代後半といったところだろう。


「むむっ! ボクは犬じゃないヨ! サルだヨ。サ・ル!! 分かった!? まったくもう、失礼しちゃうナ〜」


 直人は「依頼者を相手に、失礼なのはお前の方だろ」と思ったが黙っておく。経験から犬サル論争に口を挟むとめんどくさいことになるのは、分かりきっていた。


「おサルさんでしたか。失礼しました」


 メルに怒られた春華は、素直に頭を下げる。首から下げた銀のチョーカーがそれに伴って揺れた。チョーカーのヘッドはプレートになっており、六桁の数字が刻まれている。


「おサルさんって呼ばれるのも、なぁ〜んか、良い気がしないなぁ〜。ボクにもちゃんと、メルティオラって名前があるんだから。名前で呼んでヨ。メルって呼んでくれても良いヨ」


「それではメルちゃんと呼ばせてもらいますね。よろしくお願いします。早速ですが、今日私がこちらに伺ったのは…………あっ、これ良かったら食べますか?」


 言葉の途中で春華はカバンの中をごそごそと漁って、小さな包みを二つ取り出した。

 メルはすんすんと匂いを嗅いで、それがチョコレートだと分かると奪い取るようにして、春華の手からそれを受け取る。


「これ、チョコ!? チョコだよね!? もらっていいの? ありがとう。いただきます」


 受け取るとすぐに包みを解いて、茶色い小さな塊を口に放り込むと、もちゃもちゃと可愛らしい音を立てて、あっという間に食べてしまった。


「キミはきっと、とんでもなく良いやつなんだネ。それか、気が利くっていうのカナ? 初対面のボクにチョコをくれるなんてたいしたやつだヨ。あれ? ナオ、食べないの? 食べないならボクがもらってあげるヨ」


 直人の分までチョコを平らげたメルは、長い尻尾をユラユラと揺らして上機嫌だ。


「あのさ、チョコはありがたいんだけど、今日ここに来たのは、うちに依頼があるからなんだよね?」


 直人はメルにペースを乱されまいと平静を保つ。 

 直人も本当はチョコレートが大好きなのだが、目の前には春華がいる。チョコレートは貸しにしておいて、後でしっかり返してもらう。

 今は目の前の依頼に集中しなければならない。


 それまでしばらく黙っていた直人がしゃべりだしたからか、春華は驚いて直人のほうを見る。


「あ、そうでした、そうでした。あの……父と姉を探してもらえませんか? 数日前、出かけたまま戻らないんです」


 春華は、碧い瞳をまっすぐ直人に向けている。表情はない。それが碧い瞳にたたえた真剣さを際立たせていた。


「えっと……。探すと言われても……。うちは探偵事務所じゃないからなぁ。人探しはやってないんだよ」


「そうなんですか? 私、よく分からずに……。すみませんでした」


 春華は申し訳なさそうにお辞儀をすると、椅子を立った。

 春華が手に取った鞄から一通の封筒が飛び出ている。それは直人にとって、仕事柄から良く見慣れた封筒だった。


「ちょっと待って! それって魔法庁からの通知じゃない?」


「あ、これですか? そうでした、そうでした。これが届いたから、こちらの事務所にお邪魔したんです」


「人探しはともかく、それなら……」


 ふいにさっき見たレビューが、直人の頭をよぎる。


『この事務所に依頼するのは、絶対にやめておいた方がいいです!!』


「先生? どうかしましたか?」


「あ、いや。なんでもないよ。その通知だけど、見ても良いかな?」


 春華の声で我にかえる。動揺を完全に隠し切る自信はないが、今は目の前のことに集中しなければならない。


「それは構いませんが……。本当に、大丈夫ですか?」


「大丈夫。大丈夫。気にしなくて良いヨ。ネ?」


 メルは呑気なもので、直人の動揺などどこ吹く風で、ふわふわと浮かんでいる。しかし、直人にとって、メルの言葉はありがたかった。その言葉に乗っかる形で仕切り直すことができる。


「うん。大丈夫だよ。心配かけてごめん」


「それなら……こちらを」


 春華は、恐る恐る直人に通知を差し出した。

 内心では、直人の方もそれを恐る恐る受け取ったのだが、そんな素振りは見せないように気をつける。しかし、そこに書かれていた内容に再びめまいのようなものを覚えた。


『【認定レベル4の魔法所有者】十時重彦とときしげひこにつき、相続が発生しました。つきましては、お近くの魔法相続士を頼って、速やかに魔法相続の手続きを行ってください』


 認定レベル4。

 直人が手続きを行うと効力が下がってしまう可能性がある魔法だ。


「……ごめん。やっぱり君の依頼は受けられそうにない。本当に、申し訳ない」


 直人は絞り出すようにそれだけ言うと、通知を春華につき返した。


「ちょっと、ちょっと。どうしたんだよ、ナオ。やるって言ったり、やらないって言ったり。春華が困っちゃうじゃないか!」


「仕方ないだろう。この子の父親は、レベル4の所有者だ。俺には扱いきれない」


「なに言ってるんだヨ。レベル4以上はボクらにしかできない。それがボクらの強みだろう?」


「俺もそう思ってたけど、それはやっぱり間違いだ。効力が弱まってしまうくらいなら、最初からやらないままの方がいいんだよ」


「もしかして、あのおばさんのレビューを気にしているのかい?」


 反応がない。沈黙が答えだった。メルは、沈黙を肯定とみなした。


「呆れたヨ。ナオがそんなに打たれ弱いなんて思わなかったネ」


 両手を広げて首を左右に振る。人が呆れた時にする仕草。メルのその仕草は人間と変わらない。見た目が犬だから、人によっては可愛いと感じるだろう。年若い女の子なら尚更だ。


「あの……。どういうことでしょうか?」


 春華も例に漏れずメルのその仕草を可愛いと思ったが、抱きしめたい衝動をグッと抑えていた。そんなことをしている場合ではないことくらい春華にも分かる。

 かすかに漏れたその気配に、メルは一瞬春華の方を見たが、気のせいかとすぐに直人に向き直った。


「ごめん。とにかくさ、事情があって君の依頼は受けられそうにない」


「先生以外に頼る人がいないんです。母は私が幼い頃に亡くなっていますし、お話ししたとおり父も姉も数日前から行方が知れません。なんとか、父と姉を探すだけでも良いので手伝ってもらえませんか?」


 春華は切実に訴える。

 その言葉は、直人を大いに悩ませた。直人自身、物心ついた時には両親を失っており、春華の境遇に共感するものがあった。


「ナオ。キミは、たしかにあまり他人に興味を持たないタイプだけど、だからって目の前で困ってる女の子を簡単に見捨てるの?」


 メルが追い討ちをかける。メルが春華に肩入れすることで必然的に二対一の構図になった。春華の潤んだ瞳とメルの呆れた吐息が否応なく直人を責める。


「……分かったよ。それじゃあ、君のお姉さんを探すのは手伝おう。人探しは魔相士の仕事じゃないから、これは仕事として引き受けるわけじゃない。ただ、気の毒に思ったから手伝うだけだ。だから、報酬もいらないよ」


 レベル4の魔法相続をやる勇気は持てない。でも、人探しなら構わないと直人は思った。


「本当ですか!?」


 直人は静かにうなずいた。隣でメルも子供の成長を見守る母親のように、うんうんとうなずいている。


「ありがとうございます!」


 春華は深々と頭を下げる。表情がない顔に浮かんだ碧い瞳が涙で濡れる。


「その前に、とっても言いにくいんだけど……君に重要なことを伝えなければいけない」


「そういえば……春華は、一つ勘違いをしているネ」


 メルにしては珍しく、気の毒そうな顔で春華を見る。見られた春華は、なんのことか分からずに少しだけ困惑したが、直人とメルが父親と姉を探すのを手伝ってくれる嬉しさが勝った。だから、直人が告げる言葉に対して、無防備だった。


「……君のお父さんだけど……もう亡くなってるよ」

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