第3話 天秤

 教会の六時の鐘が鳴る五分くらい前だろうか?例の気味の悪い男は現れた。


「さあ、確認の時間ですよ。」

 男はきて早々に、ほくそ笑んだ。


「その前に、確認したいことがある。一体何の目的があって、お前は僕に接触したんだ。確かに僕は心暖が目覚めないことに絶望している。だが、お前には、関係ないことだろ?」


 僕は、男が現れた後に抱いていた疑念をぶつけた。もしも、彼の言うことが本当だとしたならば、目的がわからない。心暖が死のうが、母が死のうがどちらでもこの男にとっては同じだろう。どちらもこいつにとっては赤の他人のはずだ。


「ふふふ。ということはあなたは、私のことを信じかけているのですね。」


「誰がお前のことなんて信じるもんか。」


 詐欺師を信じるほど落ちぶれていないつもりだ。


「でも、私の目的を知りたいということは、目的に正当性があれば信じてみるということでしょ?だって、それこそ、あなたの言葉を借りれば、『僕がどんな目的を持っていようがあなたには関係ない』でしょ?」


 彼は静かに目元だけをニコリとした。生理的な嫌悪感を抱かせるいびつな笑いだった。


「まあ、いいでしょう。ですが、私の目的はお教えできません。規約違反になるのでお教えすることはできません。」


 黙り込む僕をみて、彼は「う~ん」、と悩みながら言ってきた。


「だったらやっぱり信用できない。」


 僕は、荒ぶる声を上げた。彼の言葉を包む得体の知れない霧を払うために、大きな声を出した。


「まあまあ。落ち着いてください。目的に噓を使わなかったということを証拠としてくださいよ。」


「どういうことだ?」


 全く意味不明だ。


「だって、そうでしょ?あなたの言うように僕が手慣れた詐欺師なら、あなたをたばかるような噓、例えば、『あなたの彼女の親族に頼まれたんですよ。』とか言うでしょ?彼女の親族なら、あなたの彼女の方が、あなたの母より大事でしょうからね。」


 確かにそうかもしれない。しかし、もっと別の可能性もある。


「僕が初めての獲物だから、咄嗟に噓が出なかっただけだろ?」


 もしも、騙す相手として、僕が初めてだったなら状況は変わる。

 いや、これだけ騙し方が上手いならば、詐欺師としては他にもやったことはあるけれど、未来から来たという手口が、初めてだったという可能性の方が高いだろうか?


「そうですか。やっぱりあなたは、疑い深いですね。とりあえず、六時の鐘が鳴る頃なので宝くじの予想からしてもいいですか?それが信用してもらうための助けにもなりますのでね。」

「ちっ。仕方ない。」


 今までの僕なら考えられないような舌打ちをした。自然と出る舌打ちに、今の僕は、彼女といた時の僕とはもう違う生き物になったのだということを感じさせられた。


 この悪魔のように僕は醜くなるのだろうか?それならやはり死んだ方がましかもしれない。


「ははは。死ななくてもいいでしょ?彼女は目覚めるのですから。」


 男のマインドリーディングとやらは、独りで考えることも許してくれない。

 力の入っていない「うるさい」を口に出したが、彼の耳には届かなかったようだ。


 宝くじの番号をその後、教えてもらった。電波時計のスマホと、アナログ形式の時計どちらも確認したが、きっかり六時だった。


 カンカンカン


 教会の鐘も鳴った。間違いない。だから、こいつがもしも、本当に番号を当ててしまったら僕は選択をしなければいけない。


 しかも、その選択は、母を取るか彼女をとるかではない。


 母を取るか、有り得ない事態を信じて最愛の母を殺すかだ。後者をとった場合は心暖も目覚めない可能性がある。僕は最愛の人を二人なくして、その内の一人は自分で殺してしまうという選択をしなければならないのだ。しかも、犯罪者にもなる。

 万が一にも悪魔の言うことが本当だったとしても、母を殺したとなると、心暖に嫌われる可能性も高い。それに、犯罪者にもなるのだ。


 色々なよくないことを考えてしまいながら、僕は六時半になる時を待った。心暖が峠を超える時間を待っていた時と同じくらい長い時間に感じた。


「時間になりましたね。確認をお願いします。」


 男は、僕に促した。辺りは既に真っ暗だった。

 僕は何かを祈るように当選番号を探す。

 あった、違う番号だ。やっぱりこいつは、詐欺師だ。僕は選択をせずに済んだことにほっとした。


「ははは。あなた、宝くじ買わないでしょ?見方が間違っていますよ。それは別の宝くじです。僕が言ったのはこれですよ。」

 バランスを崩しそうになりながらも、片方しかない手で、男は、僕のスマホの画面を指し示す。

「あっ。」

 確かにそこには、三〇分前にこの男に言われていた番号があった。


「ねっ。本当でしょ?まあ、すぐには整理がつかないでしょうから、今日のところは帰りますよ。明日はちゃんと会社に行ってくださいね。」


 要らぬお節介までして、悪魔は僕の前から姿を消した。

 むろん、彼は人間だから、壁を伝いながら片手、片足を何とか使いながらゆっくりゆっくり帰っていくだけだった。


 *


 僕は、悩んでいた。彼の示した六億円の未来予知のせいだった。


 仮に、母さんに若いころ振られたりして、逆恨みをしていたとしても、六億円のチャンスを棒に振るほどの恨みを抱えることになるだろうか?


 とにかく、母さんに確かめなくてはならない。恨みをかった経験があるかどうかを。

 もしも、心当たりがあるならば、母さんに気を付けるように言わなければならない。


 僕が母さんを殺さなかったら、それに業を煮やして、彼が直接母さんに危害を加えるかもしれないのだから。


 *


 今思うと、僕は、選択から逃げたかったのだ。大切な人の順位付けをするような究極の選択をしたくはなかったのだ。母を殺して心暖をとるか。このまま、何もしないのか。


 もちろん、後者を取るに決まっている。彼の言葉が信用に足らないからだ。だけど、もしもまかり間違って彼の言葉を信用してしまうようになったら、僕は、どちらの選択をするのだろうか?


 僕は、結論が出なかった。

 …宝くじの結果を見てから、心の隅では大切な人を、心の天秤の上に置いてしまっていた。



 

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