第2話 悪魔は昼に出現す

 絶望に溺れる中、悪魔が現れたのは、昼の一二時きっかり。


 近くの教会で鐘がなったからよく覚えている。


 心暖が目覚めないことに失意の念を覚えた僕は会社を休んでいた。しかも、初めての無断欠席。きっと首になるのだろうな、と心のどこかで思っていた。


 心暖が倒れてから一ヶ月は、心暖がなんだかんだ目覚めるかもしれないと思って心に鞭を打って何とか働いていた。けれど、目覚めないとわかった今はなんもやる気にならない。大好きな店の大好きなケーキを食べることすら苦痛だった。大好きな心暖との思い出を思い出してしまう。ケーキだけでなく、喉には何も通らなかった。


 いっそのこと、このまま餓死で死ぬのも悪くないなって思った。


 大学の時に勉強を頑張って就活も頑張って今、勤めている一流と言われる企業に入った。でも、僕が頑張れたのは、心暖との結婚を見据えていたからだ。心暖や、心暖との子供にお金の面で不自由をさせたくなかった。


 そういや、「あと二年同棲したら互いに仕事も一段落するし結婚しよう」って言っていたよな。気付けば僕はいつも泣いている。『泣き虫』って罵る言葉でもいいから彼女の声がききたい。


 ピ~ンポ~ン


 ならないはずのインターホンが鳴った。義父や母はほったらかしにしてくれているし、まして、心暖なはずはない。だから、セールスマンかなんかだろう。そう思って居留守を使うことにした。


 ピ~ンポン


 うるさいな。もうほっといて次のところへいけよ。


 ピンポン、ピンポン、ピンポン


 ピンポン連打をされたところで渋々ながら立ち上がって出ようとする。だが、半日ぶりに立ったせいか、立ち眩みと頭痛がした。それでも玄関のチャイムの音は止まらない。

 くそっ。泣くほどの文句を言ってやる。


 バタン


 その怒りのままに玄関を荒々しく開けると、そこには、僕とちょうど背丈が同じくらいの人が立っていた。目は虚ろ。頬はやせ細り全体的に青ざめている人だった。年は五十歳くらいだろうか?


「あのどちら様でしょうか?」 


 文句を言うつもりが僕はそう聞いていた。理由は、ナイフでも持っていそうな怖い印象があったことと、左脚と、左手が彼にはなかったこと。それで流石に追い返すのは可哀想になってしまった。右脚は左脚がない分随分と太くなっていた。足を切断してから年月がたつのだろう。左脚が使えない分全体重を支える右足がたくましくなったのは相像に難くなかった。


「僕は未来から来たものです。僕には不思議な力があります。彼女を助けたくないですか?」


 酒でやけたようなガラガラ声がでてきた。内容もいたくひどい。


 これが身内の不幸に対して、有り得ない方法論を授ける詐欺師という奴だろう。こういったやからに、芸能人が洗脳されたとかいうニュースを見たことがある。『神秘の力を使って彼女を治します。そのためにはお札の力が必要なので買ってください。』とでもいうのだろう。騙されてしまえば、確かに精神的に楽なのかもしれない。けれど、僕は気付いてしまった。気付いたから、余計に苛立った。


「結構です。」

 語気を強めて帰って欲しい意思を示す。


「ふふふ、あなたならそういうと思いましたよ。」


 その男は不気味に笑った。


「あのねぇ、弱っている人にたかって楽しいんですか?」

 言ってやった。よくよく考えたら、仮にナイフを持っていて刺されようが、彼女のいない世界で生きる意味はない。最後くらいは言いたいことを言ってやる。


「あなたは、今、『よくよく考えたら、仮にナイフを持っていて刺されようが、彼女のいない世界で生きる意味はない。』って思いましたね?」


「だから、何だっていうんだ。バーナム効果とかでそう思わせただけだろう?」


「本当にそうですか?心の中で思ったことと一言一句違わないんじゃないですか?」


 ふふふ。と笑う。引き笑いで笑う姿は、笑い方を知らない人形が無理矢理笑っているような印象を僕に与えた。


「ちっ。仮に当たっていたとして超能力でもあるって言いたいのかい?」


「まさか。あくまで私は未来から来ただけ。今のは言ってしまえば、マインドリーディングという特技ですよ。」


 だったら、見せつけるようにするんじゃねぇ。人の柔らかい部分を掻っ捌いて楽しいのかよ。


「ははは。楽しくないですよ。それで物は相談なんですが、あなたの身内を誰か殺しなさい。そうすれば、彼女のことは助けてあげますよ。」


 当たり前のように僕の心の内と対話する。


「はあ?何で、僕の身内を殺すことと、心暖を助けることがどうやって繋がるんだよ。ああ、そうか。わかったぞ。お前、母さんに若い頃、振られたことがあるとかだろ?僕の身内は母さんしかいないからな。それで僕の彼女が倒れたことにかこつけて殺そうとしたんだろ。ホント、最悪な人間だよ。あんたらみたいな人の不幸を食い物にする奴の言いなりになんてなってやらねーよ。」


「違いますよ。この世の中にはあなたの知らないルールがあるんですよ。例えば、あなたを中心に世界を書き換える場合はあなたの主観が重要になってくるんですよ。だから、あなたを中心に世界を書き換えるにはあなたが彼女と同等以上に大切に思っている人がいなくならないといけないんですよ。」


 こいつは、何を言っているんだ?二十一世紀にもなってそんなオカルトで人を殺す奴がいると思っているのか?


「いますよ。私もかつて人を殺して助けたい人を助けた身ですから。」


 既にマインドリーディングだかについては放置することにしていた。トリックがあって見破ることができればいいが、もしも見破れなければこいつの言うことを信じてしまいそうだったからだ。そのくらいに今の自分が弱っていることは自覚していた。


「お前の言うことが一万歩くらい譲って正しかったとして、お前は人を殺してどう思ったんだよ。」


「自分は正しいことをしたのだって思いましたね。ふふふ。」


 例の不気味な笑いが心底気持ち悪い。


「お前が未来から来た証拠は?」


 こんなに気持ち悪い人に何かを聞くのはひどく間違っている気がする。

 それでもこの不気味さと人殺しという単語があまりにも親和していたから聞いてしまった。人を殺したのがホントのことのように思えたのだ。


『これでは神秘的な謳い文句の詐欺に騙される人のことを笑えないな』と、独り自分を嘲笑する。


「そんなことはない。あなたは、自らを嘲笑しなくても大丈夫ですよ。だって、あなたの選択は正しいのですから。」


「そうかよ。いいから証拠を教えろよ。」


「はい、そうですねぇ。では宝くじの当選番号を当てましょうか。」


「はいはい。早く教えてくれ。」


「まだ、ダメですよ。あなたが宝くじを買ってしまうかもしれない。そしたら、

 未来が代償なしに変わってしまう。それは認められません。」


「はあ?じゃあ未来から来た証拠は何も示せないじゃないか。」

「“まだ”と言ったでしょ?宝くじの抽選は今日の六時半です。だから、六時にまた来ますよ。では、see you 」


 ガラガラな声でいう「see you」が妙に不安を煽った。

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