D.
佐竹雅也が目覚めたのは
「あら」
と石原はるゑ占い師の声がした。振り向くと、厚手のコートに毛皮のマフラーという出で立ちで、どうやら次の駅で降りるらしい。
「
と石原は
「
「でも、一寸気に
「何でしょう?」
「あれから、良くお休みになれました?」
「ええ。――実を云うと、
雅也がそう云うと、いしはらはるゑは
「それなら良かったわ。――あら、もう着くわね。あたし、此処で降りますので。――あ、佐竹さん、ひょっとして〝いかめし〟狙いですか?」
「え? ええ」
「森は三十秒停車ですけど、
「あ、そうですか」雅也は
「ええ。
列車は停まり、いしはらはるゑはプラットフォームに降り立った。
「良いご旅行を」
「パワー・ストーンを
二人は
――あああ、ぼくは独りになっちまったよ。
独り、と云う状態は、
併し、自分をこのような死地に追い込んだのは他でもない、自分自身の
そして、此処で自己逃避してしまえば、後に残される由美子は
雅也はウヰスキーの残りを呑み干した。
頭の中はほぼ完全にホワイト・アウトしていた。
旅は未だ始まったばかりだと云うのに、雅也はもう逃げ帰りたくなっていた。
それから雅也は寝台の上に腰掛けた姿勢で少し
そして午前十一時十五分、雅也は吹雪の中、札幌駅のプラットフォームに立っていた。
昨夕は上野駅で慌てていたため、乗車券は
「稚内までは、行けないね」
とすげなく宣告した。雅也は
「でも、この特急、稚内行きでしょう?」
「うん、確かにこの汽車は稚内まで行くけど、指定席なら
「どっ、どうしてですかっ!?」
「悪いけどね、音威子府からは、団体客が乗ることになってるんでね」
「グリーン車は?」
「グリーン車はないよ」
「そうですか…」
雅也は
「どうする? この汽車、止す? それとも乗る?」
係員は
「次の列車は、何時になります?」
「この次の『スーパー宗谷3号』は、午後五時四十八分だね」
お話にならない。
「じゃあ、その列車で音威子府まで行きます」
と答えた。係員は手際よく端末にデータを打ち込み、切符を出した。雅也は金を払った。
「発車は八番線だから」
雅也はその言葉を背に、すごすごと「みどりの窓口」を後にした。待合所に入って、モス・グリーンのコートを着ている
キハ183系気動車による三輌編成の特急「サロベツ」に雅也が乗り込むと、指定席は八割方埋まっていた。
――何だあの駅員は、音威子府から団体客が来る、なんて。あんな田舎の小駅から団体なんて乗って来る
雅也は
列車――北海道人の
雅也は自席に戻ると
――この列車にはいない、ということは、だな。
雅也は石狩平野を疾走する列車の中で
――どれか他のルートを取った、ということは考えられないか? 例えば、
雅也は
――
いやいや、と雅也は思う。
――竹生健は、少なくともこれ
列車はその内、旭川を過ぎて宗谷本線に入り、有名な
雅也は
音威子府駅では、何羽ものペンギン鳥が列車を待っていたのだった。大きさと色合いからみるに、
雅也は
雅也が見ていると、ペンギン鳥は数十羽いるようだった。が、先を争うこともなく、一羽ずつ
ペンギン鳥を
雅也は、この駅の立ち食い
「今、ペンギンが特急に乗って行きましたよ」
言うと、おばさんは、
「うん。元々は
「
「そ。したっけ、園長さんが怒って、もうみんな
そう言うとおばさんは、はい
雅也は
二人の手には、帰り際に五年二組級の担任である松尾先生の手から返されたばかりなのだが、理科のテストの答案用紙があった。が、それが
一平は右手には
二人は住宅地を抜ける通学路を歩いていた。
「今日さ、何する?」
敏和が
「
と言ったが、敏和が、
「ええっ、
と言ったので話は
二人は
と、
「あ、あれ、
と叫んだ。一平が見ると、確かに
「よう、森山っち」
敏和は、鞄を
「何だよォ」静男は迷惑そうな声を
静男は背で
「森山っち、今日塾あるの?」
「今日ォ? ううん、今日は塾ないよ」
「それじゃあさ、おれたちと一緒に遊ばない?」
「いいよ。何して遊ぶの?」
「
静男は
「あれって何だよ?」
敏和は
「決まってるじゃん。あれって、あれのことだよ。電車の模型」
静男の家にはNゲージ鉄道模型の大きなジオラマが――
「ああ、あれか」静男の家の鉄道模型は近所の子供たちの間で人気が高く、しょっちゅうあれで遊ばせてくれろとせがむ子供も多かったので、
静男の兄は大学生で、鉄道マニアだった。模型だけでなく実際の鉄道にも深い関心を寄せていて、静男のことを何度か「ロケハン」に連れて行ってくれたりする。そして
「なあんだ。駄目なのか」敏和は残念そうに言うと、一平を振り返った。「一平ちゃん、今日は何する?」
「そうだね」一平は鼻の下を
「うん。去年買って
「じゃあさ、三人で
敏和は静男を見た。
「森山っち、
「うん、いいよ。いいけど、いい場所知ってんの?」
敏和は
「ううん、おれ判んないや。
一平はそこで、
「場所のことなら、大丈夫だよ」と言った。「おれ、この間お父さんに、いい
敏和は
「本当か?
「大丈夫だよ」と言い張った。「この間お父さんと行った時、もの
「でっかい、って、どの
一平は
「こんくらい。
「本当かよ?」
静男は
「それ、
と問うた。すると一平は、急に口数が
「教えてもいいけどさ…」
と
「何だよ、教えてくれなきゃ
「教えろよォ」
一平は、声を
「じゃあ、誰にも言うなよ」
と念を押した。二人とも首を
「あのさ、
と言った。
父親がその存在に気付いていたのかどうかは
「本当なんだな?」
敏和が逆に
「うん。本当だよ」
一平は
「じゃあさ、今日はそこに行って見ようぜ」
「決まりだな」
三人は「おもてや商店」の前を離れ、歩き出した。
「それじゃあ、
「集合時間は…三時半でいいか」
「自転車で」
次の四ツ
「この四ツ角で待ち合わせようぜ」
話は
一平はふと、右手に提げた鞄の中に突っ込んである、
――あんなもの、
一平は足元の小石を
雅也が
外は軽く
改札口で、上野駅から
駅員に観光案内所を
言われた通りに案内所に向かうと、
何とか
が、ベルが聞こえたと見えて、カウンターの向こうのドアが開き、制服を身に着けた、
「
といきなり問うて来たので、雅也は
「――そうですが…」
と答えると、事務員はせかせかした口調で、
「
と云って、
「
受話器を戻すと、
「グリーン・ホテル、一泊朝食付き八千五百円のシングルなら空きがあるそうです」
と言った。雅也が
「じゃあ、それで予約の方おねがいできますか?」
と言うと、
「予約の方は
と
「稚内グリーン・ホテル」は、
フロントに向かうと、
「佐竹さまですね?」
と問うて来た。雅也は、
「はい」
と
宿泊料金は前払いだった。フロント係は、
「ご夕食が
と、朝食券とプラスティックのキーを渡す時に教えてくれた。
雅也の部屋は「403」号室だった。エレヴェーターで四階に上がり、自分の部屋に入るなり、どっと疲れが出て、雅也は荷物を
部屋は機能的で快適だった。
雅也は
そうだ、と雅也は考えた。ぼくは大学は北大を出ていると云うのに、そんなことこれ
レストランの入りは七分方と云った所だった。
シャワーを浴びると、
そして何の気もなくTVのスウィッチを押した。
「次のニュースです」女のアナウンサーだった。「
雅也は
カメラはペンギンたちとリポーターを交互に映した。
それから、空港の利用客にもコメントを求めていた。
一人目は
「ええもう、稚内の実家に帰省するところなんですけど、まさかペンギンが見られるとは思いもしませんでした。はい。旭山動物園で飼育されていたんですか? そうなんですか。何だか得した気分」
と照れ笑いを
そして、二人目が竹生健だった。モス・グリーンのコートを着た
「あ、そうですか。ペンギンが故郷に帰省ね。いい話なんじゃないですか。あはははは」
と雅也が目を
――ああ。
雅也は心中で
――
だが、一日遅れの差を
雅也は
――おかしいなァ。
松尾先生は
松尾先生は眼鏡を直して立ち上がると、首を
今その松尾先生の机の上には、二組の生徒三十八名分の漢字の
だが、松尾先生の心は、
ともすると、松尾先生の心は
――
松尾先生は、
――あと少しだ。
そう
――
と自分に言い聞かせた。
松尾先生が
最初の
そして
――
それで、その奇妙な
その儘十分ほど
松尾先生は不意に
ペンを
――
松尾先生は
が、松尾先生にも
そして松尾先生は自分の
「
とあり、それに対して
「わたしもクロールより
とのコメントを
その
「
コメント。
「よく
――しまった。これは
てっきりそう
今、
朝食はヴァイキング、とあったが、
雅也は朝の卵料理と云えば
トレイを
――こんな
そして、
この
すっかり
雅也が三つの
雅也はチェック・アウトの
「あのう、このひとたちは?」
と
「ああ、
との
「え?
「そうです。バスは九時半に出ますので、
プライヴァシーの
「え、ええ、ええ。それはそうなんですが…、そうですか、皆さん
雅也はぽかんと口を
「バスのチケットはこちらでございます。このチケットをお
とフロント
「
とあった。それを見て雅也は
――なーるほどねぇ。
雅也は
「座席は大丈夫なんですか?」
と問うた。
「ええ、その日利用なさるお客様の数に合わせた大きさのバスを運行しておりますので、ご心配は
と
雅也はこのシステムにすっかり感心してしまって、ホテルのフロントに
バスが来たのだ。
大型のリムジン・バスだった。
ロビーに
先を
雅也も
バスは観光バスをその
雅也は
「稚内グリーン・ホテル発、稚内空港国際線ターミナル行きリムジン・バス、間もなく発車いたします。空港までは約三十分で到着いたします。シート・ベルトをお使い下さい」
と
雅也の隣には、バックパッカーと思しき若者が座を占めていた。雅也が、試しに、
「失礼ですが、
と問うと、青年は首を振り、
「
雅也は苦笑いして、
「いえ、ぼくも初めてなんです」
とのみ答えた。青年は、
「ぼく、もうワクワクですよ」
と
「ぼくは
と応じた。それで会話は
バスは海沿いの
空港ターミナルの建築物が見えると共に、車内の空気が変わった。それ
公道から空港の敷地に入る際、バスはがたがた揺れた。見ると、
「空港ターミナルです」
と運転手が云う前に、気の早い者は荷物を抱えて通路に足を踏み出していた。ドアが開けられると、牧羊犬に追われる羊の群れさながらに、理由の
雅也が見ていると、
中に
「
午後二時半か、と雅也は考えた。
雅也は発券カウンターに向かい、列の後ろに並んだ。
若い女の受付係は、雅也を見ると、
「お一人様ですね? 八五〇〇ペカーリになります」
と云った。雅也はああ、と思った。両替を忘れていた。
「日本円での支払いは、受け付けて頂けませんか?」
「はい、大変恐縮ですがご遠慮願っています」
とのことだったので、雅也は先ず両替しなくてはならなかった。
と、腹の辺りに膨らんだバッグを提げ、
「オ兄サン、両替? 何ぺかーり? アタシ、三十万マデナラ用意アル」
雅也は、
その姿を
「
と声を掛けて来た者があった。振り返ると、眼鏡を掛けて長髪を真ん中で分けた男が立っていた。バックパッカーらしかった。雅也は、
「じゃあ、
と逆に問うた。すると男は、航空会社のカウンターの端を指差し、
「そら、あすこ。彼処が
と言うた。雅也は、しまった、
「基本、レートはどの位なんだ?」
と雅也が問うと、男は、
「基本的に日本円一円に対し二ペカーリ。中国人民元なら、百元で一ペカーリ、と云うのが相場だよ」
と教えてくれた。雅也は女に手渡された金を数えた。細かい額の札も混じっていて、数えるのに時間が掛かったが、二十五万ペカーリほどしかない。それを見た男は、
「やられたね」とにやりと笑った。「あの女は要注意人物なんだ。神出鬼没でね、思わぬ所に現れる。日中両政府からのお
「一体、
雅也は問うた。すると、男は初め雅也の顔を
「あんた、
と云った。雅也は
「
雅也は男の煙草臭い口臭に閉口したが、
「そういう訳には行かないんだ」
と答える。
「なぜ? 出直そうと思えば後から幾らでも出直せるじゃないか」
「だから、そういう訳には行かない、
「一体どんな?」
「どんな、って、ひとを追っているからさ。昨日、包に向けて出国したらしい男を追い掛けているんだ」
雅也がそう答えると、男は小さく
「そうかい。じゃあ、まあ健闘を祈っているよ」
と言い残して行って
「
「はい」
「では、八五〇〇ペカーリです」
券を無事手にした雅也は
「国際線レストラン Pao」
という
が、その前に、最前の男が云っていた、
「あの、あのさ、鄭さんとか云うひとの説明会、って、何です?」
受付の女は、にこやかに、
「ああ、それは、これから包へ向かわれる方のため、特に初めて行かれる方のために、注意事項などをお伝えするものです。午後一時過ぎから、このロビーで催される予定になっています」
と答えた。
「ああそう、
午後一時過ぎからならば、時間はたっぷりある。雅也は
客の姿こそ未だ疎らだったものの、店舗は既に営業していた。ショウ・ケースの中にはサンプル品が並んでいるが、鮨や
が、「本日の特別メニュー」とプレートの付いたサンプルを見たら、
特別メニューは
雅也は迷うことなく、ずい、と店に入った。
ウェイターが
「と、特別料理を」
と命じた。ウェイターはにっこりして、はい、かしこまりました、と答えた。
「
「ワインとビール、
「デザートは食後にお持ちしますか、それともご一緒で?」
何かのリキュールだろう、と思って口を付けると、シュナップスだった。
――
雅也は愉快になって来た。
雅也は
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