C.
由美子は八回目の呼び出し音で出た。
「はい。佐竹ですが」
「ぼくだけど」
と言うと、声のトーンが変わった。
「あんたなの? 雅也くん? 今どこ? 何かあった?」
「そうなんだ」言って、
「ああ、そう言われて見ると、ペン・ネームが怒った理由は、あたしも何となく判る気がするな」
由美子は言った。
「『さいごの授業』は、あんたも、
「ああ、そう云えばそうだったかも知れないな」雅也は妻の声を聞いて
由美子は
「
由美子は、もう眠いから休む、と言って電話を切った。妻と会話したお陰で、石原はるゑという占い師の云うことも
由美子が
「シェーヴィング・クリーム」
ある夜ぼくが風呂に入って
「ねえ、きみ」と男は語り掛けて来た。「きみ、本当は女の子にもてたいんだろう?」
ぼくは、髭を剃る手を休めて、
「そりゃ、まあね」と言った。「もてたいのは誰でも一緒じゃないかな?」
「でも、きみはもてないんだろう?」
シェーヴィング・クリームの言うことは
「ああ、どうせぼくはもてませんよ」
と言った。すると、クリームの缶はぼくの機嫌を
「いやね、ぼくがこうして
「秘策だって?」ぼくは取り合わなかった。「そんなもの、あるかい。その手の雑誌やら本やら散々買って、もてるための研究を本格的に、
と、男は
「そうかい」と言った。「
そう言って
「失礼なことを言っちゃって、ご免よ。どうか水に流してくれよ。頼むよ。この通りだからさ」と云って頭を下げた。
シェーヴィング・クリームは
「むふん」と言った。「本当だね?
と問うた。ぼくは、風呂場に響くような声で、
「使うともさ」と請け合った。「これから毎晩使うよ。約束する」
「ホントだね?」
「本当だとも」
「よし」クリームは
ぼくはその言葉を
結果はどうだった、って? ぼくは
「あんたって、サイテーね。二度と話し掛けないでくれる?」
とのお言葉を
ぼくはその晩、話が違うじゃないか、とシェーヴィング・クリームに苦情を言ったのだが、シェーヴィング・クリームは
こんな
列車が
「
a.
それは土曜日の夕方のことだった。その日の王立動物園での勤務も
鼻歌を唄いながら小便をし、手を洗って廊下に出たところで、おれはレーヴィン園長に
おれはいやな予感を覚えた。大体、このレーヴィンなる園長は
まあ、レーヴィン園長の立場を考えてみれば、それも
この国の王立動物園の園長職というポストは、実のところただの腰掛けにすぎない。この王国の王家は代々動物を大事にする
そんな訳で、この動物園の園長には高級官僚の出身者が多い。現にこのレーヴィン園長も今のポストに就くまでは財務省にいた男であり、この動物園での任期が終われば
おれたち動物園職員は、そうした事情はよく分かっていたし、こうして高級官僚に対し出世に
そのレーヴィン園長は、事務所の廊下でおれの顔を見るなり、
「おい、お前ら、夕食が済んだら園長室に来てくれ」と言った。「ゆゆしき事態なのだ」
レーヴィン園長の顔は、夕闇の廊下の中、心なしか
「何ですか、一体?」
おれはそんな園長の表情など気に留めないようにして訊き返した。
「今は言えん。――いいな、それからこのことはくれぐれも内密にしてくれよ。頼むぞ」
それだけ言うと、レーヴィン園長は神経質そうな
おれは肩をすくめると、事務室に戻った。
事務室では既に飲み会が始まっていた。おれたち職員は、毎週末、昼間の勤務の後は、
おれは、事務室に集まった仲間に、かくかくしかじかと話をした。
すると、飼育係の
「うへえ」と言った。「何の用だろうな。今夜は早く帰りたかったんだけど」
「あの園長、無理ばかり言うからなぁ」
とこぼした。
「仕方がないだろう。園長が来いと言ってるんだから」
おれも内心では源藏や弥七と同じ気分だったが、飼育係長としてそう言った。
「何か、緊急の用みたいだったな。ここは早めに切り上げて行った方が
そんな訳で、おれたち八人は、夕食会は早々に切り上げると、
おれが園長室のドアをノックすると、すぐに、
「誰かな?」
と声がした。
「近江です」
おれが答えると、打てば響くように、
「ああ、近江くんか。
園長が言った。自分で呼び付けておいて、何が〝入り給え〟だ。こういう気取りたおしたところもこの園長が好かれない一因になっている。
ともかく、おれたちはぞろぞろと園長室に入った。すると当の園長はいつものように丈夫なオーク材でできた机の上でもったいぶった仕草で両手を組み、涼しい顔をしているのかと思いきや、今夜は机の後ろを落ち着かぬ様子で往復しているところだった。
「園長、お話ってなんでしょうか?」
おれが口を開くと、園長は立ち止まり、おれの顔を見た。さっきのは見間違いではなかった。明らかに顔色が悪い。どうやらおれの悪い予感は当たりそうだった。
「仕事が済んで
レーヴィン園長は言った。話の切り出し方が妙に
「いや、それはいいんですが――」
おれが言い掛けると、園長は指を一本立てておれを制し、口を開いた。
「
とレーヴィン園長は大きな声で言った。
「外に誰もいないか、確認してくれ
おれたちはそうした。ドアの外には誰もいなかった。
「よろしい」レーヴィン園長はもったいぶった声で言った。「では、用件に入ろう。まず言っておくが、先ほど近江くんにも言った通り、この話は内密にして欲しい。
園長室に横一列に並んだおれたちはうなずいた。
「お前たちも知っての通り、明日の昼前に、マルス三世国王がこの動物園にお出ましになる」
おれたちももちろん、その話は承知していた。このマルス三世という王様は、今年で在位二〇年になるのだが、たび重なる増税政策を強行したため、国民の間での評判はすこぶる
「そしてお前たちも知っての通り、王様は動物を大変お好みだ」
おれたちももちろんそのことはよく知っていた。マルス三世は即位後に、動物愛護法を制定し、犬や猫に対する去勢手術まで禁止してしまったため、街中は野良犬や野良猫であふれ返っている。この法律に違反した者は厳罰を
「王様は動物の中でも、とりわけパンダをお好みだ」
その通りだ。この動物園では、何十年も前に中国から贈られたジャイアント・パンダを飼育しており、動物園で交配して繁殖させている。今この動物園で飼育しているパンダは〝ルンルン〟というのだが、これは国王がじきじきに命名したものだ。いかにもセンスのない名前だが、こういう事情のため、ルンルンは動物園で非常に大事にされている。
「明日も、当然ながらマルス三世はルンルンをご覧になりにいらっしゃる予定だ」
園長の言葉の通り、国王は月に一回は動物園へやって来る。そしてここで飼われている三十六種八十三頭全ての動物の園舎を時間をかけてゆっくり巡る。そのお
「ところがだ」
レーヴィン園長はここで言葉を切り、その場に立ち並んだおれたち八人の顔をゆっくりと眺めた。おれはとっさに思った――やっぱりだ。こいつは何かある。
「実は」と園長は唾を呑み、「そのルンルンが、先ほど死んでしまったのだ」
と言った。
園長室の中には、しばらく沈黙が流れた。おれたちの中で最初に口を開いたのは
「ま、まさか…」
「その、まさかがまさかなのだ」
そこで園長はまた
「一体、どうしてです?」
弥七が訊ねた。園長は、やや顔をうつむけた姿勢で歩きながら、一言、
「分からん」
と言った。今度は
「病気ですか? 事故ですか?」
園長は
「おそらく病気だろうな。――さっき、夜勤の
と言うだけだった。
おれは、これは大変なことになったものだ、と思った。
「じゃあ、…」
おれが言いさすと、園長はまた手でおれを制し、
「そうなのだ。これは厄介なことだ。非常に
と口早に言う。
おれにもレーヴィン園長がそう言う意味は分かった。
マルス三世は、
レーヴィン園長にしてみれば、まさに自分の首がかかった問題なので、急を要すると判断したのだろう。マルス三世の
「分かりました、園長」おれは言った。「これは確かに、園長にとっては問題ですね。ですが――」
が、レーヴィン園長は冷ややかな声で口を挟んだ。
「わたしだけではない。お前たちの問題でもあるぞ」
「は?」
おれは狐につままれたような気分で園長を見つめた。
「まだ分からんか?」
「ええ、分かりません」
「考えてみろ。例えばだ、わたしがルンルンを
「あ」
おれは、ずぼん、と自分の顔が長く伸びるのが分かった。
レーヴィン園長が財務省内でどういう立場にあるのか、ということまではおれは知らない。しかし、高級官僚である以上、省内には敵や、あるいは園長の出世を望まないものは必ずいる
「え、園長、そうすると…」
源藏がふるえ上がって、わななく声で言った。
「そうだ」園長は確信のこもった顔でうなずいた。「そういうことなのだ」
おれは急速に足元の力が抜けるのを感じた。陰茎の根元が笑いだした。もう、失禁直前である。
「園長、ルンルンが死んだというのは、本当のことなのですか?」
「先ほど、夜勤の清五郎から報告があった。わたしは自分で見に行った。本当かどうか気になるなら、お前たちが自分の目で確かめるがよかろう」
「分かりました、そうしましょう」おれは言った。「お前ら、一緒に来い。まず死亡確認からだ」
おれは、甚七、与八、五郎兵衛、弥七、茂太、源藏、太一の七人と連れ立って、第三園舎に向かった。もう日はとっぷり暮れていて、水銀灯に照らし出されたおれたちの
「参ったな。えれえことになったなぁ」
太一が溜め息まじりにぼやいた。
「まだ確かめてみないと分からんぞ」
「だけど、清五郎もここに長いからな。まさか
「誤認であることを祈ろうぜ」
「畜生。あんな園長が来るからおれたちまでとばっちりを喰うんだ」
みな口々に文句を言う。
「やめろ、みんな」おれは言った。「ここは冷静になれ。下手をするとおれたちまで巻き添えを
すると弥七が、
「つまり、あのレーヴィン園長をはめよう、って云うんですかい?」
と余り乗り地でない声音で言った。これだから緊急の時には、くそまじめなやつは損をするのだ。
「人聞きの悪いことを言うな」おれは言った。「そもそも何もなかったんだ。おれたちは何もしちゃいない。ただの事故だ。――いいな、もしレーヴィン園長がおれたちも巻き込もうとするようなことがあったら、何も知らなかった、と最後まで言い通すんだぞ」
すると茂太がげんなりした声で、
「しかしレーヴィン園長もあの性格だからなぁ。きっと話が大きくなったら、おれたちも地獄へ道連れにされるぜ」
と言った。甚七は、そんな茂太を、
「とにかく現場へ行ってみようぜ。現場を確認しなけりゃ始まらねぇ」
となだめた。
おれたちはぞろぞろと第三園舎の事務室に入った。すると、清五郎が
「おいっ。今、ここは取り込み中だ。立ち入り禁止だ」
その一言で全てが分かった。
だが、まず現場確認だ。
「落ち着いてくれ、清五郎。おれたちは事情を知ってる」
が、清五郎は更に
「何? 一体誰に聞いた?」
おれは手を挙げて清五郎を制した。
「落ち着けったら。園長だ。レーヴィン園長に聞いたんだよ」
すると清五郎はやや落ち着いた様子だったが、今度は、
「園長って、何で園長がお前らに話すんだい?」
とぶつぶつ言う。
おれは、
「さっき、おれたちも極秘扱いってことでレーヴィン園長から話を聞かされたんだ。――どうやら園長は、あと始末をおれたちにさせたいみたいなんだ。話の詳細はまだ決まっていないがな。そこでおれたち、まず本当に間違いなくルンルンが死んでるのかどうか、確かめに来たんだ」
と言った。すると清五郎はやっと胸を
「なあんだ、そういうことだったか」と言った。「そういうことなら、もっと早く言ってくれ」
「お前が早とちりするからだよ」
とは五郎兵衛。源藏も、
「さあ、早いとこルンルンの
清五郎は唇に指を当てて「しいっ」と言い、手ぶりでおれたちを飼育小屋へと導いた。
小屋の中で、ルンルンは大の字になっていた。おれは小屋の明かりが点くとすぐにルンルンの脈を調べた。
「どうだい?」
与八が恐る恐る訊ねた。
「どうだいもこうだいもねえよ」おれは言った。「きちんと死んでるよ。いや、見事に、と云った方がいいかな」
「そうかあ」
太一ががっかりした声を上げた。
清五郎とおれたちは、
「一体、いつ死んだんだ?」
おれは訊いた。清五郎は、精も根も尽き果てたといった表情で眼鏡のレンズを布で磨いていたが、
「さあね。
と
「じゃ、お前たちでルンルンをこっちへ運び入れたのか?」
「そうだよ」
清五郎はぶすっとした声で答える。おれは慌てて、
「人には見られなかったろうな?」
と念を押した。清五郎は、
「そこは大丈夫だ。大体この動物園なんて今どき来るひともいねえよ。客はみんな隣りの機械動物園の方に行っちまうからな。屍体を運び込んだのは閉園時間の後だ。たとえお客に見られたとしても、大方寝てるとしか思われなかったろうよ」
と吐き捨てるように言った。
「じゃ、こうして大の字にしたのはお前たちなんだな?」
「そうさ。なんとか
「獣医は呼ばなかったのかい?」
弥七が訊ねた。この王立動物園にも、もちろん獣医が
「呼ぶもんか。うちの獣医は口が軽いからな。死んでることは分かったから、本来なら死亡診断書を書いてもらわないといけないがな。しかしルンルンの件で呼ぶような訳には行かねえ」
太一は、
「それですぐにレーヴィン園長に知らせた、って訳か」
と言った。清五郎は、
「ああ」
と溜め息ともつかない声を漏らすと、園舎の中をぐるぐる歩き始めた。まるで、清五郎そのものが飼育されている動物のように見えた。おれは、
「まあ落ち着けよ、清五郎」
と声を掛けはしたものの、そう言っている自分の顔も蒼くなっていることが、自分でもよく分かった。
「こうやってうろうろしていても仕方ねえや」
甚七も言った。与八も、
「そうさ。――ここは早いとこずらかって、レーヴィン園長と
と応じた。おれはうなずいて、
「その通りだな。早く園長室に行った方がいい」
と言った。それで話は決まった。おれたちは園長室に戻った。
園長室では、蒼い顔をした園長が待っていた。
「見て来たか?」
「はい、確認して来ました。清五郎はパニック直前でしたよ。もう何も考えられない、って風でした」
「ああ、そうだな。しかし、獣医を呼ばず、すぐ直接にわたしに知らせてくれたのは
「それはいいですがね」五郎兵衛が口を挟んだ。「これから一体、どうしようと言うんですい?」
それを聞くとレーヴィン園長はまた落ち着かなげな様子を見せた。
「一体どうしようか、わたしにもいい考えが浮かばないのだよ。そこでお前たちの力を借りようとしているのだ」
おれたちはみな、腕組みをして黙りこんだ。
と、弥七が、
「園長、ここは一つ、やはり正直に申し出た方が良くはありませんかね?」
と言う。園長は一つうなずいて、
「そう。本来ならそうするべきだろうな。しかし、今回の件は色々な意味で微妙だ。うまく行くとは思えん」
「とりあえず、急病で寝ているからお見せできません、と言えば…」
茂太が言った。しかし園長は
「そうは行かん。どのみち、ルンルンが死んだことは明るみに出るだろう。そうなれば、我われはおしまいだ」
おれは一つひらめいて、
「それじゃあ、誰か着ぐるみを着て立てばいいんじゃありませんかね?」
と言った。だが、園長はまた
「それも考えた。しかし、ルンルンの巨体に似せた着ぐるみを作るのに
「ううむ…」
おれたちは沈黙して考え込んだ。と、五分ほども考えたろうか、源藏が突然大きな声を揚げた。
「園長、考えたんですがね?」
レーヴィン園長は、
「何かね?」
「実は、おれの仲間が一人、隣りの機械動物園にいるんですがね」
と続けた。
この国では、盛んなロボット産業の
園長は源藏の言葉で全て理解したらしく、はたと膝を打った。
「それはいい。それじゃあ早速機械動物園に行って、ルンルンのレプリカにできそうなロボット・パンダを一頭借りて来てくれるかね?」
おれたちはそうすることにした。
b.
先ほど説明した通り、機械動物園は王立動物園のすぐ隣りにある。機械動物園の方が敷地ははるかに広く、王立動物園の三倍ほどの面積があるのだ。そこに、百種を超えるロボット動物が〝飼育されて〟いる。どの動物も動力は電気だ。動物は充電池を内蔵していて、夜間の閉園時に充電しておいて、昼間の観覧時間に備えることになっている。今ではこの機械動物園の方が有名になってしまい、いつも閑散としている王立動物園に対して、引きも切らず観客が訪れていつでも
おれたちは王立動物園の裏口を出ると、すぐに機械動物園に向かった。
「おい、お前の仲間ってどんな奴だよ。
と確かめた。源蔵は、
「なあに。ロボット動物の管理人をしているんだ。案ずることはねえよ」
と涼しい顔だ。茂太も、
「もうそろそろ機械動物園も閉園時間だろう。そいつが帰った後だったら一体どうするんだ?」
ととがめた。源蔵は、
「多分大丈夫だ。さぶって奴なんだが、きっとまだいるはずだ」
とこれも請け合う。
そうこうするうちにおれたちは機械動物園の裏門に着いた。守衛が、おれたちの姿を見とがめて、
「こらこら、ここからは立入禁止だ」
と言ったが、源蔵がレーヴィン園長とさぶの名を出すと、渋々通してくれた。ついでに
さぶはすぐに顔を出した。
「よう、源蔵、一体こんな時間にどうしたい?」
源蔵はおれとさぶの顔を代わるがわる見比べていたが、おれがうなずいて示したので、小声で事の
「ううん」
話を聞いたさぶは、
「おい、さぶ、ここの動物園にはルンルンのレプリカ・ロボットもいるんだろ? それを一頭、貸してくれというんだ。お前なら都合が付くだろう、と思ってここへ来たんだよ。もう頼れるのはお前しかいないんだ。何とか頼むよ。な?」
と必死で語りかける源蔵の言葉をさぶはしばらく聞き流している風であったが、ややあって、
「うむ」と返事をした。「
さぶのその言葉に、おれ以下一同はがっくりした。
「なあんだ」
「やっぱり駄目か」
「おれたちも収容所行きかぁ」
甚七や五郎兵衛や太一は口々に失望の念をあらわにした。が、さぶだけは冷静に構えていた。
「おい、マルス三世国王は、いつお前たちの動物園を訪問する予定なんだ?」
「明日だよ。日曜の朝」
「そうか。そうすると時間的にはまだ余裕があるな。――お前たち何人いる? 一人、ふたり、さんにん…八人か。悪かねえな」
さぶは懐から煙草の箱を取り出し、一本くわえて火を
「おいさぶ、一体何が言いたいんだよ?」
源蔵が訊き返すと、さぶは小声で、
「おい、この話はここじゃできねえよ。おれのオフィスに来てくれや」
という訳で、おれたち八人はさぶの後にくっ付いて、〝おれのオフィス〟へと向かった。その〝おれのオフィス〟は、機械動物園の奥の奥、倉庫にでも使われているのではないかと
「済まんな、汚くしていて」さぶはしれっとして言った。「ま、適当にその辺の、柔らかそうなマニュアルの上を選んで腰を掛けてくれや」
「それよりさぶ、おれたちはもう時間がねえんだよ。明日の朝マルス国王が来園したら、それでおれたちの命は終わりなんだ。一体お前、何の話があるんだ?」
「ああ、済まねえ」さぶは言ったが、余裕の
「聞く、聞く」
「早く教えてくれよ」
弥七や茂太は詰め寄らんばかりの勢いだった。
「うん、話ってのはこうだ」
ようやく切り出したさぶに、与八は、
「
と
「お前たち、手は器用な方かね?」
と
「はあ?」
と言った。しかしさぶは、
「どうかね? 器用かね?」
ともう一度訊ねた。
「き、器用かって訊かれれば、まあ――人並みだな」
源蔵はどもどもと返事をした。
太一や甚七も、
「おれも、せがれの模型自動車を組み立ててやれる程だがな」
「おれも、この間自分ちの屋根の雨漏りを
などと、話が分からないながらもさぶに答えて返した。さぶはそれを聞いて、満足そうに二、三度うなずくと、
「そうか。それならまあ良かろう」
と言った。しかし勿体ぶった態度はまだそのままで、今は短くなった吸い殻を灰皿で
「お前、一体何が言いたいんだよ?」源蔵がじれったそうに叫んだ。「早く
「ああ、そうだな」
さぶは言うと、たくさん鍵が付いた鍵束をじゃらりと腰から外し、おれに向かって差し出した。
「な、何のつもりだよ?」
おれがたじろいだ声を出すと、さぶは指を一本立てて口に当てた。
「静かにしておくんなさい。――それから、このことは、ルンルンが死んだことと同様、くれぐれも内密に頼むぜ。これが、おれが考えた最善の策なんだ。おれにできることはこの程度が
もう一度念を押しとくが、この件は内密だぜ。今夜お前たちはここに来なかったし、おれにも会わなかった。そういうことにしていてくれ。いいな。でないとおれは、安心して話を切り出すことができねえ」
分かったな、と更にもう一度念を押すさぶに対し、おれたちは慌てて分かった、分かった、と口々に言った。
それを確かめて満足したのか、さぶは、
「まあ話は単純なことよ。――今夜いっぱい使って、お前らがルンルンのレプリカ・ロボットを一台作ればいいのさ」
と言い放った。
おれたちは当然ながら一瞬おのが耳を疑い、続いてたじろぎ、どよめいた。
「そんな…」
「作れと言っても、なあ…」
「一体どうやって?」
「お、おれ、電気回路って昔から苦手なんだよなあ」
「一体、作り方を誰が教えてくれるっていうのよ?」
「いくら何でも、
「何を言い出すのかと思ったら、こんなとんでもないことを…」
「できるわけねえよ」
おれたちはぶうぶう言った。すると、さぶは手近のファイルの上をばしんと打った。
「静かにしろ、お前ら」
さぶはわめいた。その勢いに押されて、おれたちは黙りこんだ。
「いいか、お前らはここに、そもそもルンルンのレプリカを借りに来たんだろう? しかし、あいにくルンルンは修理中なのだ。これはさっきも言った。
おれもいろいろ考えたよ。ああ、考えたともさ、お前たちのためによ。別のレプリカ・パンダを貸し出すかとか、ルンルンのレプリカ・ロボットを急いで組み上げさせて貸そうかとか、いろいろな。
しかし、どう考えてもやはり道はこれしかない。お前たちが、今夜この動物園の倉庫にこっそり忍びこみ、パーツを一つひとつ選び出して色を塗り、パンダらしくみせかけて動物園に置いておく。これしかねえんだ。
これがお前たちのためにおれができる最善だし、またお前たちに見つかる抜け道としてもこれがベストだろう。
お前ら、まさに自分の首がかかっている問題なんだろう? それに、ここしか助かる道がねえからここに来たんだろう?
お前ら男だろう。のるかそるか、一つやってみるか、って気になる
突如としてさぶが一席ぶったこの大演説におれたちはすっかり気を呑まれてしまい、続けて
その場にはまた沈黙が訪れた。
しかしさぶは
その沈黙を破ったのは源蔵だった。源蔵は恐るおそる、
「あのよう、さぶ…」
とおずおずとさぶに話しかける。さぶは威勢よく、
「何でいっ!?」
と応じる。源蔵はおろおろした声で、
「そりゃあ、お前さんの言ってる意味はよく分かるよ。しかしなあ、ものには限度ってものがあるんだ。おれたちの中には、お前さんのように工学を勉強したやつは一人もいねえ。そこへ来て、ひと晩でジャイアント・パンダのロボットを一体こしらえろだなんて、無理もいいところの話だよ…」
と語り掛けた。それを受けて、甚七や五郎兵衛らも、
「そうだよそうだよ」
とか、
「こんな話、あまりにも無茶すぎなんだよ」
とか、
「機械動物園の動物は、みんな精巧に作られてるんだろ。それを一からおれたちに作れだなんて、余りにも…」
と口々にぶうたれた。が、さぶはそんな
おれが見かねて、
「なあさぶよ。おれたちのために
と言った。他の者たちも、おれの言葉に同意した。
するとさぶは、もう一本煙草を出して火を点けると、
「それじゃあ何かい。お前さんたちは、他にどうするって言うんだい?」
と逆に訊いて来た。
「どうするってその…」
そう言いかける源蔵の声はもう泣きそうだ。
「別のパンダのロボットを一体借りられればそれで済むと思ったんだが…」
しかしさぶは首を横に振った。
「ならん。第一、ルンルン以外のロボットはルンルンよりもはるかに小さい。子供が見たって別物だとすぐ分かるぜ」
とすげない返事をする。
「ルンルンを組み直すって訳には行かんのかね?」
さぶはまた首を横に振る。
「いかないね。あれはもう、関節部から各パーツを全て取り外してしまっていて、その内部の電子神経ケーブル系統をチェック中だ。組み直しには、やはり専門の知識をもった職人が必要になる。ひと晩じゃやはり無理だし、その上外部に話が漏れる。そいつはまずいだろう」
おれは両手を
「お手上げじゃないか」
「そこで、お前さんたちの
さぶはおれたちをぐるりと見回して、言葉を続けた。
「ここへ来た以上は、やってもらわにゃあ困るんだ。もしお前たちが手をこまねいて何の手も打たなかったとするだろう。そうするとレーヴィン園長の言う通り、あの園長のみならずお前たちもしょっぴかれることになるだろうな。そうなると当然おれの名前も出るだろう。そうしたらおれまで
五郎兵衛が声を上げた。
「しかし、組み立てって、むつかしいんだろう?」
「そうさな」さぶは煙草を二、
おれは、乾いた唇を舌でなめると、
「確かに、簡単な仕事ではなさそうだが、入りたてほやほやの新人に任されるくらいの仕事なら、いっちょやってみてもいいんじゃねえか。おい、お前らには
誰も何も言わなかった。
「よし」おれは言った。「じゃあおれは、ひとっ走り動物園まで行って、レーヴィン園長から許可をとってくるからな」
すると弥七が、
「許可って、電話じゃまずいんですかい?」
と訊いた。おれは、
「ばか言え。この国の電話回線網が信用できねえことくらい、百も承知だろう。どこで盗聴されているか分からんのだ。ここは直接行った方がいい。ちょっと待っててくれよ」
おれはそう言い置くと走り出したが、ふと、
――もしや園長、帰ってしまったのでは?
といやな考えがきざした。それはともかくおれは走り、園長室の前で息をととのえた。
それからコツコツ、と二回園長室のドアをノックしたのだが、
――やっぱりだ。
おれは怒りと絶望のあまり頭の中が真っ白になる思いだったが、気を取り直してもう一度戸を叩いた。
「園長、レーヴィン園長、おられないでしょうか? 近江です」
すると、ドアの向こうから、
「うう…」
という唸り声のようなものが返って来た。園長はどうやらいるらしい。が、今度は別の考えが原因で、おれはまた蒼くなった。もしかして園長、今回のルンルンの一件が原因で、
「園長、開けますよ、園長」
おれは言うなり部屋に飛び込んだ。
「――ああ、近江くんや」
園長は溜め息混じりにそう言うと、また頭をかきむしり始めた。
「園長――」
「――ああ、これが夢であればよかったのだが」
園長はぶつぶつ
「何言ってるんですか、園長、しっかりして下さいよ。これは夢なんかじゃありませんよ。園長だってよく分かっているでしょう?」
「――ああ、わたしはあの時、王立動物園園長のポストの話など、断っていればよかったのかも知れん」
園長は呟きを止めない。更にぶつぶつ、
「――ああ、もしかしたらあの時昇進試験など受けなかった方がよかったのかもしれないな」
「――もしかしたら、財務省などに入ったのが悪かったのかもしれん」
おれはつかつかと園長が腰を落としている執務席に近づいた。
「園長。レーヴィン園長」
おれは大きな声で呼び掛けた。すると園長は、いかにも精気のない、どんよりした眼差しでおれを見た。そして、力なく、
「はあ? 何かね?」
とおれに訊き返す。
「はあ、じゃありませんよ」おれは言った。「今さらたら・ればの話なんかしたって仕方がないでしょう。起こったことは起こったことなんですから」
「うむ、まあ、そう言いたい気持ちは分かるよ。しかしな――」
おれは仕方なしにレーヴィン園長の
「園長、起きましたか?」
するとレーヴィン園長は目をぱちくりさせて、
「あ、――ああ、近江くんかね」
と言った。
「近江くんかねじゃありませんよ。しっかりして下さいよ。今日の午後、ジャイアント・パンダのルンルンが急死した。それで我われは
園長はまだ片手で頬を押さえたままの姿勢で、
「――あ、ああ」と言った。「ああ、ああ、そうだったんだな」
「それで、ちょっと機械動物園に行って来たんですが」
「ああ、そうだったな」やっと園長の目にも光が戻ってきた。「――で、
おれは園長にことの次第を説明した。
園長は目を閉じ、半ば
おれの話が終わると、レーヴィン園長は無表情な
「――で、きみはどうするつもりなのかね、近江くん?」
「どうするって決まってるじゃありませんか、園長」
おれはレーヴィン園長の様子に奇妙な感覚を抱いた。園長の様子はどう見ても無関心そのものと言ってもいいくらいだ。
――ひょっとして、園長さんは頭がどうかなってしまったのじゃないかね?
おれの一部がおれに
「そうか、やるのかね」
園長は無関心ともなげやりとも取れる調子で言った。
「当たり前でしょう。
「そうか。――そうだな」
園長は肩を落としてふうっと溜め息を吐き、両手をテーブルの上で組んだ。
おれはレーヴィン園長の目を見た。よく見ると、両目ともすっかり血管が見えるほど充血している。
そこに至って、おれはようやく理解することができた。
今回の事件、おれたちにとってはまさに
「園長、いいですか」おれは小さな子にかんで含めるような口調で、言葉を選びながらゆっくり話した。「今が大事な時です。タイム・リミットまであと十二時間しかありません。許可をいただけますか?」
「――うむ、構わん。よろしく頼むぞ」
「それから、――ですね」おれはどう言おうか迷ったが、けっきょく、「我われは今夜、徹夜しなければなりません。その分の時間外手当てを――」と続けた。
「ああ、ああ、そうだったな」
園長はもぞもぞと身体をまさぐり、尻ポケットから財布を出した。そして、しばらくの間、その上等のワニ革の財布を見つめていたが、いきなりぱしんと音を立てて財布を机上に叩きつけるようにして置くと、大きな声で言った。
「今回のことでは、すっかりお前らに迷惑を掛けてしまったな」
おれは園長のその
「お前たちは今夜は徹夜してくれるのだな。済まない。ではよろしい。これから十二時間分の時間外労働の手当てとして、お前たち一人あたま、七万五千――いや、十万ペカーリ出す。それでどうかね?」
「じゅ、十万? そんなにいただけるんですか?」
「うむ。今夜の一件がうまく乗り切れれば、それだけの価値があるからな」そこで園長は指を一本立てた。「ただし、一つだけ条件がある」
「な、何ですか?」
おれはいささかたじろいだ。園長は
園長は
「いいな、今夜製作したレプリカ・ルンルンを、これからは本物のルンルンとして扱うのだ」
と命じた。おれは目を白黒させた。訳が分からない。
「ど、どういうことですか?」
「簡単なことだ」園長は言い放った。「わたしは今回の件はどこにも記載はしない。お前たちも何も知らないふりをしろ。――そうだ、その機械動物園のさぶという職員にも、五万ペカーリ出そう。わたしのこの動物園での任期はあと一年ちょっとだ。その次には別の者が園長として来るだろう。その新任の園長には、あれはロボットだ、と教えてはならん。あれは生身のパンダ、生身のルンルンだとしてふるまえ。いいな」
おれにもやっと呑み込めた。こうすれば今回の事件を闇から闇へと
c.
機械動物園へ戻る途中、幸いおれは誰にも会わずに済んだ。息せき切って道を小走りに急いだのだが、文字通り街路には人っ子ひとりいなかった。
それもその
王立動物園の昼間の入場者数もこのところぐっと
おれはまた裏門から機械動物園の敷地に入り、八人がおれを待っているさぶのオフィスへと急いだ。
「で、どうでしたか?」
息を切らせてオフィスに入ると、まず与八が声を上げた。
「園長のゴー・サインが出たぞ」
おれは言った。
「ゴー・サインか。すると今夜はひと晩帰れないな」
新婚ほやほやの弥七がうんざりした声で言った。
「そうだ。今夜は徹夜だな。――その代わり、園長はおれたちに、一人あたま十万ペカーリずつくれると言っている」
「十万ペカーリかあ」甚七が舌なめずりしながら言った。「そいつぁ悪くねえなぁ」
おれはさぶにも、
「おい、レーヴィン園長はあんたにも五万ペカーリ出してくれると言っていたぜ」
と教えてやった。それを聞いてさぶも顔をほころばせた。
「
おれはみんなに、レーヴィン園長が出した条件についても詳しく説明した。
「いいんでないの、それで」とは茂太だ。「さっき近江さんが言ったとおり、今回の一件はなかったことにしてもらった方が都合がいいや」
「そうだなあ」と五郎兵衛もあごを撫でながら同意した。「じゃ、これからは今回製作するニセ・ルンルンを本物のジャイアント・パンダのルンルンとして扱うわけだな」
「機械動物園に頼めばメンテナンスしてもらえるのかな?」
「馬鹿、メンテナンスなんて頼んだら、即ことが露呈するぜ」
「でも、壊れちまったらまた問題があるしなあ」
「大丈夫」とさぶが言った。「年に一回、おれが直接そちらに行って検査すればいいだろう。他、不調になるようなことがあれば、その
「よし、決まったな」おれは言った。「どうする? ここで組み立てるか、それとも王立動物園に持って行くか」
「ここで完成させちまったら、移動する時に人目に付く。まずパーツをそちらの園舎に運んでから作業した方がいいだろう」
さぶが言った。
「なるほどな」
おれも同意した。
「じゃあ、お前さんたち、ちょっとこっちに来てくれ」
さぶが立ち上がった。おれたちはその後をぞろぞろと付いて行った。
今夜は幸い、月も出ていない。これなら多分、部品は安心して持ち出せるだろう。外出制限令が出されていても、そんなものお構いなしに外に酒を飲みに出る酔っ払いはまだいる。そんな連中にも見とがめられたくなかった。
さぶはおれたちを連れて敷地を横断し、機械動物園の倉庫へと向かった。
倉庫はさすがに大きかった。三階建てのビルほどの高さがあり、奥行きもゆったり取られている。
さぶはおれたちを裏口に案内すると、先に真っ暗な倉庫の中に身を潜りこませた。やがて電燈が灯った。
「大丈夫かなあ、こんな夜中に
太一が言った。源蔵は、
「大丈夫だろう。この建物ならほとんど窓がないから」と言ってなだめた。
やがてさぶがまた裏口からひょっこり顔を出した。
「さあいいぞ。お前さんたち、来てくれ」
倉庫の中は塗料や機械油の匂いがした。おれたちはさぶに導かれて階段を登り、〝大型動物用パーツ類〟と札が下がる
「さあ、これを」
と言って、おれたちがいない間に用意してくれていたらしい、細かな表の載ったコピーをおれたち八人に配った。
「そこに載っているのが、ルンルンのレプリカ・ロボットのパーツの全てだ。これから手分けして集めてもらいたい」
「うひゃあ、五百以上もあるんだな」
甚七が
「そう。数はかなり多い。それに重いものもある。――ひとまずパーツ類はここに集めて、それから王立動物園に持って行ってそこで組もうや」
さぶの提案に、おれたちはうなずいた。
それからおれたちは倉庫内に散り、パーツを集めた。
「耳はこれでいいのか」
「胴体のパーツはこんなに沢山分割されているんだな」
「視神経ケーブルはこれでよかったんだっけ?」
「おい、このパーツは重い。誰か手伝ってくれ」
「おいさぶ、この充電池は倉庫内に在庫がないみたいなんだが、どこかで替えが見つかるかね?」
「どの部品も真っ白なんだな。塗装もおれたちでやらないといけないのか」
「うひゃあ、パンダの目玉は気味が悪いんだなぁ」
「ロボットの肌にもちゃんと毛が生えているんだな。これならあの王様の目もごまかせるかもな」
「ええっと…、モーター、モーターだ。モーターがない」
「尻尾はこれでよかったかな?」
「口のパーツは…、これか。ひゃあ、パンダの口にも歯が生えているんだな。噛まれたら大ごとだぞ」
「ちょっと、そっちを持ってくれ」
「ええと、これは…」
おれたちは初めての場所に
「次は、工具だ。このレプリカ・ルンルンは工具セットBで組み立てられる。まずそれを各自、持って来い」
工具セットには半田ごてに始まり、電子スパナ、電子レンチに至るまで、二十種類ほどの工具がそろっていた。
「うへえ。こんなにあるのか」
「使いこなせるかなぁ」
「おれ、半田付けってやったことがないんだよな」
「大丈夫かな」
しかしさぶはそんな泣き言には耳を貸さず、ぱしんと手を打ち合わせて注意を
「おい、何をほざいているんだ。急ぐぞ。次は塗料だ」
すると、源蔵は泣きそうな声で、
「おいさぶ、お前、塗装は難しいって言ってたよな?」
と問うた。が、さぶは涼しい顔で言い放った。
「大丈夫だ。心配はいらねえよ。新開発の電子スプレー・ガンを使えば手軽に済む。――塗料は黒二号だ。ものがパンダだから、黒一色の塗装で済むんだ。簡単に済んでよかったな」
おれたちは言われたとおり塗料の入った大きなボトルを取って来た。
さぶは、床にそろった各部品や工具、そして塗料を満足そうに見回して、
「よし。それじゃあこれからこれらを動物園まで運ばなければならない。機械動物園からは車が出せるが、王立動物園の敷地まで入れるのかな?」
と言った。おれは、
「ああ、こっそり裏門を開け放っておけばいいだろう。おい太一、ひとつ門を開けて来てくれないか」
「へい。お安い御用で」
太一はすぐに走り去った。
残ったおれたちは、さぶが運転して来た電気トラックの荷台に、部品やら工具やら塗料やらを載せた。
「よし、じゃあこいつはおれが運転して行くから、あんたたちは王立動物園まで走ってくれ」
さぶがそう言うので、おれたちは機械動物園の裏門を出て、王立動物園へと向かった。
「近江さん、ほんとに大丈夫ですかねえ?」
与八が訊ねて来た。おれは、
「おれに訊かれても困るな」と歩きながら言った。「さぶができると言うんなら、できるんだろう」
「園長はまだいますか?」
「ああ、いるよ。少なくともさっきはいた。
おれはレーヴィン園長のことを思うと、少し心配になった。
「まだいますかねえ? まさかおれたちを残して帰っちゃったりとか、していませんよねえ?」
「ああ、多分な」
言いながら、おれはだんだん心配が
第三園舎の前では、おれたちより早く着いたらしいさぶと清五郎が立って待っていた。
「何か、おれの知らねえところで話がどんどん進んでいたようで」
清五郎はおれに向かって、皮肉まじりにそう言った。
おれは清五郎の背をぽんと叩き、
「まあ、そう言うな。こっちはこっちで大変だったんだ。――それで、ルンルンの身体の方の始末は終わったのかい?」
「まだ園舎の中にありますぜ。まさか人は呼べないし、あの巨体をおれ一人では扱いかねますし、どうしたものかと思い迷っていたところでさあ」
おれはもう一度清五郎の背中をぽんと叩いた。
「あんたにも、早くメカ・パンダのことを教えてやるべきだったな。悪かった。まさか連絡に電話は使えないし、レーヴィン園長もお前のことまで頭が回らなかったんだろうよ。悪く思わないでくれ」
清五郎は肩をすくめて見せた。
「まあ、いいですがね。それより、これからロボットの組み立てでがしょう? おれも手伝った方がいいですかね?」
「ああ、そいつはありがたいな。もし疲れていないのならやってくれ」
おれたちが話しているうちに、さぶや源蔵たちはせっせと荷台からジャイアント・パンダのロボットのパーツ類を運び出していた。おれもそれに加わった。清五郎も何も言わずに手を貸してくれた。
運び出しは二十分ほどですっかり済んだ。さぶは、王立動物園の敷地内に機械動物園のトラックが停まっているところを見られると具合が悪いと言って、マニュアルをその場に置いて先にトラックを返しに行った。おれたちはてんでにマニュアルを取った。
「ええと、じゃあおれは頭の部分を先に作るかな」
と甚七が言った。
「じゃあおれは右腕から」
とは弥七。
「おれは左腕」
「胴体。もう一人誰か手伝ってくれ。胴体は大きいから」
「よし来た。おれも胴体をやろう」
「おれは右の太股を」
「おれは左のふくらはぎを」
そうこうするうちにさぶもやって来て、作業は本格的に始まった。
おれはそれを見届けると、とりあえず右足のパーツを置いた。
「おれはちょっと、園長室をのぞいて来るから」
とおれは源蔵に声を掛けた。するとそれを耳に留めた五郎兵衛が、
「あれ、近江さん、一体どこへ行くんですかい?」
と訊いた。
「レーヴィン園長の様子を見て来るよ。ちょっと気になるから」
おれは足早に園長室を目指した。どうも先ほどのレーヴィン園長の様子が気に掛かって仕方がなかったのだ。
園長室の前に着くと、おれは二つほど咳払いをして、
「園長。レーヴィン園長」
と呼び掛けながら、こつこつとドアをノックした。
しかし、返事がない。
おれは、だんだん顔が蒼ざめて来るのが自分でもよく分かった。おれは慌てて、
「園長。入りますよ」
と半ば叫ぶように言ってドアを開けた。ドアから入ると真正面に見える執務席には、園長の姿はない。
――ま、まさか!?
おれが慌てて室内を見回していると、
「うーん」
という間延びした声がして、ドアから入って右手に据えてある応接セットのソファの上で、レーヴィン園長がむっくりと身体を起こした。
「何だ、近江くんか」
園長は赤い目をしきりとこすっている。寝ていたらしい。
「何だ、じゃありませんよ園長。どうか気をしっかり持って下さいよ」
一瞬、悪い予感が当たって、園長は自殺でもしてしまったのではないか、とてっきり
「わたしか。わたしなら大丈夫だ。心配はいらん」
「とてもじゃないが、心配が不要なようには見えませんよ園長。――頃合いを見て、ちょっとご報告に上がりました。我々は、ジャイアント・パンダのルンルンのレプリカ・ロボットの製作に着手しております」
園長はソファから立ち上がると、戸棚の方へ足を向けた。
「そうかね。いや、何もかもお前たちに
園長は言いながら戸棚を開け、中から黒いボトルを取り出した。
「ああ、ブランデーだが。気付けに一杯やろうと思うんだが、きみもやるかね?」
「わたしは結構です。この先、まだ作業がありますので。しかも山ほどね」
おれは皮肉を込めてそう言った。
「ああ、そうだったな。わたしも手伝えればよかったが…」
おれはそれを聞いて、初めて園長に対する同情の気持ちが湧いて来た。確かに、現場から距離があるこの園長室で、果たしてうまく行くかどうか分からない作業の進み具合についてやきもきと気を
レーヴィン園長はコーヒー・メーカーから
「――して、どの辺まで終わったのかな?」
園長はやや落ち着いた声でおれに訊ねた。
「まだ手を着けたばかりですので、どの辺まで、とはっきりは言えません。が、この調子でしたら朝には間に合うのではないか、と思われますが…」
おれは希望的な観測を言った。
「そうかね。――わたしも行って手伝えればよいのだが」
おれはそう言うレーヴィン園長を手で制した。
「まあまあ。園長は監督役なんですから、お気楽になさっていて下さいよ」
「うむ。しかし、気楽にはしておられんのだよ」
園長は手で胸を押さえて言った。おれは内心でまた慌ててしまった。まさかレーヴィン園長、放っておいたら
そう言うおれの不安を読み取りでもしたかのように、相変わらず右手を胸に当てながら、園長は、
「ああ実はな、さっきからここの辺りが痛んで
と言った。おれは飛び上がった。
「や、止めて下さいよレーヴィン園長。ここで園長に倒れられてしまったら元も子もなくなります。どうかお気を確かに持って下さい。
園長はなおも胸を押さえながら、左手でコーヒー・カップを持ち上げ、ぐっと飲み干した。それからまたコーヒー・メーカーの方に歩んで、コーヒーを注いだ。
「こんな風に飲んだくれていることは、他の者には言わんでおいてくれるとありがたいのだが」
言いながら園長はブランデーの瓶を取り出してカップに注いだ。
「分かりました。
「うむ。そう言ってくれるととても助かるがね」
園長はカップを持ったまま執務席へ向かい、ブランデーの瓶をどしんと卓上に置くと、立派なデスク・チェアにどすんと腰を落とし、両手で顔をこすった。
「レーヴィン園長、お疲れなのでしたらあちらのソファでお休み下さい」
おれはできるだけ優しげな口調で園長に言った。が、園長は、
「そうは行かんよ。お前たちをこき使っておいて、自分だけ休んでいるという訳には行かん」
と言い、コーヒーを一口飲んだ。おれは改めて園長の顔を見たが、そこには
「じゃあレーヴィン園長、わたしは作業の続きに戻りますので」
おれは少し安心して園長に言った。
「うむ。そうしてくれ
そう言うと園長は、革の背もたれにぐっと体重を預け、目を閉じた。
おれはそこまで見届けると、第三園舎に急いだ。そこには、おれが出て行った時からは少しは進んでいるようだったが、相変わらず
「ちょっとそっちの電源ケーブル、貸してくれないか?」
「おい、マニュアルのここに
誰かに何かを依頼する声。命じる声。工具を使う音。コンプレッサがごとごとと動作する音。今では清五郎まで加わって作業が行われているが、おれが想像していたその半分も進んでいない。
まだ手や足や腕や頭や胴体がその辺に散らばっている。
「これは、ちょっと遅れているんじゃないか?」
手袋をはめながらそう言うと、茂太に神経ケーブルのつなぎ方を教えていたさぶが顔を上げ、
「ええ、ちょっと遅いようには見えますがね。なに、新人としてはいい方ですよ。新人の中でも遅い方は、二日も掛かって一体作るのがいますから」
「二日? 一人でやるのか?」
「いいえさ、まさか。十人がかりでさ」
おれは蒼くなった。
「十人がかりで二日だって? 冗談じゃねえ。おれたちのタイム・リミットは朝の九時だ」
おれはふるえ上がって時計を見た。そろそろ午前一時半を回ろうかという時刻だ。
「急ぐぞ」
おれは足元に転がっていた左の下腿部とマニュアルとを取り上げると、戦列に加わった。
見ると、胴体部分はほぼ完成しており、今はそこに頭部を取り付け、それから電気系統と神経系統の接続を行っているようだった。
おれは下腿部に取り付けるべきモーターを探し、次にそれを制御するための電源ケーブルと神経ケーブルをマニュアルと首っ引きで基板に半田付けした。この前半田ごてを使ったのは一体いつのことだったろうか? 十年前のことか、はたまた二十年前のことか。記憶はぼんやりとかすんでよく思い出せない。だがともかく、半田付けはできた。半田が固まったところでテスタを当てると、どうやらおれの作業は正確だったらしい。
ほっとして時計を見ると、何ともう三時近かった。
――これは急がないとまずいな。
おれはそう思い、マニュアルのページを繰った。ええと、この神経ケーブルの分岐点から伸びるケーブルは、と…。
「もう少し待ってくれ。いま、視神経ケーブルをここに通すところなんだ」
「おい、四号の電源ケーブルがねえんだけどよ、誰か間違えて持って行った奴はいねえか?」
「済まねえ。ここにある」
おれは額に汗して無我夢中になって働いた。途中、何度か目の前が真っ暗になってぶっ倒れそうになったが、それでも手は休めなかった。必死でマニュアルをめくり、その図と照らし合わせて手を動かす。おれ以外の者も同様だっただろう。
その中でもさぶがいてくれたのは実にありがたかった。さぶは、与八がモーターと誤って小型発電機を取り付けようとしたところを寸前で止めた。また、弥七や太一が何度か神経ケーブルと電源ケーブルとを間違えて接続しかけた時も、その都度止めてくれた。多分、さぶがいなければレプリカのルンルンは完成しなかったろう。いや、たとえ完成はできても動かなかったのではないか。
作業が一段落つくと、さぶは大きな声で、
「さあ、後は塗装をして終わりだぞ」
と言った。その声に、おれたち九人は思わず床にへたり込んでしまった。時計を見ると午前五時を回っていた。
「や、やっとできたな」
甚七が精も根も尽き果てた、と言わんばかりの声で言った。
「まだまだ。さあ、塗装だ。誰か手伝ってくれよ」
さぶが言う。一番しっかりしていたのは清五郎と源蔵の二人だった。二人は、おれたち一同がぽかんと見守る中、電子式エア・ブラシを使って、耳、目の周り、腕、脚、尻尾を黒く塗装して行った。作業は着々と進み、午前六時前には立派なロボット・パンダができ上がった。それはあのルンルンそっくりである。さぶは、それを見て、
「おい、ルンルンがよくする仕草を教えてくれ。このロボットにインプットするから」
と言った。清五郎が、生前のルンルンがよく取った姿勢や、マルス国王に対しどういう甘え方をしていたかを口述し、その作業も滞りなく済んだ。六時半だった。
d.
「お、終わったな」
「つ、ついにできたんだな」
おれたちは嬉しさのあまり我を忘れて相手かまわず手を握り、ハイ・タッチを交わして抱き合った。
が、さぶはそれでも冷静だった。
「まあ、待て、待て」
と言った。おれたちはさぶを見た。
「完成したかどうかは分からん。まだ機能チェックをしていないからな。とりあえず充電しよう」
さぶはそう言うと電源プラグをコンセントに差し込んだ。充電するには最短でも三十分、できることなら一時間ほど掛かる、とさぶが言うので、おれたちはその時間を使って事務室で食事をとることにした。
「そのついでに、レーヴィン園長にも知らせた方がよかろう」
おれは提案し、みんなそれに賛成した。
「レーヴィン園長、おられますか?」
おれが園長室のドアをノックすると、すぐにレーヴィン園長が顔を出した。目は
「おお、お前たちみんなそろって…。さあ、中に入って話をしよう。ご苦労なことだったな」
園長が部下に
園長は昨夜おれに見せた憔悴ぶりとは打って変わり、今朝は平生の余裕を取り戻したのか、それとも上べだけ
園長はさぶの姿を認めると、
「ああ、隣の機械動物園の職員というのはお前さんか。今回は寝耳に水の話で、
と言った。さぶは一つ頭を下げて挨拶すると、
「ルンルンの恰好は一応付きました。後は簡単な機能チェックをして、お終いです」
と言う。レーヴィン園長はうんうんと頷いて同意すると、
「そうだ、お前たちにまだ礼金を渡していなかったな」と言って、いつ用意したのか、デスクの引出しから封筒を十枚取り出し、おれたちに一枚ずつ渡した。「どれにも十万ペカーリ入っている。さあ確かめてくれ」
おれたちはみな、
そこで五郎兵衛が、恐るおそる、
「あのう、園長、おれたち、ちょっと腹が減ってるんですが…」
と切り出すと、レーヴィン園長はいかにも
「おお、そうだろうとも。――それ、そこの電話で、みんな好きなものを注文しろ。何でもいいぞ」
そこでおれたちは、ピザやフライド・チキンやらあれこれ注文し、事務室で食べることにした。
「まったく、今回の一件では冷や汗かいたよなぁ」
と甚七が瓶からコーラを飲みながら述懐した。
「本当だぜ。おれ、いっときはルンルンも園長も恨んでいたんだがな」
と清五郎がピザを一切れ取って言った。
弥七も、ハンバーガーにかじり付きながら、
「先がちっとも見えない仕事で、てっきりおれも収容所行きか、とまで思い詰めたんだがなぁ」
と応じた。
「しかし、十万ペカーリも懐に落ちて来て、得しちゃったな」
とは茂太。
「レーヴィン園長も、心臓の代わりに八気筒のエンジンが入ってるんじゃないかと思ってたけど、どうしてどうして、中々人情味がある人だったんだな」
と太一。しかしさぶは、
「おいお前ら、まだ最後の動作チェックが終わっていないんだぜ。安心するのはそれからにしようぜ」
と言う。与八はそれに対して、
「まったくだ。心臓の代わりにモーターが入ってるのはあちらさんだからよォ」
と混ぜっ返して見せた。おれたちは一斉に笑った。
食事が済むと、おれたちは十万ペカーリの入った封筒を懐に、第三園舎へと引き返した。
レプリカ・ルンルン、いや、これからは新ルンルンと呼ぶべきなのかも知れないが、とにかくそいつはすっかり充電されているようだった。
「こいつ、どこを押すと動くんだい?」
「どこかに起動スイッチがあったろ」
「その前にプラグを外した方がいいんじゃないか?」
そこへさぶが割って入り、
「まあ、待て待て」
と言った。
「お、そうだここには専門家がいたんだな」と源蔵。「じゃ、ひとつ最終チェックをお願いしようか」
さぶはまず、壁のコンセントからプラグを抜き、背中の左腰部分の毛の中に隠れている蓋を開け、ボタン・コンソールを出すと、その一番上に付いている、赤いキーを一回押した。すると、
ピー
という音が鳴り響き、ルンルンの眼が赤く点滅し始めた。
「わっ」
「どうした」
「動くのか」
「まさか、飛ぶのかっ!?」
おれたちはどよめいたが、さぶは至って落ち着いていた。
「なに、いま起動中だということを示しているんだよ。完全に起動するまで、二、三分待ちねい」
と言って煙草を一本取り出してくわえ、火を点けた。
さぶの言った通り、二分もすると眼の点滅は止まった。
「次は何だ?」
「次は、…こいつを押すのさ」
さぶは、コンソールの青いボタンを二回押した。すると、また
ピー ピー
というブザーが鳴り、ルンルンの内部でがちゃりがちゃりと金属どうしが
「何だっ」
「どうした」
「動くのかっ」
おれたちはまたどよめいたが、さぶは至って冷静である。
「なに、初回起動時はいつもこういう音がするのさ。内部の歯車の一つひとつから、神経ケーブルの一本いっぽんに至るまで、きっちりと動作するかどうか、それを今セルフ・チェック中だ。四、五分待ちねい」
さぶの言った通りだった。五分ほど待つと、ルンルンの体内から、また
ピー
とブザーが鳴るのが聞こえた。さぶは満足そうに
「これでよし。どこにも問題はねえや。完成だ」
と言って、次にコンソールの黄色いボタンを押した。
すると驚いたことに、レプリカ・ルンルンはひとりでに動き始めた。まず、朝起きたばかりの時にそうするように、右手で顔を拭い、続いて右腕を下ろすと、今度はゆったりした動作で上半身を折り、両手を床に突いて四つん這いになるとゆっくりと園舎の床の上を
「ル、ルンルン! これはルンルンだ!」
清五郎が叫んだ。その両目は、
「ま、間違いねえ」与八も泡を吹いた口の端を
「おいおい」とさぶは、呆れたような声を上げた。「お前ら、機械動物園に来たことはないのか? あっちのルンルンだって、こっちにいたルンルンがモデルになってるんだから、似ているのは当たり前だろうが」
「まあ、そりゃあそうだが…」茂太が震える声で言った。「おれはこれまで、機械動物園の動物なんざ、単なる作りものだろうと思い込んでたんだ。それが…、ねえ…」
後の言葉が続かない。さぶはちょっと笑って、
「それに、さっき清五郎から直接、生前のルンルンはどんなポーズをよく取ったか、どんな仕草をよくしていたか、詳しく聞けたから余計だろうな。ぜんぶきっちり、この電子の脳髄の中のメモリにインプット済みだ。こいつは意図的に消去しようとしない限り、ずっとこのままさ。つまり、お客は永久にルンルンを見られるって訳さ」
「そいつはちょっとまずいな」おれは口を挟んだ。「いいかさぶ、そっちのルンルンならそれでいいかも知れんが、こっちのルンルンは生きてるんだぜ。どうやって自然な死を
「そりゃあ、そうだ」
甚七と五郎兵衛も同意した。が、さぶはおもむろに煙草をもう一本つまみ出すと、ゆったりと火を点け、
「おいおい」と言った。「まさかお前さんたちは、このパンダは人前で死ななきゃいけないものとでも思ってるんじゃないだろうな? いいかい、動物は必ず死ぬ。そして、いつでも死ねるんだ。そうじゃないかい? ある朝行ってみたら、残念ながらルンルンはこと切れていました。そういう死に方だってあるだろう? 適当にあと何年だか何十年だか、動作させておいて、本物のルンルンなら今ごろ死んでもおかしくはないだろう、そういう時になってから、死なせる。それでうまく行くんじゃないかね?」
確かに、さぶの言う通りだ。おれはさぶに頷いた。
「確かに、そうだな。お前さんの言う通りだよ。
「その通り」とさぶは言った。「このルンルンってのは雄だろ? 決してさかりは付かねえし、雌のパンダも寄り付かないだろう」
「それに」とおれはその
弥七がぱしんと両手を打ち合わせた。
「つまり、完全犯罪って訳だな!?」
おれは、それに対して、
「おいおい、犯罪だなんて人聞きの悪いこと言うなよ。これは元から何もなかったことなんだ。いいか? 何もなかったんだ。ここにいるルンルンは元気な生身のパンダだし、おれたちやレーヴィン園長は昨夜も徹夜なんかしなかったし、さぶもこっちに来なかった。だろ、さぶ?」
「その通りでさ」さぶは答えた。「ここでは何も起こらなかった。ルンルンは元気だ」
おれたちは自分に催眠術でも掛けるみたいに、ここでは何も起こらなかった、ルンルンは元気だ、と口々に
その時、園舎の入口の方で物音がした。
「やべえっ。誰か来たか!?」
清五郎が入口の方に飛び出て行ったが、間もなく何ごともなかったような顔で戻って来た。その後ろには、誰あろうレーヴィン園長その人がいた。
「おいおいお前たち、もうそろそろ八時になるんだぞ。まだ整備は終わらんのか?」
言いながら中に入って来た園長は、レプリカ・ルンルンの前に立った。両手を後ろで組み、感心したように、
「ほう、これは」と言った。「なかなか、大したものじゃないか」
「そうでがしょう?」さぶは厭らしいにやにや笑いを顔に貼り付かせてへつらうような声で言った。「こいつぁ、もう、この国の持てる技術の粋を集めたっちゅうもんでして。へえ。ちょっとやそっと見ただけじゃ、ロボットだと気付く人はそういませんでしょうな」
さぶは
「これは、動くのかね?」
レーヴィン園長がさぶに訊ねた。さぶは、
「へえ」と答え、レプリカ・ルンルンの後ろに回ってボタン・コンソールを弄った。「ちょっとお待ちになっておくんなせえ」
レプリカ・ルンルンのお
「すばらしいものじゃないか。いや、わたしもさすがに気になってね。ちょっと自分の目で一目見てみようと思って来てみたんだが。まさかこれ程までのものとは思わなかった。いや、大したものだ。これはどうして動作を仕込んだのかね?」
「いやその」さぶはにやにやと愛想笑いをしながら言った。「こいつは体内のコンピュータのメモリにインプットしたんでさぁ。動きを仕込むのは、別にそう大したことじゃありませんので、へえ」
「ふむ」と園長は言った。「では、自発的な動作はしないのかね?」
「へ?」
さぶは狐につままれたような顔をしている。園長は、
「つまりだ。メモリにインプットされた以外の動作はしないのかね、ということだが?」
それを聞いて、さぶはまたにやにや笑いを広げながら、
「へえ」と言った。「インプットされたもの以外の動作もしますぜ。そいつぁ、つまりこいつの脳髄の基板に刷り込まれているんでさぁ。つまり、こういうジャイアント・パンダならパンダなりの、コウテイペンギンならペンギンなりの本能ってもんがございましょう、そういう本能的な動作もいたしますよ」
まるで居酒屋の客引きのような口調であった。園長は満足したように、
「なるほどね。特にインプットされた以外の動作は、パンダならパンダ用に、工場で基板に
と頷いた。続いて園長はおれを見ると、
「ああ、近江くん。もう時刻は八時を回ったぞ。マルス三世国王は九時の開園と同時にお見えになる。それを考えて仕度をしてくれないか」
おれは大人しく、
「はい。了解です、園長」
と答えた。園長はおれに
「おお、お近江くん」
園長は泡を食らった声でおれに叫んだ。
「ここ、これの始末もしておいてくれよ。いいな?」
「あ、そうでしたね。わかりました」
おれは首をすくめて答えた。
「よろしく頼むぞ。じゃあ、九時の開園には間に合うようにしてくれよな」
レーヴィン園長はそう言い置くと、足音高く帰って行った。
おれは清五郎や太一らと顔を突き合わせて、この死んでいる方のルンルンの始末をどうするか相談した。
「間もなく昼間の飼育係が来ますぜ」と清五郎は言った。「こいつは、埋めちまうにはちょいとガタイが大きすぎて、おいそれとは行かねえですね。仕方がねえや、とりあえず園舎の裏に隠しておくことにしましょうぜ?」
「幸い、今は暑い季節でもないし」
太一も同意した。
「そうだな。まず人目に付かない場所に移して、後になってから始末を付けるのが最善だろうな」
おれは、甚七や源蔵らの力も借りて本物の――いや、今や
「これでよし、と」
おれたちは一息ついた。他に抜かりはないか、その辺を十人で散々探し回ったが、別に問題になりそうなあらは見当たらなかった。
やがて、昼間の担当の飼育係が来て、
「お早うございます、清五郎さん」
と
「おう。お早うさん」
と言った。飼育係は、何で第三園舎におれたちがぞろぞろいるのか、不審そうな顔をしているので、おれは、
「お、じゃ、そろそろ行くか」と大きな声で言った。「清五郎、どうもあい済まなかったな。元気でやれよ」
清五郎も、右手を挙げて、
「あいよぅ」
と返事をした。おれたちは第三園舎を出ると、園長室へ向かった。さぶは機械動物園に帰ると言って裏門から出て行った。
レーヴィン園長は、執務席の後ろをうろうろと歩き回っていた。おれは、
「大丈夫ですよ、園長。きっとうまく行きますから」
と半ば自分自身に言い聞かせるように大声で言った。園長は、おれの顔を見ると、
「うむ」
と
「わたしはもう胃が痛くて堪らん。今日で胃薬をもう三回も飲んだ。あと十五分で九時か」時計をにらみ、「近江」と言った。
おれは
「はい、何でしょう?」
と訊ねた。
「お前、わたしと一緒にいてくれんか。頼むよ」
おれは、多分そんなことだろうと見当が付いていたので、
「ああ、そんなことなら構いませんよ。お伴しましょう」
と請け合った。
「済まんな」と園長は言った。「これから、園の代表として
「分かります。よく分かります」
おれは言った。すると、源蔵たちがおれの顔を見て、恐るおそる、
「あのう、おれたちもいた方がいいでげすかねえ?」
と訊ねて来た。おれは苦笑いして、
「お前たちはもう帰っていいぜ。
と言った。レーヴィン園長も同意して頷いたので、七人はぞろぞろと出て行った。
やがて時間が来たので、おれたちは外に出た。正門の前には既に演台が設けられてあり、王家用のリムジンの姿もあった。報道陣が乗って来たと思しきTV局のワゴン車も何台か並び、ものものしい雰囲気である。
レーヴィン園長がまず、
「あー、今日は幸いお日柄もよく…」
おれはすぐ下に付き添っていた。自分のすぐ近くにいてくれるように、とレーヴィン園長からの依頼があったからだ。
五分間に及ぶ園長の挨拶は何ら異状なく終わり、おれはほっとした。
続けて二、三名の
マルス三世はボディガードや侍従に付き添われ、レーヴィン園長の案内でいよいよ園内に足を踏み入れた。
マルス三世は呑気なにこにこ顔を見せている。きっとTV映りをよくするためなのだろう。
国王は真っ直ぐにルンルンのいた――いや、いる――第三園舎へと向かった。
園舎に近付くにつれ、レーヴィン園長の顔色は目に見えて悪くなって行った。今ではもう
「大丈夫ですよ。絶対うまく行きますから」
と小声で話し掛けた。レーヴィン園長はおれの言葉に、うん、うん、と二度、強く頷いた。
マルス三世はついにルンルンの檻の真ん前にやって来た。そして、檻の奥に向かって、
「おいルンルン、おるか?」
と声を掛けた。その声を聞くと、ルンルンはすぐに園舎の中から這い出て来た。これはさぶがメモリにインプットした通りの仕草だ。ちょっと見ただけでは、本当に
「元気でやっておるかいの?」
マルス国王はそう話し掛けると、ルンルンの鼻面に手を伸ばした。
事件はこの時起こった。
ルンルンは、目の前の国王の顔にやにわに嚙みつき、
ガー
と一口で国王の頭を食ってしまったのだ。
おれは一瞬、自分の目で見たものが信じられなかった。園長も同じだろう。
そこへ、動物園正門の方から、らっぱを鳴らしながら、馬に乗った
しかし、結局おれが逮捕されることはなかった。園長もだ。源蔵も、茂太も、さぶも、清五郎も、誰も逮捕されることはなかった。
あの時傾れ込んで来たのは、マルス三世王の近衛兵ではなく、甥のヘルツ二世の手の者だったのだ。ヘルツ二世は、マルス三世が王立動物園を訪れた際、隙を突いてクーデターを挙行しようと自分の
肝心の
レーヴィン園長はあれから、「クーデターの挙行に際し多大の功績があった」とかでヘルツ二世に取り立てられ、三階級特進とやらで今では財務省の長官になってしまっている。
だが、おれたちには革命のおこぼれはなかった。
ヘルツ二世国王は動物愛護法を
仕事を失ったおれは、田舎に引っ込んで親父の畑仕事を手伝っている。暇な時には裏の川でぼんやりと釣り糸を垂れるのが楽しみだ。
おれは浮きを見ながら、あの夜おれたちが用意したレプリカ・ルンルンの頭は、ジャイアント・パンダのものではなく、白熊の頭だったのだなあ、と思う。白熊の頭は空腹時に肉を見たため、〝本能的に〟マルス三世王の頭をかじり取ったのだろうな。
しかし、どうも話が上手くできすぎている。レーヴィン園長は、もしかしてクーデター挙行の裏情報でも掴んでいたのではないか? あのレーヴィン園長が呈した奇妙な緊張感は、確かにアドレナリンのもたらしたものなのだろうが、もしかするとあれは、収容所行きになる恐怖感からではなく、これから出世街道を
――止せ、考えすぎだ。
おれは川辺に横になる。
空を白い雲が流れて行く。いい気分だ。
(以上「小説北斗」十二月号より)
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