爽昧マッチョ・ボーイ

深町桂介

A.

 潤平じゅんぺいはその朝、午前二時三〇分に起き出した。

 潤平はよわい十七歳、正に天衣無縫てんいむほうの若者だった。では、なぜそのいい若い者が、払暁ふつぎょうというにはちと早すぎる刻限になぞ起き出したのか? これから高等学校へ通学する前に、ひと働き、或いは早めに勉強でもするつもりなのか? ――如上じょじょうの疑問には、ちょっと待って時間をくれ、というほかない。

 まず、笠原潤平は、いまもいった通り、十七歳と五ヶ月になる若者だ。いま起き出したのは、深夜に空腹を覚えてたまねたためで、ついでに書けば枕許まくらもとにはハード・ロックの雑誌やレコードが所狭しと転がっている。ライヴ・ヴィデオやDVDもあるのだが、それは、まあいい。

 潤平は、むっくりと床の中で身動みじろぎすると、口の右側に垂れたよだれを拭い、ぼんやりとした眼を部屋の中に泳がせ、それから腹部に手をやった。

 腹が減っていた。

 たしか、まだ、キッチンの棚には〝一平ちゃん〟か〝赤いきつね〟がひとつ、残っていた筈である。〝ペヤング〟でもよかった。潤平はもぞもぞと床から出ると、パジャマを脱いだ。暖かい季節のことで、下には肌着など身につけていないが、十七歳だというのにその胸は力士のように垂れている。これは怠慢のなせる技か、将又はたまた単なるヒマンなのか。

 パジャマを脱いで代わりにスウェット・シャツを着て下はジーンズを穿くと、潤平は眠い眼をこすりこすり部屋の戸を開けた。冷たい外気が入るとやや寒気がして、潤平はぶるっと身顫みぶるいした。

 ――大丈夫、何もないって。

 潤平はそう自身に云い聞かせた。ここには、何も、ない。そうもう一度云い聞かせ、エイッと気合いを入れると、恐る恐る廊下に足を踏み出したが、一歩、つま先を廊下の床につけただけで小さく叫び声を上げてとび退すさった――床がとても冷たかったのである。

 クロゼットへとって返してくつ下をはくと、今度こそ潤平は廊下に出た。

 ――何もない、なにもないから。

 自分にそう繰り返し云って聞かせる。そして抜き足、差し足で一歩いっぽ廊下を進んだが、やがてその必要なぞないことに、即ちここはほかのどこでもない、我が家であることにっと気がつき、ふうッ、と溜め息を吐いて階段に向かった。

 潤平の部屋はこの五階建ての建築の三階にあった。キッチンは一階だ。そこへたどり着くまでには、怖いコワい二階を通過せねばならぬ。何といっても二階には、みなは簡単に〝スタジオ〟とつづめて呼んでいるのだが、ウェイト・トレーニング・ジムがあった。普段からトレーニング・マシンやらバーベルやらがぴかぴか光っていて非人間的な、どことなく機械的な印象を与える部屋なのだが、ジムの脇は大きく窓が切り取っていて、室内の様子が廊下からまる見えなので、部屋の暗くなっている深夜でも、潤平はいつもおずおずと様子をうかがってから通りすぎることにしていた。今夜も潤平は、横目でちらとジムのほうを見遣みやるとそそくさと踊り場を過ぎた。空腹感のほうが恐怖心にったのである。

 キッチンに着くと、潤平はまず、十二畳敷きと広い室に取り付けられた照明をすべてオンにした。棒形の蛍光灯が四列ならんでいるのだが、その全てに電気を通したのだ。そしてドアを閉てて闇を戸の向こうに封じ込めると、ようやく安堵あんどの溜め息を吐いて棚に向かうのだ。

 潤平は暗闇が怖い。

 十七歳と五ヶ月の元気な(はずの)少年にしては女々めめしいが、決して理由なくしてのことではない。

 以前には、こんなことがあった。

 潤平が十五歳のときのこと。晩、入浴しようと思って風呂場に行き、電灯をつけたのだが、電球が切れているかどうかしていて、つかなかったので、翌日の朝学校に行くまえに入ろう、と思いそのままにして休んだ。だがその後で母親の千鶴子ちずこが浴室を覗くと、煌々こうこうと灯が点っていた。潤平はたしかにスイッチを捻ったのだが。

 それから、こんなこともあった。

 これは昨年のこと。やはり混堂こんどうでのことだ。夕刻、潤平が入浴していると、ふと気づいたのだが誰か他人の気配がする。身体を洗い終えて頭髪をシャンプーしている時だったのだが、頭を上げてみてもやはり誰かの気配がする。頭をすすいでいると、〝きゅーっ〟というおかしな音が聞こえたような気がして、思わず中断したのだが、むろん誰もいないことには変わりない。おかしいなあ、と思いながら潤平は浴槽に浸かって早々に風呂から上がったのだが……。

 何と、風呂場のドアが開かないのだ!!

 潤平はあやうく恐慌きょうこうきたすところだった。よくみると、ドアの鍵がかかっており、出られないのはそのためだった。潤平はほっとして解錠し外に出たのだが、続いて、

 ――では、一体どこの誰がこんなことを?

 という疑問がじわっとわたってきて、潤平は一瞬、卒倒そっとうしそうになった。潤平は平生へいぜい、風呂場のドアに鍵をかけることはまずなかったからだ。

 その時は、ぞっとなった潤平は母親の千鶴子に訴えたのだが、勝ち気な千鶴子は一笑いっしょうすだけだった。

 ――それから又、こんなこともあった。

 これは今年の正月のこと。夜、潤平が自室で休んでいると、不意に金縛かなしばりに見舞われた。眼を醒ますと、室内の雰囲気が妙だ。そしてた眠りに落ちたのだが、今度は夢をみた。見知らぬ老人がでてきて、

「俺にも母親がいたが……」

 などと話しかけてくるのだ。そして老人は、潤平を伴って市のあちこちを案内して歩く――、第二次世界大戦中に、空襲で大勢の死者がでた防火用水のため池、戦後の大事故でこれも死者がでた鉄道トンネル、火災の起った病院など――。そこまで見せられたところで復た眠りからめたのだが、やはり部屋の中の空気は妙だ。ぼうっとしていると、部屋の片隅から音がしてくるのに気づいた。ドアの上の奥まったところから、〝こつこつ、こつこつ〟と、まるでクリーニング店でくれる安物のワイヤー製のハンガーで壁を小突いているような音だ。その音が二、三分続いていたが、やがて潤平の足許あしもとの空間で、〝ギュギュッ〟と、今度は根太ねだゆるんだ床板でも踏んだような音がして、それでそれっきりそいつは消えていった。

 更にまた、こんなこともあった。

 潤平の父方の祖母が亡くなったときのことだ。亡くなる一週間ほど前から、「危篤きとくだ」という話があって父の大輔だいすけは帰省の支度をしていたのだが、その頃から、潤平がひとりで部屋にいると、家のどこかで金属製のパネルでも投げつけるような、〝バシャーン、バシャーン〟という音が聞こえてくる。その音は潤平が部屋でHR雑誌やヴィデオをみている間もひっきりなしに起った。その音が変化したのは、大輔が釧路へ旅立ち、追って「死去した」との報せが届いたころだった。金属音は止み、変わって室内の床上で丸い玉でも転がすような音がしたり、あるいは潤平がベッドに横になっていると、

「コツコツ」

 とドアを叩くような音がする(じっさいドアのノックのようだった)。この時は、

(あ、そうか、婆ちゃん亡くなったんだな)

 と思ってほうっておくと、二週間ほどで音はしなくなった。

 そして又、こんなこともあった。

 潤平がある夜、いまは倉庫として使われている三階の部屋でパソコンを使って原稿(これに就いては後述する)を書いていたときのことだ。調子よく手が動くのでノって書いていると、背後でトットッ、と跫音あしおとがして、それはカーペット敷きの床を歩いて戸口まで移動すると、

「お疲れさまでぇす」

 との言葉を発して消えていった。潤平はその言葉を耳にして振り向いたのだが、たれもいなかったことはわざわざ云うまでもないことだろう。

 それから又、こんなこともあった。

 潤平と大輔、千鶴子の三人で旅行に出たときのこと。

 どうにもその旅館の部屋には霊がいたらしく、待っていたかのように潤平に迫ってくる。部屋の天井裏を歩いてみたり、潤平が布団に這入って横になっていると枕を下から叩いたり、部屋の収納スペースの中に消えて行ったり、潤平は落ち着かぬ数日間を送るはめになったのだった。

 そして――、いや、このくらいにしておこう。かく潤平の周りでは、この手の心霊現象にかけては、もう枚挙まいきょいとまがないといってよかった。潤平は一応〝科学時代の子〟を自任していたから、こんなものに拘泥こうでいするのはバカらしい、とは思っていたのだが、反面このような現象の発生する因が皆目かいもくわからなかったし、只管ひたすらコワかったから、よく原因のわからぬ現象を前にして、(愚かしいことにも)おたおたと慌てふためいて逃げ惑うばかりだったのである。千鶴子も大輔も、このような現象を相手にするようなタイプではない。潤平はロックが好きだった。若者らしく、主にHR/HM(ハード・ロック/ヘヴィ・メタル)が好きだったが、プログレッシヴ・ロックも好きだったし、父・大輔の影響で七〇年代ロック、つまりロック・クラシックス一般も好きだった。それでウォークマンが欲しかった。こういう夜中に家内を徘徊はいかい移動する際、こういったシリコン・オーディオがひとつあれば、ずっと気楽になるのだが……。だが、と潤平はふるふるとかぶりを振って考え直すのだ。いくらねだっても買ってもらえぬウォークマン、それでいいではないか。おこづかいもすくなく、ほとんどアルバイトすらしない自分、慢性的に金欠で、そのために新譜レコードを新品で購入したりライヴに行ったりすることもままならぬこの身の上がいつまで続くかわからぬが、当面はこれで構わないではないか。ウォークマンがあればあったで便利だろう。しかし考えてもみろ、深更にこれを聴きながら家の中を移動しているまったく無防備な時、不意を突かれて背後から蒟蒻こんにゃくのように冷たく湿ったその指先で、首筋を触られたときのたまらぬ恐怖感を……。

 ――棚の中には、幸いなことに、〝緑のたぬき〟と〝麺づくり・鶏ガラ醤油味〟がひとつずつみつかった。潤平は苟安こうあんぬすむ思いで薬罐やかんに水をたすと、ガスの元栓を開け火にかけた。

 湯が沸くまでの間、潤平は先夜書きかけの原稿に思いをせる――。


「ブルー・オイスター・カルト(BÖC)とブラック・サバスの描き出そうとした世界は同じものだ。けれどもその方法論とアプローチが異なっていた。ブルー・オイスター・カルトはニューヨークのバンドであり、学生仲間で結成されたインテリの集合体であった。これに比してブラック・サバスは英国はバーミンガムのフーリガン(ごろつき)どもの寄せ集めだった。よくいわれるが、BÖCは〝メタル版ザ・ドアーズ〟と呼ばれ、歌詞では絶望と頽廃たいはいをうたったとされる。サバスも歌詞世界に就いてはBÖCと同様だが、インテリのBÖCが描きたいその対象をいったん脳髄のうずいのフィルターにかけてしていたのに対し、サバスの方は自分たちが生まれ育ち暮している環境をそのまま描けばそれがひとつの世界になったのだ。双方とも歌詞の世界はシリアスだが、ここに大きな相違があるのだ。

 シリアスになることで成功を収めた好例がクイーンズライクやドリーム・シアター、ザ・ドアーズの諸作品だ。逆に、表現が大袈裟おおげさのキライを帯びて安っぽく、時に滑稽こっけいになってしまったのが、ピンク・フロイドやバルサゴスだ」


 いったい何を書いているのか……、と云えば、潤平なりの〝HM愛の賛歌さんか〟である。潤平は将来、ロック・クリティーク、つまり評論家として立身していきたい、という望みがあった。今まで買い集めたり大輔から譲り受けたり、数尠かずすくない友人から借りたりして聴いたCD/レコードは優に二万枚を超え、部屋の中はレコードだらけだ。――が、その潤平は高校を中途で退学してしまった身、「せめて大学くらいには行ってくれよ。でなくとも、すくなくとも高校ぐらいは出ておけ」との大輔の酔うた時にしばしば出るごとが頭にうかぶが、潤平は相変わらず昼夜逆転の〝フクロウ人間〟をやっている……。

 ――潤平は天ぷら蕎麦そばのおつゆをすすり終えると、シンクの奥に空になった麺のカップを二つ、ちゃんと重ねて置いて、キッチンを脱出せんとした。千鶴子はまだ夏には間がある今の季節でもわりと口うるさくて、「きちんと整理しないからアブラ虫が年中出てかなわない」とやかましく云うのだ。腹が一杯になった潤平は、こういう気分の夜中には一体どんな曲が合うかな、と考えた。特にこういう、た高校のことなど思い返してしまった夜は……。

 そうだ、さっき書いた、バルサゴスがよかろう。

 そう思うと、潤平はにっこりした。バルサゴスにコカコーラ、あとチョコレートでもまめばいいクスリになる。バルサゴスは部屋のラックにあったし、あとの二つはやはり室内の冷蔵庫に入っている。

 潤平は尻をぼりぼりくと、キッチンがきちんと片付いていることを確かめてから、蛍光灯のスイッチを押した。真っ暗になった部屋を後にして、のしのしと階段を上がる。ヘンなものが出て来ないか、少しばかりどきどきしたが、トレーニング・ルームを過ぎる頃にはコークを飲みたい喉がしきりに鳴って、それに導かれて自室への帰り道を急いだのだった。

 潤平所有のバルサゴスのアルバム『アトランティス・アセンダント』は二千部限定仕様の輸入盤だった。ジャケットには、微笑ほほえましい(とバンド首魁しゅかいのバイロン・ロバーツにいうと屹度きっと怒りだすか泣き出すか、孰方どちらかすることだろうが)〝超合金〟でできたような神さま(?)あるいは祭司さいしの絵が描かれており、裏側には「995」とシリアル番号が記載されている。その金色のCDをプレーヤー(ATOLL・CD30)にかける。プリメインアンプはパイオニア(A-UK3)だ。序でに書くとスピーカーはKEF・C5、アナログ・プレーヤーはREGAのNEW PLANAR2である――貧乏な高校生にしてはよいものを揃えているが、父の大輔がオーディオにはうるさい方で余禄よろくあずかったのだ。

 シンセサイザーとドラムスによる荘厳そうごんなイントロダクションを経た後、愈々いよいよおどろおどろしいブラック・メタルの世界が展開される。ヴォーカルのロバーツは所謂いわゆるデス・ヴォイスと呼ばれるしゃがれただみ声と静かなモノローグを使い分け、それがギターとキーボードが作曲を担当するシンフォニックでなかなか美麗びれいな音楽にそつなく乗っている。今はドラゴンフォースに在籍しているデイヴ・マッキントッシュによるドラムスもテクニカルだ。ブラストビートも混ぜたプレイ・スタイルには華がある。潤平はイン・エクストレモというドイツのメタル・バンドが好きだった。これはラテン語で「行き過ぎ」とか「やり過ぎ」「極端」という意味なのだが、潤平はこの語で多くのメタル・バンドをくくっていた。このバルサゴスもその一つである。決して嫌い・いやだという訳ではないのだが、如何いかんせん、聴いているうちに段々「腹いっぱい」になってきてしまい、最後まで聴き通すのが困難なアルバムが多いのだ。こういうエクストリーム・メタルの曲にも、恐らくプレイヤーを適宜休ませるためなのだろう、静謐せいひつでゆったりしたパートが設けられているのが通例なのだが、潤平にとっては孰方どちらも一緒、なのである。騒々しい、やかましいことには変わりない。

 潤平はツイン・バス・ドラム一気打ちの作り出すビートに心地よく身体を任せて、しばらく明治チョコレートをいて食べながら過ごしていたが、不意にびくっと身をふるわせた。ヴォリュームが大きすぎやしないか、気になったのだ。千鶴子は夜間の物音にもやかましい。すぐにアンプにすっ飛んでいって、潤平は音量を絞った。

 潤平は音楽が大好きだった。ほとんど絶望的に好きだった。音楽なら大凡おおよそ何でもよかった(クラッシック以外なら)。ジャズはビッグ・バンドが好きで、モダン・ジャズは比較的苦手だったが、MJQやマイルス、ジョニー・ハートマンなら聴いた。ウェザー・リポートやニルス・ラングレンも好きだ。

 この音楽趣味の偏向へんこうは潤平のよくうつ的な性向せいこうと決して無縁なものではなかったろう。いまは一応寛解かんかいと認められてはいるのだが、潤平はうつ病で神経科に通っているのだ。高校を中途退学したのもその所為せいだ。

 いっとき、潤平はたくさんクスリを飲まされた。効き方を試す目的もあったのかも知れないが、デジレル、ルボックス、パキシル、ジェイゾロフト、トフラニール、ベゲタミン……、と、ジュラ紀や白亜紀はくあきの化石生物もかくやの響きがする名前のクスリを何種も何種も出された。潤平としては、まだ若い身空みそらで精神科などへ通わねばならぬという屈辱感が強く、病院にかかりきりになるのと機を一にして学校からはしぜんに足が遠のいた。そしてそれから、潤平の〝ジャンク・フード生活〟が始まったのだった。潤平は千鶴子から多めにカネを持たされているのをいいことに、始めは病院の行き帰りに、のちに高校を半ば止めるような情態じょうたいになってからはひっきりなしにミスタードーナツに通いつめ、フレンチクルーラーやハニーディップ、シュガーレイズドというような高カロリーのドーナツと少し背伸びをしたブラックのブレンドコーヒーをとって、山下達郎の曲を無意識裡むいしきり反芻はんすうしながらハード・ロックの雑誌を読みふけったものだ。そして、家に帰ると部屋にこもってラジオやレコードを聴いた。曩者のうしゃ潤平はAFNに入れ込んでいて、平日午後二時からの〝クラッシック・ロック〟のプログラムはいつも欠かさず耳にした。そこではエドガー・ウィンター(〝フランケンシュタイン〟)やボブ・シーガー(〝ナイト・ムーヴス〟)、ブルー・オイスター・カルト(〝死神〟)、ブラック・サバス(〝アイアン・マン〟)、フォグ・ハット(〝フール・フォー・ザ・シティ〟)といったヒット曲が聴け、その経験は潤平の音楽指向、いや生活上の指向をも決定づける礎石そせきとなった。ZZトップの〝ウェイティング・フォー・ザ・バス〟と〝ジーザス・ジャスト・レフト・シカゴ〟にはいつだって喟然きぜんとなったし、ラッシュ〝スピリット・オヴ・レイディオ〟で聴けるアレックス・ライフスンのギターは鳥肌ものだった。それが潤平の趣向を涵養かんようした――。潤平の父親も音楽が好きで、最初はそこから這入はいった。すなわち、ザ・ビートルズとザ・ローリング・ストーンズである。そこを基本に、ブルーズの臭いのするY&Tのような音楽、ロックンロールをベースにしたザ・フーやスモール・フェイセズのようなもの、と進み、次第にハードでヘヴィなものへと進んでいった。プログレッシヴ・ロック系のものも進んで聴いた。父の弟(つまり、叔父さん)にひとり、プログレ・マニアがいて、中学時代いちどか二度、クラブ・チッタへイエスやヴァン・ダー・グラーフ・ジェネレーター、それとイタリアのPFMを観に連れて行ってくれたことがあって、それもよい刺戟しげきになった。

 では、ひるがえって演奏する方はどうか、といえば、これはからっきしだった。潤平は手先が器用ではない。およそ一年間過ごした高校生活でも、芸術科は美術を撰択せんたくしたのだが、ある時彫刻の課題で、石膏せっこうの立方体からトマトを彫り出すというのをやったことがあったが、みごとにしくじって、〝真四角なトマト〟を作ってしまったのだった。

「これはね」と担当の生駒先生は、潤平の手になる作を取り上げてのたまったものだ。「いわゆるひとつの…、抽象芸術、ってやつね」

 その〝抽象芸術としてのトマト〟を彫った当人は、父親・大輔のはからいで、えらく値のはるギブソン・レスポール・カスタムを一挺いっちょう所有していたが、最近は滅多に手も触れない。潤平としては努力を積んで、なんとかFのコードは押さえられるようになったのだが、その先へはどうにも進めなかったのだ。キィボード然り。聴く上ではアナログ・シンセ派の潤平は、コルグ製のポリフォニック・デジタル・シンセサイザーを一台、大輔に買ってもらって所有していたが、これもCM7(Cメジャー・セヴンス)のコード、つまりC(ド)、E(ミ)、G(ソ)、B(レ)からなる和音が弾けなくて(指が突っ張るのだ)、断念した。

 では、打ち込みはどうか、今はPCさえあればMIDIでも何でも手はある――、となると、今度は潤平先生のいによれば、

「打ち込みとサンプリングは非藝術ひげいじゅつ

 ということになるのであった。いや、聴く方は近年のチルウェイヴだのIDMだの平気で聴くのだが…。

 楽譜が理解できないから、コード進行がどうの、音楽的に何と似ているとかいう〝分析〟は期待できぬ。と云う訳で潤平は、偉そうにふんぞり返ってああだこうだと御託ごたくを述べる身分にひたりきり収まりかえっていた。

 その潤平の書くものだが、一回だけ某ロック雑誌の読者投稿欄に取り上げられたことがあった。こんな文章だ。


「ロックンロール、ロック・ミュージックとは、アンプをコンセントに繋いだ瞬間に、またエレキ・ギターをアンプにプラグ・インした時に生まれた音楽だ。それを考え併せると、テクノロジーの進歩にかんがみ、ハードな音楽、ヘヴィな楽曲がうまれるのは時間の問題だったといってよかろう。よりハードな音楽、もっとヘヴィな楽曲を――、これこそがロック・ミュージックの宿命だったのである。

 けれど、ロック・ミュージックの看板はヘヴィさだけではない。一方でハードさヘヴィネスを身上しんじょうとしながらも、アクースティック・ギターやキーボード類、場合によってはオーケストラをも導入して、ソフトなアプローチも可能だったことが、ロック音楽のすそ野を拡げた。結果として、エアロスミス〝ドリーム・オン〟のようなバラードの名曲も数多あまた生まれることになったのである。

 そのロック・ミュージックと切っても切り離せぬ間柄にあったのが、コマーシャリズムと俗化ぞっか、そしてドラッグ・カルチャーだ。コマーシャリズムはメロディとジャンル、サブジャンルの機械的な掘削くっさくを行う原動力となり、結句けっくポピュラー音楽のジャンルは既に出尽でつくしたといってよいだろう。

 さて、ザ・ビートルズのデビュー盤『プリーズ・プリーズ・ミー』がEMIスタジオ(アビー・ロード)においてたった一日でレコーディングされたというのは有名な話だが、俗了ぞくりょうした現代の……」


 くどくなるので後半は割愛かつあいするが、潤平はのほほんとこのように生硬せいこう稚拙ちせつ太平楽たいへいらくを並べて潔しとするような、青臭い少年であった。

 けれども、ハード・ロックへの愛情には真率しんそつなものがあったといってよい。ブルー・チア―やザ・ストゥージズ、そしてMC5といった、現代のヘヴィ・メタル/ハード・ロックとパンクスの両方に多大な影響を与えたバンドも好きだったし、もちろんメタリカやアンスラックスといったスラッシュ・メタル・バンドも好きだし、別の面で過激だったブラック・フラッグやミニットメンなどのハード・コアも聴いた(が、主たる投稿先はハード・ロック雑誌だったので、パンクスに就いては〝隠れファン〟だったが)。

 けれど、潤平の父親の大輔は云うのである。

「しかしなあ、お前」と晩酌のビールを傾けながら、「ロックが好きなのは、いい。それは大いに結構だ。だけど、その先だよな。その……、お前が云っていた何たらいう雑誌でも、編輯者へんしゅうしゃになるには、やはり相応の学歴が必要なのだろう。いや、おれもちょっと調べてみたのだが、あの雑誌は編輯長が東大出だそうだな。で、ほかの編輯者も早稲田に上智に慶應に……、とそんな按配あんばいだろう。つまり、それなりの一般教養、というかバックボーンがる、ということだろう。だろ、違うか? そこへもってきて、お前は高校を中途退学してしまった。記事を書くのも結構だが、まず必要なのは学歴なのではないかね。ちょっと、考えてみたらどうだ。おれもそれには手助けするし……」

 と、隆々りゅうりゅうたる胸の筋肉同様、実に筋道が立っているのだ。大輔は普段は物静かで、声を荒げるといったことはほとんどなく、〝スタジオ〟で〝ワークアウト(大輔たちは筋力トレーニングのことをこう呼んでいる)〟をしている時も、寡黙かもくにしかも孜孜ししとして取り組む、といった方だったが、その大輔の口から聞かされると、ほかの大人からいやになるほど聞かされていて耳に胼胝たこができる思いのする言葉でも、何かしら滋味じみのあるもののように思われるのである。そう、この点に於いて潤平は父をすくなからず尊敬ししたっていたと云えようか。

 大輔は居職いじょくであった、自宅が仕事場だった――といっても、職人のようなものではない。万一めでたく殺人事件の被害者にでもなったあかつきには、

「神奈川県川崎市多摩区●●、トレーニング・ジム経営、笠原大輔さん――」

 とでも紹介されるであろう(といっても、草葉くさばかげの大輔自身は、「トレーニング・ジム経営ちゃう、〝スタジオ〟運営者だぁ」とわめくかもしれなかったが)。

 潤平の父親は帰国子女として扱われたことから、都下の私立大学比較文化学部に進み、そこから東大の大学院に這入はいって運動生理学を専攻し、修士まで修めたという人物であった。そのまま研究職、教職に就く道もあったが、

「何より三度のメシよりウェイト・トレーニングが好きだし、自分のスタジオを持ちたい」

 との望みが強く、こういう道に来た仁であった。この潤平の暮す自宅は数年前に新築したもので、二階に〝スタジオ〟が、そして四階と五階には〝研修生〟が暮す個室が設けられている。ここで暮す〝研修生〟たちは、大輔に幾ばくかの金員きんいんを払ってここに入居し、住み込みでミスター・オリンピア/ミズ・オリンピアを目指して日々トレーニング……、もとへ、ワークアウトに励んでいるのだ。なら潤平はどうか……、といえば、これはからっきしであった。子どものころから内省的というよりは多分に自閉的な質で、バーベルをもったり担いだりするどころか、グラウンドで走り回ることさえ億劫おっくうがるような少年だったのだ。大輔は穏やかな性格だったから、幸い潤平にも〝ワークアウト〟を強要したり、といったことは起きなかったが、時にはウザったく思うこともあったらしい……。けれどもその辺の心情は千鶴子にすら吐露とろしたことはなかったから、大輔のみぞ知るものだった。

 潤平としては、このように好きに音楽が聴けて、そこでタネを探して熱っぽい〝メタル讃美さんび〟の文言をPCで書き記し、満足ゆくものが仕上がったら雑誌に投稿できる――、とこういった既存の生活環境にどっぷり浸かっていて、有難ありがたがるどころか、これを全くの基本・当然のものと考えていたので、全く始末に負えなかった。

 潤平にも将来のヴィジョンなり展望なりはない訳ではなかったが、それは、「ある時全く新しい切り口でアンスラックスなりドリーム・シアターなりの音楽に関する評論文をものして、音楽評論における赫々かくかくたる新星として迎えられ、以後は正に〝飛ぶ鳥落とす勢いで〟活動を展開し、〝第二のメタル・ゴッド〟としてもてはやされ、尊敬をかち得る」といったような……、すこぶる付きで幼稚きわまりない、まったく自分の現状を顧みないものだったから、奈何いかんともしようがない。高校中退の身では望めること・望めないことが割と判然はっきりとしているというのに、それすらきちんとわきまえていないのだ。大輔も千鶴子もことあるごとに懇々こんこんとそうしたことを説いたが、一人息子でまま放題ほうだいに育ってしまった潤平がおいそれと聞くはずもなかった。

 バルサゴスの音楽をしばらく聴いて満足すると、潤平は次に、レコード棚を漁ってザ・ムーグ・クックブックのファースト・アルバムを取り出した。これはHR/HM(ハード・ロック/ヘヴィ・メタル)ではなく、ラウンジとかSABPM(スペース・エイジ・バチェラー・パッド・ミュージック――、つまり宇宙時代のさびしい独身男がカウチに横になってヘッドフォンで聴くような、モーグ・シンセサイザーなどを使った電子音楽)と分類すべきものだが、潤平は大好きだった。何よりMIDIを一切使っていない看板どおりの演奏力は驚嘆ものだったし、ユーモラスなアレンジも秀逸しゅういつだ。だから潤平はこのアルバムにクレジットのある二人――ロジャー・ジョセフ・マニング・Jr.とブライアン・キーヒューのアルバムは他にも所有している。ロジャーは元、ジェリーフィッシュというパワー・ポップのバンドにいて、それからインペリアル・ドラッグを経てTVアイズやソロとして活動しており、いっぽうブライアンのほうはレッド・クロスというちょっとパンキィな(〝パンキッシュな〟という恐らく和製の形容詞を潤平は使わないことにしている)トゥアリスツなるバンドを母体とするパワー・ポップ・バンドのためにキィボードのアレンジを担当している。これはLPレコードのアルバムだが、潤平がもっているのはけだしプロモーションのみでプレスされた余り市中しちゅうではお目に掛からない盤で、少し値がはったのだが、CDを持っていて気に入っていた潤平は、これを如上の叔父さんの力を借りて手に入れたのだった。ディスクリート回路のアナログ・シンセサイザーによる〝アシッドな〟音色に聞き惚れながら、潤平は更にコーラをマグに注ぎ(ノンシュガー、ゼロ・カロリーをうたっているものを愛飲あいいんしていたが、どのみち違いなどあるワケがない)、泰然自若たいぜんじじゃくとして潤平は暢気のんきな顔をしていた。ああ、このリズム・マシンのビート、何て気持ちがいいんだろ――。

 ――と、その時だった。

「きゃーっ!!」

 という裂帛れっぱくの悲鳴が響いたのだ。潤平は思わず体重を預けていたカウチ・ソファから床の上にずり落ちた。

 ――なっ、何だぁ?

 外に出ようか、様子をみに行った方がよかないか。

 しっ、しかし、ぼくは夜はコワい。

 だが、あの声はたしかに若い女のものだった。屋内とはいえ、まさかの間違いがあっては困る。いずれ千鶴子か大輔が起きるかも知れない、とも思ったが、ふたりとも一旦眠ると割と寝穢いぎたないタイプだ。

 潤平はゆうして、まず『ザ・ムーグ・クックブック』の盤面から丁寧に針をどけ、それから景気づけにコーラをぐいっとあおり、抜き足差し足でドアまで進むと、細めに開け、外にたれもいないことを確かめてから、っと外に足を踏み出した。

 ――潤平が声のした方角を目指すと、それはどうやらスタジオかキッチンか孰方どちらかからしかった。この家――否、施設内には、現在十数名の〝研修生〟が暮しているはずだった。潤平には関心がなかったから、つまびらかには知らない。

 間もなく二階のスタジオに来た。が、ここは真っ暗でひとけがない。とすると下のキッチンか。

 潤平は跫音あしおとを忍ばせて階下に向かった。あともう一つコーナーを曲がればキッチンの全体が俯瞰ふかんできる位置に来る――、と思ってやや歩度ほどを速めたとき、向こうからいきなりとび出してきたひと影と鉢合はちあわせした。

「うわっ!」

「きゃっ!」

 その人物は長身の潤平の胸までしか背丈がなく、いきおい潤平は豊かな胸で抱きとめる恰好になった。

「ごっ、ごめんなさい」

 若い女は云うた。潤平はどぎまぎして、

「ち、ちょ…、大丈夫ですか?」

 と紳士らしく問うた。女は莞爾かんじとして、

「はい、お蔭さまで。――ちょっと吃驚びっくりしただけですから」

「びっくりしたのはこっちですよ」潤平は明るいキッチンに眼をった。「一体何があったんです?」

「ちょっと…、ごきぶりが出て…」

「えええっ!?」潤平はあきれた声を上げた。「ごきぶり、ですって?」

「ええ」くらくて不分明ふぶんめいだが、舌を出したようだ。「ごきぶり、ニガテなんです」

 女は振り返り、キッチンの方に兢々きょうきょうと眼をやった。

「大丈夫」潤平は力強くいい、キッチンに這入はいった。「どこです?」

「――そこ」

 女は低声ていせいでいう。

 ――と、壁に止まっているクロゴキブリを程なくみつけ、傍らに積んであった故紙こしの山から古新聞を出し、気合いを入れて思い切り叩いた。そしてあっさり死んだその死骸しがいはさっさとトイレに持っていって流し、キッチンに凱旋がいせんした。

「どうです。簡単なものです」

 女はぱっと顔を輝かせて、

「わあっ」と云うた。「有難う。――それで、お名前は?」

「潤平です」

「潤平さん。――上のお名前は?」

「笠原、ですけど」

 笠原、かさはら…、と口の中で諳誦あんしょうするように繰り返し唱えている。

 潤平はどこかそれに感ずるところがあり、何ということはなしに女の顔を見守った――けだし年恰好は潤平と同じくらい、痩せているが筋肉質で(それをいえばここの〝研修生〟はみなそうだが)、顔立ちは愛嬌がある。

 ――と、女はハッと息を呑んで潤平の顔を見上げた。

「あなた、笠原潤平…くん?」

 にぶい潤平は無知蒙昧むちもうまいな顔で答える。

「ええ、そうだけど」

「――あのう、明峰学園めいほうがくえん高等部こうとうぶの?」

「――はあ」

 何となく、〝触知しょくち不可領域ふかりょういき〟に近づいているような…、感じを、潤平は覚えた。

 だが、それはうっちゃっておくことにした――、えず。

「一年C組の?」

「―……うん、そうだったけど…」

 と、これはマズい! というアラームが頭のどこかでけたたましく鳴った。

 だが、もう遅かった。

「あたし、わかる?」

「――ううん」

 ふるふると首を振った。

宮下みやしただよ。同じクラスだった……、宮下若菜みやしたわかな

 その瞬間、電流が走った。あごががくり、と落ちる。

「あああッ!!」

 若菜を指差して、もう一と声、

「あああ!!」

 宮下若菜は力なくほほえんだ。

「お久し振りだね、笠原くん。――なんていうか、いつの間にか消えちゃったから、みんな心配してたんだよ」

 潤平はじわじわとはらの底に胆汁たんじゅうのように苦いものがわき出すのを感じている。こういうの、英語で何てったっけ? ――そう、ロック・バンド名にもあったよな、ヴェノンとかヴェノムとかいうバンド……、そう、教科書的な定義だと、〝毒気、悪意、毒液〟となる……。

 そう、〝venom〟である。

「――そうかい」

 潤平はぽつりと云うた。肚の中では、

 ――知るかいや、そんなこと!

 とぼやいていたが。

「なんで、ガッコ途中で止めちゃったの?」

「……やりたいことがみつかったから」

「大人しくしてれば、明峰の大学に入れたじゃん。――まあ三流の…、Fランク大学だけど……」

「…………」

 そんなのあんたに関係ないだろ! 大体、そもそもおれがあの学校にいられなくなった原因つくったの、あんたじゃん。

「みんな、笠原くんどうしたんだろ、って云ってたよ」

 ――知るか。

 潤平はわずかに眼を落として足許あしもと見遣みやったが、

「………」

 沈黙を守った。

「友だちもいたんでしょ?」

「――…ン、まあね」

 そこで若菜は、

「…そうか、でも笠原くん、オタクだったもんね」

 潤平はかっと頰を紅潮こうちょうさせたが、

「――あんたにゃ関係ねえだろ…」

 と足許あしもとをみて低い声で云うた。

「キズついた? ゴメン」

 若菜も微妙な感情の波を読み取ったのか、小声で謝った。

 ――いいんだよ、今更。

「別に、…いいよ」

「今朝は起こしちゃって、ゴメンね」

「ゴキブリくらいで起こすなよ」

 若菜はきまり悪そうな顔になった。

「あたし、北海道の出身だから、ゴキブリってみたことなくって。――その、飛んだりする、って知らなくってさ……」

「コワいんだ」

「そ、コワいの。――今回はどうも有難ありがとう」

「どうして北海道から態々わざわざこんな関東のガッコに来てんだ?」

 若菜は咳一咳がいいちがいした。

「――それには長い話がありまして」

「ふん」

「あたしは中学からウェイトリフティングをやっててさ、本格的にやりたくて、スポーツ推薦すいせん明峰めいほう学園がくえんに進んだのよ。だけど、生憎あいにく故障が起きちゃって。スクワットのトレーニングをしていた時にやっちゃったらしいんだけど、膝の軟骨がヘンに伸びてしまってさ。競技が続けられなくなったの。…で、あのガッコは、推薦入試で入った生徒にはキビシくて、スポーツができなくなると退学処分にするでしょ? 親はその時、内地ないちを出て帰れ、って云ったんだけど、あたしはウェイト・トレーニング、好きだしさ。それでここを見つけて、去年からお世話になってる、ってワケ」

「ふうん」

 しかし潤平には、自分はうつ病になったので学校を止めざるを得なくなったのだ、ということは云えない。してや、潤平がハード・ロックのマニアであることをこえたからかに吹聴ふいちょう喧伝けんでんして歩いたこの宮下若菜のお蔭で病が重くなり、中退に至ったなどということは、口が裂けても云えない。

「笠原くんは? ここで何をしてるの?」

 潤平はした。

「何するもなにも、ここは僕んちだよ」

 意外そうに、

「あら、そうだったんだ」

「そうさあ」

「いまは何を?」

「いまは……、昔と同じことやってます」

「――というと?」

 潤平はたむかつくのを覚えた。この女、てんから自分のしたことを忘れているらしい。調子いい女だ。

「知ってるだろ」潤平は強い声を出した。「俺はハード・ロック・マニアなんだ。毎日音楽ばかり聴いてさ、雑誌に投稿する記事を書いて暮してるよ」

「ああ、そうだった」若菜はポンと手を叩いた。「そうそう、笠原くん、ロック・オタクだったっけねえ。……ああ、あの時はあたし、しかして傷つけちゃったかも知れないけど、何はともあれ失礼しました」

 そして悪びれずペコリとお辞儀じぎをしてみせた。潤平は半ば溜飲りゅういんを下げた。

「ま、いっけど」

「――でも、笠原くん、こんなにいいがたいしてんのに、何もしないなんて勿体もったいないよ」

「ジョーダン」

「そ、ジョーダン」

「……早く寝ろよ」

「そっちこそ」

「俺、起きたとこだもんね」

 潤平はキッチンと若菜に背を向けて階段を上って行った。大きなお世話だよ。

「朝食は七時だよ」

おおきにお世話さま」

「はんかくさい」

「ハンカチなんか持ってねえよ」

「それ、北海道の方言で、〝バカ〟って意味だよ」

 へへんだ。

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