爽昧マッチョ・ボーイ
深町桂介
A.
潤平は
まず、笠原潤平は、いまもいった通り、十七歳と五ヶ月になる若者だ。いま起き出したのは、深夜に空腹を覚えて
潤平は、むっくりと床の中で
腹が減っていた。
パジャマを脱いで代わりにスウェット・シャツを着て下はジーンズを穿くと、潤平は眠い眼をこすりこすり部屋の戸を開けた。冷たい外気が入るとやや寒気がして、潤平はぶるっと
――大丈夫、何もないって。
潤平はそう自身に云い聞かせた。ここには、何も、ない。そうもう一度云い聞かせ、エイッと気合いを入れると、恐る恐る廊下に足を踏み出したが、一歩、つま先を廊下の床につけただけで小さく叫び声を上げてとび
クロゼットへとって返してくつ下をはくと、今度こそ潤平は廊下に出た。
――何もない、なにもないから。
自分にそう繰り返し云って聞かせる。そして抜き足、差し足で一歩いっぽ廊下を進んだが、
潤平の部屋はこの五階建ての建築の三階にあった。キッチンは一階だ。そこへたどり着くまでには、怖いコワい二階を通過せねばならぬ。何といっても二階には、みなは簡単に〝スタジオ〟と
キッチンに着くと、潤平はまず、十二畳敷きと広い室に取り付けられた照明をすべてオンにした。棒形の蛍光灯が四列ならんでいるのだが、その全てに電気を通したのだ。そしてドアを閉てて闇を戸の向こうに封じ込めると、ようやく
潤平は暗闇が怖い。
十七歳と五ヶ月の元気な(はずの)少年にしては
以前には、こんなことがあった。
潤平が十五歳のときのこと。晩、入浴しようと思って風呂場に行き、電灯をつけたのだが、電球が切れているかどうかしていて、つかなかったので、翌日の朝学校に行くまえに入ろう、と思いそのままにして休んだ。だがその後で母親の
それから、こんなこともあった。
これは昨年のこと。やはり
何と、風呂場のドアが開かないのだ!!
潤平は
――では、一体どこの誰がこんなことを?
という疑問がじわっと
その時は、ぞっとなった潤平は母親の千鶴子に訴えたのだが、勝ち気な千鶴子は
――それから又、こんなこともあった。
これは今年の正月のこと。夜、潤平が自室で休んでいると、不意に
「俺にも母親がいたが……」
などと話しかけてくるのだ。そして老人は、潤平を伴って市のあちこちを案内して歩く――、第二次世界大戦中に、空襲で大勢の死者がでた防火用水のため池、戦後の大事故でこれも死者がでた鉄道トンネル、火災の起った病院など――。そこまで見せられたところで復た眠りから
更にまた、こんなこともあった。
潤平の父方の祖母が亡くなったときのことだ。亡くなる一週間ほど前から、「
「コツコツ」
とドアを叩くような音がする(じっさいドアのノックのようだった)。この時は、
(あ、そうか、婆ちゃん亡くなったんだな)
と思って
そして又、こんなこともあった。
潤平がある夜、いまは倉庫として使われている三階の部屋でパソコンを使って原稿(これに就いては後述する)を書いていたときのことだ。調子よく手が動くのでノって書いていると、背後でトットッ、と
「お疲れさまでぇす」
との言葉を発して消えていった。潤平はその言葉を耳にして振り向いたのだが、たれもいなかったことはわざわざ云うまでもないことだろう。
それから又、こんなこともあった。
潤平と大輔、千鶴子の三人で旅行に出たときのこと。
どうにもその旅館の部屋には霊がいたらしく、待っていたかのように潤平に迫ってくる。部屋の天井裏を歩いてみたり、潤平が布団に這入って横になっていると枕を下から叩いたり、部屋の収納スペースの中に消えて行ったり、潤平は落ち着かぬ数日間を送るはめになったのだった。
そして――、いや、このくらいにしておこう。
――棚の中には、幸いなことに、〝緑のたぬき〟と〝麺づくり・鶏ガラ醤油味〟がひとつずつみつかった。潤平は
湯が沸くまでの間、潤平は先夜書きかけの原稿に思いを
「ブルー・オイスター・カルト(BÖC)とブラック・サバスの描き出そうとした世界は同じものだ。けれどもその方法論とアプローチが異なっていた。ブルー・オイスター・カルトはニューヨークのバンドであり、学生仲間で結成されたインテリの集合体であった。これに比してブラック・サバスは英国はバーミンガムのフーリガン(ごろつき)どもの寄せ集めだった。よくいわれるが、BÖCは〝メタル版ザ・ドアーズ〟と呼ばれ、歌詞では絶望と
シリアスになることで成功を収めた好例がクイーンズライクやドリーム・シアター、ザ・ドアーズの諸作品だ。逆に、表現が
いったい何を書いているのか……、と云えば、潤平なりの〝HM愛の
――潤平は天ぷら
そうだ、さっき書いた、バルサゴスがよかろう。
そう思うと、潤平はにっこりした。バルサゴスにコカコーラ、あとチョコレートでも
潤平は尻をぼりぼり
潤平所有のバルサゴスのアルバム『アトランティス・アセンダント』は二千部限定仕様の輸入盤だった。ジャケットには、
シンセサイザーとドラムスによる
潤平はツイン・バス・ドラム一気打ちの作り出すビートに心地よく身体を任せて、しばらく明治チョコレートを
潤平は音楽が大好きだった。ほとんど絶望的に好きだった。音楽なら
この音楽趣味の
いっとき、潤平はたくさんクスリを飲まされた。効き方を試す目的もあったのかも知れないが、デジレル、ルボックス、パキシル、ジェイゾロフト、トフラニール、ベゲタミン……、と、ジュラ紀や
では、
「これはね」と担当の生駒先生は、潤平の手になる作を取り上げてのたまったものだ。「いわゆるひとつの…、抽象芸術、ってやつね」
その〝抽象芸術としてのトマト〟を彫った当人は、父親・大輔のはからいで、えらく値のはるギブソン・レスポール・カスタムを
では、打ち込みはどうか、今はPCさえあればMIDIでも何でも手はある――、となると、今度は潤平先生の
「打ち込みとサンプリングは
ということになるのであった。いや、聴く方は近年のチルウェイヴだのIDMだの平気で聴くのだが…。
楽譜が理解できないから、コード進行がどうの、音楽的に何と似ているとかいう〝分析〟は期待できぬ。と云う訳で潤平は、偉そうにふんぞり返ってああだこうだと
その潤平の書くものだが、一回だけ某ロック雑誌の読者投稿欄に取り上げられたことがあった。こんな文章だ。
「ロックンロール、ロック・ミュージックとは、アンプをコンセントに繋いだ瞬間に、またエレキ・ギターをアンプにプラグ・インした時に生まれた音楽だ。それを考え併せると、テクノロジーの進歩に
けれど、ロック・ミュージックの看板はヘヴィさだけではない。一方でハードさヘヴィネスを
そのロック・ミュージックと切っても切り離せぬ間柄にあったのが、コマーシャリズムと
さて、ザ・ビートルズのデビュー盤『プリーズ・プリーズ・ミー』がEMIスタジオ(アビー・ロード)においてたった一日でレコーディングされたというのは有名な話だが、
けれども、ハード・ロックへの愛情には
けれど、潤平の父親の大輔は云うのである。
「しかしなあ、お前」と晩酌のビールを傾けながら、「ロックが好きなのは、いい。それは大いに結構だ。だけど、その先だよな。その……、お前が云っていた何たらいう雑誌でも、
と、
大輔は
「神奈川県川崎市多摩区●●、トレーニング・ジム経営、笠原大輔さん――」
とでも紹介されるであろう(といっても、
潤平の父親は帰国子女として扱われたことから、都下の私立大学比較文化学部に進み、そこから東大の大学院に
「何より三度のメシよりウェイト・トレーニングが好きだし、自分のスタジオを持ちたい」
との望みが強く、こういう道に来た仁であった。この潤平の暮す自宅は数年前に新築したもので、二階に〝スタジオ〟が、そして四階と五階には〝研修生〟が暮す個室が設けられている。ここで暮す〝研修生〟たちは、大輔に幾ばくかの
潤平としては、このように好きに音楽が聴けて、そこでタネを探して熱っぽい〝メタル
潤平にも将来のヴィジョンなり展望なりはない訳ではなかったが、それは、「ある時全く新しい切り口でアンスラックスなりドリーム・シアターなりの音楽に関する評論文を
バルサゴスの音楽をしばらく聴いて満足すると、潤平は次に、レコード棚を漁ってザ・ムーグ・クックブックのファースト・アルバムを取り出した。これはHR/HM(ハード・ロック/ヘヴィ・メタル)ではなく、ラウンジとかSABPM(スペース・エイジ・バチェラー・パッド・ミュージック――、つまり宇宙時代の
――と、その時だった。
「きゃーっ!!」
という
――なっ、何だぁ?
外に出ようか、様子をみに行った方がよかないか。
しっ、しかし、ぼくは夜はコワい。
だが、あの声は
潤平は
――潤平が声のした方角を目指すと、それはどうやらスタジオかキッチンか
間もなく二階のスタジオに来た。が、ここは真っ暗でひとけがない。とすると下のキッチンか。
潤平は
「うわっ!」
「きゃっ!」
その人物は長身の潤平の胸までしか背丈がなく、いきおい潤平は豊かな胸で抱きとめる恰好になった。
「ごっ、ごめんなさい」
若い女は云うた。潤平はどぎまぎして、
「ち、ちょ…、大丈夫ですか?」
と紳士らしく問うた。女は
「はい、お蔭さまで。――ちょっと
「びっくりしたのはこっちですよ」潤平は明るいキッチンに眼を
「ちょっと…、ごきぶりが出て…」
「えええっ!?」潤平は
「ええ」
女は振り返り、キッチンの方に
「大丈夫」潤平は力強くいい、キッチンに
「――そこ」
女は
――と、壁に止まっているクロゴキブリを程なくみつけ、傍らに積んであった
「どうです。簡単なものです」
女はぱっと顔を輝かせて、
「わあっ」と云うた。「有難う。――それで、お名前は?」
「潤平です」
「潤平さん。――上のお名前は?」
「笠原、ですけど」
笠原、かさはら…、と口の中で
潤平はどこかそれに感ずるところがあり、何ということはなしに女の顔を見守った――けだし年恰好は潤平と同じくらい、痩せているが筋肉質で(それをいえばここの〝研修生〟はみなそうだが)、顔立ちは愛嬌がある。
――と、女はハッと息を呑んで潤平の顔を見上げた。
「あなた、笠原潤平…くん?」
にぶい潤平は
「ええ、そうだけど」
「――あのう、
「――はあ」
何となく、〝
だが、それはうっちゃっておくことにした――、
「一年C組の?」
「―……うん、そうだったけど…」
と、これはマズい! というアラームが頭のどこかでけたたましく鳴った。
だが、もう遅かった。
「あたし、わかる?」
「――ううん」
ふるふると首を振った。
「
その瞬間、電流が走った。
「あああッ!!」
若菜を指差して、もう一と声、
「あああ!!」
宮下若菜は力なくほほえんだ。
「お久し振りだね、笠原くん。――なんていうか、いつの間にか消えちゃったから、みんな心配してたんだよ」
潤平はじわじわと
そう、〝venom〟である。
「――そうかい」
潤平はぽつりと云うた。肚の中では、
――知るかいや、そんなこと!
とぼやいていたが。
「なんで、ガッコ途中で止めちゃったの?」
「……やりたいことがみつかったから」
「大人しくしてれば、明峰の大学に入れたじゃん。――まあ三流の…、Fランク大学だけど……」
「…………」
そんなのあんたに関係ないだろ! 大体、
「みんな、笠原くんどうしたんだろ、って云ってたよ」
――知るか。
潤平は
「………」
沈黙を守った。
「友だちもいたんでしょ?」
「――…ン、まあね」
そこで若菜は、
「…そうか、でも笠原くん、オタクだったもんね」
潤平は
「――あんたにゃ関係ねえだろ…」
と
「キズついた? ゴメン」
若菜も微妙な感情の波を読み取ったのか、小声で謝った。
――いいんだよ、今更。
「別に、…いいよ」
「今朝は起こしちゃって、ゴメンね」
「ゴキブリくらいで起こすなよ」
若菜はきまり悪そうな顔になった。
「あたし、北海道の出身だから、ゴキブリってみたことなくって。――その、飛んだりする、って知らなくってさ……」
「コワいんだ」
「そ、コワいの。――今回はどうも
「どうして北海道から
若菜は
「――それには長い話がありまして」
「ふん」
「あたしは中学からウェイトリフティングをやっててさ、本格的にやりたくて、スポーツ
「ふうん」
「笠原くんは? ここで何をしてるの?」
潤平は
「何するもなにも、ここは僕んちだよ」
意外そうに、
「あら、そうだったんだ」
「そうさあ」
「いまは何を?」
「いまは……、昔と同じことやってます」
「――というと?」
潤平は
「知ってるだろ」潤平は強い声を出した。「俺はハード・ロック・マニアなんだ。毎日音楽ばかり聴いてさ、雑誌に投稿する記事を書いて暮してるよ」
「ああ、そうだった」若菜はポンと手を叩いた。「そうそう、笠原くん、ロック・オタクだったっけねえ。……ああ、あの時はあたし、
そして悪びれずペコリとお
「ま、いっけど」
「――でも、笠原くん、こんなにいいがたいしてんのに、何もしないなんて
「ジョーダン」
「そ、ジョーダン」
「……早く寝ろよ」
「そっちこそ」
「俺、起きたとこだもんね」
潤平はキッチンと若菜に背を向けて階段を上って行った。大きなお世話だよ。
「朝食は七時だよ」
「
「はんかくさい」
「ハンカチなんか持ってねえよ」
「それ、北海道の方言で、〝バカ〟って意味だよ」
へへんだ。
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