第12話 死んだ彼女と想いの行き場

「うぁぁぁぁぁぁん。……ひぐっ。うぐっ」


 話してる途中で泣き出してしまった男の子を呆然と見つめて、俺は体を完全に硬直させていた。

 普段子供の扱いに慣れていないから、こういう時にどうしていいかわからない。


「あっはっは。泣かせちゃったねぇ」


 他人事のようにそう言ってくる光にイラッとしながらも、答えを求めて光に問いかける。


「……こういう時、どうするのが正解なんだ?」


 優太君に聞こえないように小声で話しながら、光のいる横に視線を向ける。


「別に大丈夫じゃない?」


「大丈夫って……」


「だってさ、泣くって事は、心を動かされたってことでしょ。心を閉ざしちゃった優太君が」


「……っ」


「それは私にもこの病院の誰にもできなかったことなんだよ。それだけ、来人の境遇が優太君に響いているってことでもあるんだけどね」


 そういって悲しそうな笑みを浮かべる光。

 ……この話は光に話したことはないはずで、大なり小なり驚かれると思っていたのだが、そんな様子には見えなかった。察しの良い光のことだから、もう既に気付いていたのだろうか。

 いやそれにしたって、なぜ俺になら優太君の心を動かせると、光は確信していたのだろうか。

 彼氏である俺を信用していたと言われればそれまでだけど、少し引っかかりを覚える。

 そこまで考えたところで、泣き止んだ優太君はあの……、と声をかけてきた。


「それで、どうなったの?」


 少し滴が残る瞳に、真っすぐに見つめられる。


「いやあ、まあ。何もする気がなくなっちゃって、しばらくは投げやりに生きてたよね」


「……」


 今の自分と重ねているのか、優太君は少し俯く。


「でもさ、そのままの状態を維持してた兄ちゃんの部屋に、誰も入ろうとしなかったそこに、ある日何気なく入ったんだ」


「誰も……?」


「うん。誰も兄が死んだって事実を直面したくなくて、その部屋に立ち入ろうとしなかったんだ」


「そうなんだ……」


「それで兄ちゃんの部屋で、一冊のノートを見つけた。誰も見たことなくて、なんだこれって、読んでみた。

 本当に何気なかったんだ。何もしたくなかったけど、何かをしなくちゃいけないんじゃないかって思いに突き動かされて、それで見つけた。

 兄ちゃんの日記を」


「日記……?」


「そう日記。何事にも真面目だった兄ちゃんだったから、まあそういうのもあるんだろうなって、その時は思って、読んだら兄ちゃんの幸せな光景が浮かんできてしまって、きっともっと苦しくなるんだろうな、とも思ったんだけど。それも自分に対する罰だと思って意を決して読み進めた」


 でもそれは、間違いだった。


「読んでみると、それは兄ちゃんの日々の幸せの物語なんかでは、決してなかった。それどころか辛くて、苦しくて、あんなに完璧だったはずの兄ちゃんの、負の部分が詰め込まれたような日記だったんだ」


『今日は人助けをした。――――また、周りから蔑まれた』

『なんで良い事をしてるはずなのに、疎まれるんだろう』

『俺のしている事は間違っているんだろうか』


 俺の前では、一欠片も見せなかったそんな部分が多大に書かれていた。

 公正で清廉な人物を、大衆は持ち上げる。

 けれど勿論、そう言う人間をよく思わない人間もいて、正しい人間の正しくない部分を探そうとしたり、悪い噂を流布したり、そう言う人間は一定数以上いるのだ。

 ……それもまあ、今だから分かる事で。


「まあ勿論、少しだけショックだったよ。子供ながらに完璧とはこういう人間のことだと、理想だと思っていた兄ちゃんのそんな部分を見ちゃったからな」


 それすらも、自分勝手の一言に尽きるのだけど。


「でも、逆に気になった事があった。なんで兄ちゃんはそんな気持ちのまま、人助けを続けられたのか。それで、読み進めたんだけど……」


 続きを話そうとして、あ、と思いとどまる。

 話を聞こうとじっとこちらを見ていた優太くんは、言葉を止めた俺を不思議そうに見つめる。


「この時の俺はさ、多分今の優太くんと、似たような気持ちでいたんだと思う。兄ちゃんが居なくなって、家族との繋がりが消えて、何もなくなった、そんな状態。

 けど、違うんだ。家族って、人って、死んで全てが消えてしまうわけじゃないんだ。兄ちゃんとの思い出は残ってて、貰った言葉は胸に刻まれてて、生き様はしっかりと頭に焼き付いてる。そして何よりも――――守ってもらった命はここにある」


 手を胸に当てて少し強く押してみる。

 心臓はドクンドクンと鳴動して、良好な状態である事を知らせてくれる。

 これは、兄ちゃんが守ってくれたもので、受け継いだもので。

 一心同体みたいなものかな、と少し面白くなる。


「読み進めて、そして見つけた。兄ちゃんの気持ちを」


 逸れた話を引き戻す。

 途中までは、辛くて、苦しくて、そういう事ばかり書かれていた日記だけれど、ある時期からその様相は変わっていた。

 それは俺が子供のころに兄に憧れていた時で、兄ちゃんみたいになりたいと、そう繰り返していた時期だった。


『来人が、俺みたいになりたいと言ってくれた』

『こんな俺に、なって欲しくなくて、でも自分がどうしてこうなったかを聞かせようと話しているうちに、なんだか頭がスッキリしていった』

『落ち着いて考えてみて、俺が何をしたかったか、なんのためにこういう事をしていたか、それを思い出せた』


 ちょっと気恥ずかしさはあったけれど、あの頃の何気なく言った言葉が兄の助けになっていたのかと思うと、胸が満たされる。

 当時の絶望の底にいた俺は、その言葉を何度も何度も噛みしめて自分の心に溶かしいれていった。


「それで少しだけ周りが見れるようになって、それで思い出した。兄ちゃんの最後の言葉を」


「……自分を失うなよ、ってやつ?」


「うん、それ。多分兄ちゃんは、俺に、あの頃の気持ちを忘れて欲しくなかったんだと思う。ただただ純粋に人の助けになりたいっていう気持ちを。……まあ、その最後の言葉に応えられているかって言われると自信はないけどね」


 というか、多分。応えられてはいないのだ。

 あの頃の兄ちゃんのような人間に俺はなれていない。

 普通に過ごして、普通に生きている。その中で友人の助けくらいにはなれていると信じたいが、名前も知らない誰かの幸福を願えるような人間にはなれていないのだ。

 こんな俺を兄ちゃんは怒るだろうか。失望するだろうか。

 ……多分そのどちらでもないのだ。

 普通に生きていることを喜んでくれて、普通に幸せになろうとしていることを自分のことのように嬉しがってくれる。

 そんな人間になるのは、とても難しかった。

 けれど、それはきっと、どっちでもいいのだ。


「兄ちゃんはおれがどんな人間になっても、俺を守ってくれた事を後悔する事はないんだと思う。……まあ、俺が人様に迷惑をかけるような事をしなきゃだけどね。

俺もそんな大層な事を言える人間じゃないけど、――――それが、家族なんだと思う。

 だからさ、優太くん。君のご両親は決して君の為に犠牲になったわけじゃない。自分の大切なものを守ろうと必死だっただけな筈なんだ」


 詭弁と言われればそれまでだけど、それでも、俺はこの子に、この子を守ったご両親のためにも、幸せになってほしい。

 守ってもらった事を重荷に感じる必要はない。

 だけど、守ってもらった事を、間違いだったと思って欲しくはないのだ。

 大切な人の、大切な気持ちを、踏みにじってはいけないのだ。

 これは俺の勝手な考えで、エゴなのかもしれない。


 でも。


 ――――自分は幸せに生きて良いと、そう信じて良い筈なんだ。


「おとう、さんは、言ったんだ。次の誕生日には欲しかったゲームを買ってくれるって」


「……そっか」


「おかあさんも、お手伝いもっとがんばったらお小遣い増やしてくれるって、言ったんだ」


「うん」


「今度の休みには、みんなで遊園地に行く予定だったんだ」


 優太くんは顔をくしゃっと歪めて、ぽつぽつとそう言葉を紡いでいく。

 これはきっと前に進む為に必要で、それこそ儀式のようなもので。


「……お父さんとお母さんは、僕の事を好きだったかな」


「もちろんだ。そうでなきゃ、自分の命を賭してまで、助けたりしない」


「ぼくも、ふたりのこと、だいすきだったんだ……!何回もけんかして、だだもこねて、でも最後には仲直りして、それで――――幸せだったんだ。なんで、なん、で……二人ともいなくなっちゃったんだよぉ……ぅぁぁぁぁああああ」


 目元で必死になって堪えていた雫が、とめどなく溢れる。

 それはさっきの涙とは違って、家族に向けた、行き場をなくしていた悲しみの感情の発露だった。

 全て自分のせいだと決めつけて、その資格がないと溜め込んでいた怒りや悲しみは、その身に蓄積し続けていた。

 やっと外に出ることができたそれは、止まる事なく流れ続ける。

 少しだけ逡巡して、俺は優太くんの頭を撫でる。

 残された側は、逝ってしまった人達に何も言うことはできない。


 だから、その人達の事を想って泣くくらい、存分にさせてほしい。

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