第11話 幕間2
気付いた時、少年はアスファルトの地面に横たわっていた。
辺りでは悲鳴や、車の急ブレーキを知らせる音や、色んな雑音が飛び交っている。
なんでこんな事になっているんだろうと、記憶をほじくり返す。
「そう、だ。僕はトラックに轢かれそうになっていた女の子を助けようとして……」
ぼーっとしていた女の子が信号が赤を示している時に横断歩道を渡ろうとしていて、それを助けようとして走り出したんだった、と少年は記憶を辿る。
でも、そこで記憶は途切れている。なにか強く手を引かれた覚えはあって、それでどうなった。
答えを探すために辺りを見回す。
車、人、車、人、────血。
「……え?」
血だ。実際に見たことはなかったけど、本物と酷似しているテレビで見たそれは、紛れもなく血だった。
なんで、どこから、だれの。
思考が混乱する。
訳が分からなくなって少し遠くを見た。
そこには尻もちをついて、ある一点を見つめて震えている、さっき助けようとした女の子。
良かった、助かってたんだ、と少し安心して、それで。
少女の見る方向を見て、それは、
────絶望に変わった。
◆
「おにい、ちゃん……?」
それは、紛れもなく、兄だった。
仰向けに寝ていて、至る所に血がついていて、人体の曲がってはいけないところが曲がっていて、それを知らない少年に直感させるほど、それは、────死の匂いがした。
なんで?どうして?兄ちゃんが、兄ちゃんが!
少年は何も考えられない。
う、と少し呻いた声がして、少年は兄に駆け寄る。
「兄ちゃん!……なんで兄ちゃんが!」
少し冷静になって少年は、一つの事実に思い至る。
「もしかして、僕の代わりに、あの子を助けてくれたの……?」
未だ体の震えが止まっていない女の子を一瞥して、少年は思い出す。意識を失う前に、強く手を引かれた感触、あれは兄が、女の子を助けて、代わりに轢かれかけていた自分を助けようとしたものだったのではないかと。
「じゃ、じゃあ兄ちゃんは、僕の代わりに……?そんな、ごめん、だって、ぼくは、あ、あぁ、うあああぁぁぁぁぁぁあ!」
いたい、いたい。あたまがいたい。
大好きな兄ちゃんがこんな目にあってるのは、ぼくのせいだ。身の程を知らずに、助けようとして、それでうしなってしまう。
どんなに思考を重ねても、自分を責めてしまう頭を抱えて、ぼろぼろと涙を流しながら、少年は錯乱する。
けれど、
「……くる、と」
息も絶え絶えで、どう考えても喋らないほうがよくて、でもそんな事は無視して、兄は口を動かす。
それは、この瞬間を逃してしまったら、自分の大切な弟は、道を踏み外してしまうから。だから、自分のことなんて考えず、兄は唇を、最後の力を振り絞って動かす。
「――――おまえは、なにも、まちがってない」
「……ぇ?」
兄の優しい言葉。いつも聞いていたそれが耳を打ち、少しだけ少年は心が戻る。
「よく、轢かれそうなあの子を、みつけた。えらいぞ。にいちゃんは、全然気づかなかった。がんばったな」
「ぅ、ぁ。でも、兄ちゃんが、このままだと、死んじゃう……。そんなの嫌だよ……!」
「うん。たぶん兄ちゃんはここまでだと思う。ごめんな、もっといろいろお前と遊びたかったし、もっと色んな事を教えてあげたかった」
そういったあと、兄はごほっ、と咳を漏らす。
空気を震わせるだけだったはずのそれは、赤い液体を周囲に飛び散らす。
「兄ちゃん!」
「来人。絶対に、自分を、失うなよ。その気持ちを、ずっと持ち続けておけ。これは、兄ちゃん、からの、さいごの、お願いだ……」
そう言って、兄は弱々しく弟の頬に手を添えようとして、力なく腕が地面に落ちた。
降りしきる雨の音は、轟音となって耳を打つ。
しかし緊急を知らせるサイレンの音は、その雨の音をかき消そうとして、雑音となって届く。
「大丈夫ですか!?」「いそげ!息が無い!」「君はこの人の家族?とにかく一緒に乗って!」
色んな言葉が耳に入るが、一つたりとも少年の耳には届かない。絶望という壁がすべての音を遮断する。
「うぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!?」
悲痛な叫びが、絶望の世界の中に響いた。
◆
「手は尽くしましたが、力及ばず……」
医者のその一言で、多くの人が嘆き悲しんだ。
母親から罵倒され叱咤を受け、父親に庇ってもらい、その結果両親が喧嘩になる。
決して、仲の悪い家庭ではなかったのだ。それどころか近所でも評判の仲良し家族であり、兄が幸せを噛みしめることの出来た、そんな家庭だった。
けれどその幸せは一つピースが欠けて、それで決定的に崩れた。
失われたピースは、兄の喪失ではなく、互いが互いを愛するという気持ちだった。
「あなたが、しっかりしていれば、こんな事には」
母の言葉は、少年に重くのしかかる。
「車に轢かれそうになった弟さんを助けたらしいわよ」「最後まで立派だったのねぇ」「お母さんもあの取り乱し様を見ると随分溺愛していたようだしね」「弟君に当たるのも仕方ないのかしら」
親戚や看護師を話し声が聞こえる。けれど言葉としては入ってこない。
少年はもう何も考えられず、それは人形のような様だった。
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