第10話 幕間1
「来人」
それは胸焼けしそうなくらい赤い夕焼けだった。ふと油断したらノスタルジーに呑まれそうで、泣いてしまいそうな、そんな夕焼け。
背の高いすらっとしたその男は、ニコッとして隣に座る俺に語りかける。
「兄ちゃんはな、幸せを見るのが大好きなんだ」
「幸せ?」
「ああ。こうしてお前と並んで座ったり、家に帰ったらお母さんの美味しいご飯が待っていたり、休みの日に家族みんなでお父さんの運転で出かけたり。そういうのだ」
男はそう言うと、立ち上がり空へ向かって両手を広げる。
「多分誰にでもそういうものがあるんだと思う。兄ちゃんはみんなそうならいいなあって思っててさ。だから自分にできる範囲で、みんなを幸せにしたいんだ」
「それで兄ちゃんは色んな人のお手伝いをしてるんだね!」
男の語る言葉に、横にいた少年は目を輝かせる。
「うん、僕も兄ちゃんの言っていること、すごくわかる気がする。僕も大きくなったら、兄ちゃんみたいにみんなのお手伝い出来るかな」
少年の言葉に目を丸くした男は、優しい笑みを浮かべる。少年の頭に手を置き少し撫でると、男は少年の目線に合わせるようにしゃがんで、続けた。
「来人。人を幸せにするって事は、きっと誰にでも出来ることなんだ。他人と一緒に幸せになることも出来るし、一人だってきっと。だから兄ちゃんみたいに大きくなくても、来人自身が誰かを幸せにしたいと思って行動すれば、それはきっと何かに繋がる。大事なのは、その人にとって何が幸せなのかを考える事なんだ」
来人にはまだ難しいかな、と男はまた笑った。
少年は自分が子供扱いされている事に、少しだけむくれて、そんな事ないもん、と返した。
◆
その日は、土砂降りの雨だった。
大好きなヒーローもののおもちゃを誕生日のお祝いで兄に買ってもらった少年は、傘とおもちゃの入った袋を持ちながら、上機嫌で歩道を歩いていた。
「おいおい来人。ちゃんと前を見て歩けよ?」
子どもらしく予測できない動きをする少年を、兄は笑いながら見守る。
「大丈夫だよ!僕はもう子供じゃないからね!」
「というと?」
足を止めて振り返り、ふふんと胸を張る弟を見て、兄は訝しむように問いかける。
「この前、ゆきこちゃんの無くしたヘアピンを一緒に探して見つけてあげたんだ!その前にはりょうやくんの掃除を手伝ってあげたし、重い荷物を持ってるおばあちゃんを助けたりしたんだ!」
「ほほう。それで?」
「兄ちゃんみたいな事が僕にも出来たんだし、もう子供じゃないでしょ?」
「はっはっは。来人、別に兄ちゃんの真似が出来たからって大人って訳じゃないんだぞ?そもそも兄ちゃんだって大人って恥ずかしげもなく言えるかっていうと微妙だしな」
えー、とぶーたれる少年の頭をがしがしと撫でて、兄は笑う。
「でも、きっとそういう行動をみんながすれば、この世界は幸せになるのになぁ」
「きっと出来るよ!僕にとっての兄ちゃんはヒーローで、僕も誰かにとってのヒーローになって、ほかの誰かがそのまた誰かのヒーローになれればきっとみんな幸せになれる!」
「……!」
この年頃の子供の発想じゃないなぁ、英才教育しすぎたかぁ、と兄は苦笑いしながらも、少年の言葉が真実である事に多少なりとも驚いていた。
それは言うは易し行うは難し、というものではあるのだが、そういう思考に、自力でたどり着いてくれた事に、嬉しい気持ちも大きかった。
「はっは。じゃあまずは来人がみんなのヒーローにならなきゃな」
「うん!見ててよ!今にたくさんの人を救えるヒーローになってやるんだ」
虚空を敵と見すえて腕を振るう来人。子供ながらのシャドーボクシングは可愛いものではあったが、兄は少しだけ苦い顔をする。
「……来人。これだけは憶えていて欲しいんだ」
「……?」
「百人でも二百人でも、たくさんの人を救えるヒーローはきっと立派だと思う。でも、その裏で泣いている一人を見逃すような人間にはなってはいけないよ。九十九人救えても、一人を取りこぼすようなヒーローは、なんだかダサいだろ?」
兄はこれが理想論である事を分かった上で、少年に問いかけていた。
それは現実では難しくて、いつかそれに気づくのだとしても、今だけは理想を胸に刻んで欲しかった。そんな兄の想いを知ってか知らずか、少年は返答する。
「……それなら兄ちゃんは、九十九人助ける力があっても、一人が泣いちゃうなら、その一人だけを助けられる方が良いってこと?」
「……まあ、概ねそういう事、かな」
「なんか、嫌だなぁそれは」
ムスッとして少年は言う。
兄の少し達観したような苦笑いを、その兄を大好きな弟は、少し許せない気持ちになった。それなら自分はどうしよう、どんな答えを出せるんだろうと思考してみた結果。ある1つの答えに辿り着く。
「────じゃあ僕は、百人まとめて、みんな救えるヒーローになるよ!」
「……っ!」
自分が最初のうちに持っていた理想を、なんのしがらみもなくそう言える弟に、腹が立たないと言えば嘘になる。
しかしそれ以上の嬉しさが、その身にふつふつと湧き上がるのを、兄は感じていた。
今の自分になるまで、様々な体験をして、色んな挫折を経験した。その末に諦めつつあって、別の道を探していた兄は、その弟の言葉が何よりも嬉しく思えたのだ。
「……そっか。でも来人、それをするには兄ちゃんを超えなきゃだぞ?」
「もちろん!今は無理かもしれないけど、いつかは兄ちゃんなんて簡単に超えてみせるよ」
「はっはっは。大きく出たな~」
兄に認められたような気がして、弟はなんとなく嬉しくなる。
誰よりも正しい兄が、認めてくれる。それは自分の考えが間違っていないと言うことで、少年の幼い心を沸き立たせた。
自分は正しくて、この気持ちの通り行動すれば、世界が幸せになると、そう信じていたのだ。
――――そしてそれが、間違いだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます