第9話 死んだ彼女と傷心の少年


「いいよ。僕に構わなくて」


 光と少し気まずい空気になりながらも、とりあえず会わないと始まらない、とリハビリA棟を訪ねた午後。

 木の陰で涼みながら読書をしていた優太くんを発見して、声をかけると、冷たい目でそう言われた。


「い、いやあの、俺まだ何も言ってないんだけど……」


「なんとなく要件は分かってるから、別にいいよ。どうせ僕を立ち直らせようとか、そんな名目で呼ばれたんでしょ?僕自身が良いって言ってるんだし、やらなくていいよ」


 うおぉ……。小さい子に冷たい目をされるのがこんなにきついとは思いもよらなかった

 肝心のアドバイザーの光は横で大爆笑している。

 しかし、カルテに書いてあったとおり、悪い方向に達観してしまってるなぁ。このままでは取り付く島もない。

 この年頃の子供との共通の話題なんて無いし、あるといえば。


「私の事、かな」


 俺の心を読んだように光はそう呟く。


「いいよいいよ~。私抜きで私のことで盛り上がっちゃいなよ」


 言葉と反比例するようなムスッっとした顔でそんな事を言われてもなぁ。


「でも、気をつけてね。私が死んじゃったって事は絶対に伏せるように。この短期間で人の死を何回も経験出来るほどこの子の心は強くないと思うから」


 そう言うと光はしゃがんで目を細めながら少年の頭を撫でる。……その行為はきっと優太くんには伝わらないのだろうけど、その動作だけで愛情は伝わってくる。

 了解という意を込めて光の肩に手を置く。

 そのまま光と同じように優太くんの目線と同じ高さまでしゃがみこんで、聞く。


「……前に君と遊んでたお姉さん、覚えてる?」


 優太くんはあーと少し口を開けて、思い出すように視線だけ上を向いた。


「光さんでしょ、あんな人忘れるもんか。……そういえば、しばらくは光さんがお兄さんみたいな役割の人だったのに、今日は違うんだね」


「うん。……あいつは、唐突にふらっと旅に出ちゃってさ」


「あいつ……?お兄さん、光さんとどんな関係なの?」


「あーーー。まあ、その、端的に言うと……」


 恋人だ、と言えばいいだけなのだが、どうにもこっ恥ずかしくて言い淀んでいると、隣で光がうりうりと肘でつついてくる。めちゃくちゃうっとおしい。


「……俺と光は、一応恋人、だったよ」


「だった?」


「あっいや、現在進行系で付き合ってるよ。多分、きっと」


「……なんでそんなにどもってるのかわからないけど、お兄さんみたいな冴えない人とあの光さんがねぇ」


「冴えないって」


 自覚がある分、反論のしようもない。


「それで?光さんは僕のなにかを変えたかったみたいだけど、お兄さんもやりたい事は同じ?もしそうだったらさっきも言ったけど帰ってもらっていいよ」


「優太くん……」


優太くんは読んでいた本をパタンと閉じて続ける。


「色んな先生が来て、色んな事を僕に言ってきた。君は悪くないとか、お父さんとお母さんのためには僕は元気でいなくちゃとか。……でも、僕にとって、お父さんとお母さんがいない世界なんて考えられなくて、僕の代わりに二人が死ぬ必要なんて、無かったんだ……!」


 小さい手を痛いくらい握りしめて、そのまま自分を覆うように俯く。


「僕が死んで、二人が生き残ってくれればよかったのに」


 優太くんのその言葉に、急激に体温が下がったような錯覚を受ける。

 冷えた体とは対象的に、頭は、沸騰するように熱くなる。体の自由が効かなくなって、衝動に突き動かされるように、口が動いた。


「それだけは、言っちゃいけない」


「……お兄さん?」


「君のご両親は、その命で君を守った。それで君は生きることが出来ているけど、それで残された側になにか責任が生じるわけじゃない。――――けど、ご両親が守ったその命を、願った幸せを、君が否定することだけは、しちゃいけない」


 残された側の苦悩は、残された側を経験した人間しか分からない。

 心の中に生まれてしまった大きな棘は、ずっと色んなところを傷つける。でもその棘は、自分で生み出してしまったもので、自分が取り除かないといけないもので。

 優太くんは今その棘を受け入れようとしてしまっている。背負う必要のない重しをもっと重くして、ひとりで背負おうとしているのだ。

 それはこの子の両親が望んだものではない。ご両親が命を賭してまで、この子に残そうとしたものは、そんなものでは無いはずなのだ。


「……来人、なんで君のほうがそんな顔をするんだい。優太くんもびっくりしているじゃないか」


「……っ」


 光の言葉に、ハッと我を取り戻す。

 どうにも我慢ならない言葉を聞いて、自分勝手に言葉を吐くなんて、まるで駄々をこねる子供じゃないか。

 引いていた熱が戻ってくると共に、恥ずかしさに身を焼かれる。


「来人。君はこの子にかけるべき言葉を持っているはずだ。私や叔母さんでは言う資格が無い、君にしか伝えられない言葉を」


 慈しむようなその声で言われて、ふと、この子と同じ考え方していた子供を思い出す。 

 その子はどう立ち直ったのだろうかと、記憶の中から探し出して、そして思い出す。


「優太くん、声を荒げちゃってごめん。少しだけ、昔話を聞いてくれる?」

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