第7話 死んだ彼女と綺麗な叔母さん

 受付で、早川光の知り合いで、院長への取り次ぎをお願いしますとの旨を伝えると、院長室へ案内してくれた受付のお姉さんが「あなたが光ちゃんの……」と呟くのが聞こえた。


「懸来人くんね?光から話は聞いているわ。私は光の叔母の早川妙子はやかわたえこよ、よろしくね」


 案内された応接間で座っていたのは、白衣を着ている、いかにも仕事ができそうな女性で、顔立ちが光によく似ていた。髪は光より少し長いくらいで、30代後半くらいなのかなぁと、いらぬ詮索をしてしまう。


「あ、はい。懸来人といいます。今日はなんの連絡も取らずにすみません」


 そう言って、先程急遽用意した嘘をペラペラと並べる。

 光からリハビリを手伝っている男の子がいるという話を聞いていて、まだ男の子の問題を解決出来ていないこと、明日がその子が退院する日であること、だから死んでしまった光の代わりに、なんとかしてその思いを果たしてやりたい、そんな事を彼女の叔母に喋った。


「……光がそんな事をねぇ。あの子はそういう事を他人に話さないものと思っていたけど、やっぱり君は特別なのかしら」


 座っていいわよ、とジェスチャーで指示されそれに従うと、親指と人差し指を顎に据えながらじっと見つめられる。

 美人に見つめられるというのは決して気分の悪いものではないのだけど、しかして嬉しいかと言われるとそうでもない。

 顔が整った人は雰囲気によっては怖く見えてしまうもので、冷静さを強く感じさせる妙子さんからはそういった人特有の冷たさ、というものを色濃く感じてしまった。


「あの、なにか……?」


「……あ。ごめんなさいね。初めて会う人に対してどんな人かなぁって見定めちゃう癖があって」


 沈黙に耐えきれず俺がそう言葉を吐くと、妙子さんは顎に当てていた手を頬へ持っていき、にへらぁっと柔和な笑みを浮かべる。

 先程の空気とは打って変わって、冷静さ、というかある種の冷たさを感じさせていた雰囲気は、太陽の熱で溶ける氷のように変わっていく。……こちらがほんとの妙子さんなのだとしたら、なるほど光の親類だなぁと、そう納得してしまう。


「うん、君はいい子ね。私くらい色んな人を見ると何となくその人の人となりが分かるものだけど、それで言えば君は優柔不断で、そして優しい性格をしていそう」


「優柔不断、ですか?」


「ええ。やりたい事はあるけど勇気が出ない。リスクを考えて、考え過ぎて、その結果行動までに多くの時間を要する。そういう人が良くする顔をしてるわ」


 すごい。

 ボロくそ言われているが大体がその通りである気がして、何も言い返せない。


「それに、自分に自信をあまり持っていない。優しさは自信のなさの表れと言われることも多い、けれど君のそれはそうじゃないってところかしら」


「……それが合ってるかはノーコメントですけど、一目見ただけでそこまで分かるものなんですか?」


 ここまでズバズバ言い当てられてしまうと、ちょっと怖さが勝ちはじめてくる。占われている気分だ。


「ふふっ。残念ながら一目ではないのよ」


「……はい?」


 楽しそうに笑みを浮かべた妙子さんは、俺の戸惑った顔を見ると、そのまま悪戯っぽい表情をする。

 どっかで見た表情だなぁ、と、隣でニコニコして口を開かない光に顔を向けてみるが、こちらを向き直すばかりで何もアクションを起こさない。


「光から聞いていたのよ。あなたのことを色々ね」


「…………つまり、俺の性格をなんとなく把握していて、あんな茶番をした、と」


「概ねその通りね」


「光の親類すぎませんか……⁉︎」


「あらよく分かったわね。そのとおり、私が光のおばさんよ」


「変なおじさんみたいに言うな!……っあ、す、すいません。いつも光に突っ込んでるままの言葉遣いしちゃいました……」


「別にいいわよ。先にからかったのはこちらの方だし、それに、光が好きだった子が言っていたとおりの男の子っていうことが知れたわけだし」


 妙子さんは少しだけ悲しそうな顔をすると、すぐに雰囲気をもとの明るい状態に戻す。

 こんなところまで光にそっくりだなぁと、少し思った。


「それで、光の思いを果たしたい、だっけ?」


「はい」


「……先に謝っておくと、完全に部外者であるあなたに出来ることはほとんど無いわよ。冷たいようだけど、分かって頂戴。出来ることといえば、うちの職員が見てる範囲で話すことくらいだけど……」


「それで構いません。勝手なお願いであることは分かっています。それでも、どうかお願いします」


 いくら光の知り合いとは言え、完全に部外者である俺を患者に会わせるというのは、それだけでも肝要な問題だ。

 これでも最大限配慮してくれた結果なのだろう。感謝こそあれ、不満など欠片もない。

 妙子さんは、即答した俺に面食らったように、目をパチクリさせると、そのまま少し細めて問いかける。


「……あなたは、どうしてそこまでしようとするの?」


「あー、ええと。どうしてとは?」


「何故、なんの関わりもない子供を、死んだあの子の遺志だから、という理由だけで助けようとするの?……失礼だけど、光から聞いていたあなたは、自ら進んでそんな事をするような人には思えないのよ。それこそ――光に背中でも押されない限り」


「……っ!」


 鋭すぎるだろ……。

 というか、そこまで断言できるって、光はどこまで俺の事を叔母さんに話しているのだ。

 そんな恨みがましい気持ちをふんだんに乗せて目線だけで光を見やるが、どこ吹く風の如く口笛を吹き出す。表現が古すぎる。

 多分だけれど、俺は自ら動いて此処に来たとか、光が生前俺に頼んでいたとか、そういう嘘は通用しないだろう。なんたって光の叔母さんなのだから。

 光は自分が出来る事は自分の力で成し遂げるし、その光が言った事よりも俺の嘘を信用する、なんていう事はきっと無い。

 だから。


「……そうですね。確かに、多分今の俺は、いくら話を聞いていたところで、自分から動く人間では無いのだと思います」


「だったらどうして――」


「――けど。俺は光のためなら、どんな事でも出来るし、どんな願いでも叶えてあげたい。……きっと、光は俺にこうしてほしいと思うんです。君なら出来るって、言われている気がするんです」


 俺の口から出る言葉は、一応本当の気持ちだ。一部脚色はあるし、実際には本人から言われているのだけど、これならば妙子さんが求める真実足りうるだろう。


「……不純な動機ね。私がそんな気持ちの人間を近づけるわけにはいかないって言ったらどうするのかしら?」


「そうなったら、お願いし続けるしかないですね」


 そう言って苦々しく笑う俺に、少し微笑みかけながら妙子さんは続ける。


「あら、それはちょっと面倒くさいわね。そんな事をされては仕事に支障が出てしまうし、それなら、一縷ののぞみをかけてお願いしてみようかしら」


「……っ。ありがとう、ございます」


「けど、あの子は、優太くんは、とても難しい子よ。あの年で抱えるには、あまりにも問題が重すぎる」


「はい、分かっています」


「こんな事を、光や、君みたいな子供たちにお願いするのは間違っているっていうのは分かってるんだけどね。

それでも私は、暗い気持ちを抱えたままこの病院を出てほしくない。私の手に余るそんな気持ちを誰かにお願いすることしかできないっていうのは、悔しい事で、歯痒くもある事で……ごめんなさいね」


「……俺も、光から少しだけあなたの話を聞きました。いつも患者さんのために走り回っていて、触れ合って、心を通わせて、とても立派で誇らしい家族だって。

でもその手で救える分には限りがあって、そこからこぼれ落ちた分を少しでも私が助けることが出来たら、とも」


 俺は今日出会ったばかりの妙子さんの事を、何一つ知らなかった。知っていることといえば、光の叔母であること、この病院の院長である事ぐらいだが、それは事実でしかなく、彼女自身の人柄を知るには足り得ない。

 けれど、光からどんな人かを聞いて、実際にこの目で見て、それで、際限なく人に寄り添える人なんだなっていうのは理解できた。


「光が、そんな事を……」


「だから、光のため、っていうのとは別に、俺自身が、妙子さんのために、優太くんのために、なにかしたいって。そう思えるんです。……これは今気づいた気持ちで、結局動機としては不純なのかも知れないですけど」


「そんな事はないわよ。それに――――ありがとう」


 妙子さんの下睫毛に雫が溜まって、綺麗に光る。

 そのままゆっくりと手を俺の手に重ねて、その白魚のような手に力を込める。


「君のその気持ちは、きっと尊いものよ。君自身は気づいていないのかもしれないけれど、誰にでもあるものじゃない」


「そう、ですかね?……誰かを助けたいっていう気持ちは、誰しも持っているものだと思うんですけど」


「そうかもしれない。でも、自分が損をしてしまうとか、これをやると自分に得が入るとか、人間っていう生き物はそういう考えと切って離せないものなの」


 そこで言葉を切って、俺の手を握っていた手を離し、机の上に置いていたファイルをこちらに手渡す。


「優太くんのカウンセリングシートやカルテが入っているわ。あの子の退院は明日の午前十時。私はやらなきゃいけない事があるから手助けはできないけれど、頑張ってちょうだい」


「……これ、俺が要件を話す前からありましたよね?」



「――――あら、なんのことかしら?」



 ずるい人だなぁと、心底思った。


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