第4話 死んだ彼女と未練リスト

 デートをしようと言った彼女に連れられたのは、白家壮の一○五号室。冴えないアパートの一室であり、俺の家である。

 自分の家に連れてこられるという経験をした人間はこの世にどれくらいいるのだろうか。俺はよくある。

 光は、ドアのわきに置いてある植木鉢に隠された鍵を慣れた動作で取り出し、我が家のごとく開扉すると、大学のレポート用に積み重なっていたA4用紙を数枚取る。 

 そのまま傍にあったシャーペンで何かを夢中で書き始めて、今に至る。完全に俺のことは忘れている。

 ふと思い立って、彼女のふわふわしたショートヘアに指を差し込んでみる。


「あひぁっ!?」


 ボキッとシャー芯が折れた音が聞こえる。

 俺の唐突な行動に驚いた彼女はその場から飛び上がり、幽霊を見るような目でこちらを見る。まあ幽霊は彼女のほうなのだが。

 放心した後、落ち着いたのかいったん元の席に座りなおして、改めて彼女は言う。


「え、いや、なに?」


「いや、マジで死んでんのかなと思って」


「その確認が今のなの⁉︎」


「まあそうなるな。……いや実際、確かめたいことはいっぱいあるしお前がいつまで俺の前にいてくれるのかとか、聞いてみたいんだけどなんか熱中してるじゃん?ちょっとムカッときてやってしまった。反省も後悔もしてない」


「せめてどっちかしてほしかったなぁ……!」


 数日ぶりのやり取りに、数時間前まではもう二度とできないと思っていたそれに、俺たちは顔を見合わせる。仲のいい恋人どうしのそんな普通のやりとりがおかしくなって、二人して破顔する。

 何気なく付けていたテレビからは、やかましいくらいの笑い声と司会の芸人らしき男が流暢に場を回す声が聞こえる。


『さあ続きましては今話題の霊能力者。市井麗華さんの登場です』


 普段なら聞き逃していたワードだったけれど、現実に幽霊という存在を前にした今、少しだけ目線がテレビに吸い寄せられる。


『はーいどうも!ご紹介に預かりました市井麗華です。趣味は幽霊を祓う事でーす!』


『趣味だったんですか⁉︎』


 司会のツッコミが笑いを呼んで、その場が爆笑に包まれる。

 こういう霊能力者というものを、俺は信じたことがなかったけれど────そもそも幽霊を信じていなかったから────この人は本当に幽霊を見ることが出来るのだろうか。

 そんな事を考えていると、光がシャーペンを置いた音に、条件反射で視線が向く。


「まあ来人がそこまで寂しいっていうなら、リストアップはこれくらいにしておこうかな」


 そういってにやにやする光を鬱陶しく思いつつ、手元に置かれた「成仏までにやりきることリスト☆」と書かれたリストを覗く。少なくともこの世に未練があるやつがつける題名ではない。


「これ全部終わるまで私は多分成仏できない、というかしないので、どうかよろしくね」


 それについては勿論うなずくしかないのだけど、それにしてもいつもの光とあまりにも変わらなすぎて―――生きているように振る舞うのが上手すぎて―――光は生きているんじゃないかと、誤認を起こしそうになる。

 でもそれは、もうしないって決めたことだ。本当の別れが来たときまで、光が死んだという状況を認識し続けなきゃいけない。

 そう自分に言い聞かせて、間違った気持ちを消すようにかぶりを振った。





「あのさ、光。……優太君ってだれ?」


 翌日。ぐっすりと眠ったらしい光に連れられて、駅までの道を歩く。幽霊も眠るのかとか、生きているころはついぞしなかった同棲をしてしまったこととか、そんなことはどうでもいいのだ。

 光のやりたいことリストにかかれていた一つ目の項目、今日はそれを達成しに行くらしいのだが、そこに書かれていた名前は、完全に男のものである。おとこの、なまえである。

 いや別に嫉妬しているとかではないのだ。本当に。いやまじで。ただただ知的好奇心からくる欲求というだけであって彼女から知らん男の名前が飛び出してきて気が気でないという情けない男の心境ではない。決して。


「ふふふ、さあだれだろうねぇ。行ってからのお楽しみだよ」


 こちらの心を見透かしたようにウザったい笑みを浮かべる彼女をぶっ飛ばしたいなぁという気持ちを押し殺しつつ、今日の夕飯の量を減らしてやろうと画策しておく。

 まあそれはともかくとして、話をしているうちに駅に到着した。不安感が凄いのだが、まあ彼女のすることであるから大丈夫だろうと、自分を納得させる。

 いつもそうなのだ。彼女のする事に間違いはないし、それは常に誰かのためになることで、さながら映画に出てくるヒーローのような、早川光はそんな人間なのだ。


『私は別に誰かのために行動しているわけじゃないよ?やりたいことを、やりたいようにやっているだけさ。それが誰かのためになっているなら、それは喜ばしいことではあるけどね』


 こんなことを心の底から言えてしまう人間なのだ。かっこよすぎる。男として立つ瀬がないだろう、こんなの。


「なにをぼーっとしてるの?電車来たよ?」


「……あ、おう」


 光に顔を覗き込まれて、やっと我に返る。覗き込まれた顔をまじまじと見ると、にっこりと笑い返される。かわいいなこいつ。

 なんで俺はこんな完璧超人と付き合えてるんだろうなぁと思い返してみても、一向にわからない。

 学内で話題の美人に、いきなり遊びに誘われて、いきなり告白されて、そして流れで付き合って、なんだかんだ相性はよかったと思うけれど、答えを聞くのが怖くて『なんで?』の一言が聞けなくて。

 こんな臆病な人間が、彼女に見合うのかなぁと、常々思っていた。

 ……でも、そうか。光は死んでしまったから、もう聞けないなと思っていたけれど、こうして彼女は俺の隣にいる。未練を果たして、成仏してしまったら今度こそ聞けなくなる。それなら聞くのは彼女の願いが叶い終わる前しかない、のか。

 こんな時でも、これまでの関係が崩れてしまうような、そんな言葉が返ってきたらどうしようとか、そんな気持ちばかりが頭に思い浮かぶ。

 小さい人間だなぁと、自分には呆れしかないけれど、それよりも彼女を信じきれない自分が、どうしようもなく腹立たしい。


「……来人?」


 こうして、心配して声をかけてくれる、多分俺のことを好きでいてくれる彼女と、どうやっても俺は釣り合わないんじゃないかと――――


「――――来人!」


 パァン、と、乾いた音が耳を打つ。……今何が起こった?


「……光」


 その音の正体は、光が両手で思いっきり俺の両頬を挟んだもので、……というか勢いが強すぎて叩いたという表現のほうが正しい気がする。いたい。


「来人が左の頬を向ける前に、両方叩いてみた」


「キリストさんはそういう意味で言ったわけじゃないと思うんだけどなぁ」


「ともかく、なんか変なことを考えてるでしょ!そういう顔をしてた」


「……そんな曖昧な」


 実際当たってはいるけど。

 むすっという効果音がつきそうな顔をしている光を見ていたらなんだか可笑しくなってきてしまって、少し笑ってしまう。勝手に落ち込むことも許してくれないなんて、なんてひどい彼女なのだろうか。


「よし。元の顔に戻ったね。じゃあ気を取り直して電車に……」


 そう光が言いかけたところで、プシューと、電車のドアが閉まる音が聞こえる。

 完全に乗り遅れた。


「……もう少し待とうか」


 誤魔化すように笑いながら、彼女はそう言った。


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