第3話 死んだ彼女とお葬式

「どうか、声をかけてあげてください。きっと光も喜ぶと思います」


「はい……」


 お母さんにそう言われて、眠っているような彼女に近づく。

 失ったものはもう戻らない。そんな事実を否定したくなるほど、彼女の表情は穏やかでまるで生きているようだった。

 そっと手を伸ばして彼女の頬を触る。死者特有の硬さがある。

 周りを見回すと、彼女の親族たちが静かに談笑している。

 それが、無性に腹が立つ。

 彼女がもう喋れないのに。何故お前らが喋っている。彼女はもう笑えないのに。何故お前らが笑っている。そんな理不尽な感情がとめどなく溢れ出る。

 人間としては最低な事を思っている自覚はある。こんな俺を見たら、ちっちゃいなぁと彼女に笑い飛ばされるだろう。

 自分に、吐き気がする。


「なんで、死んでんだよ、ばか」


掠れた声が彼女に向けられる。かけようとしたのは優しい言葉のはずだったのだけれど、口から出たのは真逆の言葉だった。

でもしょうがないのだ。心からの思いを伝えるならば、最初に出る言葉はこれ────



「────馬鹿とは心外だなぁ、馬鹿とは」



は?





「……いや、え、なんで」


 そう呟く彼の声には、疑問と疑惑と困惑が一緒に乗っている。まあ意味はだいたい同じなんだけどね。


「やあ、また会えてよかったよ。私の愛しのだーりん!」


「いやどんなキャラだよ。だーりんとか言ったことなかっただろお前」


 すぐさま彼にそう突っ込まれる。うん!さすが来人だ、訳がわからなくても条件反射で突っ込んでくれる、そういうところが大好きなんだよね。

 とまあ、しかし。そんな反応をしてしまったせいで彼は周りから怪訝な目で見られてしまう。それもそうであろう。だって私は、他の人には見えていないのだから。


「お前は、生きているのか?────光」


「……」


 そう、私の名前は早川光。交通事故で死んだはずの、故人である。


「いや、きっと死んでいるだろうね。息をして脳も動いてこうやってここに立てて居るけど、心臓の鼓動は聞こえない。人間は心臓が動くものだからね。きっとこの私は死んでいる」


「そんっ、そんなの、分からないだろう!?」


 私が生きている事を信じようとしてくれている。荒げた来人の声からは、そんな気持ちがひしひしと伝わってきた。

 けれど私は、そんな彼の気持ちを突き放すように言う。


「分かるよ。だってそこに、――――私の死体があるからね」





「とりあえずいったん落ち着きなよ、来人」


 生きていた頃と何も変わらない笑い方をしながら、彼女は俺の頬を両側から引っ張る。

 その言葉で我に返って周りを見渡すと、今まで気になっていなかった冷たい目線が突き刺さる。


「……俺は、お前が生きていることを信じたい。でも、他ならぬおまえ自身が自分は完全に死んでいるって、そう言うんだな?」


「うん、来人の気持ちは本当にうれしいけど、なんとなくわかるんだ。この私はここに居てここに居ない、そんな存在だって」


 今一番聞きたくなかった言葉だなぁと地面を見つめて、唇を噛む。 

……なんだか本人から言われてしまうと、諦めがついてしまう。信じたくはないけれど、信じるしかないのだ。

 気付かないうちに痛いくらい握りしめていた手を緩めて、改めて光に向き直る。


「……わかったよ。信じるし諦める。というか今更だけど、お前は俺以外に見えてなかったりするのか?」


「そりゃあそうだよ。要するに私は、幽霊ってやつだからね」


「じゃあなんで俺には見えてるんだ?」


「さあ?たぶん愛ってやつのなせる力じゃあないかい?」


「軽すぎる……」


 死人とは思えない軽さである。


「それじゃあ、気を取り直して外に出よう。私はいつまで存在できるか分からないからね。その前にデートをしよう、デートを!」


 にかっと笑みを浮かべて、光は俺の腕を引っ張る。

 いやらしいことを考えてるようでいやだが、廊下を進みながら、相当でかい家でたぶんお金持ちなんだろうなぁ、と、入るときには意識の隅にも入らなかったことを改めて認識する。

 築百年はいってそうなのに全くぼろさを感じさせない重厚な木工の邸宅。三百坪くらいはありそうだ。

 高そうな壺が並んでいる玄関を出て、あてもなく歩を進める。


「しかしお前って、意外とお嬢様だったんだな。似合わな過ぎてびっくりだ」


 気持ちの整理なんてまだついてはいなかったが、少しでも気を紛らわそうと冗談めかして光に話しかけた。


「さらっとひどいことを言うね!?……まあお父さんとお母さんは果てしなくいい人で、私も自由に生きさせてもらったんだ。感謝してもしきれなくて、なのに最大の親不孝をしちゃったから、合わせる顔がないや」


「光……」


 かなしそうな表情をする光を見てきゅっと胸が締め付けられる。そうだよな、彼女を失った悲しみはきっと彼女の両親のほうがつらくて、そんな大切な人ともう言葉を交わすこともできない光のほうがもっとつらい。それなのに俺はあんなにみっともなく……。


「まあ合わせる顔がそもそもないんだけどね!なんせ死んでるから!あっはっは」


「ぅぉい」


 光はどんな時でも光だった。


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