第4話 高度な科学は魔法と区別がつかない


 馬車に揺られる道中は、実のところずいぶん久しぶりだったから、ちょっと考え事をしている内にすっかり尻が痛くなってきて、馬車が止まった時には、腰も背中も強張っていた。


 ザルム家領主の館の、門からは徒歩での移動となる。少々長いが、硬くなったからだをほぐすにはちょうど良い。


「馬車の旅路も疲れるねぇ。もっと快適な乗り物が発明されないものかな。例えば、馬すら必要としない、馬よりももっと早い乗り物とかさ」


 馬車を背後に見送って、ちょっと呟いてみる。ハンス君は、首を傾げて考える素振りを見せてから、


「例えば、よくある魔法の箒みたいに、非生物的動力で動く乗り物ってことさ」


 以前、別世界から漂着した本に書いてあったことを思い出す。

 その世界では、原理は不明だが、馬車よりもたくさんの人間を乗せられて、その上で、高速で移動できる乗り物が一般的らしい。動力もまた詳細に書いてはいなかったが、前後の文脈から察するに、馬でないことは確かだった。


「だったら、みんな魔法使いにならないと、ですね」


 僕としてはもう少しこの話を転がしてみたかったが、ハンス君が語尾を短く切って注意を促すものだから、僕もそれに従う。彼の視線の先を追いかけると、男と女。ひとりは、よく見知った男だ。


「ようこそおいでくださいました。スキエンティア卿。ハンス君も実にご苦労だったね」

「お久しぶりですね、ヴァイスさん。相変わらずお若くあられる」

「ははは。あなたにそれを言われると嫌味にしか聞こえませんよ。もっとも、同年代の他の者たちよりは若い自信はありますが」


 アルフレッド=リッター=ヴァイスは、故ザルム伯と共に学び育ち、そして彼が元服すると同時にお付きの従者となり、年月と苦楽を分かち合ってきた人物だ。物腰は柔らかで、また実に博識で、さらにそのうえ初めて会った時は、歌劇の男優かと見紛うばかりのハンサムであった。二十数年の年月の経過が、顔に皺を刻み付けたものの、それがまたダンディだ。


「これは娘のベアトリクス。まだまだ半人前ですが、今年の春から、ザルム伯の執事になります」

「お久しぶりにお目にかかります、スキエンティア卿。私のことを、覚えておいでですか」

「ああ、もちろんだとも。最後に君にあったのは、まだ故ザルム伯が存命の頃だったね」


 ヴァイス家は、代々ザルム家の執事を務める家系だ。その血筋の第一子は、男女問わず執事としての英才教育を受け、ザルム家の次期当主の付き人としての能力を養う。


「今年の春から……ということは、ああ、そうか、もうそんな時期になるのか」

「おや、ご領主様の後見人ともあろう方が、お忘れでしたか」

「僕は後見人としての自覚はないですよ。彼女だって、君だと思っているだろうし、そうでないと困ります。くれぐれも、教えてないでしょうね」

「あなたも変わったお方だ。すべて話して聞かせれば、ご領主も分からない方でもないでしょうに」

「なにぶん、僕は彼女に毛嫌いされていますからね。それに、あの小娘の頑固さは父親譲りです。妙なところばかり似て」


 僕が気軽に小娘、なんて言うもんだから、ベアトリクスは急にそわそわしはじめた。誰か、聞き耳を立てている者がいるのではないかと不安がっているのだろう。


「小娘は小娘だよ、ベアト。彼女は、君よりも年若いだろう」

「いえ、ですが、このオストセー地方のご領主様にあらせられます」


 緊張した面持ちで改まって言うもんだから、ついつい噴き出してしまう。


「スキエンティア卿、娘をからかわないでください。この領邦内で、ご領主をそのように呼べるのは、あなたくらいのものですから。それより、そろそろ入りましょう。ご領主は、美しく利発で分別のある方だが、あまり気の長い方ではありませんから」

「ええ、まったくです」


 ヴァイスさんの案内に従って、館の中に入る。館の扉は図書館と造りも材質も同じはずだが、よく手入れがされているのか、開く際の重々しい感じはない。

 中もほこりっぽくなく、実に清潔だ。いったい何人使って毎日掃除させていることやら。家なんか、寝起きができればそれで充分なのに。


「おや、来賓室はこちらでは?」

「ご領主の書斎にお連れするように承っています」


 領主の館というのは、通路の幅は広いが曲がり角が多い。これは、戦争の際、軍勢を分散する役割がある。それから、使っていない空き部屋も多い。平時には来客を招き、寝泊りさせる役割があり、有事には、防衛・攪乱施設として用いられる。


 そしてここは大魔法使いテオドール=ザルムの棲み処としていた館である。ただの空き部屋という訳はない。侵入者を撃滅する魔法の槍衾から、いやがらせ目的のための泥団子投射装置など、いたるところに仕掛けられている。事情を知らぬ来賓客が、使用人の注意を無視して、まんまと罠にかかる、なんていうのもむかしは少なくなかった。

 ほとんどは研究の失敗や副産物をそのまま転用したものであるが、失敗で副産物であるからこそ、当の本人にも解除も回収も不可能なものが多い。


 例えば、十年前にここで大規模なパーティが催された際、どこかの貴族の好奇心旺盛な娘が、立ち入り禁止の通路に入り、魔法生物に全身を絡めとられる、という事件が起こった。

 叫び声を聞いて、僕と故ザルム伯が向かった時には、あられもない姿をさらして、助けて助けてと喚いていたが、どう考えても自己責任であるし、彼自身も、いつ設置したのか、どういう意図で設置したのかも忘れていた始末だったから、魔力が切れるまで数時間、彼女は魔法生物に体をまさぐられ続けていた。


 そういう訳だから、僕もここを訪れる時は、特に三階に入ってからは少し緊張する。ヴァイスさんの案内から少しでも外れれば、あるいは、その瞬間に足元の床が燃え出す可能性すらある。


「ご領主、スキエンティア卿がお見えになりました」

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漂流図書館の経営術! 終末禁忌金庫 @d_sow

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