第3話 すべての道はいずこへ通ず
「スキエンティア卿。スキエンティア卿はいずこに」
「はい、はい。いますよ」
遠くの方で僕を呼ぶ声で、意識が現実に引き戻される。
「卿」の称号を頭につけて呼ばれる、ということは、どこかしらからの正式な使者だ。もうこの称号を頂戴してから二十年近く経つが、いまだに呼ばれる時にはむず痒いというか、面はゆい。
故ザルム伯から、図書館司書の報酬として押し付けられたのだが、僕は彼の熱意に打たれて招かれたのであって無報酬でも構わない、と何度も跳ね除けたのだが、領内を動きやすいから、とかいう理由で、ぐいぐい押されて、結局王の御前で騎士位下賜の儀を受けるにまで至った。
まぁ、実際、この称号があるだけで、なにかと優遇されるので便利と言えば便利である。とはいえ、図書館の管理をするにあたって、過分で不必要には違いないのだけれど。
「スキエンティア卿はいずこに!」
「いま行きますよ、っと」
声の方からすると、おそらく図書館の中央あたりに使者の男はいるのだろう。僕の寝起きに使っているスペースなのだが、まあそこまで入ってしまったものは仕方ない。しかし、これ以上踏み込まれると、本が未整理の区画になるので、こちらから出向くことにする。
「よ――っと」
「わっ、びっくりした!」
簡易な空間転移魔法。事前に設定した目標物まで転移するだけで、その上、図書館の空間転移魔法に便乗しているので、図書館内部でしか使えない不完全なものだが、このだだっ広い建造物の中を移動するには都合が良い。
「って、ハンス君じゃないか。久しぶり」
「スキエンティア卿! ハンス君はもうやめてくださいよ。最後に会ったのは、もう五年前ですよ」
「そうだっけ。そりゃあ背も高くなるね。君が来たってことは、帝室からの要請かい」
「いえ。僕は、先月付けオストセーの衛兵として働かせていただいてます。やはり、故郷の土が恋しくなっちゃいまして」
「なるほど、ということは、あのわがままお嬢様のお使いかい」
「ふふ、ご領主様をそう言えるのは、きっとあなただけですよ」
ハンス君が小さく笑う。きっと彼も内心はそう思っているのだろう。
「まぁ、大恩あるザルム伯からのご用向きならば、急がない訳にもいきますまい。さっそく準備するよ」
「助かります」
ザルム伯からの呼び出し、というのは、むろんかの大魔法使いではない。この国において爵位は、親から子へ、子から孫へ代々受け継がれていくものであるから、特別に区別のない限り、ザルム伯とは、現オストセー領主、エルザ=フォン=オストセー=ザルムのことを指す。すなわち、彼のひとり娘である。
ちなみに、大ザルム伯と呼ぶと、彼の父親を指し、それよりも上の代は先ザルム伯。また、有名な逸話がある場合、例えば、白馬の騎士として、今でも街角で人形劇にもなっている三代目ザルム伯は、先ザルム伯
「さすがにこの格好はまずいかな」
「ええ、まあ。あなたにとっては娘のようなものでも、ご領主様ですので……」
「僕はあの子のおしめを取り換えたこともあるんだけどな。けれど、あの子にお父様なんて呼ばれることを想像すると、鳥肌が止まらない」
「それに、どうやら不機嫌のようでした。あまりご不興を買われるようなことは」
「僕はあの子の機嫌の良いところを、ここ三年で見たことがないよ。君も、彼女の変化にはずいぶん驚いたことだろうね」
普段は図書館からほとんど出ることがないから、薄汚れたローブで日がな一日過ごしているが、これでも一応、かりそめの爵位を持つものとして、重要な式典への参加を義務付けられる時もある。その時のために、外出用の衣装も数着用意してあるものの、重いし動きづらいし、着付けも面倒だから、それこそ帝室からの呼び出しでもない限り、まぁ着たくない。
いわんや、おしめを取り換えたような小娘の下へ行くのに、何故か。
が、貴族というのは体裁を意識しすぎるきらいがある。故ザルム伯もよく愚痴を零していたのを覚えている。そういう意味では、彼は変わった貴族だったのだろう。だのに、その娘はいかにも貴族然としているのは、何故か。
不承不承、外向き用のローブに着替える。ここは五年ぶりに再会を果たしたハンス君の顔を立てることにしよう。
「馬車を回してあります」
「うん、ありがとう」
とはいえ、進言したいこともいくつかあった。頃合いを見てこちらから顔を出そうかとも考えていたので、間は悪くない。が、こんな重たいローブを引きずって、小娘の命で招聘されるというのが気に食わない。
「領内の道のいろんなところが整備されてますよね。帰ってきてびっくりしましたよ」
「うん、まあ、それは彼女の功績だね。しかし、良いことずくめという訳でもない」
数年前までは、主な道といえば、商人たちが行商のために行き来を続けた結果に出来た踏み均されたもののことであった。そのため、行商人があまり通らないこの辺りでは、でこぼこの土と砂利が広がるばかりで、馬車で行くよりも歩く方がよほど快適なくらいだった。
しかし、いまや都市と都市を繋ぐ道にはしっかりと石畳が敷き詰められはじめ、まさに現在もその工事は続けられているという。
その費用は、いったいどこから捻出したものなのか。
僕は土木工事の専門家ではないし、また、国家の懐具合を預かる宰相でもないから、これらにどの程度のお金が動いたのかは想像もつかない。しかし、何かを造るには必ず金と人の手がかかり、そうして金は、山登りの最中に喉を潤してくれる湧水のように無限に湧くものではないということは、子供でさえ知っていることだ。
彼女の耳に入れておきたいこと、というのはこのことだ。もちろん、彼女も重々承知の上で、耳にタコができるような話かもしれないが、亡き親友の領地のことを憂えると、それが年寄りの小言と分かっていても、漏らさざるを得ない。
ああ、僕も年を食ったかな。
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