元カノと幼なじみが「二番目の女にしろ」と迫ってくる

アーブ・ナイガン(訳 能見杉太)

第一話

 俺の三十年の人生で初めての一目惚れは、大人気番組を開始二十分で終わらせてしまった。

 二ヶ月強の生活で結婚相手を見つけるという番組コンセプトを開始早々ぶち壊してしまったのだ。


「…………? どうしたんや、西谷君。あ、『光一君』でええよな。はよ仲良うなりたいし」

「は、はい! ぜひ下の名前で呼んでくださいっ! 俺も早く仲良くなりたいです! これからよろしくお願いします」

「ハハ、元気やなー。ならタメ口のがええやろ。年も一つしか違わんわけやし」

「そ、そうですか。じゃあ、よろしく、桜子さん」


 こちらこそ、とペコリ頭を下げてから、その長い黒髪を揺らして颯爽と去っていく小針桜子さん。大理石の階段を上がって豪邸に入っていく後姿が、純白のドレスと相まって優雅極まりない。一つ上と言っていたが、年齢よりもずっと若々しく見える。でも俺を優しく包み込んでくれるような雰囲気は母親のようでもあって。

 天真爛漫でありながら落ち着いた空気も併せ持った大人の女性。こんな人と一緒にいられたら一生幸せだと一瞬で確信させられてしまう、眩しくも穏やかな笑顔。


 ああ、やってしまった。

 いろんな意味でやっぱり俺に「バチェラー」の資格などなかったのだ。


『ザ・バチェラー』。

 地位も名誉もルックスも兼ね備えた独身男性――「バチェラー」を独身女性二十人が奪い合うという内容の恋愛リアリティショーである。

 そのバチェラー役に俺は選ばれたのだ。


 そして今日がその撮影初日。参加女性達が共同生活を送る大豪邸が冬の星空に彩られて煌めいている。

 そんなインスタ映えムンムンの光景をバックに、俺は女性ひとりひとりと自己紹介を交わしていた。

 とても綺麗で華やかで内面も優れていそうな十七人が初対面の俺に対して全力のアプローチを仕掛けてくる中、十八人目にリムジンから降りてきて、俺の前に立った桜子さんのさっぱりとした挨拶に、俺の心は鷲掴みにされてしまったのだ。


 ああ、俺この人と絶対結婚してぇ。


 俺はこの番組に結婚相手を見つけに来たのだ。この番組で勝ち残った最後の一人、つまり二ヶ月間の生活で俺が選び抜いた一人と絶対に結婚をする。

 それは今回のバチェラー役に決まった時点で、公式に宣言していたことだ。女性達も皆、それを知った上で応募してきてくれた。この番組の過去のシリーズでは、最後に選ばれた女性とバチェラーが実際に結婚まで行くことは少なかったようだが、俺は参加女性にも視聴者にも、勝者と絶対に結婚すると宣言をし、婚約指輪も持参で、退路を断ってここに来た。


 だから当然、俺と結婚したいと思ってくれる女性しか選ばない。まぁ女性達も俺のスペックを見た上で結婚願望を持って参加してくれているはずだし、そう大きな問題はないだろう、と上から目線で気楽に構えていたが――そんな場合じゃなくなった。


 俺は何としてでもあの人の心を落とさなければならない。桜子さんじゃきゃ嫌だ。これは運命だ。俺が結婚したいと思える相手はもうこの世界に桜子さんしかいない。


『毎話毎話、数人ずつ、後半では一人ずつ、女性達を脱落させていき、最後に残った一人が勝者』というルールのこの番組で、開始早々その一人を決めてしまうなんて言語道断だ。しかも女性達が一人の男を賭けて争っていくというコンセプトなのにもかかわらず、俺はもはや自分の方から桜子さんに猛アタックを仕掛けようと思ってしまっている。

 とはいえ、ディレクターとして俺をバチェラーに抜擢してくれた美奈穂みなほの顔を立てるためにも、番組は成立させなければならないが……まぁ、表面上は複数の女性で悩んでいる演技をしながら、桜子さんに気に入ってもらえるよう頑張ろう。

 人として、男として、最低の行為ではある。他の女性達には本当に申し訳ない。でもしょうがないじゃん! だって恋しちゃったんだから!


 もう俺の頭の中は桜子さんの可憐な笑顔でいっぱいなんだ。他の人のことなんて考えられない。申し訳ないが十九人目・二十人目の二人はもう登場すらせずに帰ってもらって構わない。その方がお互い無駄に心を傷つけずに済むだろうし。今リムジンから降りて俺の方へと歩いてきている金髪ショートで背が低めの――


「え」

「初めまして。高嶋紗代と申します。よろしくね、光一」

「――――」


 おい、おいおいおい。何が初めましてだよ、何がよろしくだよ。


 そいつは――紗代は、俺の前に立って口角をこれでもかと引き上げ、まったく笑っていない目を無理やり細め、


「一応タレント活動をやってて、ローカル番組とか、あと映画とかドラマとかにもちょいちょい出たことあるんだけど、まぁ知らないよね、ほぼエキストラみたいなもんだし」


 知ってるわ。めっちゃ知ってるわ。お前がタレントであることを知ってるどころか、お前がタレントを目指して芸能事務所のオーディション受けまくってた時のことも知ってるし、何なら面接の練習とか付き合いまくったし、面接に遅刻しそうになったお前を後ろに乗せてバイク飛ばしたことも覚えてるし。


「何で、お前が――」

「そうだ!! はい! お手紙! お手紙書いてきたの! あたし人と話すのめっちゃ苦手だからさ! 特に初対面の人とはね! だからお手紙、はい、受け取って! そんで読んで! 今すぐ、はい! 今! すぐ!」


 俺の言葉をかき消すほどの大声を発しながら、紗代が俺の両手を取って、便箋を握りこませてくる。

 てか初対面って。どこが初対面なんだよ。お前のどこか口下手なんだよ。わかんねぇことばっかだよ。マジで何がしてぇんだよ、こいつは……。

 何て考えていると紗代がめっちゃ怖い視線で「早くしろ」と促してくるので、手の中でクシャクシャになっていた手紙を開く。


「…………――は?」


 その内容に面喰いながらも瞬時に紗代の意図を読み取って、顔を取り繕う。俺達を囲むカメラから手紙の中身を隠すように顔を近づけ、その上段の文章を音読する。


「……『番組参加募集のページに上がっていた光一の動画を見て一目惚れしてしまいました♪ 昔から二十代のうちに結婚したいと思っていたのですが、なかなか良い出会いに恵まれずに二十九歳になってしまったその日にあなたと出会えたことは、運命に違いありません! 絶対にあなたと結婚するという決意を胸にここに来ました♪ あたしって結構~~」


 とか云々かんぬん長々と綴られた駄文を機械的に追いながら、俺の意識は下段の文章に囚われていた。


 曰く、『初対面のふりしろ。この番組を使ってあたしの名前を売れ』


 そういうことかよ……これだけでこいつの目的は大体わかってしまった。

 要するに、こいつはこの番組を踏み台にして芸能界でブレイクしようと企んでいるわけだ。その姦計に俺を協力させようとしている、と。

 そして、具体的な方法が以下に続く。


『あたしに惹かれている演技をして、あたしの存在を際立たせろ。あたしを結婚相手に選ぶかどうか最後まで悩む芝居をしろ。ただし、最後の一人にはするな。当たり前だけどあんたと結婚なんてしたくない。あんたが選んだ結婚相手とあたし、この二人を最終話まで残して、最後の最後にあたしを切り捨てろ。二十人の中の十九番目に落とせ。つまり、あたしをあんたの二番目の女にしろ』。


 番組は全十二話になる予定だが、最終話まで出演できるのはバチェラーである俺とファイナリスト、つまり最後まで残った二人の女性だけだ。毎話毎話、俺に選ばれなかった女性達が番組を退場していくことになる。

 そんな中で小針紗代という名前を売るためには番組終了まで残るのがいいに決まっている。

「最後の三人」ではダメなのだ。

 十話まで残ることと十一話まで残ることの価値の差が二倍だとすると、十一話まで残ることと最終話まで残って落とされることの価値は軽く十倍以上にはなる。

 単純に画面に映る時間が増えるとかそんな理由だけでなく、ファイナリストになれば最終話でその人物像がかなり力を入れてフォーカスされるのだ。最後に振られたということで世間から買える同情も他とは比べ物にならない。正直最後から三人目の出演者とかすぐに忘れ去られる。


 だから、こいつがこんな無茶苦茶な要求をしてくることも理解できる。だが。理解はできてもその要求を飲む理由はない。俺がこいつに協力するメリットがない。

 大体そんなの、やらせになっちまうじゃねーか。お前は俺がバチェラーに選ばれたことを知ってこの作戦を立ててきたんだろうが、そんな自作自演に乗ることはできない。悪いが、知り合いが来ちまったこともちゃんと公表して、お前には今日、さっさと降りてもらうぜ――なんて俺の甘い考えは最後の文章で打ち消された。


『協力してくれなきゃ、あのことバラすから。この番組であんたが選ぶ結婚相手に』


「~~ということで今日からよろしくね♪』ってわけか。うん、君の人柄がよくわかるとてもいい手紙だったな。おう、わかった。こちらこそよろしくな、紗代さん!」

「うんっ、ありがとう光一! あたしのことも呼び捨てでいいよ! そっちのが呼びやすいっしょ!」


 ギラギラとした目でそんなことをほざいてから、豪邸へと去っていく紗代。


 クソっ、クソクソクソ! クソが! やられた! ふざけんな! そんなのアリかよ!? 「あれ」で脅されたら従うしかねぇじゃねーか!

 クソ! 何で……何でよりもよってあいつが……知り合いが潜り込んでくるにしたって、お前だけはねーだろ! お前は俺の恋愛リアリティショーの舞台に一番いてはいけない人間なんだから。


 お前は三年前、俺と最低最悪の別れ方をした――俺の人生唯一の元カノだろうが!


       *


 はぁ……。まぁいい。落ち着こう。別にいいじゃねーか。

 うん、そうだ。冷静に考えてみれば何も問題なんてない。俺はもう桜子さんを最後の一人にすると決めてしまっているのだから、最後から二番目の女性なんて誰でもいいんだ。

 勝者を決めてしまっている以上、これからの番組全てがある意味俺の芝居になるようなもので、そこに紗代という演者が一人加わったというだけの話だ。むしろ落とすことに全く心を締め付けられずに済むという意味ではありがたいのかもしれない。傷つける人の数が十九人から十八人に減るのだから悪い話じゃない。何ならこれから登場する二十人目も知り合いならいいのに。まぁそんなわけねーんだが。


 てか紗代が参加すること、当然ディレクターの美奈穂は知ってたわけだよな。あいつ……。

 遠くで撮影を眺めていた美奈穂に視線を送ると、気まずそうな顔で思いっきり目を逸らされた。クソ、後でちゃんと説明してもらうからな。


 なんて考えているうちにいつの間にか足音がすぐそばまで近づいてきていた。

 ああ、二十人目の参加女性か。悪いがもう相手にしている精神的余裕なんてない。体面だけ取り繕って適当にやり過ご――


「え」


 黒いミディアムヘアがさらっと揺れて、青りんごのような匂いが鼻を掠める。懐かしい匂い。昔から知っている香り。

 そいつが俺のすぐ目の前に立ち、俺を見上げてくる。目尻と口角をピクピク痙攣させるような引きつった笑みを浮かべ、


「初めまして。渡辺めいよ。三十歳、あなたと同い年ね。栃木の実家で農家をしているわ。ふふ、地元まであなたと同じみたいね。もしかしたらどこかですれ違ったことがあるのかもしれないわ。もしそうなら、そんな二人がこうやってこんな場所で対面できるなんて運命だと思わない?」


 思わねーよ。当たり前だろ、お前と俺が同い年なのもお前と俺の地元が同じなのも。だって、


めい、お前……っ、何で――」


 という俺の言葉は物理的に遮られた。柔らかくて温かいものを唇に押し付けられ、無理矢理封じ込められた。

 てか明にキスされた。

 思いっきり背伸びをしている明。両腕を首に回されて、無理矢理屈めさせられた俺の顔が、その小さな顔へと吸い込まれていた。


 は? 何だこの状況。キスて。お前とキスて。いつぶりだろう。たぶん小二とかか、最後にしたの。何かすげー虚無感。気持ち悪いとまでは思わないけど単純に意味がわからない。何で三十にもなってこいつとキスなんてしてんだろう。あ、でも番組の視聴者から見たらいいシーンになるのか? 出会い頭から超積極的にバチェラーとの距離を詰め寄る肉食系女子とかワクワクするよな。いやでもお前全然そんな奴じゃねーじゃん、突拍子もなくキスとか絶対するタイプじゃないじゃん。いやてか俺とキスするようなタイプじゃねーじゃん。タイプってか立ち位置じゃねーじゃん。だってお前は――


「こーくん、黙って。わたしとあなたは初対面。そういう設定で乗り切って」


 明が絡みつくように抱きついてコショコショと耳打ちしてくる。傍から見たら耳にキスをしているようにも見えるだろう。

 いやいやいや。てか初対面って。ダメだ、もうめっちゃ嫌な予感しかしてこねぇ。


「落ち着いて。わたしだって、いやわたしの方が焦っているの。何の説明もなく急に美奈穂に連れてこられたのよ、ここに。そしたらこんなことになっていて……何よ、バチェラーって。あなた女性経験一人だけのセミ童貞じゃない」


 ああ、何となくわかってきたぞ……たぶん本来参加するはずだった女性のドタキャンか何かがあって、急遽代役として美奈穂がこいつを拉致って連れてきたんだな……。何やってんだあいつマジで。

 まぁいい。そういうことなら話は簡単だ。


「わかった。今日のうちにさっさとお前を落としてやるから、それで帰れ。どうせ数合わせ、」


 耳打ちし返した俺の言葉を、明がさらに耳打ちで遮ってくる。何だこれ。何で初対面の男女が耳キスし合ってんだよ。


「だめっ。帰る場所ないのよっ、お母さん達と喧嘩して飛び出してきちゃってて……美奈穂の家に泊めてもらうってことになってたのっ。それなのに美奈穂に騙されてこんなことに……お願いっ、お金もないのよ」

「はぁ? しょうがねぇ、金くらい――」

「都会恐怖症なの知っているでしょう! 小六の修学旅行を思い出しなさい! このわたしをホテルで一人にする気!? 死ぬわよ!? ……とりあえず二ヶ月ちょいもすればお姉ちゃん夫婦の新居が完成してみんなそっちに引っ越すことになっているから、それまでは……っ、お願いっ、だから最終話まで残して! こーくんが結婚するって決めた女性とわたしをラストの二人に残して、最後の最後でわたしを落とせばいいからっ!」


 は? いやお前、それって……っ!


「いや、そんなこと言われてもな、だいたい俺がお前に従うメリットなんて――」

「言うわよ。バラすわよ、あのこと。あなたが選んだ結婚相手に」

「な――」


 お前……そんなのずりーだろ……「アレ」で脅されたら従うしかねーじゃねーか……。


「お願いね? まぁ別にいいじゃない。二番目の女でいいのだから。最終的には落とすのだからあなただって何も損しないでしょう?」


 そうだ、確かにそうだ。お前を二番目にするだけなら難しい話じゃない。

 でもな、二人いるんだよ。

「二番目の女にしてくれ」って約束を、二人としちまってんだよ。

 元カノと、めい――0歳からの幼なじみのお前とな……。


 おいおいおい、え? おいおいおい。どうすんだ。


 最後の二人に残さなきゃいけない人間が二人。二人ともそこで落とすという約束になっているが、そういうわけにはいかない。当然だが、ルール上、最後の一人を残さなきゃいけない。そしてその人と俺は結婚するんだ。紗代か明――元カノか幼なじみのどちらかと――いやいやいや、違うだろ、俺は桜子さんと結婚すると決めたのだ。最後に残ってもらうのは桜子さん。え、じゃあどうすんだ? 最後の一人にするってことは当然最後の二人にも残さなきゃいけないわけで。桜子さんと紗代と明、三人を最後の二人に?


 待て待て待て落ち着け俺。要するに三人の中から二人を選ばなきゃいけねーってわけだろ。で、桜子さんを残すのは絶対だ。大前提だ。残りの一枠を紗代か明のどちらかから選ぶ。


 いやダメだ。どちらかを切り捨てたら、あれやアレが桜子さんにバラされちまうんだった。じゃあやっぱり紗代と明を最後の二人に……いやいやいや桜子さんを落としてどうする!? 俺はもはやあの人と結婚するためにここに来たようなもんなんだぞ!?


 それに何より。二人が求めているのは「最後の二人に残った末に、最終話で俺に振られる」ことなんだ。結局その要求を完全に叶えられるのは紗代と明、どちらか一人だけ。

 そして、落とされることなく最後に「勝ち残った」方は俺と結婚しなければならない。


 ああ、ダメじゃん。詰んでんじゃん。どうすりゃいいんだ、これ……。


 こうして。元カノと幼なじみに「二番目の女にして」と迫られながら結婚相手を見つける恋愛バラエティショーが幕を開けたのだった。開けちまったよマジで……。

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