第4話 傍観者

 聡太は、今でも明瞭に思い浮かぶ光景がある。丁度この夢列車で、響林に下りながら明子や朱莉達と力強く語り合った日々である。

 知識と経験、知性と感情、その全てを用いて言葉に血を通わせていた。あの日々が研究に従事する者としての姿勢と覚悟を彼に刻ませただろう。

 しかし今やただ記憶の泡沫。あの情熱は無知故のものだったのではないか、そう疑う時もあった。

 

 院での生活は、それまでと異なり鬱々としたものだった。孤独に読み、構想し、書く。そこに心通わせた対話が介在する余地は無かった。

 聡太の最も憂鬱な時間は、研究所だった。聡太の研究所には特殊な風潮があった。

 研究が遅れている者に対して、教授がそれについての冗談を言い、院生が大声で笑うのである。


「胸糞悪い瞬間だった。

 院生は、さして面白くもないジョークを口角を上げ、手を叩き、これでもかと笑う。嘲笑された人間は、下をただ俯きながら辱めに耐えるだけ。 『笑ってもいい人間』を作り出し、ゼミ内の秩序を保つことがあそこでのルールだったらしい———

 僕はただ、傍観者だった。

 あいつらがやっていることが、決して良いことではないと解していながら、それを諫める訳でもなく、ただ眺めていた。

 ……怖かった。あそこには僕より頭が切れる人間、勉学に励んだ人間がいて、いつ自分が笑われる側に立たされるか分からなかった。

 あの陰鬱とした日々が、徐々に精神を蝕み、毎日のように誓った想いをどこか若さ特有のものとして見るようになった。

 僕は、汚い人間だ。一度口にした己の正義すらまともに貫けない。そのくせ心の中だけでぶつぶつと呟くだけ———

 結局、僕はエゴイストで、自己本位で、人を助けるなんてできやしない……所詮、奴らと同じ部類だ」


 聡太は瞼に籠った涙で明子の表情が読めなかった。軽蔑しているのか、それとも朗らかに微笑んでいるのか、どちらにせよその奥底では聡太への落胆の想いだろう。


 しかし、聡太はそれでも構わなかった。想いを吐露していくうちに、彼の中で自らを罰したい欲求があった。

 一刻も早くこの罪から楽になりたかった。明子から蔑みの言葉を貰い、自らを恥じ、そうして明日を迎えたかったのだ。


 しかし明子は何も言わない。まだ罪が残っているでしょうと言わんばかりの沈黙である。

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