第3話 慟哭
静寂が轟いた。
聡太の動揺に関心がないのか、明子は背筋を伸ばしたまま目を逸らさない。その姿はさながら一種の偶像のようで、彼女の前でおよそ嘘は通せないだろう。
聡太は観念した。自らの醜態を明子に晒すことはやはり
彼の告白をなしに明子は諦めてくれないだろう。聡太はもはや懺悔の心持ちで口を開いた。
「研究が辛くなった……そうかもしれない……いや、研究は常に辛いものだった。
血反吐を吐きながら土臭いトンネルを手掘りで進んでいく、それが研究だ。
必要なのは血汗の量と、意志。
そして僕は学問への意志を無くした。トンネルの向こうの光の輝きを信じれなくなった———」
聡太は表情を歪ませながらゆっくりと話す。混色の黒いヘドロを吐いている感触だった。
しかし、一度吐き出した言葉は止まらない。
「時に、学問は、社会学は誰のためにあると思う?」
「———社会のため、ひいてはそこに生きる人達のため」
「僕も、そうだと思う。田崎先生がお叱りの時、いつも仰っていた。社会学に尽くす人間はひいては社会に尽くす人間、人に尽くす人間たれと———
でも、院の奴らは違った。奴らがやっていたことは、自らの知性にかまけるだけの言葉遊びだ。
名もなき苦しみに喘ぐ人たちに明日を見せる学問をしていながら、どこか奴らは知的欲望に負け、人を見ず、文字ばかり対峙している。
それどころか、奴らは苦しむ人々を心の奥底で嘲笑い、人をいつしか賢き者とそうでない者とに分け、後者を足蹴にする。人の哀しみを笑い、人の惨めさを笑う……。
奴らは思想に力があると口にするが、人を見下す者の思想の力なんて、ただの暴力だ、凶器だ」
「でも、君は違う」
明子の眼差しは強い。それは聡太への信頼なのか、自らの信念なのか。
明子の目は刹那、聡太の正義感を揺さぶったが、彼自身それを拒否した。
「そうだ、僕は違う。僕は惨めさを知っている。社会の病理によって落とされた、底なし沼の息苦しさと臭さを知っている。
顔の見えない蔑み、反響する自己嫌悪、弱き者が別の弱き者に唾をかける果てしなき輪廻———
その全てを知り、感じていたつもりだった。そして、自らを思考し、行動する者としてその身に誓ったはずだった。
しかし、僕は違った。僕は違ったんだ!
あの時、何故あの時…僕は黙ってしまったんだ……いや、あの時だけじゃない……
僕は、偽善者ですらない。偽善すら行えない。それを悪と知りながら自分可愛さに加担してしまう……
そんな人間は、学問をするべきじゃない」
夢列車は青年の慟哭と涙で溢れていた。
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