第9章 解

第40話 第一の謎の証明

 三月になって、吹く風はすっかり暖かくなっていた。かつて羽織っていた厚手の黒いコートはもう出番も少なく、今はセーターと少し薄い春物のジャケットの組み合わせくらいがちょうどいい季節となった。


 つい二か月ほど前にも、俺は同じ道を歩いていた。


 向かっている場所は未来人にまつわる三つの謎が提唱されたファミレス。


 四人で集まったあのときからだいぶ月日が経って、とうとう俺がみんなの前で推理を披露する日がやってきたのだ。


 顔を上げ、澄んだ空を仰ぐ。天気は今日も快晴だった。


 ただ、前回と違って時刻はお昼時を過ぎていた。集合してすぐに本題に入りたかったので、昼飯は各自で食べてこようと俺が提案したのだ。


 笹本と公園で会った日以降も未来人の謎に向き合い続け、推論はさらに成熟度を増していた。もはや推理をまとめたレポート用紙がなくても、第一の謎の始まりから第三の謎の終わりまで証明を諳んじることができるほどだった。


 ゆえに、今日はどんな追求をされても対応できる。


 ファミレス前の横断歩道。信号は赤。


 二か月前にはここで何を考えていたのか。思い出そうとしたが、記憶が引き出されないうちに青になった。


 さっさと信号を渡ってファミレスに到着する。そこにはまだ誰もいなかった。


 俺は店の外で鞄を開け、証明を記した紙を取り出した。発表に備えてもう一度だけ目を通しておく。最後のあがきみたいなものだが、これをやるかどうかで精神的な部分が違ってくる。


 数分後、会澤と笹本がほぼ同時に店に到着した。


 結果的に一番遅れてやってきたのは氷川だった。約束の時間ちょうどに、彼女はいつもの凛とした表情で現れた。


 四人揃ったところで店内へと入ると、案内されたテーブルは偶然にも前回と同じだった。なので、座る位置も前回と同じにした。長丁場になることを見越して、俺たちは全員ドリンクバーを頼んだ。


 そして、舞台は完全に整った。




 ――さあ、証明の始まりだ。




「今日は集まってくれてありがとう。今から未来人の謎に関する俺の推理を披露する。目標は全員が納得して終わることだ。だから、途中で質問があったら何でもしてくれ。それから便宜上、俺のほうからも尋ねたりすることがある。そのときはできるだけ正直に答えてほしい。今日の集まりにおいて嘘はなしだ」


 謎解きのリーダーらしいことを言いながら、俺は席に座った三人の顔を見回す。前の会澤と隣の笹本はしっかりと頷いたが、斜向いの氷川だけはなぜか複雑な表情をしていた。


 でも、何も言わないということは問題ないということだろう。そう解釈し、俺は話を先に進める。


「一応確認しておくが、今回の証明は『新島未翔は未来人である』という仮説に対し、その根拠として提唱された三つの謎を検証していくというものだ。順序としては第一の謎から説明を行い、第二の謎、第三の謎と進んでいく。一つ終わるごとに異論がないか尋ねて、そこで何も出なければ証明は完了とする。ここまでで何か質問はあるか?」


 訊いてみたが、誰からも声は上がらなかった。


「質問がないようなら、これから早速、第一の謎の検証に入る」


 俺は手元のレポート用紙を一瞥し、大きく息を吸った。


「第一の謎。新島未翔はなぜ組体操での怪我を予知できたのか? 提唱者は会澤。ある日の放課後、たまたま未翔と教室で二人きりになった会澤は、そこで彼女に『怪我に気をつけて』と言われ、実際その日に大怪我をしたというものだ」


 問題の内容をおさらいし、次に考えるべきポイントを説明する。


「ここで重要になるのは、未翔がなぜ怪我を予知するような発言をしたかだ。つまり、この台詞を言うきっかけになるトリガーがはっきりとすれば、怪我をすることを知ってて言ったのか、あるいはそうではなかったのかがわかる」


 真剣に話を聞く三人の様子を窺いながら、俺は単刀直入に宣言した。


「そして、俺はそのトリガーを見つけた。トリガーは二つある」


 指を二本立てると、よりいっそう場の緊張度が高まったのが感じられる。その中でも特に会澤の表情は強張っているように見えた。


「その一つを教えてくれたのは上田先生だ。実は先日、学校の前を通りかかったときに偶然会って少し話す機会があったんだ。先生は俺たち全員のことを覚えてたよ。……未翔のこともな」


 先生の鋭い観察眼を目の当たりにした身としては、ただ単に「覚えてる」と表現するのは間違いである気がした。


 けれど、先生の教え子である俺らはみんなどこかでその凄さを実感しているはずだ。現に氷川は俺の発言を聞いても当然だという顔をしていた。


「上田先生とはいろいろ話をしたんだが、その中で今回の謎に大きく関わることがあった。会澤が怪我をする日、先生がある発言をしていたことがわかったんだ」


 俺は三人に向けて質問を投げかける。


「その日、時間割に体育があったのは覚えてるか?」


「俺は覚えてるよ。大怪我をした日の記憶ってなんでか残ってるんだよね。授業の内容は確か男女別に分かれて体育祭の競技の練習だったでしょ?」


 即答したのは会澤だった。俺は苦笑しながら頷く。


「実は訊いた俺があんまり思い出せないんだけどな。でも、会澤に今言ってもらったように、その日は午後の授業で体育があって競技の練習をしていたようだ。もちろん、そこには体育の教師である上田先生もいた」


 先生との会話を思い出しながら慎重に解説を進める。


「ちょうどその頃は練習にも慣れてくる時期で、そういうときこそ危ないと先生も感じていたらしい。そんな中、未翔を含む女子の集団が気を抜いて恋愛話で盛り上がっていたようで、先生は授業後に未翔たちを呼び出してこう注意したそうだ」


 教えてもらった忠告の台詞を三人にも伝える。


「恋にうつつを抜かしてると怪我するぞ」


 その瞬間、会澤の顔がはっとなったのがわかった。おそらく彼にはもうわかってしまったのだろう。


 俺がこのあと何を話すのかも、未翔があんなことを言った理由も。


 だが、全員が理解できるまでは終われない。俺は躊躇なく話を続けた。


「これが一つ目のトリガーだ。未翔自身は恋愛話には積極的に参加してなかったみたいだが、むしろそんな彼女のほうが言われた台詞に対しては一番衝撃を受けたんだろう。なんたって未翔はモテたからな。彼女に対してうつつを抜かす奴はいっぱいいた」


 言いながら、俺は静かに視線を会澤のほうへ向けた。


「未翔に告白したのは、怪我をする少し前だよな?」


 俺が問うと、びっくりしたように大きな反応を見せたのは会澤ではなく笹本だった。


「えっ? 告白? 誰が?」


 あたふたとしながら俺や会澤のほうを確認し、何も言わないでいると今度は氷川に縋るような視線を向けた。けれど、氷川も知らないと首を横に振る。


 やはり、彼女たちにも噂は届いていなかったのだ。氷川はともかくとして笹本はこういったクラスの情勢に関わることは押さえておくタイプだったし、ましてや仲の良い未翔や会澤のことなのだから知っていても何ら不思議はないはずだった。


 つまり逆に言えば、それだけ未翔がうまくやっていたということだ。告白されたことはおくびにも出さず、翌日以降もいつも通り学校生活を送っていたに違いない。


 だが、いつでもどこでも誰相手でも、それができるとは限らない。


「正確に言うと、告白はできてないけどね」


 硬直して俯いていた会澤は、暗く乾いた笑みを浮かべた。


「でも確かに怪我をする前の週くらいに、俺は新島さんを体育館裏のあの有名な告白スポットに呼び出して告白しようとした。まあ、実際は言葉を告げる前に『ごめん、みんなのも断ってるから』って振られちゃったんだけど」


「全然気づかなかった……」


 笹本は呆然とした表情で力なく呟いた。


「俺もこの間、会澤に直接教えてもらうまで知らなかったけどな。とにかく噂にならなかったってことは、未翔は言いふらさずに黙っていたってことだ」


「そっか。そうだよね。未翔はそういうの守れる子だから」


 さすがに笹本は未翔のことをよくわかっている。そういった視点を皆が持っていることは、これからあとの二つの謎についての推理を理解してもらうためにも大事になってくるだろう。俺にとってはありがたいことである。


 だが、まずは第一の謎を片付けなければならない。


 俺は今まで出てきた情報をまとめ、徐々に核心へと迫っていった。


「その告白未遂が二つ目のトリガーだ。未翔は二つのトリガーを持った状態で、未来予知のような台詞を言ってしまう運命のあの瞬間を迎えた」


 一呼吸挟み、全体をゆっくりと見回す。


「ここからは俺の推測が多少入る。だから、もしかしたら事実とは異なるかもしれない。そのつもりで聞いてくれ」


 注意事項を述べ、俺は構築した自らの推論を語り始めた。


「まず、そのときの状況を整理しておこう。会澤は日直の仕事を終え、校庭で行われていた放課後の組体操の練習に参加しに行くために慌てて教室の扉のほうへ向かった。ちょうどそこに未翔が入ってきて二人きりの状態になった。これが偶然だったと完全に言い切ることはできない。けれど会澤の証言によると、未翔は対峙したときびっくりして、かつ咄嗟にあの台詞を言ったということだから、彼女にとって何かしら予想外の事態が起きていたことは間違いない」


 会澤は真剣な表情で黙って聞いていた。他の二人からも突っ込みは入らなかったので、俺はそのまま堂々と話を続けた。


「もし会澤とばったり出くわしたのが想定外の出来事だったとして、そのときの未翔の気持ちになって状況を考えてもらいたい。先生から恋と怪我に関する衝撃的なことを言われた矢先に、まさについこの間告白しようとしてきた相手が突然目の前に現れた。普段は取り繕うのがうまい未翔でもさすがに相当パニックになったはずだ。だからこそ、二つの出来事を中途半端に結びつけて言ってしまったんだ。『怪我に気をつけて』ってな」


 冷静になって考えれば、これは不完全な台詞だ。


 未翔が先生の忠告の内容を話して、先日の告白と繋ぎ合わせて考えたことをちゃんと会澤に伝えようとすれば、そのような言い方にはならなかったはずだ。


 けれども、この状況下でそんなことができただろうか。


 人一倍気を遣える未翔だからこそ、告白に触れないでおく優しさと忠告に触れなくてはならない厳しさの間で瞬時に葛藤が生まれたのではないか。


 それが結果的に未来人だと形容したくなるような不思議さを纏った振る舞いになって、台詞とともに会澤の心に深く刻まれることになった。


 けれど、自分が中途半端に伝えてしまったその言葉が、かえって会澤の集中力を削いで大怪我に繋がってしまったと未翔は思ったのだろう。


 だから、彼女は一人でお見舞いに行って会澤に謝ったのだ。


 ――ごめん、わたしのせいだ、と。


「第一の謎についての俺の推理は以上だ。何か反論があったら言ってくれ」


 静まり返る中、提唱者である会澤のほうに視線を向ける。彼は赤い目で深く頷いて、大切な約束を果たしてもらった少年のようなグッドサインで応えた。


「石狩、ありがとな。そうか、あの表情や台詞はそういうことか、って今になって腑に落ちたわ。ずっとわかんないままだと思ってたからさ、今この話を聞けて本当に良かった。たとえこれが真実じゃなかったとしても、俺は石狩の推理に納得したぜ」


 無事、会澤の承認を得ることができた。あとは残り二人の意見だ。


「氷川はどうだ?」


 名指しで問う。ずっと沈黙を貫いていたこともあり、一番反応が怖い相手だった。もし仮に納得できないところがあって論争にでもなったら、解決には至らない可能性もある。


 しかし、氷川は意外にもすんなりと頷きを返した。


「厳密性に欠ける部分はあるけれど、ストーリー的に大きな矛盾は感じなかった。本人が納得してるならいいんじゃない?」


 表面的には冷たい言い方だったが、指摘についてはもっともだろう。今回のような謎解きの場合、提唱者の賛同が大きな力を持つことは否めない。だから、会澤が納得した時点で大勢は決まったのかもしれない。


 それに彼女は認められないところがあれば認められないとはっきり言う人間なので、それがないということは了承したということだ。


 氷川が答えると、緊張が溶けたようで笹本もそれに続いた。


「そうだよね。わたしも石狩くんの推理に共感した。信じるって言い方はちょっとおかしいかもしれないけど、行動や考え方がいかにも未翔っぽいなって思うから、わたしは石狩くんの説を信じたい」


 両者とも賛成に回り、三人の意見が出揃った。俺はみんなに最後の確認をする。


「じゃあ、第一の謎はこれで解決ってことでいいな?」


 全員が首を縦に振る。全会一致で認められた。


「では、これにて第一の謎の証明は完了とする」

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