第33話 届かない告白
数分後、会澤が戻ってきた。
「はいっ、とりあえずこれ飲んで」
ふらつきながらもなんとか立ち上がった俺に手渡されたのは、ひんやりと冷えたスポーツドリンクだった。
ペットボトルのキャップを開け、咽せない程度にまずは一口、液体を乾ききった喉に流し込んだ。
「そこに座ろうか」
会澤は階段を指差した。神社へと続く石段だ。
飲み物を買いに行ってもらっている間にようやくわかったことだが、俺たちはスタートした神社へと戻ってきていた。俺が最後倒れ込んだゴール地点はスタート地点だったのだ。コースを走っている間は朦朧状態だったから、ぐるっと回って戻ってきていることにまったく気がつかなかった。
静けさに満ちた夜の神社の石段に男二人並んで座って、どちらからともなく会話が始まった。
「いやぁ、やっぱ疲れたときはこれだよね。中学のバスケ部の練習のときも、いつも大きな水筒に氷入れて冷やして持っていってた」
会澤も俺と同じスポーツドリンクをぐびぐびと飲んでいた。もう四分の一ほどの量になっていた。
「俺は部活やってなかったからな」
「そうか。あっ、てことは、夏場の体育館の地獄のような暑さも知らないわけか。もうね、俺はあの時期、乾涸びるんじゃないかって思ったよ」
朗らかな笑い声の後、会澤はふと夜空を見上げた。
「中二の夏さぁ、俺本当に人生で一番充実してたかもしれない。林間学校が最高の思い出になって、そのあと夏休み中の部活も、友達とどこか遊びに行くのも、どれもみんなすごく楽しかった。石狩ともチャリ旅とかしたよね?」
「ああ、あの線路に沿って無駄に遠くに行くやつな」
「無駄って言うなよ。まあ、確かに電車乗ると案外近くてがっかりするけど」
会澤は楽しそうに突っ込みを入れつつ、星の見えない冬空を眺め続ける。
「こんなに夏休みが楽しかったのはなんでだろうって考えたときに、当時の俺は新島さんのおかげだ、って思ったんだよね。夏休みに入る前のあの林間学校で、新島さんは俺のことを救ってくれた。もともと気になる存在ではあったけど、あの日から多分、俺は彼女のことが……」
横目で会澤のほうを見た。彼の瞳からは涙がこぼれ落ちていた。
「好きになった、のかな? いや、マジでわかんないんだよ。なんだよこの気持ち。説明できないんだよな。恋とか友情とかいろんな表現があるけど、言葉にしたらなんか違って。だけど、本当にどうしようもないくらい好きだった」
会澤は鼻をすすりながら必死に涙を拭った。
「新島さんに告白したことあるか、って質問だったよね?」
彼の泣いた顔が一瞬こちらを向いた。黙って俺が頷くとその顔はまた夜空へと戻った。
「答えは、微妙、かな。新島さんにとってはイエスだけど、俺にとってはノーみたいな」
会澤は曖昧な笑みを浮かべながら、頬を伝って落ちる涙を指で払った。
「夏休みが明けて学校が始まってから、俺はどうしようかずっと悩んでたんだ。新島さんはこれまでと変わらず優しく話しかけてくれてたし、特に何もしなければこのまま楽しく過ごせるかなって。でもさ、俺はどうしても伝えたくなったんだよ。そのときの自分の気持ちを」
強い目で空を見つめながら、会澤はギュッと拳に力を込めた。
「だから俺はあの日、新島さんを定番だった告白スポットに呼び出した」
俺の知らないところで起きていた出来事が語られていく。今になって初めて知る告白劇に緊張しながら耳を傾けた。
「約束の時間は放課後だった。秋だったけどまだ体育祭の練習が本格化してなくて、部活もちょうど休みで都合が良かった。先に俺が行ってドキドキしながら待ってたら、新島さんはちゃんと来てくれて、それだけでも嬉しかった」
二人だけの舞台。
告白スポットに来た未翔はどんな表情をしていたのだろう。
待っていた会澤はどんなふうに迎え入れたのだろう。
そして、この物語の結末はどうなったのだろう。
「告白できなかったのか?」
展開を先読みしてつい尋ねてしまった。早まったことにすぐ気づいたが撤回はできない。会澤は小さく頷いて苦笑した。
「そうだね。俺が言葉を告げられず、まごまごしている間に断られた。『ごめん、みんなのも断ってるから』って」
きっと、それが未翔なりの気を遣った断り方なのだろう。多分、そこに嘘はなくて、本当にそうやってみんなの告白を断っていたのだと思う。
だからこそ、想いは行き場を失って胸が苦しくなる。
「俺さ、新島さんに謝られてばっかなんだよ。いつも悪いのは俺のほうなのに新島さん優しくてすぐ謝っちゃうから。あー、もうわけわかんねぇ。俺は何やってんの? なんで謝らせてんの?」
悲痛な問いが雲に覆われた夜の空に吸い込まれる。星が見えない空を見て、俺の視界も滲んでいった。
「俺はそんなことをさせるために呼び出したんじゃないんだよ。俺が言いたかったことは違うんだって。ちゃんと最後まで聞いてくれよ。みんな、って一括りにしないでさ」
未翔がいなくなった世界で、会澤は未だ納得できずに叫び続ける。
「どう伝えればいいのかなんてわかんねぇ。今だって悩んでんだ。笑ってくれ。未だに告白の言葉が決まらないんだぜ。でも、俺は新島さんに何かを言いたかった。他の誰でもない、俺の気持ちを伝えたかった」
誰かに似ている。
最後の帰り道で彼女のことを待ち伏せして、そのくせろくなことを言えなかった誰かに。
「質問の答えはこんな感じ。わかりづらくてごめんな」
語り終えた会澤の表情は晴れやかになっていた。
「謎解きの参考になる?」
「多分な」
はっきりとは言わなかったが、おそらくこれで『第一の謎』については話がまとまるだろうという予感がした。
「いやぁ、それにしてもこんな話を石狩にする日が来るとはなぁ」
凝り固まったものをほぐすように、会澤はグーッと両腕を上に伸ばした。
「悪かった。言いたくなかっただろ?」
「そう思ってたんだけどさ、話してみたら意外とすっきりした」
清々しい声が、隣から返ってきた。
「もしかしたらずっと誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。こんな話できる人、他にいないからさ。石狩が傍にいてくれてよかった」
その声は隠していた心に突き刺さり、俺は強く奥歯を噛み締めた。
隣りにいて、似たような後悔を抱えているのに、俺たちの間には絶望的な差がある。
人生の先輩からの金言を思い出す。俺が守るべきものの正体。
――仲間だ。大切にしろよ。
なあ、会澤。仲間っていったい何なんだろうな。
「だからさ、俺は待つことにするよ」
こちらを振り返った会澤の両目が虚ろな俺をびしっと捉えた。
「推理、完成したら聞かせてくれな」
静かに頷いた。言われるまでもなく向かう先はその方向しかない。選択肢はそれしかないのだ。
すっかり冷え切った身体で、俺は残っていたスポーツドリンクを飲み干した。
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