第6章 第一の謎
第32話 夜のランニング
久しぶりに母校を訪れた数日後、俺は会澤と二人で会うことになった。
会澤が最近やっていると言っていた夜のランニング。俺のほうから参加したいと連絡したらすぐにオーケーの返事が来た。
きっかけはなんでもよかった。
だから、ダーツの帰りにその話題を出してもらえたのは、今の俺にとっては好都合だった。
もちろん、俺の目的は走ることではない。
俺が目指す目標はあくまで未来人の謎の追求であり、今回に限って言えば『第一の謎』に関する推理の完成だ。
現状、三つの謎はすべて解決の糸口が見えている。筋書きが徐々に出来上がりつつあるといっていい。
だが、そのシナリオは俺自身の記憶や想像によって穴埋めされている部分が多い。
すなわち、独りよがりな展開をしている可能性も否定できない。前提のどこかで間違いがあれば、せっかく時間をかけて示した証明自体が崩れてしまう。
だからこそ、できる限り齟齬がないように会澤たちとはそれぞれ条件の照らし合わせをしておく必要がある。こういう条件をもとに考えてるけど間違ってないよな、という確認をしておかなければならないのだ。
そのためには多少踏み込んだ質問も必要になってくる。
特に会澤に対して訊かなければならないことは、できれば一生触れないでおきたいと思っていたものだ。
それでも、そこに足を踏み入れなければ証明は憶測のままで終わってしまう。
どんな形であってもいい。嫌われたって構わない。会澤の証言さえ得られれば目的は達成できる。
集合場所に指定されたのは古くから地元にある神社だった。
そこは俺たちが通っていた中学校のすぐ近くにあるため、中学時代には友達との待ち合わせ場所としてよく使われていた。約束がなくても行けば誰かがいる可能性があるので、俺たちの学校の生徒はそこを勝手に溜まり場にしていた。
とはいえ、夜になると街灯の少ない神社周辺は暗闇に包まれ、人もほとんどいない状態となる。
集合時刻よりも少し早めに着いたので辺りを見回してみたが、自分以外に人の姿は一人も見当たらない。参拝しに来たわけではないので、俺は会澤が来るまで鳥居の下でおとなしく待つことにした。
夜のランニング。シチュエーションはたまたまだが、実は今日の計画を実行するのにこれほどの好条件はないかもしれない。
誰かが介入してこない。お互いの顔が見えにくい。余計なことを考えずに済む。
特に最後の条件は大きい。質問する側の俺にとっても答える側の会澤にとっても、平常時だったら心理的な壁のようなものがあったとしても、走って疲れていたりするとそれが無意識のうちに取り除かれる可能性がある。
何度も繰り返すが、今必要なのは証言のみだ。会澤と一緒に走ることになんて最初から興味ない。
俺が到着してから十分後、何も知らない会澤は陽気に手を挙げて登場した。
「よっ、おまたせ! あれっ、もしかして俺遅刻した?」
俺の無愛想な態度を見て焦ったのか、会澤は腕時計を光らせて時間をチェックしていた。夜のランニングでも使用できるようにバックライトの機能がついているようだった。
「俺がちょっと早く来ただけだ。別に遅刻じゃない」
親切に教えてあげると、嬉しそうに会澤は俺の腕を叩いた。
「なんだぁ、早く来るなんて結構やる気あるじゃん。ランニングなんて嫌なんじゃないかって心配してたんだよ」
できるだけ馴れ合うのは避けたかった。そうじゃないと、あとであの質問をしづらくなる。
「悪いな。変な気を遣わせて。それにしても、ここって夜は暗いよな」
俺は感情を抑えつつ、至って平凡な感想を口にした。それでも、会澤のテンションは変わらず高いままだった。
「わかるわ。俺もランニング始めて、夜に一人で来るようになって思った。昼間は神聖な感じなのに、夜はなんていうか化け物とか出そうだよな」
「出ないと思うけどな」
真っ暗な参道を眺めながら、俺は昔見た昼の神社の光景を思い浮かべた。
夜の今は何も見えないが、ここから拝殿へと続く短い参道は本来緑に囲まれて神々しい雰囲気に包まれており、奥にもう一つある鳥居や先に進むごとに姿を見せる両脇の石灯籠がその空気感をよりいっそう強くする。境内には拝殿の他に神楽殿や境内社もあったはずだ。
「そうだ。いいもの持ってきたよ」
会澤はランニング用のウエストポーチから何やら取り出した。
「腕貸して」
そう言われてわけもわからず右腕を出すと、バンドのようなものをつけられた。
会澤がスイッチを押すと、青い光がぱっと輝いた。
「光るのか、これ」
「そう。夜は暗いし、車通りがある道も通るから、走ってるのが目立つようにしとかないと危ないんだ。ちなみに、俺のは黄色ね」
会澤は自分の腕につけていたバンドも同じように光らせ、それからこちらを案ずるように見てきた。
「その格好、寒くない?」
「ちょっと、な」
俺は自らが着てきた長袖のジャージの生地を摘んで引っ張る。この頃、昼は少し暖かい日が続いていたので油断したが、夜はまだしっかりと冬だった。
目の前にいる会澤はウィンドブレーカーを着ていた。多分、それが正解なのだろう。
「ごめん、教えてあげればよかった。でも、あんまり着込んじゃうと今度は走ってるうちに暑くなっちゃうからね。何度か挑戦すれば走りやすいファッションが見つかると思うよ」
気軽に次の参加を勧められて、俺は危うく「そうだな」と乗せられそうになった。
すんでのところで、今日の目的を思い出して口をつぐむ。
会澤と話しているといつの間にか相手のペースになってしまう。ここは早く走り出してしまうべきだ。
「まあいい。行こうぜ」
話を無理やり打ち切って道路へ歩み出すと、会澤に「ちょっと待って」と止められた。
「まずは準備運動」
「……わかったよ」
強引なランニングには持っていけず、一から準備運動を始める会澤の隣で、俺も仕方なく形だけの屈伸やアキレス腱伸ばしを行った。
会澤は最後に手首と足首を回すと、神社の外を指差した。
「それじゃ走ろうか。俺が先に行くからついてきてくれ」
俺は無言で頷いた。いよいよ勝負が始まる。
神社の階段を歩いて降りて、俺たちは人通りのない道路へ躍り出た。
「行くよ」
会澤が小さな号令をかけて走り出した。俺も続いて静かにスタートする。
右、左、右、左。まずは一定のリズムで足を出して、体を前へと運んでいった。
呼吸もそれに合わせて行い、酸素をうまく体内に取り入れていく。
走るスピードは歩くより少し早いジョギング程度だった。前を行く会澤がペースメーカーとなり、俺はただそれについていくのみ。走ることについては会澤に任せていればいいので、それほど頭を使わなくて済みそうだった。
その分、俺はあの問いを投げかけるタイミングを計ることができた。
車がたまに通る道、足場が悪い道、狭い道などを避け、邪魔の入らない絶好のチャンスを窺っていた。
少しの間走って、並走可能な広い道に出た。車通りもなく静かだった。
ここしかない。
俺はスピードを上げ、前を走っていた会澤の横に出た。
「おっ、どうしたの?」
突然並ばれて驚いたのだろう。会澤は走りながら不思議そうにこちらへ顔を向けた。
「一つ質問がある」
俺は前置きをし、ちらりと会澤のほうを見た。
おそらく、ランニングについて何か訊かれるとでも思っているのだろう。純粋な奴だ。答えてあげようという感じがひしひしと伝わってくる。
だが、この友好的な空気は間もなく消え去る。俺たちが互いに不可侵にしていた領域に、俺が今から足を踏み入れるからだ。
心に残ったすべての躊躇いを捨てて、俺は会澤に切り込む。
「新島未翔に告白したことあるか?」
俺たちが一度たりとも話したことがなかったこと。
暗黙の了解、という言葉がある。そうしようと決めたわけではないのに、いつの間にかお互いの間で条約が成立している状態だ。
俺と会澤は昔からいろいろな話をした。くだらないことも真面目なこともいっぱい喋った。同じクラスだった中学二年生のときは、一番言葉を交わした相手だと言っていい。
されど、決して話題にしなかったことがある。
――新島未翔のことをどう思っているのか。
何千何万という言葉のやり取りをしたのにもかかわらず、そのたった一言がどちらの口からも出ることはなかった。
純然たる事実として、未翔はモテた。たくさん告白もされていた。
でも、誰に告白されたのかを未翔は絶対に言わなかった。
だから、当事者以外の人間にとっては噂として流れてくるのを待つしかなかった。
――会澤は未翔のことが好きだった。
証拠はないからこれは俺の勘でしかない。
だが、俺は中学生のときからずっとその説を信じている。一緒に居て、その空気を感じ取っている。
それでも、未翔との間でそういう意思疎通があったのか、つまり告白をしたことがあるのかについては噂も聞いたことがなく、俺としてもまったく予想がつかなかった。
「それ、未来人のことと何か関係があるの?」
返ってきた返事は冷ややかだった。前を向いて走ったまま、視線を合わせようとしない。表情は暗闇に紛れ、温度のない声だけが異様な冷たさを残した。
「関係ある。重要なことだ」
ここで怖気づいて引くわけにはいかない。得たいのは真実だ。イエスかノーか。おちゃらけた答えも虚偽の回答もいらない。
「そうなんだ」
会澤は感情なく呟いた。承認とも拒絶とも取れる言い方だった。
お互いの息づかい。靴が地面を蹴る音。
駆け引きのような沈黙が続く。こちらからもう一度問い直すべきか迷う。
「会澤……」
俺が再度質問をぶつけようと口を開くと、彼の身体が一歩前に出るのが見えた。
「ついてこれたら、答える」
意味を理解するより先に、彼との距離が二歩、三歩と離れていった。
「いや、待てよっ!」
やっと言葉が出たときには、もうすでに数メートルの差ができていた。慌ててギアを入れ替えてついていこうと試みる。
だが、その距離はみるみる広がっていく。走れば走るほど会澤の姿は遠くなっていった。
そもそも、ついていくなんて無茶な話だった。
会澤は元運動部で、最近も空いた時間に走ってトレーニングを積んでいる。
それに引き替え、俺はずっと帰宅部で、最近は運動らしい運動をまったくしていない。
さっきまでのゆっくりなジョギングペースだって、実際は結構きつくなってきたところだったのだ。ペースアップした速さに対応できるはずがない。
追いつけないと理解した途端、身体がものすごく重くなった。全身に重りをつけられたかのように、前へと進む推進力が急速に失われていった。
そういえば、会澤にゴールの場所を聞いていなかった。どこに向かえばいいのかを俺は知らない。だから、見失ったらついていくことはできない。ゲームオーバー。今日はもう解散だ。
……今日は?
じゃあ、また今度会えるのか? どこで? どんな顔して?
俺は未踏の領域に踏み込んだ。それに対し、会澤は容認の条件を出した。
つまり達成できなければ、この先俺たちは顔を合わせることすらできなくなるのかもしれない。
(ついていけるわけねぇだろうがっ!)
心の中で咆哮する。全身の毛が逆立つのを感じる。
怒りの対象は無謀な条件を出した会澤か、それとも不甲斐ない自分か。
気がつけば、先ほどまでとは比べ物にならないとんでもない量のエネルギーが身体の内側から溢れ出していた。
走行理論もへったくれもない滅茶苦茶な走り方で、ただ前を行く会澤の影を追いかける。彼の腕についた黄色い光を目印に走る。
呼吸だってうまくできなくて、下手な水泳の息継ぎみたいになっていた。
息が苦しい。明らかに酸素が身体に行き渡ってない。そのうちぶっ倒れるかもしれない。死にそうだ。
でも、ここで終わるわけにはいかない。
このままあの光を見失ったら、俺はもう生きていけない。あの光はそういうものだ。
ゆらゆらと揺れる光を無我夢中で追い続ける。曲がり角で見えなくなったら、不安と恐怖に苛まれながら必死にスピードを上げる。限界だと思っていた速さのさらに上を行く。曲がってそこで光を見つけて安堵する。
もはや、光以外のものは何も見えない。酸素が足りない朦朧とした意識の中で、遥か先にある光だけに導かれて俺は走り続けた。
その状態のまま、どのくらい走っていたのだろうか。時間も距離もわからない。今いる場所もわからない。
でも、遠くに小さく見えていた光が次第に大きくなった。近づいている。
摑み取るように腕を伸ばしながら、俺はその手前で倒れ込んだ。
「ついてきた、か」
ぜえぜえと息をしながら倒れた状態で上を見ると、会澤が物思わしげにこちらを見つめていた。
「飲み物買ってくるからそこで休んでて」
返事をする気力もなく、俺は沈没するように地面の上でへたばった。
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