第19話 林間学校二日目夜(夕食後、バンガロー前にて)

 二日目の夜、林間学校最後の大イベント、キャンプファイヤー。


 中学二年生になって林間へ向けての準備が始まってから、俺はずっとこの儀式めいた行事が行われることを密かに楽しみにしていた。


 夜に焚かれる火は人々を幻想の世界へと誘う。


 そんな迷信、いつどこで伝え聞いたのだろう。小学生のときにプレイしたり見たりしたゲームやアニメの影響かもしれない。あるいは遥かもっと昔の、前世から受け継がれた記憶によるものかもしれない。


 知らぬ間に無意識的に惹かれてしまう夜の火。それをみんなで囲って過ごすキャンプファイヤーは、当時の俺にとって特別な意味を感じる行事だった。


 しかしながら、現実は思惑通りにはいかないものだ。


 夕食後、一旦バンガローに戻って荷物の整理をしていると、部屋にいた会澤は俺に一言も声をかけずに出ていってしまった。表情にいつもの会澤の陽気さはまったくなく、キャンプファイヤーという予定を消化するために仕方なく会場に赴くようなやるせなさがあった。


 俺は途方に暮れていた。自分が楽しみにしていたキャンプファイヤーはこんなものじゃなかったからだ。何がどうあれば「理想のキャンプファイヤー」なのか具体的に考えたこともなかったけれど、今ある状況だけは絶対に望んだものじゃないと感じていた。


 ただ、どうすればいいのかは思いつかなくて、俺は会澤を追いかけることなく、特に今手をつける必要もない荷物まで整理してから外に出た。


「よかった。翔くん、まだいた」


 扉を開けると、なぜかドアの前にジャージ姿の未翔がいた。すっかり外は暗くなっていたが、バンガローの暖色系の灯りは彼女の顔を明るく照らしていた。


「穂高くんは?」


「さっき出ていった」


「そっか」


 未翔は小さな声で俺と言葉を交わしつつ、手招きして誰かを呼んだ。近くの暗がりから顔を出したのは笹本と氷川だった。


「どうして? みんな部屋別々だろ? わざわざ集まったのか?」


 俺が尋ねると、未翔は俯いて頭を横に振った。


「わたしが誘ったの。穂高くんのこと、何とかしたいからって」


「未翔が申し訳なさそうにする必要ないよ。わたしだって何とかしないとって思ってたから。でも、さっきの話は……」


 訊いていいのか戸惑うようにしながら、笹本が未翔に窺いの視線を立てる。


「決めたことだから」


 ここに来るまでに何か話し合ったようで、未翔はきっぱりとそう言い切った。


「新島、時間ないし本題に入って」


 氷川は相変わらず氷川だった。でも、ちゃんと要請に応じて集まっている時点で、彼女なりに気にしていたのだろうし、優しさは充分に伝わってきた。


「うん、そうだね」


 未翔は氷川の発言に首肯し、俺のほうに視線を向けてきた。


「穂高くんは……まだ多分落ち込んでるよね」


「……ああ、おそらくな」


 ついさっきバンガローを出ていったときの会澤の様子を思い出していると、未翔は決意を固めるようにふうっと小さく息を吐いた。


「わたしさ、告白大会に出ることにしたよ」


 大きな声ではないのに、言葉は一言一句正確に耳に届いた。


 俺は即座に反応することができなかった。予想もしていなかった展開だったからだ。


 告白大会はキャンプファイヤーの中で行われるプログラムの一つとして組まれていた。希望者が順番に皆の前に出て、自分たちが告白したいことを思いっきり叫ぶというもので、事前に申し込みをした者だけでなく当日の飛び入りも可能ということになっていた。


 ただ、俺の頭の中では、会澤の件と告白大会がどうしてもうまく結びつかなかった。


「なんで?」


 やっとのことで短い問いになった。おそらくそれは「なんで出るんだ?」の省略形だったが、より正しい質問に直すならば「何を告白するんだ?」だったかもしれない。


 告白の内容は自由だった。多くの人が想像するような男女が好きな相手に想いを告げること以外にも、今まで密かに目標にしてきたことを宣言したり、あるいは悔いてきたことを懺悔したりといったことも可能ではあった。


 とはいえ、俺には特に関係のないことだろうと思っていた。


 キャンプファイヤーそのものは楽しみではあったが、誰かの告白を聞いたり、あるいは自分が何かを告白したりすることにはまるで関心がなかった。


 だが、未翔が告白大会に出るということに対しては、なぜかすぐに賛同することができなかった。


「それは……」


 俺の問いに、未翔は説明に困ったように俯いたまま黙り込んだ。笹本と氷川も参加の理由までは聞かされていなかったのか、俺と同じように答えを知りたがっているように見えた。けれど、未翔の口から一向にそれは出てこなかった。


「考えがあるんだな?」


 俺が尋ねると、未翔は小さいながらも力強く頷いた。


「それならいい」


 それ以上の説明は不要だと、俺は顔を上げない未翔から無理やり視線を外した。


 このときの感情は複雑で、多分俺は自らを襲った心の動揺とまともに向き合えていなかったのだと思う。


 いったい、何が「それならいい」だったのか。


 素直な気持ちを言うなら、きっと「出ないでくれ」だった。


 どうしようもなく怖かった。誰かが何かを告白するというのがこれほど恐ろしいことなのだと初めて知った。未翔がどこか遠くへ行ってしまう気がした。今日を境にこうして普通にやり取りをすることができなくなるのではないかという恐怖に駆られた。


 けれど、未翔は「出る」と言っている。いつも突拍子もないことを言う彼女だが、そこにはいつだって強い意志があった。考えもなしに物を言う子ではなかった。


 そんな彼女の決意を邪魔する権利が、俺にあるとは思えなかった。


「みんなにお願いがあるの」


 沈黙の最中、未翔は誰の顔を見るでもなく、独り言のように呟いた。


「わたしは告白大会で頑張るからさ、フォロー、よろしくね」


 ぼんやりとした灯りと小さく響く声。どちらも温かくて明るいのに、肝心な部分が暗くて見えなくなってしまっていて、まるで陰と会話をしているようだった。


「わかった」


 本当は何もわかってはいなかったけどそう答えた。そう答えるしかなかった。


「それじゃあ、わたしは告白の準備をしなくちゃ。ごめん、もう行くね。本番で言いたいことがちゃんと言えるように台詞考えとかないとね」


 未翔は逃げるように俺たちのもとを去っていった。引き止める間もなく、未翔の姿はすぐに闇の中に消え入ってしまった。


 何も見えなくなると、周辺を覆う黒い木々が風によって揺れる音が聞こえてきた。


 バンガローの前に取り残された俺たち三人は、仄かに照らす灯りの下でしばらく立ち尽くした後、ほとんど言葉を交わすことなく解散した。

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