第20話 林間学校二日目夜(キャンプファイヤー開始前)
キャンプファイヤーの会場に指定されていたのは、すっかりおなじみとなっていたあのグラウンドだった。
一人で足を運ぶと、もうすでに大勢の生徒が集まって賑やかな雰囲気になっていた。
俺も含め、ほとんどの人が学校指定の緑のジャージを着ていた。二日目はスケジュールが詰まっていて着替えるのが面倒くさかったので、ウォークラリーからキャンプファイヤーまでジャージで押し通す人が多かった。
グラウンドの中央では大きな点火台が組まれているところだった。火の点火はまだこれからだったが、その代わりに周りに置かれたランタンなどの灯りが、準備をしたりはしゃぎ回ったりする人たちの楽しげな様子を浮かび上がらせていた。
会場に到着した生徒たちは、皆ぞろぞろとその華やかな場所に引き寄せられていく。
けれど、俺はすぐにはその中に入れなくて、隠れるようにしてグラウンドの端っこの木の下に一人陣取った。
陽気に心を躍らせる彼ら彼女らの光景は離れていても届いてきた。むしろ、距離をおいているからこそ、全体の様子を客観的に見渡すことができてしまう。
俺は先に部屋を出てここへ辿り着いたはずの会澤を探し始めた。
いつもだったら真っ先にその騒ぐ集団の中に溶け込んで、人一倍元気に駆けずり回っているはずだが、そんな会澤の姿がこのときはなかなか見つからなかった。
「今宵、俺たちは伝説を残す!」
突如、高い声が響いた。俺は思わずその方向に目を向けた。
「なにそれ? 語り継がれる的な?」
「てか、声が大きいって。なんか注目浴びてんじゃん」
ざわざわと噂するようにざわめき出した周りを見て、男子グループの一人が焦り始めた。
「ちょっとそこの伝説の男子たち、暇ならこっち手伝って」
途端にリーダー格の女子に見つかった。笑いが起きる中、彼らは「お前のせいだろ」とか内輪揉めしながら連行されていった。
その集団に会澤はいなかった。甲高い声と大げさな宣言が聞こえたときは会澤かと思ったが、別の男子のものだった。
俺は会澤を探すため再び視線を巡らせた。今度は中央の点火台の周りだけではなく、それを近くから眺めている人たちにも注意を向けた。
だが、それでも会澤の姿は発見できなかった。
ならば、とさらに範囲を広げ、グラウンドを取り囲むように林立する木の陰、俺がいるような目立たなくて隠れるのに都合が良い場所にも目を凝らした。
――そこで、見つけた。
わずかに蠢く黒い影。灯りの届かない木の下に誰かが立っていた。
会澤だ、と俺は直感した。
男子なのか女子なのかも判別できないくらいの暗さで、他の誰かの可能性も当然あったはずなのに、そのときの俺はほとんど確信に近いものを持ってその方角へ歩き出した。
徐々に近づいてくる人影に向こうも気がついたようで、途中からはずっとこちらのほうを見ていた。
「なんでそんなところにいるんだ?」
どんな言葉をかけるのかはまったく考えていなかった。自然と踏み出した足によって自動的にここまで運ばれてきたような感覚だったから、台詞の内容なんて全然頭になかった。
「なんでって……」
会澤は困ったように俯いた。
失敗したな、とすぐに思った。そんなところにいる理由、なんて別に訊きたいことじゃない。自分だってさっきまで輪の中に入れなかったくせに、それを会澤に問うのは間違っていた。
「いや、別にそれはいいんだが……」
付け足すように言い訳じみた言葉を継ぐと、会澤はそっと顔を上げて吐き捨てた。
「あれだよあれ、センチメートルみたいなやつ」
「センチメンタルだな」
長さ測ってどうするんだよ、と心の中だけで突っ込んでから、俺は無言で会澤の横に並んで立った。
少し離れた賑やかな空間では、漢字の『井』の形をした井桁型に丸太を高く組み上げられた点火台が夜の空の下に立派に組み上がっていた。
あとは点火式や出し物の段取りについての最終確認くらいだろうか。いずれにしても、もう間もなく集合がかかりそうな雰囲気があった。
「そうか。センチメンタルだったか。まあいいや。とにかく、今俺はそれなんだよ。だからここにいる」
会澤は真っ直ぐ点火台のほうを見つめている。その目は一度もこちらを向くことなく、漏れる声だけがかろうじて隣りにいる俺のところまで届いた。
「石狩にはわからないかもしれないけど、俺は結構今までにないくらい落ち込んでるんだ。何をやってもダメで、挽回しようとしたら余計に空回りで、もう本当にどうしようもない奴なんだなって」
俺は沈黙したまま言葉を拾う。傷は深いと悟った。いつもだったら何かミスをして落ち込んでいたとしても、次の瞬間には元気を取り戻して前向きに起き上がれる。それが会澤という人間で、そのポジティブさこそが彼特有の強さでもあった。
でも、起き上がれないときだってある。それが人っていうものだ。
他人から見た事象の大きい小さいは関係なく、当人にとって辛いと感じることがあればそれがすべてであり、そこに誰かが口出しすることは容易なことではない。
「それにさ、俺がダメなのは林間に限った話じゃないんだよね。テストの点はいつも赤点ギリギリだし、部活のバスケではずっと補欠だし、勉強もスポーツもできないんじゃ未来は真っ暗。生きててもしょうがないんじゃないかって思うよ」
投げやりな発言に、俺は胸騒ぎがして隣を見た。
相変わらず、会澤は火の灯らない点火台を見ていた。
「準備完了!」
雑踏に混じってどこかから声が聞こえてくる。俺はそちらを一瞥した。
だが、俺と同じ場所にいるはずの会澤の耳には届いていないのか、静止したまま身動き一つ取ろうとしなかった。
きっと、会澤だっていつまでも落ち込んだままではないだろう。
林間学校が終われば、なんだかんだ言ってまたいつもの元気な姿に戻る。
確証はなかったけれど、おそらくそうなるだろうという予感はした。
だから、このまま何もせずにそっとしておくというのもありだと思った。
間もなく来るであろう集合の呼びかけに合わせて足を踏み出し、余計なことは気にせずにキャンプファイヤーに取り組めばいい。時間が解決してくれるなんて都合のいい話かもしれないけど、気が滅入っているときに下手に構うことが得策だとは言い難いものだ。
けれど、もしこのまま何もしなかったら、会澤にとってのキャンプファイヤーや林間学校の思い出はどうなるのだろうか。
――わたしは告白大会で頑張るからさ、フォロー、よろしくね。
「集合!」
遠くから大きな叫び声がした。今度は会澤も反応し、顔を向けた。
どうするべきか。焦燥感が増していく。脳裏に蘇るのは先ほどの未翔の台詞。
頑張るってなんだよ? フォローってなんだよ?
だいたい何を言うのかさえ知らされていないのだ。無鉄砲にもほどがあった。
でも、今の会澤に何か伝えておかなければいけない気がした。
グラウンド内に散らばっていた生徒たちが一斉に集まり始めた。俺は隣の会澤よりも先に一歩を踏み出し、ジャージのポケットに手を入れたまま、振り向かずにそっと呟いた。
「告白大会、楽しみにしておけよ」
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