第319話


 


 彼らは、ある日突然、理不尽にもその命を奪われた。戦によって、病によって、賊によって。劇的に、突発的に、必然的に、彼らはこの世を去った。


 そんな彼らが辿った結末は多々あれど、共通点が一つだけ存在する。即ち、天寿を全う出来なかったことだ。


 しかし、それは……この乱世では有り触れた死因の一つに過ぎない。誰も疑問に思わない。怒りはする。嘆きもするだろう。だがしかし、抗うことはしない。諦めているからだ。自分は、ここで終わりなのだと。


 そんな哀れな者達が、死の淵に一体何を遺すのか。


 ……答えは、理不尽な世界へ向けた【怨み】である。




 《ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ーッッッ!!! 》




 ゴポリゴポリと、表面が煮立つように湧き上がっていくどす黒い塊。渦巻く模様が人の顔へと変わっていき、うめき声と共に閉ざされていた両目が見開かれ、身の毛のよだつ奇声を上げる。


 正しく、その姿は怨霊。その命を、その尊厳を、嘲笑うかの如く踏みにじられた犠牲者達が、死の間際に血の涙を流しながら現世へ残した怨念の集合体。


 ……俺が、取りこぼしてしまった者達。夢の実現という甘美な響きには、他人の夢を蹂躙するという残酷な側面が含まれている。その事実を、痛い程に突き付けられてしまった。


 最早、彼らを止める術は無い。




 《ナラバ、コノ怒リヲ受ケ入レヨ!! 》




 真っ黒に爛れた両手が伸びる。


 ソレに、掴まれてはならない。


 本能的にそれを察しながらも、俺はその両手を横から掴んだ。その復讐を拒絶するかのように。


「――っ」


 焼けるような痛みが走る。


 だが、それでも俺はこの手を離すことはしなかった。


「確かに、俺は織田家の家督を継いでからというもの、平和を謳いながら織田家に従わない大名家と戦を起こし続けてきた。一刻も早く、天下統一を成し遂げる為に。……その結果、多くの尊い命が失われた。叔父にも裏切られた。俺には、天下を治める資格は無いのかもしれない。爺さんとは違って、最初から天下泰平の世を夢見ていた訳じゃなかったから」


 自嘲する。俺は、爺さんのようにはなれない。皆を引っ張っていける英雄には。


「……あぁ、そうだ。前世は、平和な日本で暮らす普通の高校生だった。それが、気が付いたら赤ん坊になっていて、それもあの織田信長の孫で、このままだと秀吉に血筋やらなんやら利用された末にポイ捨てされる運命で。そんな結末、到底認めることは出来なかった。意味わからんうちに死んで、転生したかと思ったらお先真っ暗で。そんな理不尽な理由で死んでたまるか! って、思ったんだ。何がなんでも生き延びてやるってな。……それが、最初の行動理念だった」




 《……》




「当初は、爺さんを助けられるとは思ってなかったし、天下を統一しようとも、平和な世界を作ろうとも思っていなかった。……俺は、皆が言うような聖人君子じゃない。実際、こうして三介叔父さんにも裏切られた。官兵衛も、成政も、家康も……そして、お前達も俺を王とは認めなかった。偽善者だと突き付けられた。……正直、堪えたよ。とてもではないが、今の俺にはその言葉が否定することは出来ないから」




 《ナラバ――ッ》




「でも、ここで死ぬことは出来ない。どれだけ否定されようとも、嘲笑われようとも、恨まれようとも、俺は最後まで進み続ける。そう、決めたんだ。これは、俺にしか成せないことだから!! 」




 《――っ!? 》




 両手に力を込める。怨霊の顔に、初めて動揺の色が出た。


 思い返せば、松や雪達との出会いが考えを改める契機になった。俺は、あの時になって、ようやくこの世の不条理ってやつを理解したんだ。この世界の命がどれだけ軽くて、自分がどれだけ恵まれているのかを。生まれから、不公平や不平等を強いられている人達がいることを。


 俺は、戦国時代の闇をこれでもかってくらい見せられた。貧困。暴力。不満。悪意。嘆き。呪詛。無念。差別。妬み。恨み。遺恨。反感。復讐。……あまりにも度し難いこの世の真実を。


 気が付けば、俺は松達を抱き締めていた。汚れなんか気にならなかった。この子達を、救いたいと心から思ったんだ。理不尽な脅威に晒されることもなく、ただただ平穏な日々を送って欲しいと。


 それは、前世で俺が当たり前のことのように謳歌していた平和だったから。


「俺だけが、あの平和な世の中を知っているんだ。差別もあったし、変質者はいたし、貧富の差もあったけれど、三百年以上先の未来には、この日ノ本に平和な世界が確かに存在していた! だからこそ、俺は誰よりも具体的に泰平の世を思い描ける! 織田信長でも! 豊臣秀吉でも! 徳川家康でも成せない! 平和を知る現代人だからこそ出来る国造りがある! それを確信したからこそ、俺は無理やりにでも天下統一を推し進めた。一人でも多く、今を生きる民達を救う為にっ!! 」




 《ア、アア……》




 瘴気が薄れていく。怨霊の姿が小刻みに震え始め、言葉にならない声が溢れていく。


 そして、次第に霧がかった胴体に見え隠れしていた亡者達の顔から怨みが薄れていくのを感じた。怨みの根元が崩れているんだ。怨んでいた対象が、本当は誰よりも自分達のことを想っていたのだと分かったから。


 きっと、誰かに誘導されたんだ。怒りの矛先が、俺に向けられるように。




 《ソンナ、デハ……デハ……ナンデ、私ハ……》




 怨霊の身体が端から崩れていく。


(……なんて、酷いことを。これでは、誰も救われないじゃないか)


 歯噛みする。こんなもの死者への冒涜だ。報われない。あまりにも、報われない。一度、魔に堕ちてしまった以上、その行先は地獄しかないんだ。例え、騙されていたのだとしても。


 そんな時だ。彼らの影に紛れて、あの人の顔が見えた気がした。


「――っ」


 その瞬間、俺は全てを受け入れる覚悟を決めた。文字通り、全てを。


「……ごめんね。もう、迷わないと決めたんだ。お前達の怒りも、怨みも、全て受け入れる。それでも、ここで死ぬ訳にはいかないんだ。未だ、やり残したことがあるし。……何よりも、どうやら迎えが来たみたいだから」




 《迎エ? 迎エ等アリハ……》




【殿っ!! 援軍、援軍にございますっ!! 木曾殿が、手勢を率いて北の戦場に現れました! そして、北条家も徳川領を攻め込んでいるとのこと!! 上様も、これを機に動き出しておりますっ!! 】




 《バ、馬鹿ナっ!!? 》




 突如として響く雪の声に、怨霊は目を見開きながら狼狽える。それは、第三者の声が聞こえてきたからか、それとも援軍に対してか。


 答えは簡単だ。彼らには、もうこの空間を維持する力も残されていない。刹那、亀裂が音を立てながら大きく切り刻まれる。


 崩壊は近い。


「……もう、行かなきゃ」




 《――ッ!! ワ、我ラハ……私ハ……怒リハ、……ドウ、スレバ……。ア、アゥァ……ァア……》




 怨霊の姿が小刻みに震えていく。それと共に、真っ白な世界に更に深く亀裂が入り、足場は端の方から崩れていく。怨霊の精神状態と共鳴しているかのように。


 その姿は、まるで泣きじゃくる幼子のようで……。


 気が付けば、俺は怨霊の手を引っ張って抱き寄せていた。考えるよりも先に身体が動いていた。その瞳が、助けを求めているように見えたから。ならば、助けなければならない。その為に強くなりたいと願ったのだから。


「大丈夫。きっと、成仏出来る。この戦いが終われば、供養碑を建てると約束する。反対なんてされるものか。俺だけじゃない。誰もが、お前達の安らかな眠りを祈っているのだから」




 《ホ、本当ニ……? 》




「あぁ、本当だ。だから、それまでは俺の中に居なさい。見捨てたりはしない。一緒に、泰平の世界を見に行こう。極楽浄土のような幸せな世界へ、必ず連れて行ってあげるから」




 《ア、アァアア……アァァァァ……ッ》




 刹那、怨霊の身体が塵のように崩れ、風に導かれるように俺の中へと入っていった。胸元には、光り輝く丸い塊がある。本能的に、それが俺の魂なのだと悟った。


 そこへ混ざり込む黒い影。怨霊の残滓だ。白と黒。相反する魂の色は混じり合うことは無く、それぞれを補うように分離していった。陰陽の太極図ように。


 俺は、彼らを労わるように胸元を撫でた。


「約束する。何十年、何百年先の未来でお前達がこの日ノ本へ転生を果たした時、二度と理不尽な運命に晒されることも無く、この国に生まれて良かったと心から思えるような国を作ってみせると」






 だから、これでお別れ。


 さようなら。…………三介叔父さん。






 硝子の割れる音。


 白い世界は崩壊し、俺は亀裂へと吸い込まれていった。










 ***










 気が付けば、意識が戻っていた。騒々しい合戦の音。大地を揺らす雄叫び。勇猛果敢に敵兵に対峙する兵士達の姿。意識を失う直前に垣間見た景色と、何ら変わらぬ状況にも見える。


 コンマ数秒呆然としていると、誰かに左肩を叩かれた。視線を向けると、そこには焦り顔を浮かべる雪の姿が。


「殿っ! 大丈夫ですか!? 」


「……どのくらい意識を失ってた? 」


「えっ……と、ほんの数秒でしたよ? 」


「……であるか」


 どうやら、やはりさほど時間は経っていないらしい。それは、僥倖。こんな時に総大将が意識を失えば、それだけで戦線が一気に崩壊してしまうからね。


(それに……)


 胸元に手を添える。敵の思惑はどうあれ、期せずして最終決戦を前に今一度原点を振り返ることが出来た。新たに加わった力。援軍に駆け付けてくれた木曾家と北条家の皆。今も、最前線で奮闘してくれている兵士達。


 ここまでお膳立てが整ったのだ。何を臆する必要があろうか。息を吸い込み、兵士達の魂へ届くように声を張り上げた。


「――総員、攻撃準備。この状況での援軍は、家康とて予想外の筈。必ずや、奴らの動きに影響を与えるだろう! ……良いか! 徳川軍が動揺した隙を決して見逃すな! 少しでも綻びが見えたのならば、速やかにその隙を全力で叩いて前線を押し上げるのだ!! 心せよ! この数秒で、日ノ本の行く末が決まるのだとっ!!! 」


『――御意っ!! 』


 突然の号令。


 されど、兵士達は誰一人戸惑うことも無くソレに応えた。この時を、ずっと待ち望んでいたように。






 戦況が、目まぐるしい変化していく。


 決着の時は、もうすぐそこにまで迫っていた。






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