第163話
天正十一年 六月 新潟 新発田重家
両軍の大将が撤退を決定。それによって、未だに戦っているのは前線の足軽のみ。俺がすべき役目は、直ぐに新潟城へ帰還すること。その事は分かっているのだが、俺達は立ち止まらずにはいられなかった。
こちらへ真っ直ぐに向かって来る蘆名家の軍勢。先程の青年を皮切りに、続々と報告が上がり、嫌でも事実だと分からされる。
物見の目測だが、軍勢はおよそ三千程。状況を考えれば援軍だと思うが、何故か凄まじい速度で近付いて来ているのが、あまりにも不穏過ぎる。最悪の想定が、脳裏を過ぎった。
この状況に、勘五郎が横へ寄ってくる。
「義兄上、蘆名家へ援軍を要請したのですか? 」
短く、決して蘆名軍が向かって来る方角から視線を逸らす事無く、俺へ問いかける。この時点で、家臣達が勝手に援軍要請をした可能性は消えた。
「いや、聞いていない。真田様の文にも、蘆名家の援軍が来るとは書かれていなかった」
そう答えると、勘五郎の眉が細まる。
「では、織田様が…………」
勘五郎が最後まで言う前に、首を振って否定する。織田家は、単独で上杉家を滅ぼせる戦力を持っている。わざわざ蘆名家を使う必要は無い。
俺達は、あくまで上杉家との関係性と、本拠地が春日山城を挟む場所にある事を利用されているだけに過ぎない。俺も、それを承知で真田様の力を借りたのだ。
「状況を考えれば、蘆名家が功を焦って、単独で援軍に来た……そんなところでしょうか? 」
「………………」
勘五郎の考えに、沈黙で返す。正直に言えば、蘆名家の援軍だと断言出来ないからだ。
新発田家と蘆名家は、味方では無い。確かに、上杉家と敵対した際、蘆名家と伊達家は支援をしようと申し出てくれた。
しかし、それは奴らに利があっただけのこと。新発田家と上杉家が争い、国が荒れる事を望んだ故の策謀である。
もし、俺が上杉景勝を討ち取り、越後国国主を名乗ろうとしても、奴らは絶対にソレを認めないだろう。
そもそも、上杉家の御家騒動を受けて侵略して来た蘆名家と伊達家を、景勝の為に追い払ったのは俺達だ。味方か敵かなら、間違いなく敵だ。
そして、一番の懸念は、新発田家は織田家の傘下では無いこと。もし、俺達が蘆名家に滅ぼされても、織田家は一切介入しないだろう。俺は、所詮越後国新潟を治める弱小領主に過ぎない。天下に轟く大大名の織田家にとって、俺は取るに足らない虫けらと同義だ。
以上の点より、俺は、蘆名家が俺達諸共、上杉家を滅ぼそうとしているようにしか見えなかった。
しかし、それは言わずに沈黙を保つ。
この考えは、未だ憶測の域を出ないからだ。勘五郎達に、余計な心労をかける必要は無いだろう。
今は、何も起こらない事を祈る他無い。
***
だが、事態は緊迫した状況へ進んでいく。
遂に遠目で確認出来た蘆名軍が、援軍であれば立ち止まらねばならぬ地点を過ぎても、一切止まること無くこちらへ向かって来ているのだ。
これは、明らかに異常な行為。援軍であるならば、あまりにも礼節に欠けた行動だ。
「義兄上…………」
不安そうにこちらを見詰める勘五郎を尻目に、槍を握る手に力を込める。待てども待てども、一向に使者が遣わされる気配が見えない。
首筋に、嫌な汗が流れる。
――覚悟を決める他無い。
軍配を返し、こちらへ押し寄せる蘆名軍を標的と定める。その一連の流れに、一同気を引き締めて俺の指示を待つ。
「総員、戦闘用意!!! 迎撃体勢、槍兵三百を前に出せ!!! 」
『おぉっ!!! 』
即座に準備に取り掛かる家臣達。先程まで不安そうにしていた勘五郎も、真剣な眼差しで槍兵の準備に前線へ向かった。
幸い発見が早かった事も有り、上杉軍相手に大手柄を挙げた投擲部隊は既に解散し、各々槍を片手に敵に備える事が出来た。
だが、やはり未だ上杉軍の様子が気になる。蘆名軍の様子次第では、背後を突かれて挟み撃ちにされかねない。
つい先程まで、圧倒的優勢に立っていたと思えない程の絶望的な状況に陥っていた。
『戦の流れは川の如し』と言うが、このあまりの変わりように、思わず苦笑が漏れる。神がいるならば、この理不尽な状況をどうにかして欲しいものだ。
***
そして、遂にその時が来た。
蘆名軍が、雄叫びを上げながら加速したのである。その行動を見て、一気に場が引き締まる。
蘆名軍三千に対して、こちらの戦力は千二百。その内、二百を上杉軍へ向けなくてはならない為、蘆名軍と相対するのは千の兵士達。連戦となるが、ここで力を出さねば死ぬだけ。一同、歯を食いしばりながら駆け出した。
「進めぇええっ!! 進めぇぇぇえええっ!! 」
『うぅぅぅおおおぉぉぉおおおっ!!! 』
闘気を昂らせながら、ぶつかり合う両軍。凄まじい勢いで衝突したせいか、蘆名軍の兵士達が先鋒を突破して中枢にまで押し寄せてきた。
ここまで来れば、最早戦術も無い。槍を短く持ち替えて、俺自身も敵を薙ぎ払わんと戦場を駆ける。
しかし、ここで予想だにしない事態が起こる。
蘆名軍を率いて前線で猛威を奮っていた将が、突如として落馬したのだ。その直後に響く悲鳴。それに続く怒号。
「新発田だぁああ!!! 新発田が、やりやがったぞぉぉぉぉおおおっ!!! 」
その声に、蘆名軍が動揺を見せる。
勢いが増す者、狼狽える者、無謀な突撃をする者。まるで、頭を失ったかのように、蘆名軍が分解していく。
戦場は、混乱の最中にあった。
***
時は、前日に巻き戻る。
戦装束に身を包み、新潟城へ進行する蘆名軍を率いるこの男。未だ年若い青年と言えるこの男こそ、蘆名家十八代目当主蘆名盛隆であった。
そんな盛隆の横に寄り添う一人の青年がいた。名は、大庭三左衛門。盛隆の寵愛を一身に受ける三左衛門は、家臣の身なれど常に傍に寄り添っていた。
そんな三左衛門に、盛隆は不安そうに尋ねる。
「……誠に、このまま新発田諸共上杉軍を討って良いのか? 幾ら味方では無いとは言え、宣戦布告も無く奇襲しては、また周りから責められてしまうのでは無いか? 」
俯きながら呟く盛隆。元々蘆名家の人間では無い盛隆は、常日頃から家臣達の反発に頭を悩ませていた。
『所詮、二階堂の人間』『人質の立場だった者が、何故当主になるのか』『先々代様の養子、実子では無い』『俺は、貴様を認めない』
心無い言葉に精神を病み、常に傍で己を肯定してくれる三左衛門に依存していく盛隆。そんな盛隆の胸元に、三左衛門の手が伸びる。
「大丈夫でございます。新発田は、所詮弱小国人衆の一つ。織田様としては、奴が上杉家を破ったとしても、越後国を任せる事は出来ないのです。それ故に、新発田は織田家にとって邪魔な存在なのですよ」
「しかし……」
言い淀む盛隆に、三左衛門は胸元から一枚の文を出して見せる。
「それに、これは織田様の意向でございます。この文は、彼の織田家大老羽柴筑前守様の右腕である黒田官兵衛様から送られてきた指令。このまま奇襲を掛けても、殿を責める者はおりませぬ。……それに、ここで手柄を挙げれば誰もが殿を褒め称えることでしょう」
「…………そう……だな」
ぎこちなく頷く盛隆。その口元は、僅かに緩んでいた。家臣達から中々認めて貰えない盛隆。そんな盛隆は、誰よりも手柄を欲していた。皆から認められる手柄が。
それ故に、三左衛門の甘い言葉に、思わず手を伸ばしてしまったのだ。それが、地獄への片道切符だとも知らずに。
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