第164話

 天正十一年 六月 新潟 大庭三左衛門






 最前線にて、果敢に槍を振るう殿を見る。大混戦となった新発田軍との戦いで、殿は獅子奮迅の活躍を見せていた。


 いつも通り……否、いつにも増して凛々しい御姿に、高鳴る鼓動が抑えられない。


「その首、討ち取ったりぃいっ!!! 」


 右手側から聞こえる騒音に、煩わしさを覚えながら野太刀を振るう。あまりにも重く使い手が少ない武器だが、扱いさえ慣れたら誰よりも敵を討ち取れる素晴らしい武器。今では、手足の様に扱えるソレは、正確無比な軌道を宙に描いた。


「うん。邪魔」


「ぎゃあっ?! 」


 汚い悲鳴を漏らしながら、兜ごと頭を叩き潰す。この雑魚のせいで、殿の御雄姿を一瞬見逃してしまった。万死に値する。






 そんな汚物を足蹴にして退かすと、少し離れてしまった殿へ追い付かんと手綱を引く。


 視線の先には、顔を鮮血で濡らしながらも、敵将と互角に戦い合う殿の御姿があった。星々の輝きにも、勝るとも劣らない煌めき。私にとっての、全てがそこにあった。






 ***






 あぁ……この視線を独占出来たら、どれ程幸せだろうか。あぁ……その寵愛を独占出来たら、どれ程幸せだろうか。


 私は、殿だけを愛します。殿だけを見ております。殿だけを御護り致します。毎日、毎日、毎日、毎日、毎日……殿だけを想っているのです。






 だけど、殿は私だけを見てくれない。






 殿は、他の女と子をつくった。今、殿の寵愛を一身に受けているのは御子息様でしょう。






 それが、憎くて仕方がない。


 この気持ちが自分勝手なモノだと気付いている。蘆名家へ養子入りした殿の立場を考えれば、後継者となる男児をつくらねばならない事は分かっている。女では無い私が、貴方の子を宿せない事は分かっているっ!






 だけど、だけど、だけど、だけどっ!!!


 殿も! 奥方様も! 御子息様も! 絶対に許すなと、心が叫んでいるんだっ!!!






 そんな時、官兵衛様から文を頂いた。


 あの御方は、私の想いを馬鹿にしなかった。親身になって、何度も何度も励まして下さった。私の願いを肯定して下さった。


 文を通しての関係だったけれど、私は官兵衛様の言葉に救われたのだ。道理では無い事を自覚しながらも、やはり認めて貰えた事が何よりも嬉しかった。


 そして、ある日、私の願いを叶える方法を教えて下さった。






 ――殿を殺せば、その眼差しを、その輝きを、永遠に私が独占出来る。






 あぁ……何て、素晴らしい未来だろうか。想像するだけで、全身が幸福感で満たされる。あぁ……なんて蠱惑的な誘いだろうか。その眼差しを、その心を、私が……私だけが独占出来るのだ。


 




 この想いは、私だけの願いでは無い筈。きっと、殿もそれを願っている筈なのだ。だって、こんなにも私を頼って下さる。あんなにも、私に愛を囁いて下さったでは無いか。






 殿は、今でも私を愛している筈。






 なら、この願い分かって下さりますよね?






 ***






 野太刀を小姓目掛けて投げ捨て、手綱を引いて馬に指示を出す。一足飛びに駆け出す馬に呼吸を合わせながら、腰に差した刀を抜刀する。






 煌めく銀の輝きは、夜空に輝く綺羅星の如く。空を駆ける様は、夜空を切り裂く流星の如く。その美しい首筋を撫でるように振り下ろした。






 直後、時が止まったかのような静寂が訪れ、切り飛ばされた御首は、綺麗な放物線を描きながら私の胸元へ辿り着く。


 それが、殿が私を選んで下さったように思えて、思わず頬を緩ませる。


「あぁ……やっぱり、殿も同じ想いだったのですね。安心してくださいませ。私も、直ぐにそちらへ参ります」


 恍惚とした微笑みを浮かべながら、赫く染められた刀身を己の首元へ振るった。






 走る激痛。燃えるように熱い首元。膝から崩れ落ちるように、地面へ身を投げ出す。真っ赤に染まる視界の中、殿の御首を抱えながら目を閉じた。






 あぁ、幾度の試練を乗り越えた二人が、死後の世界を寄り添って歩く。二人の魂は、永遠に共に離れる事は無い。






 なんて甘美な未来。誰にも縛られないこの世界で、私が殿を御支え致しましょう。






 永久に。






 ***






 大庭三左衛門の乱心。


 黒田官兵衛によるマインドコントロールとも言える策略は、戦場において最悪の状況で爆発した。これにより、司令塔を失った蘆名軍は、瞬く間に制御不能な暴走列車と化した。


 指示系統を潰された故に、退くことが出来ない蘆名軍は、目の前の敵を仇敵と定め、ただただ我武者羅に戦う事しか出来ない。それに相する新発田軍も、殺される訳にはいかない故に戦わざるを得ない。






 その状況を、見逃せない勢力がいた。上杉軍だ。


 一度は撤退を決意した景勝だったが、突如として始まった新発田軍と蘆名軍の戦いに、踝を返して進軍速度を上げた。


 先程の戦いで消耗したとは言え、未だ軍の大半は戦闘が出来る状態であり、兵士達もこのまま手柄を挙げずに帰る事を良しとしなかった。






 そして、上杉軍以外にも戦場へ向かえる勢力がいた。奥州における、もう一つの親織田派大名である伊達家だ。彼等は、戦場から三里程離れた場所に居た。


 距離的に、全力で駆けつけようとすれば、蘆名軍とほぼ同時に戦場に現れる事が出来ただろう。


 しかし、そうはならなかった。伊達軍を率いる伊達輝宗は、その場で陣を敷いて動こうとしなかったのだ。


 当然、家臣からは疑問の声が上がる。


「殿、何故戦場へ駆け付けないのですか? 今こうしている間にも、戦況は刻一刻と変化しているのですよ!? 」


 手柄を挙げたい家臣は、戦に間に合わない事を危惧して進言する。しかし、輝宗は首を横に振って却下した。


「……筑前守から文が来ていない。それまでは、この場で待機だ」


「しかし! 」


 思わず身を乗り出しす家臣へ、鋭い視線が向けられる。


「くどい! 」


 家臣の進言を切り捨て、深く椅子に座る。断固として動かぬその姿勢に、家臣の男も諦めて陣中から退去した。






 輝宗は、怖かったのだ。もし、自分が先走った影響でこの包囲網が破られたら、この上杉征伐が失敗したら、間違いなく自分が殺される未来が見えていたのだ。


 それ故に、動かない。


 否、動かない。


 秀吉の文は、届かなかった。






 羽柴秀吉は、伊達輝宗に文を送った。


 真田昌幸は、新発田重家に文を送った。


 黒田官兵衛は、大庭三左衛門に文を送った。


 秀吉は、主君の願いである天下統一の布石として、諸国の大名家の力を削ぐ為に。昌幸は、真田家の地位安泰と、己を信じてくれた主君への忠義の為に。官兵衛は、枯れることの無い野望と、絶叫と絶望に満ちた戦場を見たいが為に。


 その中で、秀吉の文だけが届かなかった。


 これが運命か。もし秀吉の文では無く、別の文が届かなかったら、この状況を生まれていなかっただろう。






 上杉軍五千、新発田軍千二百、蘆名軍三千。


 戦場は、三つ巴の大混戦。史上最悪の合戦が始まろうとしていた。


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