第156話
織田家当主三法師により、越後国を包囲する三つの軍団長へ指令が下された。
「上杉家の悪行を、決して許すべからず」
その一文と共に、菊姫と長坂一行が辿った非業の死が事細かに添えられており、結果として兵士達の士気を今まで以上に上げる事になった。
日ノ本の民は、大義名分を重要視する傾向にある。恥の文化と言うべきか……体裁を、必要以上に気にするのだ。
『大義無き暴力は、悪と同義である』
そんな御立派な理由では無く、『自らの手段を正当化させる為に、眼前の敵を悪だと証明出来る理由』を、人は欲しているのだ。
さて、御託はここまでにしよう。
理由はどうあれ、上杉家を滅ぼす大義を得た織田軍は、その戦意を昂らせながら進軍を開始。それに続くかのように、上杉家も戦支度を始めた。
両者、決戦間際となった今日この頃。あの男達も、最後の仕上げに取り掛かっていた。
***
天正十一年 五月 上野国 真田昌幸
先日まで続いた雨も上がり、これまで溜め込んでいた熱量を放出するかのように、これでもかと大地を照らし続ける太陽を見詰める。
湿気で肌に張り付く髭が煩わしい。全くと言って良い程に吹かない風。正直、こんな過ごしにくい気候の中で外に出たく無い。
だが、眼前に広がる若造達は、そんな後ろ向きな感情など一切見せず、意気揚々と丹羽殿の演説に耳を傾けていた。
「武田家の悲劇を聞いたか! 上杉家は、罪の無い女子を切り捨て、忠義に生きる武士を罠にかけて殺した! 何たる悪行か! 武士の風上にも置けぬ肝物! 万死に値する! 我等は、誇り高き武士として、この残虐非道なる上杉家を決して許してはならぬのだ!!! そうであろう!? 」
『然り! 然り! 然り!!! 』
拳を天に突き上げると、それに呼応するように幾千の武士達が叫ぶ。
「決戦の時来たり!!! 正義は、我等に有り!!! 今ここで上杉家を滅ぼし、武田家の仇を取るのだっ!!! 」
『おぉおぉおおぉおぉおぉぉっ!!! 』
地鳴りにも似た歓声が鳴り響き、突き上げた拳が団結の固さを示す。まさに、これ以上無い仕上がり。上杉家は、自らの愚行によって、敵勢の士気を高めてしまったのだ。
その様子を眺めながら、腰に差した竹筒を手に取り喉を潤す。儂が、何か言わなくとも問題は無い。それ程までに、丹羽殿…………これではややこしいな……息子殿は優秀であった。
弱冠十三歳の若造にしては、中々良く回る口をしており、父譲りの凛々しき顔立ち。どことなく人を惹きつける佇まいは、万を預かる将の才を表していた。
それ故に、北条軍五千を率いる総大将北条氏直も、あくまで援軍としての立場で、息子殿を支えておる。この丹羽・北条連合軍は、高水準でまとまっている精鋭部隊と言っても過言では無い。
そんな事を思っていると、我が長男である源三郎が、大きく手を振りながら、こちらへ歩いて来るのが見えた。
「父上っ! お久しゅうございます!!! 」
最後は、駆け足となって向かって来た源三郎を、儂は抱きとめる。今年で十八歳になる息子は、この一年間で、見違える程に逞しい武士へと成長していた。
「おぉ! 源三郎では無いか! 息災だったか! 」
「はい、父上っ! 」
一年振りとなる親子の再開。源三郎は、真田家の若き当主として丹羽殿に仕え、儂と源二郎は人質として岐阜へ。
簡単に命を落とす乱世故に、儂は前線に立たされる源三郎を心配し、源三郎は人質となった父と弟の身を案じていた。それが、この抱擁で痛い程に伝わってきた。
「源三郎は、今まで前線にいたのだろう? 怪我は無いか? 戦況はどうなっておる? ちゃんと飯を食えておるのか? 」
源三郎の肩や腹を叩きながら、矢継ぎ早に問いかける。すると、源三郎は苦笑しながらも元気良く答えてくれた。
「私は、どこも怪我をしておりませぬよ。前線では、小規模な小競り合いが続いており、本格的な戦闘は起こっておりませぬ」
「そうか…………そうか! ならば、良いのだ」
ほっと、息を吐くと、今度は源三郎が興奮したように口を開く。
「そんな事よりも、聞きましたぞ、父上! この上杉征伐軍丹羽・北条連合軍における参謀に任された……と。斯様な栄誉ある役職を任されるとは、流石は父上にございます! 息子として、これ以上無く誇りに思っております!!! 」
「はっはっは……それ程では無い。儂も、まだまだ精進せねばならぬ身よ。…………近いぞ」
鼻息荒く詰め寄ってくる源三郎を、苦笑いと共に遠ざける。
「やや! これは、失敬」
源三郎は、少し演技がかったように遠ざけると、小さく頭を下げた。その姿に、『このような戯れも久しぶりだな』と、昔を懐かしんでいると、源三郎が小さく首を傾げて言った。
「しかし……父上は、人質の身でございますよね? 何故、そのような栄誉ある任を賜れたのでしょうか? 」
「ん? あぁ……それはな――」
源三郎の問いかけに、儂は優しく微笑む。あの時の事を、脳裏に浮かべながら。
***
源三郎の疑問は、至極当然のことだ。如何に、三法師様が人質扱いしていなかろうと、儂と源二郎の身分は織田家の最下層。真田家の家督を継いだ源三郎が織田家を裏切らないように、その身を拘束された身分である。
であれば、そんな下等な身分の者が、上杉征伐軍の参謀を任される等、本来有り得ない事態であり、多くの重臣達が猛烈に反対した。
「若君! どうか、御再考下さいませ! 真田何某は、参謀職を任されて良い身分にございませぬ。これでは、下の者に示しがつきませぬ! 」
『然り! 然り! 然り! 』
一人の男が、そう直訴すると、それに続くようにいたるところで賛同の声が上がった。
正直、この時の儂は生きた心地がしなかった。三法師様や大老様方は、一切口を挟まずに事の成り行きを見守るばかり。儂は、下座にて身を縮ませる事しか出来ない。
『このまま殺されるのでは無いか…………』
そんな考えが脳裏を過ぎり、まるで死刑執行を待つ囚人のような気分を味わった。
されど、三法師様は儂を見捨てなかった。
今でも、あの言葉を鮮明に覚えておる。
周りから上がる声が高まり、いよいよ行動に移さんとする者が出始める直前。三法師様は、そっと人差し指を口元へ寄せた。
たったそれだけで、先程までの騒動が嘘のように消え去り、皆が皆、三法師様へ視線を向けていた。
「その人が、信頼出来る者か否か確かめるには、どうしたら良いか知っているかい? 」
三法師様が、先程声を荒らげていた者に問いかけると、その者は焦るように頭を下げる。
「え……も、申し訳ございませぬ。…………ぞ、存じ上げませぬ」
下手な事を言わぬ為か、無難な返答をする。すると、三法師様はそれを咎める事無く、答えを口にした。
「それは、その者に権力を与えることだよ。己の身に過ぎたる力は、簡単に人を狂わせる。その力を、世のため人のために使える者こそが、信頼に足りる者なんだ」
三法師様の言葉は、心の奥底まで届くかのように温かく染みていく。先程まで反対していた者でさえ、感服したかのように瞳を輝かせていた。
そして、三法師様の視線がこちらへ向けられる。顔もはっきり見えない程に距離は離れていたが、何故か真っ直ぐこちらを見詰める優しげな表情が見えた気がした。
「余は、喜兵衛を信じる。それでは、不足かい? 」
『…………ははっ! 承知致しました! 』
一同平伏する中、儂は感涙に咽ぶ思いであった。
その一言に込められた三法師様の信頼に、全身全霊で応えねばならぬ!!! その信頼に足りる者にならねば!!!
そんな決意を胸に誓った。
***
あの日の事を源三郎に語る。すると、感嘆したかのように、源三郎は息を吐いた。
「噂には聞いておりましたが…………やはり、類稀な器の持ち主なのですね」
「あぁ……左様だな」
源三郎の言葉に同意する。
天下を治める器。その意味が、良くわかる出来事だった。故に、儂は武士として、その信頼に応える義務がある。前当主てして、未だ若き愚息の代わりに真田家を安泰にさせる使命があるのだ。
懐へ手を伸ばし、文を取り出す。
賽は投げられた。
後は、この手で未来を掴み取るのみぞ。
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