第151話

 天正十一年 五月 越後国 長坂光堅






 季節外れの猛暑日となった今日この頃、儂は三十名の部下と共に上杉家居城である越後国春日山城へと足を運んでいた。


 ふと視線を横に向ければ、緊張しているのか顔を強ばらせた平林与八郎の姿が見える。


 相も変わらず生真面目な男故に、己の責務の重要性を今尚噛み締めておるのだろう。良い心構えじゃな。


 じゃが、こうも緊張していては何も出来んじゃろう。儂は、与八郎の肩を強く叩いた。


「これこれ! 今からそのような顔をしてどうする! それでは、いざと言う時に動けぬぞ! 緊張感を持つ事は大切じゃが、過度な緊張は己の身体を縛るだけじゃ! そんな身体を強ばらせるでない! 」


「は、はいっ! 申し訳ございませぬ! 」


 突然肩を叩かれて驚いたのか、与八郎は背筋を伸ばしながら上擦った声を上げる。先程より、一層緊張した様子に、思わず苦笑いを浮かべる。






 やれやれ……全くどうしたものかのぅ…………。


 与八郎の緊張が移ったのか、他の者達も同様に顔を強ばらせており、肌を刺すような雰囲気が一行を包み込んでおる。


 これでは、本来の力の半分も出せないじゃろう。もし、このまま進めば、襲撃に会った時に命取りになりかねん。


 何処かで、この緊張感を解さねばな…………。


 そんな思いを浮かべながら周囲を見渡すと、この道沿いの向こうに一件の茶屋が見えた。何とも都合の良い展開に頬を緩ませると、わざとらしく疲れたような声で愚痴を言う。


「はぁ…………しかし、こうも暑いと身体が重いのぅ〜齢七十越えの老骨を、もう少し労わって貰いたいものじゃのぅ〜」


 溜め息を吐きながら横目で視線を向けると、与八郎は慌てて周囲を見渡し、茶屋を見付けるとそちらを指差した。


「し、失礼致しました。釣閑斎様。それでは、あちらに見えまする茶屋にて、一旦足を休めましょう」


 予想通りの回答にほくそ笑むと、ソレを悟らせぬように軽快な足取りで先を進む。


「そうじゃのぅ。では、お言葉に甘えようかのぅ。それでは、皆の衆。与八郎が奢ってくれるそうじゃから、存分に英気を養うが良いぞ」


「えぇっ!? 」


 目を見開いてこちらを見詰める与八郎に、いじらしく笑う。


「冗談じゃ」


「は、はぁ…………? 」


『ふっ……ふふっ…………あっはっはっはっはっはっ! 』


 困惑気味に首を傾げる与八郎に、儂等のやり取りを見て笑う付き人達。そこには、先程より幾分か空気が和らいだ一行の姿があった。










 それから、暫く茶屋にて足を休める事となった。ふと視線を向ければ、皆が皆思い思いに茶を嗜み、団子を食べて和気あいあいとしている。


 されど、そんな笑顔の影に、薄らと疲労の跡が見え隠れしているのを見て、"やはり此処で休憩を入れて正解だった"と悟る。


 そんな様子を眺めながら、儂は茶を口に含んだ。


 疲労の原因は、この暑さだけでは無い。己に課せられた使命の重要性が、知らず知らずのうちに己の身体を縛る枷となっていたのだ。






 菊姫様を、無事に甲斐国まで護衛する。


 それが、儂等に課せられた使命。


 菊姫様は、四年前に上杉景勝へ嫁がれた。一昔前、謙信公と信玄様が存命時には到底考えられなかった上杉家との婚姻同盟。


 当時、上杉家での跡目争いや、織田家・北条家との関係性が、複雑に組み合わさり成立したモノであった。


 菊姫と上杉景勝の仲は良好。未だ子宝には恵まれていないものの、二人の仲睦まじい様子から子を授かるのは時間の問題だと思われておった。


 故に、そんな二人の仲を切り裂く者もおらず、離縁など誰も考えなかった。


 ……じゃが、状況は一変した。


 武田家は、織田家との戦の末に敗れ、今や織田家現当主近江守様に臣従する立場となった。その結果、織田家に敵対する上杉家とは敵同士となってしまったのじゃ。






 思わず湯呑みを握る手に力が込もり、水面に映る己の顔がゆらゆらと揺れる。その波紋は、まるで儂の胸の内を表しているかのようなじゃった……。






 この乱世において、昨日まで味方だった者が敵になる事は、そう珍しいものでは無い。儂とて、共に戦場を駆けた同士を、この手で討ち取った事がある程じゃ。


 特に、婚姻同盟などその場凌ぎにしかならん。全ては、その時の状況によって簡単に変わってしまうのだ。


 非情とは思うが、乱世とはそう言うモノ。当主は、何よりも御家の為に行動せねばならん。若様が、織田家の意向に従い上杉家と矛を交える事は、最早避けられぬ必然であった。


 じゃが、菊姫様を思うと胸が苦しい。赤子の頃より見守って来た信玄様の忘れ形見。誰よりも優しく朗らかで、花のような笑顔が特徴的な子じゃった。


 じゃが、菊姫様は普通の子じゃ。武家の娘……信玄様の娘と言えども、普通の娘なんじゃ。心も、そう強くは無い。上杉景勝との離縁を、きっと心から悲しんでおるのじゃろう。


 此度の一件、菊姫様には何一つ落ち度は無い。にも関わらず、こちらの勝手な言い分で離縁となり、甲斐国への帰国を余儀なくされたのだ。その悲しみは、儂では到底計ることは出来ない。






 ……不敬ではあるが、儂は菊姫様を本当の娘のように思ってきたのじゃ。そんな菊姫様が悲しむ姿を見たくない。されど、儂には、その傷を癒す事も出来ないのじゃ。


 菊姫様の気持ちを考えれば、春日山城に残る道もあるじゃろう。じゃが、上杉家は間違いなく滅びる。儂には……武田家には、菊姫様が上杉景勝と最期を共にするなんて、絶対に許す事は出来なかった…………。


 結局、一介の家臣である儂には、もうこの事態を止める術など無い。幾ら菊姫様の境遇を嘆いても、その運命を変える事なんて出来やしないのじゃ。


 そんな己への不甲斐なさに、心底嫌気が差す。


 じゃが、そんな儂に出来る事もある。菊姫様を、無事に甲斐国まで送り届ける事じゃ。そして、ゆっくりと休養を取って頂き、その傷が癒えるまで傍で支え続けること。


 そんな未来を夢見ながら、そっと視線を上げる。


 雲一つない青空を飛ぶ鴉が、まるで災いの前触れかのように高らかに三度鳴いた。






 ***






 そして、その前触れが、最悪のカタチで的中する事になる。


 春日山城へ到着した儂等一行は、春日山城の一室へ通された。そこで、上杉家家臣直江兼続殿より、衝撃の一言を告げられた。


「菊姫様に、会えない……だと!? 」


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