第150話

 織田家打倒へ上杉家が動き出す中、真田昌幸の一報は、安土城へも送られていた。


 決戦間際となり、皆が皆気を昂らせる中、一人の男が密室にて配下の者から報告を受けていた。


 織田家大老羽柴秀吉である。






 ***






 天正十一年 四月 安土城 羽柴秀吉






「……真田め。動き出しおったか! 」


 文を握り締めながら怒りに震える。


 初めて真田を見た時から、薄々勘づいていた。この男が、絶対に人質の身分で収まる存在では無い……と。


 どこか、官兵衛と似た空気を漂わせる佇まい。兵法書を読む際に見せる昂った瞳。決して機を逃さぬ嗅覚。その鍛え抜かれた鋼の身体から漂う類稀な才気。


 そのどれもが、乱世を駆け上がるに充分な素質。確かに、儂から見ても『腐らせるには惜しい』と思ってしまう。


 それ故に、三法師様の鶴の一声もあり、真田の上杉征伐参戦を認めたのだ。






 だが、その期待は良い意味でも悪い意味でも裏切られる羽目になった。奴は、分かっていた。この儂の考えを読み取った上で、己の行いが咎められる瀬戸際まで踏み込んで来たのだ!


 腹の底から湧き上がる熱に耐えながら、眼前で平伏する男へと視線を向ける。


「現状を報告せよ」


 そう命令を下すと、男は静かに口を開く。


「はっ。信濃国及び上野国の国境付近に位置する国人衆の裏切りにより、各地で混乱が起こっております。流れに乗る者。静観する者。抗う者。三者三葉にございますが、もしこのまま織田軍が進軍速度を落とさなければ、およそ半月後には春日山城へ集結するかと愚考致します」


 男の言葉を吟味する。半月……否、流石に一切交戦しない等有り得んだろう。上杉家の余力を考えれば、おそらく一度。多くて二度だ。


 …………しかし、結論を出すには、まだ情報が足りない。儂は、男へ視線を向け先を促す。


「…………他には」


「国人衆の裏切りが、あまりにも早すぎます。例え根回しをしていたとしても、これ程までに寝返りが重なり合うなど聞いた事がございませぬ。おそらく、彼等が寝返るよう仕向けた者がおります」


「…………内通者……か」


「はっ」






 男は、儂の問いかけに短く肯定する。それを聞いて、儂はようやくこの連鎖的な寝返り騒動に合点がついた。


 この世は乱世。裏切りが常と言っても過言では無い。己の槍働きに対して主人が報いなければ、出奔して別の家に仕える事は至極当然の事。実際に、上杉景勝は、上杉景虎との跡目争いで功績を挙げた新発田重家を軽んじ、結果として厄介な敵を作る羽目になった。


 斯様な前例がある以上、如何に謙信公に恩義のある国人衆とて、一族郎党皆殺しにされるくらいなら平気で裏切るだろう。


 だが、ここで一つ疑問が残る。確かに、織田家の威光は日ノ本中に轟いているが、こうも易々と寝返るのかと言うモノ。奴等とて、勝算が無ければ裏切らぬ。


 先の新発田重家が、上杉景勝と対等に戦えたのは、蘆名家と伊達家の後ろ盾があったからこそ。


 であれば、此度の国人衆寝返り騒動の裏に、奴等が納得する程の男がいると考えるのは必然であった。


 上杉家中枢に力を持つ者。即ち、重臣。


 上杉家は、既にその身を内から食い尽くされておるのだ。恐るべき策謀。儂とて、眼前にて平伏する忍びの者を放っていなかったら気付くのが遅れていただろう。






 …………背中を、冷たい汗がゆっくりと伝った。


 誠に、真田がこの筋書きを描いたならば、恐ろしい事この上ない。


 確かに、多少独断専行が目立つが、あくまで真田が講じた策は、此度の上杉征伐を有利に進める為のモノ。


 結果的に、上杉家へ大打撃を与える功績を残した以上、それを否定するなど、織田家大老として出来る訳が無い。


 何より、真田の狙いはせいぜい真田家の地位向上が主だろう。武田征伐から日が浅く、人質として織田家に従っている身では、些か問題も多かろう。


 この大一番で武功を挙げ、正式に織田家の末席に名を連ねる。……それこそが、真田の狙い。


 奴の意図を理解出来る故に、ソレを断ずる事の出来ない歯痒さに怒りが込み上げる。しかし、そんな中で、寧ろ、斯様な見事な策を講じた事に、『天晴れ!!! 』と言いたい気持ちもあるのだ。






 だが……このまま真田に取られる訳にはいかない。まだ育ちきっていないのだ。今はまだ収穫には早すぎるのだ。


 此度の上杉征伐は、三法師様が王へと至る障害として用意したもの。


 強大な上杉家へ、果敢に攻め込み見事討ち取る。上杉景勝の首を掲げ、織田家の威光を内外に示す。その過程こそが、強い王だと家臣達に認めさせる重要なモノなのだ。


 上様のような強き王……だと。


 故に、更に考えねばならない。


 これから、どう軌道修正していくのか…………。








 それから、暫く一人で物思いにふける。


 半刻……否、一刻程経っただろうか……。


 ようやく考えが纏まると、眼前でひたすら指示を待ち続ける男へ指令を下した。


「直ちに安土を立ち、武田家へ走れ。この文には、三法師様の指令が記されている。儂の使いだと言えば無下にはされんだろう」


 懐から一枚の文を取り出し、男へ手渡す。


「そして、武田殿には、"約束を果たす時が来た"と、一言伝えよ。文を渡した後は、陰ながら武田殿を監視せよ。良いな? 」


「ははっ! 承知仕りました」


 男は、短く返事をすると、段々と気配が薄れ瞬く間に姿が消え去っていった。


 その様子に、思わず溜息が零れる。


 武田家の姫君。その身柄を武田家へと移す交渉に入れば、多少は時が稼げるだろう。ならば、今からでも動かねばならん!


「墨を持て!!! 」


「…………御意」


 急いでいるのが出たのか少々荒っぽく声を上げると、小姓が大急ぎで支度を整える。


 その様子を眺めながら、決意を固めるように拳を力強く握りしめる。


 まだまだ上杉征伐は、序章。本当の戦いは、この先にある。これから一つでも読み間違えた者が敗北する。


 そんな状況に、嫌でも昂ってしまうものだ。




 


 決して、好きにはさせん。


 最後に笑うのは、この儂だ!






 ***






 秀吉が決意を固めた同時刻。安土城城下町に構える屋敷にて、一人の男が笑みを浮かべていた。


 その男の名は、黒田官兵衛。


「ふふっ……殿が武田家を動かす事も、真田が国人衆を引き込め事も、全て読み通り。まだまだ私の手の平から逃れること構いませぬ」






 ――やれ。






 虚空に呟いたソレは、私の忍びへと確かに届いた。小さく蚊の鳴くような声で返事が聞こえると、気配もまた去っていった。


 その様子を、黒田官兵衛はただただ薄笑いと共に眺めていた。










 天正十一年五月三日深夜。上杉景勝正室菊姫が、何者かによって命を奪われた。享年二十六歳。その死に顔は、まるで、己が殺された事が分からなかったかのような安らかな表情であった。






 その三日後、菊姫の死を知らぬ武田家の使者が春日山城へ到着した。


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