第119話
天正十年 十月 長宗我部元親 安土城
細川様に連れられて数日後、俺は安土城まで来ていた。岡豊城の何倍も繁栄した城下町、天高くそびえ立つ豪華絢爛な城。その全てに、圧倒されてしまった。
「これは……また……」
周りを見渡せば見たことも無い品々が軒を連ね、民達の活気溢れる姿が目に映る。今日は祭りなのだろうか? こんなにも笑顔溢れる光景が日常的に見られるなんて、とてもでは無いが信じられない。
「長宗我部殿、参りますよ」
「え……あ! も、申し訳ございませぬ」
細川様の声で我に返った俺は、足早に後を追う。先程までの挙動を恥じていると、そんな俺を細川様は軽く笑いながら見詰めていた。
「ふふっ」
「細川様? 」
「ふふっ、これは失敬。長宗我部殿は、御自身を恥じることはありませんよ? 安土へ初めて来た者は、同様に挙動不審になりますから」
細川様は、岡豊城の時とは、比べ物にならないくらい程に、穏やかな表情を浮かべている。
商いに励む民、横を駆けていく童。それ等を愛おしそうに眺めた後、細川様は安土城を見上げた。
「安土城下に、これほどの笑顔が溢れるようになったのも、全ては近江守様の慈愛の賜物。今では、日ノ本で最も安全な場所だと謳われております」
そう言って微笑む細川様には、近江守様への深い敬意が感じられた。
――細川様に、ここまでの敬意を抱かせる幼子。一体何者だろうか……。
そんな事を思っていると、不意に細川様の真剣な眼差しが向けられた。
「これより、長宗我部殿は御前裁判にかけられます。近江守様は、慈愛に満ちた御方。故に、降伏した長宗我部殿を無下にはしないでしょう。ですが、大老様方は違います。織田家に害ありと判断されれば、容赦無く長宗我部殿の首を落としに来るでしょう。……お気を付けくださいませ」
「……はっ」
言いたいことはもう無いのか、細川様は引き継ぎの方に俺を任せて、足早に去ってしまった。最後の最後で不穏な事を言われた俺は、どうしようも無く不安にかられる。
御前裁判……近江守……大老……。不安な事だらけではあるが、気を引き締めていこう。俺の肩には、長宗我部家の未来がかかっているのだから。
澄んだ青空の下、俺は安土城へと一歩踏み出した。
御前裁判。
三法師が考案したものと伝わる。
三法師並びに大老が主導となって行われる。重臣達の中でも、限られた者しか立ち会う事は出来ず、重要な案件にのみ執り行われる。
場所は、安土城にある庭で執り行われ、被告は基本的に発言を許されない。三法師が許可した時のみ、発言を許される。
暗殺防止の観点から、被告は、縄で縛られる事は無いが、帯刀は許されず、着物も織田家が用意した物に着替えさせられる。
被告の周りには、十名の伊藤一刀流門下生が配置されており、裏側では白百合家の者が控えている為、脱走した場合や身動きした場合、即座に取り押さえられる。記録によると、一度逃げ出した者がその場で処刑させられている。
著書『織田家の内政』より一部を引用。
鳥のさえずりだけが、静かに響き渡る。数多の視線を一身に浴びながら、俺は姿勢を正してその時を待っていた。
細川様より、御前裁判の詳細を伺っていたおかげで、心做しか余裕を持つ事が出来ている。
もし、何も知らなければ、着物に着替えさせられ、庭先へ敷かれた畳へと案内された時点で動揺していただろう。
誠に、細川様には、感謝の念が絶えない。
そうこうしているうちに準備が整ったのか、襖の奥から四名の男達が向かってくる。誰も彼もが、凄まじい覇気を漂わせており、紹介されなくてもこの四名の正体を察する。
――これが、織田家四大老……か。
先頭に立つ男が、こちらに視線を向けると同時に、思わず視線を落とす。冷や汗が畳へと落ちていき、静かに染みへと変わっていく。
ほんの少し目が合っただけ。たったそれだけで、凄まじい圧迫感に襲われた。あまりにも濃厚な死の気配に、俺の首が落とされる光景が脳裏に鮮明に過ぎったのだ。
不規則に震える右腕を抑えながら、必死に息を整える。恐る恐る視線を前へ移すと、右後方に座る男が見える。
あれが、織田家筆頭家老柴田修理亮様……か。噂に違わず凄まじい覇気。流石は、歴戦の勇士と言ったところか。
嫌でも伝わる己との力の差に、どうしようも無く情けなくなってくる。俺だって数多の戦場にて武勇を示した自信があった。しかし、ここまでの力量差を目のあたりにすると、己が井の中の蛙だったのだと痛感してしまった。
思わず肩を落としていると、不意に一つの懸念が脳裏を過ぎる。
柴田様が、織田家の舵をとっているのなら理解が出来る。
しかし、もしも岐阜中将様の忘れ形見である幼子が織田家当主として舵をとっているならば、それはあの柴田様を認めさせている事に他ならないっ!
だとすれば、彼の幼子は俺よりも…………。
――ドンッ!!!
唐突に鳴り響く太鼓の音色。
――ドドンッ!!!
空気が瞬時に切り替わり、無意識に鳥肌が立つ。
――ドンッ! ドンッ! ドンッ! ドンッ!
次々と襖が開いていき、人影がこちらへと向かってくる。一定の間隔で鳴り響く太鼓の音色に合わせるように、この場に居る者が深々と平伏していく。
――ドドドドドドドドドド………………。
陽の光が影を照らし、小さな幼子が視界に入る。
俺はその瞬間、目も合わせぬまま平伏した。その経った数瞬、姿を見ただけで全てを悟った。
覇気とも違う……浮世離れしたその佇まい。視界に収めずとも伝わってくる存在感。明らかに……俺よりも格上。
あぁ……そうか。
これが……この御方が……。
――ドドンッ!!!
近江守様か。
「これより、御前裁判を開始する」
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