第120話

 天正十年 十月 長宗我部元親 安土城




「これより、御前裁判を始める」


『御意』


 短く切り出された宣誓に、その場に居る全ての者達が深々と平伏する。


「良い。面をあげよ」


『ははっ!!! 』


 間違っても視線を合わせぬように、少しだけ頭を上げる。すると、近江守様の元へ一人の小姓が駆け寄った。


「失礼致します。殿、こちらを」


「うん。ありがとう」


「ははっ! 」


 足早に去っていく小姓を後目に、近江守様は一枚の文を手に取り、それを広げた。


「長宗我部元親。そなたは、明智光秀に与し日ノ本を混乱に陥れた疑いがかけられておる。明智光秀は、数多くの罪を犯した。主君に謀反を起こし、本能寺を襲撃。前関白九条兼孝様を殺害。前太政大臣近衛前久様を拉致し、亀山城下にて監禁。京の町に火を放ち、その最中で多くの民が亡くなった。……これほどの悪事を働いた男だ。それに与していたのならば、到底許すことなど出来ぬ」




 ――さて、弁解することがあるならば申してみよ。






 冷たい風が頬を撫でる。


 先程までの神々しさとは一転、幼子とは思えぬ冷酷な声音に、思わず身体が震える。


 思考が止まり、口が閉じかけるも、何とか踏みとどまることが出来た。ここで口を閉ざすのは悪手。己の疑いを晴らせなければ、一族郎党皆殺し。




 一度強く息を吐いて、呼吸を整える。…………よし、覚悟は決まった。やれるだけの事はやろう。


「某は、明智光秀の謀反とは一切関わりはございませぬ。天下を乱すなど以ての外。此度の疑いは、不幸な行き違いによるものでございます」


 堂々と己にかけられた疑いを否定して、近江守様を見上げる。そんな俺を見て、面白そうに頬を緩ませる近江守様。


 御前裁判は、俺の否認から始まった。






 俺が容疑を否定した途端、前方から凄まじい圧迫感が押し寄せる。


「戯言を申すな」


 吐き捨てるような呟きが、場を凍りつかせる。声量は小さく、されど恐ろしい程に冷たい声音は、柴田様から発せられた。


「貴様が、明智光秀と親しい関係であった事は調べがついておる。貴様の正室は、石谷頼辰の義妹。嫡男信親の妻は、石谷頼辰の娘。石谷頼辰は、明智光秀の重臣斎藤利三の兄。これ程の関わりがありながら、親しく無かったなどの戯言が通じると思うな」


 柴田様の言葉を皮切りに、追求するような視線が俺を貫く。成程、良く調べている。織田家は、俺の想像以上に此度の裁判を重く見ているようだ。




 どう切り返すか考えていると、追い打ちをかけるように柴田様が意見を語る。


「更に、明智光秀が本能寺にて謀反を起こす直前、石谷頼辰が貴様の元を訪ねているな? 何を話したのだ? ……謀反を起こす事を知らされたのでは無いか? 明智光秀が謀反を起こした直後、貴様は伊予国攻略を開始したな。それは、織田家が混乱に陥る確信の元、行われた軍事行動では無いのか? それを裏付ける文が、儂の手元にあるのだ!!! 」


「……っ! 」


 叩きつけるように文を出す柴田様に、思わず瞳が揺れる。確かに、石谷殿が岡豊城へ来たのは事実。しかし、何故それを知っているのだ。あんな、半刻にも満たない会談を……。


 そんな驚きが顔に出ていたのだろう。柴田様は、俺の顔を見るなり、「それ見たことか」と言わんばかりに意味深な笑みを浮かべる。


「三法師様。長宗我部元親には、斯様な疑わしい行動を多々行っております。それ即ち、大罪人明智光秀と与して天下を乱した証拠と言えましょう。即効、長宗我部元親を斬首し、見せしめとして一族郎党皆殺しが妥当かと」


「…………であるか」


 柴田様の進言に、近江守様は小さく頷く。




 ――このまま沙汰を下されてしまうのか……。




 そんな、最悪の想像が脳裏を過ぎる中、近江守様が真っ直ぐにこちらを見詰めてきた。


「権六は、様々な証拠を用意した。そのどれもが、そなたの疑いを確信に変えるに相応しく思う。……そなたは、何か言いたい事はあるか? 」


「はっ! 石谷殿が岡豊城へ来たのは事実でございます! ですが、それは謀反の事に非ず! 織田家に臣従するように、明智日向守様が遣わせたものでございます」


「…………ほぅ」


 俺の言葉に聞く価値があると判断したのか、近江守様は先を促す仕草をする。これが最後の機会。ここに全てをかける!


「前右府様の決定に不服を申立て、某は織田家との同盟を破棄致しました。長宗我部家の悲願である四国統一を、前右府様に諦めるように言われたからでございます」


「うむ。それは、存じておる」


 頷く近江守様に、思いを込めて語りかける。


「同盟を破棄した某に対して、明智様は幾度も考えを改めるように説得し続けました。……謀反を起こす直前まで」


 瞳を閉じれば、十兵衛様の顔が浮かんでくる。




 ――そうだ……俺の……俺達の願いは……ただ一つ。




「『夢を叶えたいならば、決して人の道を踏み外すな』それが、明智様が某に遺した最後の言葉でございます。伊予国侵攻も、四国に安寧の世を築く大義あってのこと! その行為に一切の野心は無く、恥じるべきところはございませぬっ!!! 」


 姿勢を正して、堂々と言い放つ。真っ直ぐに近江守様を見詰めると、少しばかり驚いた顔をされていた。


 そして、視界の端では、憤怒の表情を浮かべた柴田様が刀へと手を伸ばしていた。


「貴様っ!!! 三法師様に対して何たる無礼か! その狼藉、この儂が許さぬ!!! 者共! ひっ捕らえよぉおっ!!! 」


『御意っ!!! 』




 四方八方から伸びる手が、やけにゆっくり見える。あと数瞬で訪れる死を、俺はただただ瞳を閉じて受け入れていた。




 ――あぁ……言ってしまった。本当ならば、罪を認めて己の命と引き換えに、長宗我部家の助命を請わねばならぬのに、俺は誇りを優先してしまった。


 決して、穢してはならない大切な約束だったから。






 ――だから……………………悔いは無い。






 己の死を悟り、一切の抵抗はしない。そんな俺の肩に、剣士の手が触れる寸前、雷鳴の如き声が響き渡った。




「止めよっ!!! 」




『……っ!!! 』


 全身を沸き立つように鳥肌が走る。空気が震えるような声は、近江守様のものであった。


 近江守様は、一同動きを止めたことを確認すると、俺の方まで向かって来た。ゆっくりと、ゆっくりと、大老様方の制止の声も振り払い、ただただ真っ直ぐに向かってくる。




 そして、遂に俺の目の前へ降り立った。


「…………何故、助命を請わぬ。このままでは、そなたの処刑は決まってしまうのだぞ? 」


 嘘偽りは許さぬとばかりに、冷たい視線が俺を貫く。返答次第で首が飛ぶ。それは分かっている。だが、何故だろうな……。自然と、笑みが零れたのだ。


「愚問ですな」


「何? 」


「某は、犠牲を承知の上で侵攻致しました。大友家・毛利家・織田家の争いに巻き込まれ、海賊に田畑を荒らされ、大切な人を失い、それでも懸命に生きようとする伊予国の民を救うべく侵攻致しました。……四ヶ月に及ぶ激戦を繰り広げ、その中で敵味方問わず多くの命が失われました。多くの……命がっ」


 唇を噛み締めながら、必死に涙を堪えて言葉を紡ぐ。嘘偽りの無い、俺の本心を。


「だと言うのに、野心や利害で侵攻したなど、どうして認められましょうか!! それは……それは、あの戦いを侮辱するものだ! 彼等の死を無駄にするものだ! 故に、某は何度でも申しましょう。明智様の謀反に一切の関わりは無く、伊予国侵攻は四国安寧を願ってのこと! 目の前に居る民を、この手で救う為に戦ったのでございますっ!!! 」


「………………であるか」




 近江守様は、俺の叫びを聞くと、神妙な表情で頷き瞳を閉じた。誰も彼もが、近江守様に視線を向ける中、暫くして瞳を開くと柔らかな微笑みを浮かべていた。


「……人は、死の淵に立った時に本性を表す。そなたの声、言葉には偽りの色は無く、ただただ平和を願う想いが読み取れた。亡くなった者達の想いを背負う覚悟も……な。であれば、そなたは天下を乱す者では無いのであろう」


「……っ! では、三法師様……この者は」


 柴田様が、近江守様へ恐る恐る尋ねると、近江守様はゆっくりと頷かれた。


「長宗我部元親。そなたの疑いを、今ここで撤回致そう。すまなかったな」


「い……いえ、滅相もございませぬっ! 」


 俺と視線を合わせ、深々と頭を下げる姿に、こちらも慌てて平伏する。


 近江守様のような立場ある御方が、俺なんかに頭を下げるなど信じられなかったが、何故だか胸の奥に温かなものを感じた。




 暫くして、ようやく頭を上げてくださった近江守様は、真剣な眼差しを向けて言葉を紡いだ。


「余は、戦いくさの無い世を築きたいと思っておる。この戦乱の世を鎮め、泰平の世を築くことが余の責務だと考えておるのだ」


「それは……」


「しかし、この理想は一人では到底叶える事は出来ぬ。とても……とても難しいものだ」




 ――そなたの力を、貸してはくれぬか?




「ぁ…………」


 目の前で、太陽のような笑みを浮かべる近江守様が、あの日の十兵衛様と重なった。俺が、心から憧れた慈悲深く気高き姿に。


「民を憂うことが出来る……大切な人を守りたいと願えるそなたならば、きっと共に歩める。一緒に歩んではくれぬか? 天下泰平の世を築く為に」


「……っ! 有り難き……御言葉っ」




 差し出された小さな手を、俺はただただ握り締める事しか出来なかった。




 十兵衛様は……もういない。


 だが、その意思は確かに受け継がれていたのだ。


 ただそれだけで、救われた気がした。


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