第97話

 天正十年 六月 京 明智光秀




 十五郎に別れを告げ、坂本城を出た私達は京へと向かった。目的は、朝廷の……帝の真意を確かめる為だ。


 あの日、確かに九条様は『信長を殺すことは、朝廷の総意』だと、仰っていた。あの時は、絶望感しか感じなかったが、今になって一つの違和感を感じる。


『総意』とは、どう言った意味で使われたのか……だ。全員が満場一致で賛成したのか、又は反対派を封じ込めた故に総意なのか。


 もしも後者の場合……ソレが、この戦に終止符を打つ鍵となろう。




 目的の相手は、直ぐに見つかった。人の口には戸は立てられぬ。故に、あれ程の大物が囚われているとなれば、自ずと人は口を開くものだ。


 それを、誰が聞いているとも知れずに。




 京のとある館。数年前まで使われていたその館は、御家断絶によって廃墟と化し、今ではとある公家に管理されていた。


 その最低限の管理しかされていない古びた館に、目的の人物が隔離されていたのだ。


「……前太政大臣様…………いえ、近衛前久様。御無事で、何よりに存じます」


「十兵衛……か。そう……か……もう、手遅れだったか」


 久方振りにお会いした近衛様は、随分やつれた御様子であり、私の顔を見ると何かを悟ったように遠い目をされた。


「近衛様。本日、某が参りましたのは…………」


「朝廷の……九条の事であろう? 」


「やはり、御存知でしたか……」


「うむ。十兵衛には……全て話そう。そなたには、全てを知る権利があるからのぅ」


 私の言葉を遮るように、近衛様は話しを切り出してくださった。今回の……事の真相を。






「朝廷では、改革を良しとする親織田派と、伝統を守ろうとする反織田派に別れたのでおじゃる。その親織田派筆頭が麿であり、反織田派筆頭が……」


「九条兼孝様……と」


「………………そうでおじゃる」


「不敬ではありますが……帝は…………」


「帝は、『織田殿が、朕を蔑ろにする事は有り得ぬ』と、仰っておられた。九条兼孝と織田殿が争うのは、見たくない……と」


「では、帝は織田家を見限った訳では無いのですね? 」


「当たり前でおじゃる。此度の件、大層御嘆きであらせられた」


 力無く頷く近衛様を見て、私の腹は決まった。私が進むべき道が見えた。


「親織田派は、麿の他に息子の信基に、二条昭実。反織田派は、九条兼孝の他に、一条内基や甘露寺経元でおじゃる。他にも居るが、中立派も多くどちらに付くか決めかねている者達もおる。全体を十とするならば、親織田派が三・反織田派が五・中立が二でおじゃる」


「朝廷の半数が反織田派。されど、上様暗殺を強行出来る程の数では無い。それ故に、親織田派筆頭である近衛様を監禁したのですね? 」


「……申し訳無いっ! 麿が不甲斐ないばかりに、旧知の友を守れなんだっ! 麿は、麿は! 己が恥ずかしゅうて堪らぬっ!!! 」


 悔し涙を流す近衛様は、まるで私と鏡写しのようであった。友を憂いて嘆く姿を、私はただただ黙って見守る他無かった。




 確かに、近衛様の話しが事実ならば、朝廷の半数が敵だ。だが、朝廷の全てが敵では無かった。帝も、織田家を見限った訳では無かった! 最悪の事態では無い。


 これならば、己の覚悟次第で変えられるやも知れん。この……腐った朝廷を……。




「近衛様、ここは危険です。亀山城にて、御身を守らせていただきたく存じます」


「それは、有り難いが……良いのか? 」


 眉を下げ、申し訳無さそうにする近衛様に、笑顔で応える。危険を承知で、上様の味方を貫いた御方だ。その御恩をお返しするのは、当然の事よ。


「勿論にございます。必ずや、御身を守ってみせまする。されど、一つ頼みがございます」


「うむ。申してみよ」


「それは――――――」


 その内容は、近衛様を驚愕させるに足りるモノであったらしい。目に見えて顔面蒼白になっていき、遂には目元を伏せてしまわれた。


「何故、何故っ! 十兵衛のような善良な人間が、そのような苦難を耐えねばならんのだ! ぅぅ………ぅぅぅ……」


 畳に雫が落ちていく。別れを惜しむように、嘆くように……落ちていく。


 私は、懐から一枚の文を取り出すと、近衛様の面前に差し出した。全てを、託す為に。


「近衛様、どうか宜しく御願い致します」










 天正十年 六月 亀山城 明智光秀




 パチパチッと、木材が焼ける音と共に、意識が戻ってくる。この一ヶ月間の激動の日々を、不意に思い出してしまったようだ。


「過ぎ去りし日々を憂いて涙を流す等、私も年老いたものだな。……まだ、私は死ねぬ。そうであろう? …………九条兼孝」


「む〜むぅ〜っ!!! 」


 視線を向ければ、縄で縛られた九条兼孝の姿があった。織田軍が集まる前に、京の館に居たところを攫ってきたのだ。


「むぅーっ!!! むぅ〜っ!!! 」


「うるさい男だな……」


 不承不承ながらも、口元に固定していた縄を解くと、案の定罵詈暴言の嵐が襲いかかってきた。


「き、貴様っ!!! 麿にこのような仕打ちをして、どうなるか分かっておるのか!!? 貴様も、織田家も滅ぼしてくれるわぁっ!!! 」


「ほう……私はともかく、織田家を滅ぼす……と。どうするつもりなのだ? 」


「貴様が、織田家に敵対していなかった事は明白! 未だに蠢く悪意が、再び織田家に牙を剥くのも時間の問題でおじゃる!!! 貴様の無駄な足掻き、愉悦の極みじゃのぅ〜ほっほっほっほっほっ!!! 」


 下卑た笑い声を上げる九条兼孝に、失笑をもって返す。未だに、己自身が仕掛けた策に溺れた事に気付かぬ姿は、実に滑稽であった。




「確かに、私の心は未だ織田家にある。だが、その事を朝廷は気付けるのか? 」


「何だとっ!! 」


 怒りを露わにする九条兼孝に、一つ一つ語っていく。第三者から見た、私の行動を。


「私は、本能寺を襲撃し主君を殺め、二条城に居た同胞を殺し、安土城に居る若君に宣戦布告をした。その後、京にて公卿を攫い、老ノ坂峠で織田軍と戦った。私の行動は、正しく謀反人と見なされよう」


「なっ!? ぐぬぅぅぅ! 」


 怒りに染まるその姿を見ると、少しは鬱憤晴らしとなった。そう……私は、正しく謀反人なのだ。


 主君を殺し、同胞を殺した大罪人。今更、許されようとは思わぬ。私は……許されてはいけない。


 故に、この手で全てを終わらせよう。私の冒した不始末を、次の世代に残す訳にはいかない。


 私は、立て掛けてあった太刀に手を伸ばすと、静かに鞘から解き放った。




 抜き身の刀を片手に、ゆっくりと九条兼孝の元へ向かう。その足取りには一切の迷いは無く、断罪の刃を振るう事だけを考える。


 そんなただならぬ雰囲気を纏う姿を見て、全てを悟ったのか、九条兼孝はみっともない命乞いを始めた。


「待て! 麿を殺す気か!? やめろ! 麿を誰だと思っておる! 五摂家が一つ、九条家第十七代当主前関白九条兼孝様でおじゃるぞっ!? 貴様のような下郎が、麿を害そうなど言語道断! 朝敵として、地獄の業火に焼かれる事になるぞよっ!!! 」


「……素より、極楽浄土へ行く気は無い。行けるとも思わぬ。我等が向かうは地獄道よ。己が悪行をそこで償うが良い」


 一歩、また一歩と近付く。


「い、今更信長に忠義を示すつもりか!? ば、馬鹿な男よぉ!!! もう手遅れだ! 貴様は謀反人として、永遠に名を刻まれる! 誰も許さぬ! 誰にも真実を知られずに終わる! これは、貴様の自己満足でおじゃるっ!!! 」


 九条兼孝の言葉が、刃となって胸に突き刺さる。あぁ、そうだ。私のこの想いは、ただの私怨。自己満足に過ぎない。


 ……だがっ!!! それが、貴様を見逃す理由にならないっ!!!


「……九条兼孝、貴様のような男を生かしておく訳にはいかない。貴様のような害悪は、天下泰平を妨げるモノに他ならない」


 また、一歩近付く。もう、既に九条兼孝の目の前に来ていた。そして、大きく振りかぶる。


「私怨、自己満足、大いに結構。本来であれば、上様を討った時に、貴様を殺し腹を切るべきであった! それを、醜くも生きながらえ罪を重ねた。私は、間違えたのだ! それを、正す事がせめてもの償いよぉ!!! 」


「や、やめろぉぉぉおおっ!!! 」


「忠義に生き、忠義に死ぬっ! それこそが、私が取るべき本当の選択だったぁぁぁあああああああああああっ!!! 」


「う……うわぁぁぁあああああああああっ!!! 」




 ――斬




 全ての業を断ち切る刃は、九条兼孝の首を容易に切り飛ばし、畳へと転がっていった。


 返り血を全身に浴びながら、流れるように服を開け、腹に短刀を差し込む。


「ぐぅっ! ぬぅぅぅぅぅっ!!!!! 」


 焼けるような痛みと共に、意識が遠のいていく。直に、織田兵が来るだろう。あの程度の火では、煙が上がるだけで燃え尽きる程にはならぬ。


 私の遺体だけでも回収されたのなら、みせしめとして使えよう。さすれば、織田家の威光は保たれる。




 左馬助……伝吾……内蔵助……今まで良く仕えてくれた。ありがとう。




 十五郎……玉……どうか、達者で。




 上様……奇妙様……三法師様……申し訳ございませぬ。




 煕子……私は、立派にやれただろうか……。




「金も……名誉も……いらぬ。理解されようとも……思わぬ。許しを得ようとも……思わぬ。私は……ただただ……天下泰平の世を見たかった。上様や、家臣達……愛する家族と共に……」




「どうか、誰もが微笑みを浮かべた……慈しみ溢れる……理不尽に……命が脅かされる事の無い……そんな世が来ることを…………………………」






 天正十年六月二十三日正午。


 明智光秀自害。享年六十七歳。




 ここに、一ヶ月に及んだ戦いに終止符が打たれた。


























 目を覚ますと、闇のような真っ黒な空間にいた。


 何も聞こえず、何も感じない。真っ黒な闇が、何処までも果てしなく続いている。


「ここは、地獄だろうか……」


「…………貴方っ」


 不意に聞こえた懐かしき声に、私は勢い良く振り返った。そこには、最愛の妻煕子の姿があった。


 在りし日の姿のままに、闇の中に浮かび上がっていた。


「お疲れ様です。貴方」


「何故、煕子がここに……」


「待っていました。ずっと貴方を。だって、貴方と共にいると誓いましたもの」


 綺麗な微笑みを浮かべる煕子を、私は直視出来なかった。申し訳無い気持ちでいっぱいだった。


「主君を……同胞を殺したのだ。私は、極楽浄土には行けない。済まない……煕子……」


 流れる涙もそのままに、俯いてしまう。煕子は、素晴らしい女性だった。間違いなく極楽浄土へ行ける。地獄へ堕ちる私は、ここで別れなくてはならない。


 最後に、また会えて良かった。そんな事を思っていると、不意に煕子に抱き締められた。


「私も、共に地獄へ参りましょう。愛する貴方と共に……何処までも、歩んで行きましょう」


「……っ! 煕子ぉっ!!! 」


「お疲れ様でした…………十兵衛様っ」


 そう言って微笑む煕子の目元には、薄い涙が浮かんでいた。


 泣き崩れる私に、寄り添う煕子。


 そんな二人を祝すように、光が暖かく包んだ。




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