第96話

 天正十年 五月 明智光秀




 九条様から連絡を受けた私は、闇夜の中兵を率いて本能寺へ向かった。内蔵助に先鋒を任せた故に、私が着いた時には既に本能寺は炎に包まれておった。


「…………上様」


 あぁ、私は何て卑怯者なのだろうか。部下に手を汚させたにも関わらず、一人前に後悔の念に駆られる等、甚だ図々しい。身の程知らずの痴れ者め!


 私は、悲劇の主人公に非ず、ただの大罪人なり。その覚悟を示すかのように、握り拳からは一筋の血が流れ落ちた。




 日が昇り、事態を察した京の民達が逃げ惑う中、鎮火した本能寺にて上様の遺体を探していた。


 いたるところに飛び散った血、上様の御共衆の壮絶な散り際が、容易に想像出来る。


 そんな彼等の遺体を、私は呆然と眺めていた。


「弥助……蘭丸……」


 何故、私はそこにいないのだろう。何故、私が生きているのだろう。私は、何をやっているのだろうか……本当ならば、彼等のように忠義を尽くした果てに、前のめりに死ぬべきでは無いのか。


 そんな事を思う度に、胸が張り裂けそうになる。


「忠義を尽くした誇り高き武士だ。丁重に、弔うように手配せよ」


「ははっ! 」


 小姓に指示を出すと、不意に襲う涙を隠す為に空を見上げる。……私に出来る事は、これだけだ。




 その後、本能寺跡より発見された七つの遺体が、私の前に並べられた。


「申し訳ございませぬ。あまりに損傷が激しく、どれが信長公の遺体か判別出来ませぬ」


 肩を落としながら報告をする家臣。確かに、真っ黒に焼け爛れた遺体は、誰が誰だか分からなかった。


 九条様より、『織田信長の遺体もしくは、首を献上せよ』との御命令を受けている。さて、どうしたものか……。


 困り果てた私の目の前に、内蔵助が新たに発見した遺体を持ってきた。


「殿! これを、ご確認くださいませ! 」


「…………っな! そ、それは! 」


 内蔵助が発見した遺体は、まるで切腹したかのように蹲るモノだった。傍に誰も付けず、一人で最後の時を飾ったように思えた。


「これが、信長公の遺体だ。……勝鬨を上げよ」


『ぉぉぉおおおおっ!!! えい! えい! ぉぉぉおおおおおおおおおおおっ!!! 』


 家臣達が勝鬨を上げる中、私はその場を後にした。どうしようも無く流れる涙を隠す為に。


「……申し訳ございませぬっ……上様っ」




 ――私も、直ぐに後を追います。








 上様の遺体を丁重に布で包み、九条様の館に持って行く。私が庭へ入ると、既に九条様の御姿があった。


「明智日向守、只今参上致しました。九条様におかれましては…………」


「良い、早う信長の遺体を見せよ」


「……はっ」


 九条様に急かされ、上様の遺体を引き渡す。九条様は、当初は嬉々として布を解いていたが、遺体を見るや否や、眉を細めて苛立ちを露わにする。


「惟任殿、これは誠に信長の遺体でおじゃるか? 黒く焼け爛れており、良く分からんのぅ。もしや、麿を騙してはおらぬじゃろうな? 」


「発見された場所及び状況を加味しても、間違いなく織田信長公の遺体かと……」


「…………ならば、良いかのぅ」


 その一言に、小さく溜息をつく。これで終われる……そう思ったからだ。




 しかし、九条様はそんな甘い御方では無かった。


「妙覚寺に、織田信忠が居る。今頃、二条城に籠っておるじゃろう。早ぅ討ちに行くが良い」


「え……な、何故……奇妙様が……」


 奇妙様は、堺にて徳川殿の接待をしておられる筈! 故に、本能寺で事を起こしても、奇妙様に大事は無いと判断したのだ!


 一体、何故妙覚寺に!?


 そんな疑問が脳裏を埋め尽くす中、九条様のニヤリとした薄気味悪い笑みが視界に写った。


「ま、まさか…………」


「ほほ……ほほほ……ほほほほほっ! 逃がす訳無いでおじゃろう? 信長の後継者が生きていたら、信長を殺した意味が無いでおじゃる。故に、信忠も京へ呼び出したのよぅ。わざわざ、信長に文を書かせて……のぅ」


『愚かな者でおじゃる』……そう言って高笑いする九条様を、直視することが出来なかった。


 身体が震える程の怒りが支配する。


 何が、『奇妙様に討たれれば良い』……だ! あまりにも浅はか過ぎる考え、甘過ぎる見通し。このような事態を招いたのは、私の責任だ!




 自らの不甲斐なさに嘆いていると、不意に九条様の言葉が聞こえてきた。


「あぁ……あの天女だけは、生かして捕らえよ。麿の傍で、生涯愛でてやろうかのぅ。ほほ……ほほほっ! 一体、どんな声で泣くか楽しみでおじゃるのぅ。ほほほほほっ! 」


「…………三……法師様……に……まで…………手を……っ」


「ん? 何をしておる! さっさと、信忠の首を持ってまいれ! 今更、裏切っても遅いのじゃぞ! 貴様は、その命が尽きるまで麿の人形として生きるのでおじゃる! 」


「……………………御意」


 私は、深々と平伏すると館を後にする。


 ……思えば、この時だったのだろう。私が、無理矢理封じていた心を取り戻す事が出来たのは。




 ――私は、忠義の為に生きる。








 その後、秘密裏に奇妙様を保護しようとするものの、織田家に忠義を誓う忠臣達に阻まれ断念。又もや、尊い命を奪う結果になってしまった。


 それでも、何とか安土城だけでも守らねばならぬと思っていたのだが……。どうやら、私は三法師様を過小評価していたらしい。


 私の謀反にいち早く気付き、安土城へ駆け付けてみせた行動力。大筒を使った予想だにしない反撃。劇的な場面で現れてみせた天運。


 その全てが、若かりし頃の上様と瓜二つであった。三法師様が、私を討ってくださる……そんな希望が頭を過ぎった。




 京での動乱を鎮めた後に、軍勢を率いて坂本城へ向かった。これからの事を……話す為に。


『殿、お帰りなさいませ!!! 』


「……あぁ、出迎えご苦労」


『ははっ! 恐悦至極にございます!!! 』


 私の謀反を知っているだろうに、家中の者達は嫌な顔一つせず出迎えてくれた。それどころか、私を気遣うような視線まで向けてくれる。


 私は……果報者だっ!




 そんな皆の気遣いに打ち震えていると、愛する我が子の声が聞こえてきた。


「父上っ! 」


「十五郎…………」


「京での噂は、誠なのですか!? 」


「…………誠じゃ」


「……っ! 何故ですか! 父上は、父上は……上様の一番の忠臣では無いのですか!? 何故、このような事を……」


 悲痛な表情を浮かべる姿に、私は目を伏せる他無かった。十五郎の織田家への忠誠心を育てたのは、紛れもなく私自身だ。


 それを破ってしまった己自身に、酷い嫌悪感を抱く。自業自得だと言うのに…………。


「十五郎、その件で大切な話しがある。私と共に来なさい」


「…………分かりました」


 不承不承ながらも納得した姿に胸を撫で下ろすと、ゆっくり私室へと向かった。


 十五郎には、全てを知る義務がある。そして、これからどうするつもりなのかも、全て告げるつもりだった。




「それで、話しとは一体……」


「…………これから話すは、他言無用ぞ」


 そんな前触れから始まった話しは、一刻程にまで及んだ。十五郎は、泣き腫らしながらも、最後まで黙って話しを聞いていた。


「……これが、事の真相なのだ」


 罵倒されると思っていた。どんな事情があろうとも、裏切りは裏切り。一族郎党の命を、己の預かり知らぬ場所で勝手にかけたのだ。


 ……許されざる事だ。


 しかし、予想に反して十五郎は穏やか表情を、変えることは無かった。


「……僕も、武士の子にございます。父上の罪と共に、腹を切りましょう。家中の者達も、誰一人文句は言いますまい。……それが、父上が積み上げてきた人徳にございます」


「…………十五郎っ! 」


 溢れる涙を止める術を知らなかった。愛する煕子との間に産まれた愛しい我が子。


 今年で、もう十四になるか……。本当に、立派に育ってくれた。曲がる事無く、ただ不器用なまでに真っ直ぐ育ってくれた。


 それが……それが、たまらなく嬉しい。きっと、煕子も天の上から喜んでいよう。




 ――それ故に、生きて欲しいのだ。




「十五郎……お主は逃げよ。家中の僅かな者を付ける故、逃げて生き延びるのだ」


「な、何を言ってっ! 」


 慌てて詰め寄ってくる十五郎を、右手で制する。


「もう、家臣達には話しを通してある。既に、伝吾が安土城へ使者として向かっておる。私達も、直ぐにでも坂本城を出る。その影に隠れて逃げるのだ」


「そ、そんな……」


 もう、計画は進んでおる。伝吾も、危険を覚悟して向かってくれた。これで、安土城にいる者達が私を憎んで結束してくれたのなら、これ以上の成果は無い。


 それに、一万を超える大軍が動けば、良い目くらましになるだろう。




 今尚、泣き崩れる十五郎の身体を、力の限り抱き締める。もう、二度と抱けぬ愛する我が子を、ただただ抱き締めるのだ。


「明智の名を捨てても良い。生きて生きて生き抜いて、いつか織田家に危機が迫ったら忠義を尽くして欲しい」


「こんな……駄目な父で済まないっ! 十五郎にも、家中の者達にも多大な迷惑をかけるっ。殆どの者達が、処刑されるであろう」


「だが、どうか覚えていて欲しい。誇りに思って欲しい。主君の為に、命を賭した男が……確かにいたのだとっ」




「……っ! はい! 必ずや、必ずや生き延びて父上の意志を後世に残してみせます! でも、安心してください! この先待ち受けるどんな苦難も、僕は乗り越えてみせます! だって、僕の父上は日ノ本一の武士ですからっ!!! 」


「……っ! 十五郎っ」




 私の心からの叫びは、確かに十五郎に届いていた。強く抱き締め返すその姿は、満開の笑顔が溢れていたから……。




 ――あぁ、これでもう未練は無い。私の手で、全てを終わらせよう。


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