第94話
天正十年 六月 亀山城
亀山城を、ぐるりと囲む織田軍。ネズミ一匹足りとも逃さぬその布陣は、宿敵明智光秀討伐への士気の表れであった。
そして、その織田軍を取り仕切る本陣にて、各武将が集っていた。
「遂に、明智光秀との決戦の時が来た。我等の目的は二つ! 明智光秀の捕縛と、囚われた九条様と近衛様を救出すること! 大義は我等に有り! 皆の者、心してかかれっ!!! 」
『御意っ!!! 』
親父の号令に、一同身を奮い立たせる。それもその筈、約一ヶ月に及んだこの戦いに終止符を打つ日が来たのだ。織田家に属する者として、この戦いにかける想いは計り知れないだろう。
だが、かなり厳しい戦いになると思う。囚われた公卿を救出する事も難しいが、何より明智光秀の捕縛がかなり難易度が高い。
負けると思えば、腹を斬りかねんからだ。
故に、最善は生きたままの捕縛。最低限、首を手に入れなくてはならない。
裏切り者の粛清。朝敵となった光秀を公開処刑もしくは、晒し首にすることで織田家の健全ぶりを内外に示せる。
残酷ではあるが、一族郎党皆殺しになるだろう。俺は、それを見届けねばならない。
大義の為に人を殺す。その事を、胸に刻む為に。
本陣にて軍議が開かれる中、その内容は明智光秀の与力達の話へ移る。
「細川藤孝・筒井順慶・高山右近・中川清秀……各々、前に出よ」
『……御意』
親父の命令に従い、四名が前に出て平伏する。彼等は、それぞれ明智光秀と親しい間柄に有り、当初は明智光秀に与する者と見なされていた。
それ故に、戦いの前に真偽を問わねばならない。裏切り者に、背中を預ける事なんて出来ないのだから。
「明智光秀の狙いは知らぬが、此度の謀反を単独で行うとは考えられん。お主等は、明智光秀と親しい間柄であったな? 協力したのでは、無いのか? 」
『め、滅相も御座いません! 』
親父の眼光に貫かれ、細川等は可哀想なくらい震えている。じいさん譲りの覇気は、次代の王の名は偽りでは無い事を物語っている。
「細川藤孝……否、確か名を変えていたな? 申してみよ」
「はっ……出家し、幽斎玄旨と名を改めましてございます」
「理由は何だ? 俺の耳には、父上の死を嘆き喪に服す為だと聞いたが? 」
「そ、それは……」
親父の言葉に、武将達が騒めき出す。誰も彼もが、細川に厳しい視線を向ける。
親父が話しているから誰も何も言わないだけで、本当ならば罵詈暴言の嵐だったろう。
俺だって、沸き立つ怒りを必死に堪えている。親父の言葉が正しいのならば、細川はじいさんが死んだと決め付けていたことになる。
俺が、文にてじいさんと親父の生存を、確かに知らせていたにも関わらず……だ。
細川は、最初から諦めていたのだ。じいさんも親父も死に、織田家は瓦解する。誰の味方にも付かず、嵐が過ぎ去るまで中立に徹しよう……と。
とんだ卑怯者では無いか! 武士の風上にも置けぬ下郎、出家する暇が有ったら戦え!!!
親父も同じ気持ちなのか、凍えるような視線を細川に向ける。
「細川……追って沙汰を言い渡す」
「は、ははっ! 」
「此度の攻城戦、貴様には先鋒を任せる。明智に与していないのならば、その働きで証明せよ」
「ははっ!!! 」
細川は、震えながら何度も何度も額を地面に打ち付ける。肌色の頭部が、真っ赤な血に染まるまで何度も……何度も……。
例え、明智光秀に与していなくとも、処分は免れないだろう。死に物狂いで忠義を示す。細川には、もうそれしか残っていない。
親父は、平伏する細川を一瞥すると、興味無さげに視線を横に逸らす。次は、筒井達だ。
「筒井順慶・高山右近・中川清秀……貴様等、何故二条城へ駆けつけ無かった? 蜂屋達が、命を懸けて忠義を尽くした時、貴様等は一体何処で何をしていた? 」
『も、申し訳ございませぬ! 』
「三七が、摂津にて陣を敷いていた時、何故速やかに馳せ参じ無かった? 最も近くに居た貴様等が、何故一番遅く参陣したのだ? 申し開きがあるのならば、申してみよっ!!! 」
親父の怒号が響き渡り、まるで衝撃波のようなプレッシャーを放つ。筒井達は、ただただ顔面蒼白になるしかない。
言い訳すら言う事も出来ず、魚のように口をパクパクさせている。
親父は、そんな筒井達に失望するような視線を向けると、重苦しい溜息をつく。
「はぁ…………貴様等には失望した。追って沙汰を言い渡す。絶望し、そのまま地面に平伏したいのならば、いつまでもそうしていろ。だが、その心に少しでも忠義の炎があるならば、それを燃やしてみせよ」
そんな親父の言葉に、筒井が勢い良く顔を上げる。
「拙者は、織田家への忠義を忘れた事はございませぬ! どうか、どうかご慈悲をっ!!! 」
「……っ! わ、私も! ご慈悲を! 」
「これからも、より一層の忠義を尽くします! 」
『どうか、どうかご慈悲をっ!!! 』
筒井達の悲痛な叫びが響き渡り、場が静まり返る。親父は、そんな筒井達を冷たい瞳で見詰めた。
「信用を得るが難く、失うが易し。細川同様、最前線にて忠義を示せ。成果を上げれば評価はしよう」
『……っ! ははっ! 有り難き幸せっ!! 』
その後、細川達は左近に連行されて行った。どうやら、最前線とは言えども監視付きらしい。彼等も腹を括るしか無い。それしか、生きる道はないのだから。
翌日、早朝から亀山城攻めが開始された。水に囲まれた亀山城は、本丸に近付く為にそれぞれの橋を渡らねばならず、凄まじい激戦が繰り広げられている。
あの細川達も、汚名返上するべく奮闘しているそうだ。
戦が始まれば、流石に危ないので俺は近くの館に避難している。元服もしていない幼子だし、万が一も考えたら致し方無いことだろう。
それでも、俺が出来る仕事をしようと思い、白百合隊を放って公卿達の捜索にあたっていた。
攻め始めてから四時間程経過、様々な情報が入り乱れる中、遂に目的となる公卿の居場所が判明した。
「では、みつけたのだな!? 」
「はっ! 中島と呼ばれる場所にて、屋敷に幽閉されているとの事! 現在、十傑の方々が救出に向かっております! 」
「そうか! よくやったっ!!! 」
亀山城の見取り図を見ると、中島の場所が分かる。おそらく、戦場から隔離したのだろう。人質の居場所が分かれば、親父も手加減せずに攻められる。
「ちちうえに、くじょうさまとこのえさまのいばしょを、はやくしらせるのだ! 」
「ははっ! 」
後は、公卿達が生きていたら最善なのだが……。頼むぞ! 皆!
ここまでは順調に進んでいる。勝機は、我等にある。
――このまま上手くいってくれたら……そんな淡い期待は、直ぐに消え失せてしまった。
「おい……何だ……あれは!? 」
誰が言ったか、困惑する声が聞こえてくる。皆が皆、何事かと周囲を伺うとソレが俺の視界に入ってきた。
「ば……ばかな…………」
呆然と立ち尽くす中、誰かの声が部屋に響いた。
「亀山城が…………天守が……燃えている」
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