第93話

 天正十年 六月 老ノ坂峠 前田慶次




 見渡す限りの敵の群れ。血気盛んなその眼光は、ただ真っ直ぐに俺達を見据えている。


 亀山城へ進軍する俺達の前に、行く手を阻まんとする四千の兵。襲撃を受けるならば、確実にこの場所だと分かっていたっ!


 俺は、朱槍片手に最前線へ躍り出る。


「カッカッカッ! おもしれぇ! 決戦前の前哨戦には申し分無し! 行くぜぇ野郎共ぉぉぉおおおおおおっ!!! 」


『ぅぅぅぉぉぉおおおおおおおっ!!! 』


 手勢を率いながら、勢いよく敵兵へと槍をぶち込む。全ては、道を切り開かんが為に!








 遡ること二刻程前、亀山城へ向かうべく進軍していた時のこと。大枝山に入る直前、本陣にて軍議が開かれていた。


 総勢二万を越える大軍。それ故に、多くの武将が軒を連ねているが、主だった武将は岐阜中将様を筆頭に、又左の親父と左近の親父だろう。


 皆が皆、来たる決戦に向けて闘気を放っている。


 岐阜中将様は、そんな俺達を見渡すと姿勢を正した。その姿に倣うように、深々と平伏する。


「これより、老ノ坂峠を経由して丹波国亀山城を目指す。細道の続く山道、間違いなく明智軍の襲撃があるだろう。一同、気を引き締めよ」


『ははっ! 肝に銘じまするっ』


 岐阜中将様の言葉に、一同共感の声をあげる。数の劣る明智軍が、万を越す織田軍に勝つには、この絶好の機会を逃すとは考えられん。


 この山道を進む中で、伏兵の存在を常に頭に置かねばならん。彼の今川義元公のように、刹那の油断が死を招きかねんからな。


「大軍を一度に進めるのは、危険が付き纏う。故に、先鋒隊を派遣し道を切り開いて貰う。又左に三千を預ける! 新五郎と慶次は、副将として追随せよ! 」


『ははっ! 』


 岐阜中将様の号令に従い、各々動き始める。




 ――敵……か。借りは返す……それが、俺の流儀だ。




 自然と槍を握る手に力を込めながら、俺達は大枝山に足を踏み入れた。






 周囲を伺いながら、山道を進んで行く。襲撃らしい襲撃も無く、有るとしても小競り合い程度。拍子抜けする程に、順調な道のりだった。


「隊長……特に、異常は見当たりませんね……」


「………………あぁ」


 源二郎の言葉に、静かに頷く。


 何故襲撃して来ない? 誰がどう見ても、絶好の機会であろう? …………否、出来ない……のか?


 不意に頭を過ぎった仮説を確かめに、道沿いを外れて土をすくう。……水分を含んだ、柔らかい土だ。


「……隊長? どうかされましたか? 」


 様子を見に来た源二郎に、手の平にある土を見せる。


「触ってみろ」


「はぁ…………あれ? 柔らかいですね? 」


 そう。柔らかい……否、柔らかすぎる。下手な傾斜だと、進むこともままならん。


 昨日の雨が原因ならば、奴らは山の中に伏兵を用意する事が出来ていないのでは無いか?


 であれば、陣を敷くとすれば……。




 土を捏ねながら考えていると、隣りに人の気配が現れた。視線を向けると、椿嬢の姿があった。


「慶次殿、敵兵は峠の出口に陣取っております。数は四千、掲げる旗印には撫子紋。総大将は、明智家重臣斎藤利三と思われます」


「……っ! 忝ねぇ! 」


 やはり、出口だったか! 大方、精神的に疲れ切ったところを襲うつもりだったのだろう。


 だが、それを椿嬢達が見破った! 情報戦ならば、こちらが一枚上手。そこを突く!


 俺は、後方に並ぶ赤鬼隊の面々と向かい合う。


「敵兵は、峠を越えた先に居る! 各々、気を引き締めよっ!!! 」


『御意っ!!! 』


 源二郎達の雄叫びを追い風に、俺は又左の親父の元まで向かう。一気に勝敗を付ける策を閃いたからだ。まぁ……危険では、あるがな。


 さぁて、一世一代の大勝負と行きますか!






 その後、赤鬼隊四百名と共に峠を駆け、出口は目の前まで迫っていた。怖気付くことは無い。先へと進むだけだ!


 森に生い茂る木々を抜け、視界に光が差し込んでくる。眩いばかりの光の先には、四千の敵兵が俺達を歓迎していた。


「織田軍が現れたぞ! 行けぇぇえええっ!!! 」


『ああああああああぁぁぁぁぁっ!!! 』


 開口一番、悍ましい奇声を発しながら、一目散に斬りかかってくる。そんな敵兵を見ながら、俺は……否、俺達は不敵な笑みを浮かべた。


「カッカッカッ! おもしれぇ! 決戦前の前哨戦には申し分無し! 行くぜぇ野郎共ぉぉぉおおおおおおっ!!! 」


『ぅぅぅぉぉぉおおおおおおおっ!!! 』




 六月十九日昼過ぎ。老ノ坂峠出口付近にて、織田軍と明智軍が衝突した。






 右に一振、左に一突き。決して動きを止める事無く、神楽のように舞い続ける。敵は十倍、俺達の役目は敵の殲滅に非ず、引き付けることだ!


「行くぞぉぉぉおおおっ!!! 」


『ぉぉぉおおおおおおっ!!!』


 事前に取り決めた号令と共に、少しずつ後退して行く。相手に気取られない様に、少しずつ……。


「何をしているっ!!! 敵は、五百もいかぬ小勢ぞ!? 一気に攻めかかれぇぇぇぇぇっ!!! 」


『死ねやぁぁぁあああああっ!!!』


 奇声が一段と高くなり、敵の圧力がつられるように上がる。槍を持つ手が痺れていやがる……。もう限界なんざ、とうの昔に過ぎていらぁ!


 だがな、男には引けねぇ時があるんだよぉ!




 ――そんで、この勝負。俺達の勝ちだっ!!!




「すわっ!! 懸かれぇぇぇぇぇっ!!! 」


「横から攻めかかれぇぇぇぇぇっ!!! 」


『ぅぅぅぉぉぉおおおおおおおおおおっ!!! 』


『な、なんじゃぁぁぁあああああっ!!? 何故、織田軍が横から出てくるんじゃぁぁぁあああああっ!!? 』


 俺達に引き付けられ、山へと入ってきた明智軍。細長く伸び切ったその土手っ腹に、又左の親父と新五郎の兵士が襲いかかる!


 明智軍は、突然の事態に狼狽え同士討ちすらする始末。そんな様子に、思わず笑ってしまう。


「き、貴様! まさかっ!? 」


 そんな俺の顔を見た敵将が、驚愕の眼差しを向けてくる。俺の策が、自ずと分かったのだろう。


「ぁあっ! てめぇの予想通りよぉ! 俺達の役目は、所定の位置までてめぇ等を引き付けること! 言わば囮だっ!!! 」


 そう……俺が提案した策は、囮を用いたモノだ。


 その囮を、俺達赤鬼隊が務める。山の出入口付近ならば斜度もキツくなく、伏兵を忍ばせる事も可能。細長く伸び切った敵勢を、一気に横から攻める。


 それが、策の全容だぁ。


 又左の親父には、だいぶ反対されたが最終的には認められた。俺達の覚悟を、認めてくれたんだろうよ。




 それを伝えてやると、敵将は怯え混じりに叫ぶ。


「ば、馬鹿な! 貴様正気か!? そんな無謀な策、耐えられるモノかっ! 兵力は、貴様等の十倍だぞ! 何故、それを…………」


「…………九十二」


「……はぁ? 」


 ぽつりと呟く。この騒音の中、敵将の耳に入らなかったようだ。だが、そんな事知った事じゃねぇさ。


 朱槍を強く握り締めながら、一歩踏み込む。


「先の戦で、死んだ仲間の数だ。同じ釜の飯を食い、同じ主君に仕え、同じ夢を抱いた仲間家族の数だ」


 勝蔵に着いて行った百名の仲間達。安土で、また会えたのはたった八名。後は、皆死んじまった。


「アイツらが…………仲間が、命を懸けて戦ったんだ! 引けねぇ理由は、それだけで充分だろうがぁぁぁっ!!! 行くぞぉぉぉおおお!!! 」


『ぉぉぉおおおおおおおおおっ!!! 』


 俺の号令に合わせて、一気に赤鬼隊が攻め懸かる。もう体力なんざ無く、立っているのが精一杯。


 そんな俺達を支えるように、身体中を何かが纏っていく。霧のような、霞のようなソレの正体は間違いなくあの馬鹿野郎共だった。


「全くよぉ…………心配性な奴らだぜぇ…………おい、野郎共ぉ! アイツらが見てるぞ! 気ぃ引き締めろやぁぁぁあああああっ!!! 」


「はぁぁぁぁああああああああっ!!! 」


「ば、馬鹿なあああああぁぁぁぁっ!? 」


 俺達、赤鬼隊五百名の想いは、敵勢を真っ二つに叩き割るに至った。


 俺達の勢いに押されて、散り散りに逃げ回る敵の姿を見ながら、木にもたれかかり息を整える。


 そんな俺の身体から、不意に纏っていたモノが天へと昇っていく。どこか、微笑んでいるような温かな気配だった。


「ありがとうなぁ…………てめぇら…………あばよ……」






 老ノ坂峠の戦いに勝利した織田軍は、勢いそのままに亀山城を包囲した。それに合流する形で、神戸信孝率いる一万五千他、高山右近等摂津衆も亀山城に到着。


 天正十年六月二十二日。織田軍三万八千に対し、亀山城に籠る明智軍三千。約一ヶ月に渡る戦いは、終焉を迎えようとしていた。

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