第85話

 天正十年 五月 安土城 茶々




 かくして、妾達の戦いは始まった。椿達がもたらす情報によって、刻一刻と状況が動いているのが良くわかる。


 蒲生軍の到着、明智軍の襲来、森・蜂屋軍の到着……そして、二条城を中心に繰り広げられる戦いの様子。


 それらが、安土中に広まっていくのじゃ。味方の奮闘を聞けば歓喜に湧き、敵軍の猛攻に呪詛を吐く。


 ここからでは見えぬ戦場で、一心不乱に戦う勇士に、一同あらん限りの声援を送るのじゃ。


 しかし、入って来る情報が全て良いものとは限らん。無論、その中には殉職者の名前もあるのじゃ。その者の名を聞いて、泣き崩れる女中も数え切れぬ程おった。


 じゃが、そんな者達も歯を食いしばって仕事へ戻っていく。皆が皆、たった一つの情報を待ち望み戦い続けておった。






 そして、遂に待望の時が訪れる。




 ――蒲生・森が、上様と岐阜中将様の救出に成功。小勢ながら京を脱出、安土城まで僅か。




 その一報は、安土に居る全ての者達を歓喜の渦に巻き込んだ。皆が皆、抱き合って喜びを分かち合い、感涙にむせぶ。


 それは、女中達とて例外では無い。先程まで、強ばった表情を浮かべながら働いていた者達も、一同仕事を中断して泣き崩れておった。


「ぅ……ぅぅ…………ぅぅぅ……弟の死は、無駄では無かったのですねっ」


「…………そなたの弟君は、忠義に生き忠義に死んだのじゃ。まさに、武士の誉れ。実の姉として、これ以上誇らしい事はあるまいて」


「ぅぅぅ…………ぅぅ……は……い……」


「じゃが、家族が亡くなったのじゃ。辛かろう、悲しかろう……その中で、良くぞ耐え抜いた。織田家一門として、心より御礼申し上げる。…………ありがとうっ」


「……っ! ちゃ、茶々……様……。ぅぅ……ぅぅぅ……ぅわぁぁぁあああああっ!!! 」


 彼女は、蹲るようにして泣きじゃくった。今まで必死に堪えてきたモノが、一気に溢れてしまったのじゃろう。


 そんな彼女の背中を撫でながら、妾も一筋の涙を流す。妾とて、伯父上達の安否をいつも気にしておった故に、此度の果報に緊張の糸が切れてしもうたのじゃ。


 あぁ……本当に、良かった……。






 しかし、現実はそう甘くなかった。妾は、動乱の京より脱出する事を、真に理解していなかった事を思い知る羽目になってしまったのじゃ。






 蒲生達が帰還した。じゃが、その姿は妾の想像とはかけ離れた姿じゃった。


「上様ぁっ! 殿ぉっ! お気を確かにっ! 」


「誰か早う医者を呼べぇぇぇぇっ!!! 動ける者は、湯を沸かすのだ! 」


「ぅ……あ……ぅえ……ま……」


「喋るな忠三郎っ! お主も重症なのだぞ!!! 」


「こやつらも、早く部屋に連れて行け! このままでは、手遅れになるぞ!!! 」


「英雄達を、絶対に死なせるな! 」


 家臣達によって、次々と城内へ運び込まれる。その中には、包帯に包まれた伯父上と右肩から血を流す奇妙兄上の姿もあった。二人共、意識は無く微動だにしない。


 蒲生達とて、無事では無かった。安土城に戻って来たのは、僅か十四名。その誰もが、浅からぬ傷を負っていたのじゃ。


 そのあまりにも壮絶な光景に、妾はその場でへたり込んでしもうた。周囲に漂う濃厚な血の香りに、吐き気を覚えてしまう。


 脳裏に映るのは、炎上する小谷城の光景。あの日の恐怖心が鮮明に思い出され、身体の震えが止まらんのじゃ。


 妾達は、先程までの盛り上がりが、嘘のように静まり返っていたのじゃ。


 そんな絶望の真っ只中に、追い討ちをかけるように情報が入って来る。




 ――明智軍、安土城へ襲来。




 悪夢は、未だ覚めない。






 北条殿の指揮の元、動ける者達は総出で明智軍に備える。椿の情報によれば、明智光秀率いる本陣では無く、蒲生達を追ってきた残党狩りとの事じゃが、それでも拭いきれぬ不安感が妾達を襲う。


 誰も彼もが、神経を尖らせながらその時を待っていると、けたたましい鐘の音が鳴り響いた。


 慌てて外を伺うと、遠方より黒い影がこちらへ向かって来ているのが見えた…………明智軍じゃ。


「敵襲ぅぅぅっ!!! 」


 直後に響き渡る伝令に、膠着した身体を無理矢理動かそうとする。じゃが、一向に自由が戻らん。


 妾は、強く目を瞑り一心不乱に助けを求める。来る筈の無い助けをっ。




 ――助けてっ三法師っ!!!














 ――ドォォォガァァァァァァァァンっ!!!




 突如として、雷鳴の様な凄まじい音と共に、全てを薙ぎ払うかの様な暴風が巻き起こる。


 妾は、その凄まじい衝撃に腰を抜かしていたのじゃが、なんとか立ち直ると恐る恐る周囲を伺った。


 すると、信じられない事に敵軍が散り散りに逃げ惑っておったのじゃ。我が目を疑うその光景に、誰もが静まり返っておった。


 神の御業か……そんな考えは、伝令の声によって遮られる事になる。


「船じゃぁああっ!!! 湊に船が来たぞぉぉぉぉっ!!! 援軍じゃぁぁぁああああっ!!! 」


「……っ! 」


 妾は、その声に導かれるように湊へと走った。走って走って走り続けて、その最中に見える帆に描かれた織田木瓜が、誰があの船の持ち主かを表しておる。


「三法師っ!!! 」




 湊へ向かう途中、視界が滲んだせいで、何度も何度も転んでしもうた。涙を止めようにも、この溢れる想いを止める術を知らんかったのじゃ。


 そして、遂に湊に辿り着いた妾を、幻想的な光景が出迎えてくれおった。




 船から降りてくる一行、その先頭に立つ三法師に向けて、天から一筋の光が注いでおったのじゃ。ただ一人、三法師だけを……のぅ。


 悠然とこちらへ向かって来るその姿は、光に照らされ眩いばかりの輝きを放つ神の化身そのものじゃった。


 そのあまりにも神秘的な姿に、その場に居た誰もが頭を垂れて祈りを捧げる。


 これが、天に愛された選ばれし者……。皆が皆、伯父上の事を崇拝する気持ちが、今ならば良くわかる。なんて……なんて、美しいのじゃろうか。






 妾は、震える足取りで三法師の元へ向かうと、思わずその身体を抱き締めてしもうた。此処に、確かに三法師が居るのじゃと、確かめたかったのじゃ。


 そんな妾らしからぬ行動に、三法師は少し驚いておったが、直ぐに優しげな微笑みを浮かべ頭を撫でてくれた。


「もう、だいじょうぶじゃ。わたしが、ちゃちゃをまもるから……」


「……っ! ぅ……うわぁぁぁああああっ!!! 」




 ――三法師は、いつも欲しい言葉を妾にくれる。




 優しげな陽だまりに包まれる最中、この胸に秘めた想いに名を付けた…………『恋』……と。

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