第84話

 天正十年 五月 安土城 茶々




『神仏の加護』


 坊主共が信仰する仏に、伴天連共が信仰する神。ソレ等に救いを求めて、誰も彼もが一心に祈りを捧げるのじゃ。


 そんな神仏の加護を授かった者は、時偶人界に現れてはあらゆる偉業を成し遂げる。彼の軍神上杉謙信は、まさに神仏の加護を授かった選ばれし者であろうのぅ。


 そして、伯父上も天に愛された選ばれし者じゃった。比叡山を焼き払い、第六天魔王と称した時でさえも、伯父上の思惑通りに事が進む。


 まるで、運命自らが伯父上に力を貸すかの様に。


 そんな伯父上の奇跡に、人は崇拝の念を胸に宿すのであろうな。


 妾には、未だに実感の湧かぬ事柄であったのだが……よもや、妾が斯様な想いを抱くとは、夢にも思わんかった。






 三法師からの報せが届いた瞬間、安土城各所では蜂の巣を突っついた様な騒ぎが起きていた。


 本来であれば、直ぐにでも今後の方針を固め、家中の者達が一丸となって、この困難を乗り越えねばならぬ。


 しかし、伯父上と言う精神的支柱が危ぶまれているせいか、意見の衝突を繰り返すばかりで、少しも先へと進んでおらんかった。


「京へ出陣し、逆賊明智光秀を討つべしっ!!! 」


「二千の兵しか居らんのだぞ! 一万の大軍に、どうやって立ち向かうのだ! 」


「このまま、上様と若殿の救出に向かわずして、何が忠義か! 何が忠臣かっ! 」


「御二方は、誠に無事なのか!? もっと、正確な情報は無いのか! 」


「兵を出す! それは、決まりじゃろう! 」


「兵を出すにしても、誰がそれを率いるのだ! 」






「はぁ…………」


 広間の様子を覗き見していた妾は、そんな家臣達の姿に、思わず深い溜め息をついてしまった。


 じゃが、それも無理は無いことじゃろう。今の安土城には、家中を纏めるだけの存在がおらんのじゃからな。


 元々、伯父上は京に行く予定は無く、突然思い立ったかのように行ってしまわれた。


 その時、普段なら安土城留守居役を務める蒲生が、二.三日前に体調を崩した奥方の見舞いに安土城を離れておったのじゃ。


 もし、蒲生が残っていたならば、斯様な騒ぎにはならんかったろう。しかし、伯父上も蒲生も責める事は出来ん。


 伯父上が蒲生の帰城を許したのも、今までの忠義を認めていた故のこと。蒲生とて、涙を流しながら喜んでおった。


 なんとお優しいことか、慈悲深い伯父上に家中の者達も、感動していたのは記憶に新しい。


 そう……これは、偶然が生み出した悲劇なのじゃ。運が悪かったのかのぅ。




 その結果が、上座に座る源五郎伯父上じゃ。


「源五郎様は、どういったお考えをお持ちですかな! 是非とも、お聞かせ願いたい! 」


「いや……儂は……」


「無論、出陣でございますな! 」


「籠城に決まっておろうがっ! 」


『源五郎様のお考えは如何にっ!!! 』


「うぅぅぅ…………むぅ……」


 顔面蒼白になりながら佇む姿に、思わず目を伏せたくなる惨状じゃ。


 たまたま、安土城の茶会に参加する為に訪れていたのに、斯様な立場に立たされて全く状況についていけておらん。


 別に、源五郎伯父上に武将の才が無い訳でも無いのだが、茶人としての方が性に合っておるのじゃろうな。


 伯父上の弟。一門衆でも位の高いことが、今回は裏目に出てしまったのじゃろう。


 実に、御労しい限りじゃ。






 このまま、時間だけが無駄に過ぎ去ってしまうのか……そんな憂いは、ある男の出現によって拭われることになるのじゃ!


 その男は、勢い良く襖を開き、それで生じる音で皆の視線を集めると、手を大きく広げながら上座へと歩いて行った!


「皆様、落ち着きなさいませ。悪戯に時を浪費していては、天下の織田家家臣の名折れ。私は、新参者ではありますが、この織田家未曾有の危機に身を粉にして立ち向かう所存っ! 」


「北条様…………」


「貴殿が、そこまで上様に忠義を誓っていようとはっ! 感服致しましたっ! 」


 握り拳を掲げながら、身を震わせるその姿に、一同感激したように何度も頷いている。


「皆様、御安心なさいませ! この私に、一つ策がございます! 」


 自信満々に語る姿に、広間中にどよめきが広がっていく。この男に賭けてみたい……そう思わせる魅力が、この男に感じてしまったのじゃ。


「……して、それは………………」


 盗み見している妾でさえも、思わず固唾を飲んで行く末を伺う状況。痛い程張り詰めた空気が、否が応でも緊張感を誘う。


 北条殿は、十二分に間を溜めると、両手を広げながら高らかに策を語ってみせた!


「千の兵を蒲生殿に預け、二条城に居られる上様方をお救いするのです! そして、残った千の兵で籠城の準備をし、蒲生殿の帰還を待つ。蒲生殿が無事に安土城へ帰還したならば、籠城にて上様方を守るのです! 後は、諸国の大名達の援軍をひたすら待ち続ける! 三法師様も、文にてそのように申しております! 」


 そう言って懐から文を取り出すと、ソレを勢い良く広げてみせた。三法師も同じ考えをもっている……それは、織田家家中の者達なら決して無視出来ぬモノじゃ!


「し、しかしながら、私達には籠城戦を指揮した経験がありませぬ。それに、安土城は如何せん広大過ぎる。僅かな手勢で果たして、そう上手くいくか…………」


 尻込みする家臣達と対象的に、北条殿は一切の恐怖心を見せず、どこまでも威風堂々とした貫禄に満ちておった。


「籠城の指揮は、この私がとりましょう! 彼の軍神上杉謙信幾十万の大軍にも、私は耐え抜き勝利を収めてみせました! 軍神に比べれば、明智光秀なぞおそるるに足らず!!! 見事、皆様を守ってみせましょうぞっ!!! 」


 軍神上杉謙信を退けた……これ程までに、説得力のある言葉を妾は知らぬ。


 皆の顔にも、希望の光が見えているのが伝わってくるようじゃ!


「た、確かに、相模少将様以上の適任はおりますまい! 源五郎様! いかが致しましょうか」


「私は、北条殿に任せたいと思う。彼ならば、我等に勝利をもたらそうぞ」


『然り、然りっ! 』


「皆様、共に立ち向かおうではございませんかっ! 我等の忠義は、ここに有りっ! 逆賊を討ち払い、上様方を御救いするのです!!! 」


『ぉぉぉぉおおおおおおおおっ!!! 』




 ……妾は、確かに見届けた。家中の者達を、瞬く間に抱き込み纏めあげるその手腕をっ!


 やはり、流石は東の雄か! 東国が誇る大大名の器の広さ。それを、これでもかと見せ付けられたのじゃ!


 次期織田家当主である三法師の後ろ盾として、これ以上の男はそうおらんじゃろて。




 こうして、安土城に居る者のみならず、城下町に住もう民達も共に一丸となって、逆賊明智光秀に備えることが決定したのじゃ!


 無論、妾も幼い身の上ながら、全力で力になるつもりじゃ!


 母上は、薙刀片手に武装しておるが、妾は握り飯を作って皆を支援するのじゃ! 絶対耐え抜いてみせるぞ! 来るなら来い! 明智光秀っ!!!




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