第83話

 天正十年 五月 二条城 蒲生忠三郎




『明智軍襲来』その一報を聞いた途端、飛び跳ねるようにして立ち上がると、すぐさま行動を開始した。


「岐阜中将様っ! 」


「うむ、行くぞ! 」


 一言……ただ、それだけで意図を察した私は、上様を背負って裏口へ走る。父上と交わした約束を守る為に、己が責務を果たす為にっ!




 ――命懸けの逃亡戦が、幕を開けた。






 外に出ると、まず飛び込んで来たのは、おびただしい数の人の群れ。明智軍一万と言う大軍は、父上達千五百を相手取っても尚、裏手に兵を回せる余力があった。


「居たぞっ! 決して逃がすなぁぁぁぁっ!!! 」


『手柄じゃぁぁぁあああっ!!! 』


 まるで蜜に群がる蟲のように、私達へと殺到する敵兵。口々に己が欲望を曝け出すその様は、何とも浅ましく卑しい。


 斯様な雑兵如きに討ち取られるなど、末代までの恥。ましてや、主君が害されようものなら死んでも死にきれまいっ!


 だが、こちらは二百の小勢に対して、目測ではあるが二千近くの敵兵が向かって来ている。多勢に無勢…………数多の犠牲を払っても、道を切り開くしかあるまい!


 私は、上様を三法師様の忍びである桜殿に預けると、勇ましく最前線へと立った。


「死中に活有りっ! 忠義に生きる勇敢なる戦士達よっ! 今こそ、その武勇をもって正義を示さんっ! 私に続けぇぇぇぇぇぇえええっ!!! 」


『ぅぅぅぅぉぉぉぉおおおおおっ!!! 』






 ……一体、どれ程の時が経ったであろうか。進めども、進めども前へ進んでいる気がしない。いつまでもいつまでも、その場で足踏みしているような感覚を覚えてならないのだ。


 人の数は、そのまま壁の厚みと同義だ。こちらが、いくら果敢に特攻しようとも、目の前の壁を超えても直ぐに新しい壁がそびえ立つ。


 いつまでも経っても変わらない光景に、いつしか足取りは重くなり士気は下がっていく。


 ……万事休すかっ! そんな思いが脳裏を過ぎ、膝を突きそうになった……その時! 敵勢を、何者かが横から薙ぎ払ってみせたのだ!




 凄まじい風切り音と共に、戦場に響き渡る悲痛な叫び。『一体誰が……』そんな素朴な疑問は、直ぐにでも解消されることになる。


 鶴丸の旗印を空に掲げ、身に纏うは紅の鎧兜。その武勇は千里を駆け巡り、主家に仇なす悪鬼を薙ぎ払らわんと朱槍を振るう。


 ――その英雄の名は。


「勝蔵っ!!! 」


「すまん、遅れた。だが……もう心配はいらない。共に道を切り開くぞっ!!! 」


「……っ! あぁ! 勿論だとも!!! 」


『はぁぁぁぁああああああああっ!!! 』


 勝蔵と横並びに戦場を駆ける。右に一振すれば首が飛び、左に振るえば腕が飛ぶ。縦横無尽に突き進むその様子は、まるで自分が伝説の英雄になったかのような高揚感を与える。


 何故だろうか……先程までとは打って変わって、力が無限に湧き出てくる。


 …………否、本当は分かっていた。『共に……』そう言ってくれたことが、何よりも嬉しくて、私に力を与えてくれるのだ!


「行くぞ勝蔵っ! 」


「おうっ! 」






 私達は、勢いそのまま敵陣を中央突破する。先程から味方の士気が、前に進む事に高まっていくのが良くわかる。


 やはり、織田家が誇る若き英雄にして、私の唯一無二の親友である勝蔵の出現は、味方に歓喜に湧かせ、敵に絶望を与えるのだろう。


「森様じゃ〜っ! 赤鬼様じゃ〜っ! 」


「勝てるっ! 勝てるぞ!!! 」


『蒲生様に続けぇっ! 赤鬼様に続けぇぇぇぇっ!!! 』


「ば、化け物じゃぁぁぁ」


「あんなモノ、勝てるかぁぁぁ」


『ひぃぃぃっ!!! 来るなぁぁぁぁぁ!!! 』


 敵兵が私達の勢いにたじろぎ、その包囲網に一筋の綻びが見える。まるで、光の線のように真っ直ぐと指し示す勝利への道。


『行っけぇぇぇぇぇぇええええええええっ!!! 』


 ただひたすらに駆け続け、遂に私達は敵陣から抜けることが出来た。後は、安土城へ向かうのみ!




「逃がすなぁぁっ!!! 追えぇぇぇぇっ!!! 」


 後ろから敵将の罵声が聞こえる中、私達は前へ前へと駆ける。後ろを振り返れば、多くの仲間達が敵勢の足止めをしており、安土城へ向かう者達は三十にも満たなかった。


「……っ! 皆の者っ…………」


 思わず止まりそうになる足を、握り拳で叩いて制する。分かっていた事では無いかっ! 何かを得ようとするならば、何かを失わなければならない事はっ!


 目尻に浮かぶ雫を拭い去り、一歩……また一歩と進む度に、脳裏に父上の言葉が過ぎる。




『良いか、お主は上様と岐阜中将様のことだけを考えよ。例え、途中で誰が死のうとも、決して足を止めるな!!! 』




 ……っ! 父上っ!!! 拭いきれぬ涙と共に、父上との思い出が次々と脳裏に映る。


 時に厳しく、時に優しく接してくれた父上。頑固者で直ぐに手を上げ、酒に弱いくせに酒が大好きだった父上。


 親子喧嘩も沢山したし、政務に対する意見の衝突は日常茶飯事。だけど……だけど、そんな父上が大好きだったっ。


『最後に、一目だけでも……』そんな思いで振り返りそうになった私を、鋭い怒号が貫いた。


「振り返るなっ!!! 」


「か、勝蔵……」


「蜂屋様も蒲生様も……皆、死を覚悟して明智軍の足止めをしているのだ。刹那の気の迷いも致命傷になり得る今、足を止める事こそ彼等への最大の侮辱と知れっ!!! 」


「……っ! すまない」


 強い口調で激を飛ばす勝蔵。その言葉だけを聞いたならば、強く勇ましく……どこか冷徹な印象を受けるだろう。私とて、最初はそう思ってしまったくらいだ。


 しかし、勝蔵の瞳から流れる一筋の光を見たならば、瞬時にそのような印象は消え去るだろう。


 そして……周囲へ耳をすませば、薄らと聞こえてくる啜り声が、これから逝く仲間を憂いて嘆く、悲痛な叫びを表していた。


 私は、なんて愚かなのだろうかっ。仲間を、家族を置き去りにする事に嘆いているのは、私だけでは無いだろうにっ! 誰も彼もが、歯を食いしばって耐えているのだ。


 私は、どこまで甘ったれているのか! このままでは、父上に合わす顔も無いでは無いか!


 ……もう、迷わない。彼等への精一杯の誠意は、彼等の死を意味有るモノへとする事だ。そんな決意を胸に秘め、私達は前へと足を踏み出した。






 野を駆け、山を越え、ひたすら進む私達の前に、遂に安土城が見えてきた。あぁ……何て遠く険しい道のりだっただろうか、数多の襲撃を乗り越え、仲間達の屍を越えて、遂に使命を成し遂げる時が来たのだ。


 胸から溢れる想いの丈は、何事にも変えられない格別なモノであった。


 …………このまま、何事も無く終わってくれたらのなら、どんなに良いだろうか。


 しかし、世界はいつだって気まぐれに私達を絶望の淵へと叩き落とすのだ。堕ちれば二度と戻れぬ、果てしない漆黒の闇へと。




 ――ズドンッ!!!




 そんな、重苦しい一発の銃声が響き渡った。














 忠三郎達が京を抜ける頃、一人の武将がその生涯を終えようとしていた。鎧の隙間から溢れる血潮が、全てを真っ赤に塗りつぶし、切り飛ばされた右腕はあるべきところに無く、既に左眼には光が灯っていない。


『何かを得ようとするならば、何かを失わなければならない』


 彼は、忠三郎達を逃がす為に、文字通りその命の全てを投げ打ったのだ。


 そんな彼に近付く影が一つ。


「蜂屋様っ! お気を確かに! 蜂屋様っ! 」


 涙を流しながら、少女は必死に声をかけ続ける。『どうか、目覚めて欲しい……』そんな、想いを胸に秘めて。




 真摯に慕う彼女の想いは、確かに彼の胸へ届いた。薄らと瞼を開けるその姿は、まさに奇跡と言えよう。


「……なんだぁ……梅の嬢ちゃんか…………」


「蜂屋様っ! い、今、医者を…………」


 医者を呼ぶ為に、慌てて立ち上がろうとする彼女を、蜂屋はゆっくりと手で制す。それはまるで、自らの死期を悟っているかのようであった。


「嬢ちゃん……俺は、もう助からない。薬の無駄遣いだ」


「そ、そんな…………」


 弱々しく崩れ落ちる彼女に、彼は優しく手を重ねる。


「どうか、三法師様に伝えて欲しい。約束を果たせず、申し訳ございません……と」


「……っ! はい、必ずやお伝え致しますっ! 」


「…………そうか。…………よかっ…………た」


「は、蜂屋様? そ、そんな…………蜂屋様ぁぁあああっ!!! 」


 瀕死の重症を負っているとは思えない程、彼はどこまでも優しい微笑みを浮かべながら、黄泉の国へ旅立って行った。






 二条城の戦い 終結




 明智軍 損害千五百




 蒲生・蜂屋軍 壊滅




 主な戦死者


 蒲生賢秀


 村井貞勝


 村井貞成


 蜂屋頼隆

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る